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アダム徳永氏の『スローセックス実践入門』を論評する(前編)

 アダム徳永氏著の『スローセックス実践入門』(講談社+α新書)という本がよく売れているようです。
 私は、アダム徳永氏の考えに対して真っ正面から異を唱えたいです。
 アダム徳永氏の文章は青字で掲げます。
 以下の記述は、1ページ目から順に読みながら、氏のポイントらしい主張をワープロに入れ、それに対する私の考えを書き込むというやり方で進めます。
 アダム徳永氏はまえがきで六行目から次のように書いています。先ずこれを読んでください。
 さて、何事もそうですが、何かを学ぶ時には、現在の自分のレベルを知ることが大切です。あなたのセックスレベルはどの程度だと思いますか? ペニスの大きさなら銭湯などで他人と見比べることができますが、セックスのテクニックとなると、なかなか自分で判断するのは難しいですよね。
 では、私が教えてあげましょう。
 あなたのセックスは、せいぜい幼稚園レベルです。
 気を悪くされたら申し訳ありません。お許しください。けれども、現実をちゃんと受け止めていただくのが、今からあなたのセックスの先生になった私の最初の仕事なのです。気を取り直してお聞きください。あなたに限らず、世の中の男性が、セックスだと思い込んでいる行為は、生殖本能に毛が生えた程度の、単なる射精行動にすぎないのです。
(中略)──多くの女性がセックスに不満を持っている、セックスに関する情報には虚偽のものが多い、ということが書いてある。
 男性は誰もが、女性をギャーギャー、ヒーヒーと絶叫させたいと思っています。だから、セックスのテクニックが紹介されている記事に男性は興味を持ちますし、そこに書かれているテクニックを女性に試してみます。では、あなたは今までに学んだテクニックで、女性を絶叫させたことがありますか? 一度や二度ではダメです。世の中には、びっくりするくらい感じやすくてやすくてイキやすい女性が時々いらっしゃいますから。ほぼ毎回に近い頻度で、女性を絶叫させられる、テクニックやノウハウをお持ちかどうかを尋ねているのです。「ハイ」と答えられる男性は、非常に少ないと思います。
 一方で女性は、その九九%以上が、絶叫するポテンシャルを持っています。私自身が、一〇〇〇人を超える女性体験で得られた数値ですから間違いありません。しかし、その女性たちは、本来のセックスパートナーである彼氏や旦那様が相手では、絶叫どころか、満足にオーガズムも得られていないことがとても多いのです。
 この後8行あって、前書きが終わります。
 アダム徳永氏のこの文はとても迫力のある出だしで、好意的に読めば、諸手をあげて賛成できます。
 しかし、この文章を熟読すると疑問がいくらでも湧いてきます。
 アダム徳永氏はいきなりテクニック論からスタートしているが、この後本文には、セックスするに当たってのエチケットや心構えを一杯書いている。後書きも、“心構え”にもっぱら筆を割いている。
 ならば、ここはやっぱり、セックスするに当たってのエチケットや心構えから始めるべきだろう。テクニックなんていうものは、エチケットと心構えがまともになってから考えるべきものだ。
 氏がいきなりテクニックで始めているのは、自分の『セックススクール』にテクニックを習得したい客を呼びたいからで、心がよこしまだから、自然にその気持ちが文章に表れている。この本を中ほどまで読み進めてから振り返るとそう思わざるを得ない。
 そもそもテクニックを持っていると思っている男性や、テクニックに心を砕いている男性というのは、そうでない人に比べれば、やっぱり数が少なくて、また、正しいセックスをしているかということについてはるかに問題がないのだ。
 平凡に毛の生えた程度のテクニックであろうと、テクニックのあることを自負している男性をここまで罵倒することはなかろう。そういう男性は相対的に上等なセックスをする人なのだ。とにかく、セックス=ペニスの挿入、と思っている男性がとても多いのだから。
 氏が書く「あなたのセックスは、せいぜい幼稚園レベルです」は、『相手を本当に気持ちよくさせるセックス』という面から考えたら、私も同じ意見だ。
 私がソープ嬢に、客について意見を収集した範囲においては、私以外の客は殆ど幼稚園レベルのセックスしかしていない。だから、私はさえない小男でも、一戦交えた相手にはいつも感動されている。
 ということは、他の客がいかにダメかということだ。有料セックスということもあってか、皆、射精運動しかしていない。
 そもそも「男性は誰もが、女性をギャーギャー、ヒーヒーと絶叫させたいと思って」いるのだろうか。それは日本のエロビデオの世界の話だと多くの男は思っているのではなかろうか。
 氏は「絶叫どころか、満足にオーガズムも得られていないことがとても多いのです」と不思議なことを書いて、オーガズムの上に絶叫を置いている。
 普通は、「オーガズムを得られるどころか、喘ぎ声・よがり声も出せない」と書くものだろう。相当高度な狙いであることに読者は気づかねばならない。
