ソープ遊びを語る3
金津園のこといろいろ
 私が平成六年にいちごミルクにフリーで入ると、出てきた女テレサは人妻だった。
 亭主持ちのソープ嬢がそのことを自分から進んで初対面の客に言うのが珍しい。むっちり肌が白くてとっても快活で、そそられる女だったが、彼女から愉快な話が出た。
 夫は長距離トラックの運転手で、夫の了解を得て金津園に来ており、前はピンクキャバレーで働いていたなどと、尋ねもしないのに説明した。
 浜松の家から店まで通うには三時間ばかりかかるので、岐阜市内にアパートを借り、金土日を金津園に出て頑張っているけれども、稼いだお金は生活を贅沢にするのと子供のためにつかってしまう、と朗らかに語った。
 自分がソープで働いているので、亭主がソープへ行っても気にするつもりはないけれど、そういうところには決して入らない男だ、とのろけている。
「うちの旦那ったらおかしいのよ。『ねえ、頼みがあるんだけどなぁ』と私に言うので何かと思ったら、手に海水浴なんかで使うマットを持って、『これでマットプレイをしてくれないかなぁ』と言うの。子供が海で使う、漫画なんかが描いてある小さいのよ。そんなのでマットプレイだなんて面白いでしょ。わざわざそんなものを買ってきたりして。『マットプレイはローションがなければできないわ』と私が言ってやったら、『それも買ってきたー』とニタッと笑って、ちいちゃな容器を出すの。それで、旦那に『そんなちゃちな道具でマットはできないわよ。第一私のマットは高いんですー』と、意地悪言ってやったら、『頼むからさぁ、俺にもマットをしてくれよ』だって。『お金貰わなきぁ駄目!』と言うと、『うん、俺、金払う』、『いくら』、『五百円!』、『たったそんだけ? わかった。やったげるー』、『うん』なの。……うちの夫婦って、面白いでしょ」
 こんなことを愛嬌のある顔で話すから、私はテレサに好感を抱いたけれど、亭主がいると思うとどうも亢奮できなかった。
 私が恵里亜の馴染みの由美初めての月4回入浴を参照)にその話をしたら、次のように批評した。
「自分の女房をソープで働かせるなんて、そんなの男じゃないわ。でも、私も亭主がソープ通いをしても気にしないわ。ここに来るのは男の人にとっては後腐れのない、所詮遊びなんでしょ、××さん。……女房はどーんとしていればいいのだと思うわ。そうでしょ」
 このテレサはもう一つ想い出がある。
 私はその頃既にソープ実体験小説を書いていた。テレサが毎日ちゃんと新聞を読んでいるようなので、たまたま手持ちの原稿を貸してやり、それは後で返して貰った。
 別の日にその原稿に紙切れが挾んであることに気がつき、達筆の鉛筆書きがしてあったので、見ると、「お色気……眼の使い方  首の傾け方  動作をゆっくり」と書いてあった。
 これは、私がマスターズの夏木ルイにお色気について説明したときの言葉だからにんまりした。
 ソープ嬢やヘルス嬢に書き物を渡すと、彼女達には意味が分からない言葉がたくさん出てくる。国語辞典を引きながら一生懸命読んだ、と報告されると、とても愉しい。

 ソープ店は部屋の豪華さの他、入浴時間の長短で店の格と料金のランクが定まっている。だから金津で働く女は店の格と自分の女としての格を比すところがある。
 店の格付けで入浴時間が重要だから、女が所定の時間よりも早く仕事を終え、客を部屋から追い出す「早上がり」をして、定刻よりも十分も短かったりすると、店の管理者が小言を言う。
 でも、ベテラン嬢は客に不快感を与えず上手に早上がりをする。女が男にあまり好感を抱かなければ、吐精したらさっさと躯を流し、雑談も長くせずに服を着させる。
 私は早上がりをしたことはあまりない。ベッドプレイが長いので、むしろ時間が過ぎることが多かった。
 嬢に何かの事情がないのに「早上がり」をさせられたら、それは嬢から見て大変つまらない客であった可能性が高い。相手の仕事ぶりに×をつける前に、自分がソープ嬢に好まれない男であることを反省すべきだろう。
