アナル談義

 私は女のアナルによく指を入れます。どうしてそんなところに入れるのかというと、男は女の孔を見ると指で確かめたくなるのが本能だからです。
 これは放蕩の初期の話で、後期になると、アナルに指入れを許すほど私にうち解けているかどうか確かめたい、アナルファックの可能性を探りたい、アナルで感じる女がいるのか知りたい、この三つが理由です。
 それで、まだアナルセックス未経験の頃からソープ嬢やヘルス嬢のアナルにはよくタッチしていました。まあ昔は(平成8年以前をイメージ)対面した金津園の嬢に拒まれることはしばしばあったけれど、それなりの数の嬢のアナルに指を入れました。
 入れるたびに不思議なのは、いつも抜いた指が殆どにおわないことです。指がにおった経験は二回ぐらいしかありません。自分のアナルに指を入れれば必ずにおいがつくから、これが私には不思議でなりません。
 私の大便はいつも柔らかいです。だから、指に異臭がつくのは当然ですが、若い女は殆ど誰でも、肛門の内側に便が付着していないのが感心です。いつも堅さがある便をつるんと排出できる健康さが、(後半に)軟便を出すことが多い私にはとっても羨ましいです。
 私が女のアナルに指を入れようとして拒まれた時、不可の内容は (1)便秘 (2)痔疾 (3)堅い便でアナルが切れている (4)恥ずかしい (5)駄目の一言、この五つです。
 女が嫌がれば絶対に無理強いはしません。濃厚なプレイの進行中で女が気持ちよい時にするから、あんまり嫌がられたことはありませんが。
 でも、私を失望させまいと、ただ「駄目よ」とだけ言わずに「もう三日間、うんちが出ていないのよー」とか、痔疾やら堅い便でアナルが切れているなどと、女にとっては恥ずかしいことを正面から打ち明けられるのは愉しいです。若い女でも痔疾が多いのは気の毒です。
 私がアナルに指を入れるのは、必ず女がラブジュースを流しているときです。クリトリスばかり攻めても飽きるから、クンニリングスをしながら、女のよがり汁をアナルに塗りつけてじわじわと挿入します。その時の女の顔と声が愉しいのです。
 私の巧妙な舐めを受けると女は陶酔状態ですから、前述の(1)〜(3)の理由がない限り殆ど指入れを拒みません。深々と差し込むと、やったぁという気分です。
 後で聞くと、大概の感想は違和感を訴えるものです。なんだか快感みたい、と言った女は2人ぐらいしかいません。
 突っ込んだ指先にうんちを感じたケースは長年の風俗遊びで二度ほどあり、いずれも立派に堅くて、指に便が付着しませんでした。
 アナルセックスが好きな人というのは、子供の時から自分のアナルによく指を入れているようです。いろいろ話を聞いていると、男でも女でも自分のアナルに全く指を入れたことのない人がいるのは不思議です。
 人間、自分の身体のすべてに好奇心を持つのが自然ではないでしょうか。アナルは指を入れ込んで洗うのが作法です。