 氏の言う「絶叫するポテンシャル」(ギャーギャー、ヒーヒーと絶叫)がどの程度のものを想定しているのかはここではわかりにくい。白髪三千丈のたぐいかもしれないし、軽いものならば、私でも、かなり多く実現している。絶対にフェイクでない。
 以前本文を読んだ時の記憶では、氏の言う絶叫とは“ちょっとしたもの”ではなくて、建屋に響き渡るような大きなもののようだ。
 私は、彼氏や旦那様をセックスパートナーとしている女性が、(たかだか性の不満ごときで!)氏の診断を受けに来て、氏にお金を払って治療的セックスを受けるという信じられないことをやってのける、脳みそのねじれを感じるような女性が母集団では、むしろ異常値の統計になるのではないかと思う。
 要するに、世間の常識では、これは淫乱女性だろう。
 性論の構築素材が、加藤鷹氏は、氏に憧れて、氏と共演したがっていて、事前にマンコを熱くしていた女性、さもなくば、AVの過激なセックスの様をわかっていて、それに興味津々で事前にマンコを熱くしていた女性、一方、アダム徳永氏は、素敵な性的マッサージが受けられることを期待して、事前にマンコを熱くしていた女性。ともに、普通とはちょっと違った解釈を導きやすい。
 愛し合っている相手がセックスパートナーならば、女性は(痛いことや不愉快なことをされない限り)その相手のセックスを受け入れているのが普通だ。日本人女性ならばね。それを「私は不満だ。先生に相談しよう」と思って、赤の他人にお金を払って、セックスの実演をやってもらうなんて、もうどこかおかしい女性だと言える。
 治療を受けに行った1000人が、先生の意を迎えるように一生懸命絶叫するのも頷けることだ。
 私が、診察?を受けた女ならば、絶叫するよ。
 啓蒙家というものは何かものを書く時、成功例だけをガーッと増幅して、鼻高々に書くものだ。謙虚でナイーブな私以外の人にはその手の人が多いだろう。氏が論をふるっているのは、性交の成功例だから、2000本安打などと違って他人には見えないもので、始末に負えない。
 氏は『絶叫』という言葉を多用している。女性には、男性よりもはるかに飛躍した性的感受性があるとする前提と、氏の、女性に『絶叫』をもたらす導師の意識が、既に、女性を見下した心だと私は思っている。
 要するに私は、「一方で女性は、その九九%以上が、絶叫するポテンシャルを持っています」という断定と、氏が使う絶叫という言葉に大いに疑問を持ちます。というか、腹が立ちます。女性を絶叫させるのがセックスだという考えに怒りを覚えます。
 アダム徳永氏には特殊ケースの母集団に立脚した個人の統計値があって、その上に、氏の実業を繁盛させるためのはったりがあって、氏はこのように書いているのです。
 そんなに高い数値だろうかと思うし、アダム徳永氏は、対戦した女性の九九%以上を自分は絶叫させられる、とは書いていません。何%の女性をそうさせられると考えているのか、ご自分の判断を書いて欲しいですよね。文章に『逃げ』があるのがよくないです。
 ただ、氏がそれなりの数の女性に『絶叫』をあげさせたようだから、その点では感心します。
 それにしても──男性とのセックスで気持ちよくなったことがないと思っている女性の90%以上は、男性が正しいセックスをしてやれば必ず気持ちよくなり、80%以上の女性は、実はイクことができるはずだ──という程度の文章ならば、私はすんなり頭に入ります。クリイキも包含していますからね。

 第一章現代人が知らない“本当のセックス” に入ります。
 性欲と異性への好奇心が肥大化して先走った初級編から、試行錯誤の中でテクニックやノウハウを身につけ、自分の指や舌やペニスで女性をイカせることにチャレンジする中級編へ、そしてさらにテクニックに磨きをかけ、女性が官能する姿を愛しいと感じ、女性を悦ばせることこそセックスの一番の楽しみであることに気づく上級編へと徐々にステップアップしていかなければなりません。それが、男性が恋愛やセックスを通じて、大人の階段を登り、成熟した大人の男性になるということです。
 しかし、最近の男性はいくつになっても、射精へのこだわりが捨て切れないでいます。ここ数年、成人式で暴れる二〇歳の男子が風物詩のようになっていますが、セックスにおいても幼稚化が進行しているとすれば、実に嘆かわしいことです。
 楽しむのがセックスです。それはつまり、愛撫に重点を置いたセックスです。愛撫もそこそこに“挿入→射精”という荒々しいセックスでは、女性の全身にちりばめられた無数の性感帯の潜在能力を引き出すことはとうてい不可能なのです。愛する女性をセックスでイカせられないことは男性の罪です。そして男性は罪の代償として、自分が愛する女性の本当の美しさを、決して見ることができないという、大きな罰を与えられるのです。
 これも、私は違和感を大いに感じます。
 後の文章を読めばわかりますが、アダム徳永氏が書いていることは、以降の説明や「セックス」「愛撫」の言葉の使い方からすると、実は次のように赤字の言葉を加えて読むべきなのです。