 売れっ子になりさえすればソープは稼げる。稼ぐ目的意識がある女は仕事もしっかりしていた。店は指名獲得数の順位を女たちに教えるから、仲間よりも優位に立っていることがよくわかって気分が良い。人は他人に勝ちたい本能がある。
 本指名の数が多いソープ嬢は皆優しい。容姿は重要だけれども、気立てのいい女がやはり床あしらいも巧く、会話で客を惹きつける。
 美形の写真をソープ情報誌に出して、No.1やNo.2を取っている女よりも、その店の、写真非公開のNo.3やNo.4の女の方がしっかりした応対をすることが多いと私は思っていた。
 平成20年の金津園なら店のサイトに写真を載せず体型すら知らしめないは殆どいない。写真を出しても顔出ししないのはたくさんいる。
 エイズ対策騒動になった平成4年以前はアルバムもなかなか客に見せなかったが、今は店に行けばアルバムが見られるから結構だ。
 優しくて助平な女が、遊んで一番面白い。私が豊富な体験で裏付けした結論だった。
 どこかの店の部屋持ちのNo.1嬢が別の店に移って、その店ではなかなか部屋持ちになれないこともあった。No.1になるかならないかは相対的なものだし、店によってレベルの差が結構あった。
 店は、客の取れない女や客とすぐに衝突する女がやはり困る。
 やめさせたいなら、「お前は首だ」と言う必要はない。フリーの客を一切その女につけないようにすれば、勝手に辞めていく。酷い話だが、首にされるよりは自分から辞めたほうがまだ気分がましだろう。
 金津園で、流行らない店は、そのようによその店から流れてきた女ばかりが集まっていた。
 人気が出れば、女は躯が頑丈でないとつらい。
 性交を一日に何回もして、それを何日も続けるのはバギナにとって大変なことだ。女上位で腰を上下動させるのもつらいし、女が下になって受け入れても、ずーっと足を上げているから足が吊ったりしてかなわない。
 子宮口を突っつかれて炎症を起こしたり、膣の玄関口が爛れたりするのをソープ嬢は必ず経験していて、婦人科の医者というのが大切な存在だ。
 ソープの女は、婦人科にかかって使い込んだ膣の中を診察される前に、「貴女、ソープでしょ?」と訊かれると、長年のマットプレイのせいで膝頭がすれて光ることから職業を見抜く医師の炯眼に安心感が湧く。
 そんなベテランの医者には、内診されて、「おお、よう使っとるな。中がすり切れとるぞ」と冷やかされる。
 私は、ソープ嬢の膣を指で探ると、ヘルスの女よりも確かにつるつるしている、と実感していた。
 売春業には天性のものがあると私は思っている。
 過度の性交に強い性器かそうでないかだ。弱い女は相当弱い。入り口の炎症だけではなく、奥の炎症──子宮内膜炎──に罹りやすい嬢もいる。巨根はその手の女には大変やっかいだ。
 ヴィーナスの玲子驚嘆のマットプレイを参照)は二年に一度ぐらい、産婦人科で膣の奥まで大掃除して貰っていた。
 子宮や卵管の微妙なところまで綺麗にするのだから、一週間ぐらいは仕事を休むことになる。玲子が、ローションの半ば固まったものや、恥毛の丸まったものや訳の分からぬものが、随分とかき出された、と目を丸くして私に報告した。
 付け指名という言葉を聞いたことがある。
 意味は、フリーで来た客に写真を数枚見せ、特定の女を選ぶように誘導して、指名扱いとして女に客をつけることをいい、事実はフリーであるのに指名になるから、指名本数が稼げて女は喜ぶ。
 店が伸ばそうと思っているソープ嬢に付け指名をして、本人のやる気を引き出す。新しく入店した女が、店の方針やスタッフに素直で、欠勤や遅刻もせず、公出も快く引き受けたりして、店の幹部に可愛がられると、このような優遇も受けられる。