 私は子供の頃から42歳までずーっと痔疾で悩んでいました。実はオギァーとこの世に生を受けたときから私は肛門が腐っていたのです。はなはだしい痔瘻でした。
 私が赤ん坊の時高熱を発し、私の母の父が「丹毒じゃ。切りとらなければこの子は死ぬ」と言って私の肛門の後ろ側の糜爛した部分を熱したナイフでえぐり取りました。強引な対処に母は驚愕したようです。だから、私のアナルの後ろ側が今でも少しえぐれています。
 小学生の頃私は肛門周囲膿瘍で尻穴がむずむずすることがよくありました。中学生になるとよくパンツの後ろを汚し、常にアナルがむず痒い状態で、時々しくしくと痛みました。恥ずかしいところですから、医者にも親にも見せず、ボラギノールの座薬を入れていたけれど、殆ど効き目がなかったのです。
 痔瘻とは知らず、疣痔と切れ痔が両方できているのだと思っていました。
 風邪を引いて抗生物質を飲むと、膿が出なくなるのでホッとしていました。でも、風邪が治ると、また肛門がかゆくなり、ふくらんだところを指で押さえて膿を出していました。尻たぶの狭間の、全体に窪んでいるところですから、膿を出すのはやりにくかったです。
 恥垢考で「私は大学にいた頃は山岳部に入っていて、夏の合宿となると、北アルプスの最奥部で二週間以上登山をしていました。その間、夜はずーっと寝袋で寝ているわけで、一度も風呂に入れません。二週間ずーっと同じパンツを穿いていて、一度も洗わないと、パンツの全面が見事に着色して、激しい臭気に感動しましたが、恥垢のたまり方もすごかったです」と書きました。
 あの時はパンツの前側が小便のしずくや恥垢で汚れているだけでなく、後ろ側では血膿がついて、ごわごわになってすっかり変色し、いいにおいを放っていました。
 就職して、仙台勤務の時期に結婚することになりました。こんな尻では嫁さんにパンツを見せられないと思って、挙式が迫った頃勇気を出して医者にかかりました。
「先生、来月結婚式なんで、なんとかお願いします」
 そう頼み込みました。
 老人の先生が、孔がいっぱいあってモグラの穴のように奥でつながっていると説明しました。治療は細かな孔に細い管を差し込んで膿を取り出すという外科的なもので、麻酔をしていないのでむちゃくちゃ痛かったです。脂汗を流し、筆舌に尽くしがたいというのは、あのような拷問を言うのでしょう。
 でも、痛かった割には根治にならなかったのです。半年もしたらまた苦しむようになりました。
 で、治療を受けた20代後半から40代までの期間もずーっと痒みと痛みとくさい膿汁に悩みました。できるだけアルコールを飲まないようにしていたけれど、つき合いで飲まねばならないこともあり、そうなると翌日は、鮮血流れてやまず、でした。
 小便排泄は小便器ではなく大便の部屋に入って用を済ませ、紙で尻を拭いていました。尻がむず痒いときに膿の排出を忘れていると、アナルのところでプチッと切れたような感触があり、そのうちに血膿でズボンまで汚していました。
 仙台から東京本社に転勤すると酒のつきあいが断りにくくなり、下ろしたパンツの内側を眺めては憂鬱になる日が続きました。
 そのうち真珠腫中耳炎が再発し、33歳の時に二度目の手術を受けました。抗生物質をたっぷり体の中に入れて、尻穴の痒みと出血が軽くなりました。でも、退院して半年も経つとまた悪化したのです。
 私は名古屋に転勤後、ヘルスや金津園に通うようになりました。はじめて金津園で遊び、マットプレイで俯せになった時は困ったはずなんだけれど、そのことは全く覚えていません。たまたま症状が落ち着いていた時期なんでしょうか。
 私はエロ対面前に紙でしっかり尻穴を拭き、パンツの汚れに気をつかいました。パンツを汚す前に尻穴の膨らみを指で摘んで血膿をプチッと排出するのが日課でした。
 ところが、金津園に通って淋病を貰い、抗生物質の薬を飲んで、ここでも二ヶ月ぐらいは尻の穴が落ち着きました。
 風邪を引いて使う抗生物質よりも淋病で服用する抗生物質のほうが尻穴の不具合には効くことと、何か細菌が肛門に繁殖しているから痔瘻になるということがはっきり理解できて、私の超慢性の痔瘻は漢方薬では治らないだろうと確信しました。
 有名な野垣病院に行こうかとも思いました。
 でも、結婚前に受けた治療の恥ずかしさと強烈な痛みや、手術をすればおそらくは3ヶ月ぐらい仕事を休まねばならないことを考えると、医者にかかる勇気が出ませんでした。結局、膿汁でアナルが爛れたままにしていました。
 大便をすると、いつも血の海の中に糞便が浮かんでいました。毎日のようにしくしくと痛んで、尻のことから心が離れることがありませんでした。
 42歳になって、私は淋病よりもはるかに怖い性病にかかりました。これは金津園ではなくて、ピンクキャバレーでフェラチオによって毒液注射をされました。悪魔の犬歯がカリ首の溝をえぐったのです。
 その罹患は、頸椎を手術するべく大病院に入院した時に血液検査で判明しました。
 私にとっては大変な出来事で、妻も病院に呼び出されて血液検査をさせられるし、母親は涙を流すし、母と嫁が二人揃って半狂乱の状態になる愁嘆場で、もう目の前が真っ暗になりました。会社の健康保険を使ったのが大失策ではないかと悩みました。
 でも、気も動転するこの不幸が私にとっては、不幸の激しさをしのぐ絶大なる幸運をもたらしました。
 幼児の時からの肛門のじめじめと痒みや痛み、パンツの血膿による汚れが、どういうわけか手術もせずに完全に訣別できたのです。その時服用した抗生物質がSTDの菌だけでなく痔瘻の病原菌まで見事に退治しました。
 歩行困難になるほどの頸椎の重症が治っただけでなく、肛門が全く平和になって、違和感がない状態が続くのを何ヶ月か観察し、肛門周辺をさわってみて(これは、これまでの耳の手術の後とはっきり違うぞ!)と思い、天にも昇る嬉しさがこみ上げました。
 以来65歳を超えるまで再発しませんでした。糜爛していつも湿地帯のようだった肛門部が、サバンナの大地のようになりました。
 私は『無限プチプチ』の玩具を高校生から42歳になるまで尻に持っていて、いつもそこに指先を伸ばしていました。これは『無限プチプチ』と違い、しっかり潰れて中から血膿が飛び散るというリアリティたっぷりの最強のおもちゃでした。これをようやく捨てることができたのです。
 痔の手術は大変つらいと聞きますが、その手術もなしで、スピロヘータの薬が私の積年の悩み、40有余年の病根を解消したのは、忌まわしい感染の、切ない哀しみをはるかにしのぐ幸福でした。
 痔瘻で検索すると医者のサイトには「手術が必須」と出ています。大いに疑問です。私の痔瘻はほぼ生まれつきのもので、そうとう悪性のものだったはずです。でも、外科的処置では半年ももたず、20日の薬投与、しかも、別の病気の治療のためのもので撲滅できました。
 重度の頸椎症は首の牽引で、重度の痔瘻も抗生物質だけで治癒しました。手術はなるべくしない、こういう考えは大切だと思います。特に外科手術を業とする先生にはよく考えてもらいたいです。
 要するに、痔瘻の治療に当たっては細菌学を用い、痔瘻の孔の中に巣くう細菌が何であるかを調べ、それに合った薬を長期間投与してばい菌を撲滅するということです。
 ここで、風俗遊びが好きな人への忠告
 デリヘル、ピンクキャバレー、ちょんの間、低級ヘルスのようなところ、それと
 援助交際は、女がそれほど性病の検査を受けていないので、大変怖い。
 こういう遊びはしない方がいい。する場合は、フェラチオでもゴムをつけること。
 勿論、クンニリングスは不可。