 性欲と異性への好奇心が肥大化して先走った初級編から、試行錯誤の中でテクニックやノウハウを身につけ、自分の指や舌やペニスで女性をイカせることにチャレンジする中級編へ、そしてさらにテクニックに磨きをかけ、女性が官能する姿を愛しいと感じ、ペニスの挿入で女性を悦ばせ、絶叫までさせることこそセックスの一番の楽しみであることに気づく上級編へと徐々にステップアップしていかなければなりません。それが、男性が恋愛やセックスを通じて、大人の階段を登り、成熟した大人の男性になるということです。
 しかし、最近の男性はいくつになっても、射精へのこだわりが捨て切れないでいます。ここ数年、成人式で暴れる二〇歳の男子が風物詩のようになっていますが、セックスにおいても幼稚化が進行しているとすれば、実に嘆かわしいことです。
 楽しむのがセックスです。それはつまり、フィンガーを振動させる愛撫に重点を置いたセックスです。フィンガー愛撫もそこそこに“挿入→射精”という荒々しいセックスでは、女性の全身にちりばめられた無数の性感帯の潜在能力を引き出すことはとうてい不可能なのです。愛する女性をセックスの最終段階のペニスの挿入でイカせられないことは男性の罪です。そして男性は罪の代償として、自分が愛する女性の本当の美しさを、決して見ることができないという、大きな罰を与えられるのです。
 高度ですね。高度すぎます。ここまでたどり着ける女性というのは、出産経験のない20代の女性で一体何%いることでしょうか。
 氏は第四章で次のように書いています。
“愛戯が三〇分、交接は三〇分”の第一目標が、短く感じられるようになったら、初級コースは卒業です。今度は“愛戯一時間、交接は∞(無限大)”を目指してください。
(中略)
 私のセックスでの挿入時間は、平均二時間以上です。
 ここまでできる男性はかなり少ないと思います。そして、挿入時間が二時間というのは『遅漏』という病気です。二時間萎えさせないというのは、異常体質です。
 そもそも、ペニスの挿入で、入り口での男性の体のあたり方によってクリイキする女性が結構いると思うけれど、真性中イキできる女性は、割合としてはあんまりいません。氏は“絶叫”を多用するけれど、絶叫と中イキは別物です。
 ならば、これは
 性欲と異性への好奇心が肥大化して先走った初級編から、試行錯誤の中でテクニックやノウハウを身につけ、自分の指や舌や唇やペニスで女性をイカせることにチャレンジし、それが、単に男性の興味本位のものであって、やり方も下手で、成功例もまだ少ないというレベルの中級編へ、そしてさらにテクニックに磨きをかけ、女性が官能する姿を愛しいと感じ、最低限前戯で女性を悦ばせることこそセックスの一番の楽しみであることに気づき、結果として、中イキなどの成功例が飛躍的に伸びたレベルの上級編へと徐々にステップアップしていかなければなりません。
 と穏やかに持ってくるぐらいなら、話はよくわかります。
 単に、女性が腰をよじることが面白くて、興味本位で、AVで見たように女性のあそこを指や器具で激しく弄いまくる男性が多いからです。男性が(本当に相手に気持ちよくなってもらいたい!)という心で、自分の体のどこかを使って優しく愛撫するのが、より正しい性行為です。
 しかし、後の文章を読めばわかりますが、私に言わせれば、アダム徳永氏はペニス挿入至上主義者で、「クリイキ」を一段と貶める見方をしているようです。で、ここで彼が上級編と言っているのは、【ペニスが挿入状態で女性を絶叫させること】+【女性を悦ばせることこそセックスの一番の楽しみであることに気づいて愛撫をすること】を言っているのです。
 だから、前段の正しいセックスを定義した文章の次が、「しかし、最近の男性はいくつになっても、射精へのこだわりが捨て切れないでいます」と、妙な文章になっています。すぐに嵌めたがる心を非難するとともに、挿入後の持続を意識しています。「挿入時間は、平均二時間以上」と豪語できるかただからです。
 それにしても、「最近の男性は」と書くなら、昔はどうだったのかと聞きたいです。どう考えても、昔のセックスのほうが質が悪かったでしょう。クンニリングスなんて殆どなかったし、包茎はよくないことだとそれほど思われてもいなかったのだから。
 一般人のセックスの実態を意識した普通の論理で考えれば、ここは、「しかし、多くの男性は、正しい指や舌の使い方で女性をイカせてあげるということをしていません。前戯なしで射精を急ぐか、下手くそな前戯で自己満足しています」のような文章が来るのが順当です。
 また、氏は『セックス』と『愛撫』という言葉をしきりに使っているけれど、どういう意味で使っているのかをよく見極めることが必要です。私なら、合体、前戯、指による愛撫、オーラル愛撫などと、もっと厳密に書きます。
 氏は、このように厳密に書かずに、読者の誤読を誘っています。自分の論理の具合の悪いところを隠そうとする意志が働いていないかと勘ぐりたくなります。
 なお、ペニスピストンで絶叫まで持ち込める、バギナが高感度タイプの女性はいることはいるでしょうが、極めて少ないというのは、歴然たる事実です。これは腰の動きが自慢の男性が心に描く夢なのです。