 子供の頃から私は痔疾に悩んでいたので、尻の穴に指を入れて中のふくらみを探り、肛門部を摘んで圧迫し膿を押し出すことをよくやっていました。だから、アナルを触ったり指を入れることにはあまり抵抗感がありませんでした。
 自分のアナルに指を入れると、いつも指にうっすらと色がつき、便のにおいがしました。となると、若い女のアナルに指を入れてそのようなことが殆どないのが不思議でなりません。まるで野生の哺乳類のようです。(私は人間以外の哺乳類の肛門に指を入れたことはありませんが)
 私の場合、尻の穴をさわったり舐め上げたりするのは抵抗感がありませんが、昔から糞便への不浄感は人よりも強かったと思います。
 だから、何かの難病に罹って、薬の副作用だか病気の症状だかで子供が便秘になり、その子供のアナルに父親が口を当てて吸い、指を入れて濃緑色の便を掻き出したという美談を読めば、感動しながらも背筋が寒くなり、谷崎潤一郎の「少将滋幹の母」で、平安時代の助平男の平中が、おまるの中に貴婦人の疑似大便が香ばしく鎮座しているのを見て感動するシーンを読めばあきれました。
 私はスカトロ物のビデオを見ますが、スカトロプレイをしたいとは今でも思いません。
 私のアナルには重度の痔瘻の後遺症が残っていて、外観は大変見苦しいです。ですから、ソープ嬢とマットプレイの時に次のような会話をするのが愉しいです。
「僕のお尻の穴は、むちゃくちゃきたならしい形をしているだろ?」
「うん、きたなーい」
「お尻の穴が、色は汚くて、いろんなところが飛び出ていて、ぶよぶよしていて、気持ち悪いだろ?」
「ふふっ、そのとおりよー。すごい変な形してるわ」
「それでも、舌の面をべっとりと全部当てて、強く舐めるんだぞ」
「えーっ!」
「おまえ、それが仕事だ。世の中で、仕事に愉しいことなんか、一つもないんだぞ。そう考えれば、ここまでむちゃくちゃ見苦しいアナルを舐められるのは、むしろ面白いことなんだ。光栄だぞ」
「よし、××さんのケツの穴、舐めてあげよう!」
 私は痔瘻が治るまでは尻舐めをさせたことが殆どありません。なるべくお尻の穴を女に見られないように気をつけていました。で、完治してからは10年以上の間、見苦しいアナルでもマットの上で恥ずかしがらずに突き出すようになりました。
 恵里亜のには、マットの上で尻を突き上げるたびに「××さんのお尻は本当にきたない形をしているわねえ。このお尻を舐められるのは私だけでしょう。みんな、いやがるわよぉ」と感動されました。
 私は対面した風俗の女や裏本に登場する女のアナルが見苦しい形をしていると嬉しくなります。小説では、放射状の小皺がすっきり伸びているアナルに出会うと感動しているシーンが何度も出てきますが、痔で変形した肛門も女が美しければ大変感動します。
 いろいろ思い出を書きましたが、要するに、若い女のアナルに指を入れるのは愉しいです。

 アナルセックスを初めてしたのは平成11年で、それ以来アナル処女と何度かやりました。私のペニスのサイズなら女の子が安心するようです。アナルセックスに興味を抱いている風俗嬢って結構いるものです。
 私のAFはいろんなところに書いているので読んでください。で、経験者として感想を言うと、それほど気持ちのいいものではありません。こすれがファックやフェラチオと違いすぎます。無理にするものではないと思います。
 私がAFをやりたがるのは、アナル処女を捧げてくれる気持ちが嬉しいからで、女がすでに経験しているなら、それほど菊座を犯したいとは思いません。
 私の場合、ローションなんかは使わず、クンニリングスでラブジュースを潤沢に流させて、その淫汁を使ってアナルを拡張し、これを潤滑剤として活用するので、女が協力的になります。
 でも、若い女というのは意外に便秘で、なかなかアナルセックスに持ち込むタイミングが難しいです。
2001年に書いて良性記に出していた文章に加筆しました。サイトの持続の長さを改めて感じます。

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