 女性が「私、今あなたの動きでイッたわ」と言えば、男性のことを思いやった誇大宣伝であることが相当多いです。(イカない女なんてつまらん)と思っている男性がとても多いから、そういうことにしておこうという保身的な意識が働くことは大いに考えられます。
 セックスまでする以上、(性交渉においても)相手に素晴らしい女だと思わせたいのは、女性なら誰でもあり得ることでしょう。
 例外事象を一般向けマニュアルのメインテーマに持ち込むことはよろしくないです。もっともアダム徳永氏には例外事象ではないようですが。
 また、私は、「女性の全身にちりばめられた無数の性感帯の潜在能力を引き出すこと」などに努力しなくても良いと思っています。ただ一箇所にある素晴らしい性感帯を開発してあげることで必要充分です。
(1) 全身愛撫なんて悠長なことはやってられない。
 そんなことをしておれば、マッサージ師ならともかくも、普通の人間では、肝心のクリトリス愛撫がおろそかになる。
(2) 陰核茎部とその他の部位とは感受性が全く違うことが多いのに、全身愛撫を強調するのは不合理だ。
(3) 「加藤鷹氏の『エリートセックス』を論評する」に書いた通り、男のオーラル力は有限である。
 アダム徳永氏はこの本の後半で書いている通り素晴らしい根気とマッサージ力があるけれども、一般向けの教書では、乏しい愛撫能力を前提にすべきだろう。
(4) 例えば、乳房は女性にとって保護すべき大切な部位。男の指の愛撫にあんまり委ねるべきではない。
(5) 女性のクリイキについては、ちんたら長々と動作せずに、最短時間でイカせることが功徳である。
(6) 最短時間でイカせた上で、例えば、マルチオーガズムタイプの女性には、最大ポイントの愛撫によって再度イカせることが大変結構なのだ。よって、乳房や脇腹などから陰核茎部のみに目を移せ。
(7) 後を読めばわかるが、氏の“愛撫”がフィンガー愛撫なのに対して、私の『インテリセックス』はオーラル愛撫絶対論だ。
 オーラル愛撫は、省エネの時代にかなった省エネ性があり、合理的で、即効的で、親密感高く、さらに相互愛撫にも適していて最強である。近代兵器のようにピンポイント爆撃ができて、大変結構。フィンガー愛撫はなかなか愛液を呼ばないのに対して、オーラル愛撫は一発で愛液を呼ぶ。
 氏が得意とするまどろっこしいフィンガー愛撫は、川中島の全隊激突・戦死者多数のようなもの。過去の遺物だ。

 次は具体的なことが書いてあって、流して読めばすんなり頭に入ります。
 生殖行為でしかない現代人のセックスの特徴は、とにかくセックスにかける時間が短いということです。私が運営するセックススクールadamの男性受講者にアンケートをとったところ、前戯にかける時間が一五分、挿入から射精に要する時間に至っては、わずか五分という結果が出てきました。前戯と挿入を合わせても、たった二〇分足らずというのがセックスの平均時間なのです。数多くの女性からの意見(ほとんどは不満ですが)を総合しても、「前戯一五分、挿入五分」というのは、現代人の平均的セックス所要時間と考えてもよさそうです。子作りのための受精だけが目的なら、それについて私がとやかくいうこともありませんが、実際のセックス現場は、子どもができないように気をつけながらしているケースがほとんどです。とすれば、アベレージ二〇分というのは、生殖行為というより、単に男性の射精行為なのです。男性の射精行動に女性が付き合う(付き合わされている)行為を、一般の人々はセックスと呼んでいるのです。
“早漏・ワンパターン・前戯が短い”。これが女性のセックス三大不満ですが、所要時間約二〇分のセックスは、見事にそれら三つの条件を満たしてしまっているのです。
 とにかく男性は、セックスの話になると“テクニック”に関心を示します。一方で女性は、“愛”が最大の関心事になりがちです。両者とも時間のことを見落としているのです。「テクニックをマスターすれば女性を満足させられる」「愛があれば気持ちよくなれる」というのは、どちらも正しくありません。テクニックも愛も、気持ちいいセックスをするための一要素でしかないのです。何事もそうであるように、セックスも総合力です。テクニックを最大限に発揮するためにも、愛情をたっぷり感じるためにも、最低限必要な時間というのがあるのです。そして、その最低限は「二〇分ではありませんよ」ということです。
(中略)
 スローセックスとは、単に長い時間セックスをしましょうといった単純な話ではありませんが、二〇分が三〇分に、三〇分が一時間にと、セックスの所要時間が延長されれば、ただそれだけでも、今起きている、そしてあなたが抱えている様々な問題のいくつかは解消されるでしょう。大胆にいえば、ちゃんと時間をかけて女性のカラダを愛撫する気持ちがあればテクニックなどなくとも女性を悦ばすことが可能であるということです。キーワードは“時間”です。
 これは、アダム徳永氏のスクールに出席するような(普通とは少しタイプが異なる)男性のアンケートだから、男性が女性に施す前戯が平均15分になったのだと思います。
 現実には、最近の女性はエロビデオの影響でフェラチオをするのが当たり前化しているから、女性が男性に施す前戯が5分、その間男性は女性の乳首を拷問にかけ、フェラチオが終われば、ゴニョゴニョと女性器を3分いじり、いじるのにあきたら直ちに挿入して、3分で果て、全部で10分前後が大変多いのではなかろうかと思っています。
 なお、女性は「愛があれば気持ちよくなれる」とはあんまり思っていないでしょう。「相手が私を本当に愛しているならば、私を抱いて気持ちよくなってくれさえすれば、私はそのセックスで満足するわ」というのが多数でしょう。
 そういうセックスで自分も気持ちよくなれないことが不満で、氏のスクールに行く女性というのはかなりの少数派だと思います。
 女性にとって、性感よりも“愛”が最大の関心事になるのは当然のことです。これがもともと一番大事だし、セックス=ピントン運動という前提で考えると、“セックス”でめくるめく快感に襲われる女性というのはもともと少数派なのだから。
 大部分の女性は、ペニスを動かされて自分が絶叫できるとは考えていません。ペニスが挿入された状態で絶叫できる女性がいるなんてことは信じられないと思っています。で、クリトリスぐらいはきちんと愛撫されて、気持ちよくなりたいな、と思っているだけです。
 氏は「“早漏・ワンパターン・前戯が短い”。これが女性のセックス三大不満です」と書いているが、女性は『前戯が短くて、それも乳首に悪戯するだけで、せいぜいクリトリスを拷問にかけるぐらいで、すぐにペニスを嵌められてしまう』そういうワンパターンのセックスに辟易しているのだ。
 それを氏は、愛撫がワンパターンはダメだと理解してかかれ、と主張し、後のページで、多彩にして華麗なフィンガー愛撫を説いている。
 男性がオナニーする時、手の動きは大変ワンパターンだ。女性がオナニーする時も全く同じ。女性を愛撫でもって気持ちよくさせるためには、ワンパターンの動作が大いに結構なのだ。
 このあとアダム徳永氏は「男性本位の、射精だけを目的とした、平均二〇分足らずのセックス」をジャンクセックスなる言葉で叱責し、愛撫なしのセックスを嘆き、よきセックスをするためにはトレーニングが必要だと説きます。
 乳首を吸って、クリトリスをなぶって、少し濡れたかなと思ったら挿入して、自分勝手に腰を振って発射して終わり。これが、今、一般的にセックスだと思われている行為の中身であり、ジャンクセックスの正体です。なんとつまらないセックスでしょうか! 女性の中には殊勝にも、「私のカレは、違うよ。だって、ちゃんとクリトリスでイカせてくれた後に、挿入してくれるもん」と、ジャンク派の男性を擁護する方もいらっしゃいますが、イカせてくれただけで、“優しい彼”という評価につながってしまうほどに、非常識が常識としてまかり通っているということです。
 日本人の女性にアンケートをとると、八割以上が、“クリトリス派”と答えます。このあまりにも高い数字は、さらには、セックスで本当の快感を与えてもらえない女性たちが、悶々と自分の指で自分を慰めている逆説的な証明です。クリトリス派が八割以上という実態は、日本男児にとって不名誉なことと、恥じるべきでしょう。
 クリトリスがもっとも高感度な性感帯の一つであることは皆さんご存知の通りです。それゆえに、ほとんどの男性が、セックスが始まるとすぐにクリトリスを愛撫したがるのですが、これが大間違いです。すぐに触りたい、舐めたいと思うあまり、そこには女性のカラダを攻略するために不可欠な“戦略”がありません。
 私の場合、クリトリスを愛撫するのは、セックスが始まってから最低でも三〇分以上後です。全身の性感帯を隅々まで愛撫し、その総仕上げとして、最後の最後にクリトリスを愛撫するのです。すると、女性はどういう反応を示すと思いますか? 普段、セックスが始まって、下手をすると、一〜二分後にはもう触られているという愛撫しか経験のない女性たちは、「私、クリトリスがこんなに気持ちいいって知らなかった!」と、その強烈な快感に感激するのです。「愛撫するのやめる?」と意地悪に聞くと、顔を激しく横にふって愛撫され続けることを懇願するのです。女性の性感メカニズムの詳細は後述しますが、クリトリス以外の性感帯を十分に愛撫される前と後では、同じクリトリスでも、その感度は数十倍、数百倍も違うのです。
(中略)
“乳首→クリトリス→挿入”という非常識なセックスが、本当は、セックスの一番の醍醐味である挿入という楽しみを女性たちから奪っているのです。それは、男性にとっても不幸なことなのです。
 いよいよアダム徳永氏の特殊すぎる考えが明確になってきました。長い全身マッサージ愛撫があることを前提としたペニス挿入至上主義者なんですね。
 私の反論を書きます。
 氏の、「ジャンクセックス」というものを否定する考えは賛成だ。でも、「ちゃんとクリトリスでイカせてくれた後に、挿入してくれる」カレを擁護する女性までからかうのは言い過ぎだと思う。
「非常識が常識としてまかり通っている」なんて書いているけれど、常識とは、一般人の多数が、これが正解だと思っているものを言う。
 クリトリスを先に愛撫してイカせてから挿入するというのは、多くの性愛論者が結構なことだと主張し、その手の論を読んだインテリ層の多くは皆賛同して実行しているのに、ここまでも非常識というのはおかしい。
 氏の特殊な見解だとしか言いようがない。氏が「ジャンクセックス」と表現しているものを非常識とするならわかるが、「ジャンクセックス」よりもかなり立派なものまでこき下ろしているから、私は違和感を感ずる。
 次に、「日本人の女性にアンケートをとると」とあるが、じゃあ、アメリカ人やフランス人ならどうなんだ?と聞きたい。アメリカ人やフランス人の女性では、“クリトリス派”が6割とか5割に低下するなら、日本男児を罵倒すればいい。でも、それが日本と外国とで有意差がないのなら「不名誉」という罵倒はおかしい。
 だいたい、“クリトリス派”が8割以上というのはおかしい。95%以上と言ってよかろう。しかも、この残りの5%は、クリトリスで感じないだけでなく、バギナでもあんまり感じることがない女性が多いようだ。
 クリトリスであまり快感を得られなくて、クリトリスオナニーをしない女性は、期待を込めて、また、バギナのマッサージが心地よくて、「私はバギナ派よ」と言いたがるものだ。セックスについてある程度の知識がある女性は、男性からも同性からも“感じない女だ”とは絶対に思われたくない。
 男性でも、オナニーと交接の両方でそんなに気持ちよくならない男性が1〜3%ぐらいはいるのではなかろうか。
 女性は、男性が期待するほどペニスのインサートへの思い入れがない。抱かれている悦び、一体になっている悦び、温かいものが自分の中に入って躍動していることへの感動、男が楽しんでいることへの共鳴、ほんのり楽しい摩擦感、そういうものなのだ。
 バギナの中にペニスが入って、それによる快楽が、クリトリスで得られる快感よりも飛躍的なものだとするのは、ペニスを動かす男性の切ない願望だ。
「女性たちが、悶々と自分の指で自分を慰めている」のは、バギナの中にペニスが入っても快楽が得られないからではなくて、基本的に男性がなかなかクリトリスに適切な刺激をしなくて、クリイキをさせてくれないからであり、また、「ジャンクセックス」しかしてくれない男性とエッチするよりは、こっちのほうが手っ取り早いからだ。ある意味、異性との交際ほど鬱陶しいものはない。
 女性が独りで手慰みするのをバカにすることはないだろう。
 絡みあってから30分も経過してからクリトリスを愛撫するのは、氏の勝手だ。それも、情けないことには、ずーっとフィンガータッチだ。
 私は、ソープで、ご挨拶のフェラチオはほどほどに切り上げさせ、絡みあってから30秒以内にクリトリスのオーラル愛撫にかかっていて、毎度相手の女性に感動されている。
 クリトリス以外の性感帯を指で愛撫することを強調するのは、氏がマッサージ屋だからしょうがないが、クリトリス以外の性感帯を全部愛撫しなくても、“クリトリスにさえオーラル愛撫を施せば”全然差し支えない。
「クリトリス以外の性感帯を十分に愛撫される前と後では、同じクリトリスでも、その感度は数十倍、数百倍も違うのです」
と断定するのは大いに疑問がある。
 30分間全身マッサージされて、その後の5分のクリトリス愛撫でクリイキしたとしよう。
 かかってから35分後にクリイキするよりも、愛撫開始からいきなりクリトリスを舐められて、あえなくも5分後にクリイキするほうが、スピードがあるだけに、気分がのり、気持ちよさは上。「35分後」のほうが気持ち良いと思ったとしても、それは、それだけ長く愛撫された疲労感が塩味となって、味を変えているだけ。
 だいたい氏は、クリトリス愛撫をフィンガーマッサージで考えている。そこが間違っている。
 クリトリスを指で攻略することのみを考えていたら、搦め手からじっくり時間をかけて攻めなければ、陰裂に濡れは出てこない。また、指攻めというのは、女性の心におもちゃにされているような拒否感が出てくることがある。
 私の推奨は、いきなりクリトリスにオーラル攻撃だ。クリトリスは、指攻めをすべき箇所ではない。指攻めは、ご本人でもできるのだから、ご本人でもできないオーラル愛撫をしてあげるべきだ。指攻めは、オーラル愛撫では弱すぎてイケない時に次善の策としてすればよい。
 男性のオーラル力は人によってそんなに変わらず、短い範囲で有限である。だから、さっさとクリトリスに取りかかった方がよい。オーラルでクリトリスを攻撃すれば、フィンガーマッサージと違って、すぐに愛液が流れる。
 うまくオーラル攻撃をすれば、それでもなかなか濡れない体質の女性が2割から1割程度はいるけれど、残りは、ズルズルの、ヌラヌラの、ギトギトの、グッショグショの、ダラダラの、ネッチョネッチョの、ベッチョベチョ状態になり、見事にシーツに地図ができる。
 フィンガーマッサージのようなくだらない動作では起こりえないことだ。
 性器に対するフィンガーマッサージなんていうものは、「女の性器を弄う行為自体が男にとって快感」だから、皆やりたがるのであって、純真に、相手に快感を与えたくってやっている男は少ないと思う。だからこそ、AVにも指弄いが必ず出てくる。(勿論、マンコがくさいからというのもあるが、これは別の話)
 これが私の考え。
 氏は、全身愛撫に時間をかけて、苦労して、ようやく陰裂がダラダラになる状態に導いているのだろう。
 氏が、セックスは2時間かけてやるべきだと言っても、我々は、ほーっ!と思うべきではない。セックスに2時間かけられる男性はそんなにはいない。勿論女性も、2時間もかけられたらたまらないと思う人のほうが多いだろう。私がだいたい50分かけているから、それぐらいを目標にすればいいのではないか。
 氏がセックスにかける時間は、当然のことながら、非性感帯・準性感帯のフィンガーマッサージにかける時間が多い。
 そんなことを我々がやっていたら、セックスの後に我々男性はマッサージを受けたくなってしまう。マッサージ師が儲かるだけだ。
 氏はマッサージ師で、自分のマッサージスクールに生徒を入れたいから、このように書いているのかと疑いたくなる。マッサージ指導ならスクールは開けられるが、クンニリングス指導では、公序良俗に引っかかってスクールを開けられない。
 全身マッサージを先行させれば、女性は別の妙味が加わって、その快感はでっかくなるのが当たり前。それを通常のセックスでの女性の快感と比較したら、通常のセックスのほうは当然分が悪くなる。純粋の性的官能と肉体的安らぎ・活性化までも含めた性的官能とを比較して、声高らかに前者を罵倒するのはおかしい。
 氏は何度も愛撫という言葉を使っているが、愛撫は指もオーラルも両方含む言葉だ。逃げずに正確に「指による愛撫」と特定して書くべきだろう。
 クリトリスのオーラル愛撫がガソリンで走る車なら、クリトリスを含む全身フィンガーマッサージはひまし油で走る車だ。あまりにも幼稚な意見だ。
 氏は「“乳首→クリトリス→挿入”という非常識なセックスが、本当は、セックスの一番の醍醐味である挿入という楽しみを女性たちから奪っている」と書いている。
 これは、氏の前後の文章からすれば、「“指や口による下手な乳首攻め→指による下手なクリトリス攻め→挿入”という非常識なセックス」と正確に書くべきだろう。
「乳首攻めなし→オーラルによる上手なクリトリス攻め→挿入」の手順なら、これはちっとも問題はなく、むしろあっさり快感が得られて、男女相互にとって、最上の進め方だ。
 一気に愛液を呼び、一気に頂点まで行けるだけに、(ロングランのマッサージ中に起こりうる)心の冷えなど発生するはずもなく、結構なのだ。そして、やるほうも、されるほうもあんまり疲れない。
 氏は、「全身じっくり(指による)愛撫→指による上手なクリトリス攻め→長い挿入」が常識的なセックスだと言いたいのだろうが、これはちっとも最善のやり方ではない。
 クリトリスのオーラル愛撫は、一気のものだけに、快感速度があり、燃え方が盛んになるとも考えられる。間に相互オーラルプレイを10分ぐらい挟めば、ペニスピストン時間が10分の男性は概ね50分で射精にたどり着き、ペニスピストン時間が20分の男性は概ね60分で射精にたどり着く。大変時間セーブでよろしい。
 そして、挿入が一番楽しみなのは、あくまで男性だ。女性は、性的快感の観点からは、これが一番の楽しみだとは思っていない。クリイキを果たした後の、一体化の精神的満足感と自分の体で男をイカせる楽しさだ。
 ペニスの挿入というのは、生物学的には、精液をバギナの奥に届けるのが使命だ。人のペニスの亀頭冠が発達しているのは、先に入った他の男性の精液を掻き出すのが目的だという説もある。
 精液を奥に届ける使命を果たすのに、挿入後やたら時間がかかっていては、生物学的に生理学的に最善とは言い難い。5分も保てば、恥と思う必要はない。
 要するに、アダム徳永氏はマッサージ師であることから、女性の全身の肌や筋肉への働きかけとクリトリスへのフィンガー愛撫にあまりにも重きを置きすぎなんです。
 私は、氏の「「愛撫するのやめる?」と意地悪に聞くと、顔を激しく横にふって愛撫され続けることを懇願するのです」というAV男優のような聞き方と「懇願するのです」という締め方が激しく嫌いです。知性ある女性は皆この男を排撃したくなるのではないでしょうか。
 まっ、ここまでで、これ以上この本を論じてもしょうがないと思うけれど、もう少し続けます。『女性を気持ちよくさせるセックスをしたい』という観点からは、このようにマッサージ事業興隆意欲丸出しのアダム徳永氏でも同志なんですから。
 まっ、これもしょうがない。それで生計を立てているのだから。祈祷師や占い師や風水家や新興宗教家に「君達は社会に不要な存在だ」と言いにくいのと同じ。
 女性からの様々な不満を耳にしますがここ最近、特に多いのが、「クリトリスの愛撫が痛い」というクレームです。男性は、自分のマスターベーションの経験則から、「強い摩擦ほど感じる」と誤解しています。そのため、一般男性の愛撫は全般的に強すぎるのですが、女性のもっともデリケートな部分であるクリトリスに対しても、同じ論理を適用させてしまっています。指でグリグリと愛撫するんですね。クリトリス愛撫の基本は、“超ソフトに”です。しかし、“超ソフトに”の基本を知らず、「強い摩擦ほど感じる」と思い込んでいる男性は、躍起になって、さらに愛撫を強くします。こうなると女性はもはや痛いだけなのですが、大和撫子はムードを壊すまいと、「痛い」とはいわず、けなげにも我慢します。女性は眉間に皺を寄せ、口を真一文字に結び、必死に苦痛に耐えているのですが、その表情を男性は、感じていると錯覚してしまうのです。そして、見事女性を感じさせていると思い込んだ男性は、その後も強すぎる愛撫を繰り返すのです。典型的な悪循環です。
 正しいクリトリス愛撫を紹介する前に、クリトリス愛撫の基礎を学んでください。クリトリスは指にしても舌先での愛撫にしても、“超ソフトに”が基本です。いつもあなたが行っている愛撫の強さの、五分の一、いや一〇分の一程度の強さでもいいかもしれません。じれったくなるほど弱い刺激がクリトリスにはちょうどいいのです。(中略)正しい愛撫方法は、“最初から最後まで超ソフトに”です。指や舌のピッチを上げるのは、女性がオーガズムを迎えるその直前だけだと心得てください。超ソフトタッチの継続は、場合によっては、女性がイクまでの時間を遅らせますが、それでいいのです。イカせることを目的とするのではなく、より長い時間、より深い官能を与えてあげることを目的としてください。イクという現象は結果にすぎません。濃厚な時間が、長ければ長いほど、結果としての“イク”という現象は、「ウッ」程度の快感ではなく、「アギャー!」という絶叫を伴う爆発現象となるのです。
 女性器に指を使って女性が痛がるのはいわば当たり前で、「指を使うな。オーラルでやれ」と指導すれば済むことです。
 そして、今の大和撫子は「ムードを壊すまいと、「痛い」とはいわず、けなげにも我慢」するよりは、「もう入れてもらいたくなったぁ。これがほしい!」と言いますよ。
 アダム徳永氏は、舌先とか舌という言葉を、殊勝にも文章に時々入れてはいるけれど、基本的にフィンガー愛撫で話を進めています。それは、氏がマッサージで生計を立てていたからです。
 だから、オーラル愛撫を思わせるものは、活字の上ではちらほら出てきても、実質的にはちっとも触れていません。冗談じゃありませんよ。
「舐めるより、俺のマッサージスクールへ来てちょうだい」と言っているようなものです。
 オーラルプレイのような効果的なものを全く無視して、手間と時間のかかるフィンガーマッサージでずーっと説明を構築しています。指技よりも舌技のほうが格段に発火力が強いのに、オーラル技を放っておいて、とんでもないまがい物のハウツーセックス読本です。
 しかも、指技と言わずに『愛撫』と広く書いています。言葉をすり替えて、誤解を誘導しています。やり方が汚い。バカです。というか、マッサージ師として大変賢いです。
 フィンガーマッサージで考えれば、氏の書いていることは正しいです。でも、これはオーラルでやればかなり無問題です。勿論オーラルでも“強すぎる”やり方をしてしまう男性はいくらでもいるから、氏や私が言っている“ソフトに”はよく理解してもらわねばなりません。
 私は、フィンガーでやるぐらいならオーラルでやれ、と強く主張します。
 大切な“超ソフトに”はオーラルですれば、自動的にかなり解決する。
 フィンガー愛撫は、女性にとって、男に顔やよがり方を観察されているという気分が気持ちの高揚を抑制してしまうことがよくある。
 現に男は「愛しているよ」と言葉をかけながら、一生懸命クリトリスを揉みしだき、その間女性の反応を憎たらしいぐらいに冷静に観察している。女たらしの男ほどそうだ。そのことが女性はわかるだけに、どうしても『もてあそばれている』と思ってしまうことがよくある。
 オーラル愛撫ならば、女性は、自分の体の昂揚を冷静に観察されているという意識があまり出てこず、無心に気持ちよさに浸りやすい。
 そして女性は、フィンガープレイをしかけられているところが、ちょっとでも洗浄に手を抜けばものすごくくさい箇所であることをよく知っている。概念的には知っていて、実質的にわかっていないのは、全くオナニーをしない2〜3割程度の女性だけ。
 たとえセックスの前に入念に洗ったとしても、元来汚れたところであるという意識は消えない。入念に洗ったつもりの女性でも、母親から触れてはいけないと教えられた性器がまともに洗い切れていなくて、やっぱりくさいことがよくある。
 だから、女性は「そんなところに口を!」と思うもので、フィンガー愛撫よりもオーラル愛撫のほうが、はるかに気持ちが昂揚する。
 しかも、フィンガープレイとオーラルプレイとでは、女性の濡れ方が断然違うという事実が歴然とある。この違いはあまりにも大きい。太陽と地球の違いだ。
 フィンガー愛撫というものは、男が亢奮すればするほど、どうしても“強く”なってしまいがちである。
 なお、クリトリスへのクンニリングスでも、吸う動作と唇で揉む動作は誰でも強くやってしまいがちである。これは気をつけなければならない。
 ということで、氏のマッサージスクールの門を叩く必要はありません。
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(千戸拾倍 著)