 他の女が、あの子がそんなに指名が取れる女かしら?と妬みがましく思うと、「付け指名も結構貰っているんじゃないの。すぐに、何かとフロントとお喋りして愛嬌をふりまいているんだからぁ」などと陰口をたたくことになる。
 指名が人並み程度に取れるかどうかが、その店でソープ嬢を続けていくかどうかの判断の分かれ目だから、大して努力もせずに、指名という結果を得ることだけを願っている女が多い。

 私は、いつも同じ女に通い続けたから、たまに初対面の女と会うと実にわくわくした。
 女らしくて、気立ての良い、ベッドで奔放に燃える、要するに助平な女が現れることを期待した。
 女が私の好みのタイプであれば、その女が自分に関心を持ち、女の心の中に飛び込むことができるかどうかが、楽しく遊ぶためのキイポイントだった。
 女に関心を持たせるために、私の不利な点と有利な点は次の通りだ。
 先ず不利な点は、私の背が低いことと、度の強い眼鏡をかけた顔が、若い女から見て気難しそうに見えることの二つだ。
 有利な点は、性の技と会話が下手ではないこと、足繁くソープに通う「上客」と思えること、紳士的に振る舞っていることなどだろう。
 その女を好ましく思い、その女が明らかに自分に関心を持ったと感じると、私は助平心をかき立てて、また会いに来よう、と考える。何度か会っているうちに、この女の心の中に飛び込むことができたと感ずると、とても嬉しい。
 四年も六年も風俗の仕事をしている年増の女だと、なかなか心の中に飛び込むことが難しい。女の肉体の上を通り過ぎる沢山の客の中の一人の位置付けから一歩先に進むことが困難だ。あまりにも女が仕事ずれしている。
 年増でも若い女でも、その心を開かせて、客を取る女とその客との間の壁を崩し、親しくなれる予感がしないならば、どんなに器量良しでも、金津園でベストテン内の人気嬢でも、私は裏を返さなかった。
 二人の間に頑強な壁はないと感じ、その女が他の客にはしないようなことをしてくれると思うと、ソープ嬢と客の関係が「男と女」の関係に近づいて、私の心が青春に戻った。
 相方が私に大いに関心を持っても、その女が好みのタイプでないとき、私は、関係を続けるべきかどうか大層迷った。
 二回だけ会った姫君(マスターズの樹里、平成五年)が、私に大いに好意を抱いたように思った。
 それでも、顔立ちが悪く言えば馬面で、少々もの足りなくて、また、指の動きが下手だったから、分身が可能な形にならなかった。結局、手淫から口内射精で終わった。
 女はフェラチオで落とさざるを得なくなったのが口惜しくて、泣き出した。私が何かを咎めたりした訳ではないし、女を傷つけることを言ったつもりもない。
 気立ての良い女なのに、何故か私は不本意な状態になってしまい、「私、これでも前の店(館)ではNo.1だったのよ」と言いながらしゃくり上げて泣く、純真な女が気の毒で、私は大変困った。
 顔と技がもの足りなくても、それは、私の要求水準が高いからそう思っただけで、No.1を取るぐらいだからそこそこのものだった。性的技巧も会ってすぐ即尺をして、サービス精神が旺盛だった。
 いずれにせよ、気立てが良ければそれで充分で、ねっとりと舌を這わすフェラチオも見事なもので、だからこそ私はその女に裏を返し、二度の逢瀬の割にはかなり親密になっていた。
 しかし、二回の入浴のどちらも女が咳をしていた。
 ベッドで咳をされると興醒めして、私の分身はそれだけで萎縮した。咳をしていてもソープの仕事をするという性質が、「好みのタイプでない」ということだった。
 女は私に熱烈なクンニリングスをされ、私が放散する猥褻な雰囲気にのせられて、私にかなり関心を抱いた。
 だから、私は、単に射精することを目的とした「ソープ嬢と客」の関係以上の何かが、樹里には期待できそうな気もして裏を返しただけに、残念だった。
 気管支炎がかなり慢性化していたようなので、仕事を休んでこの際徹底的に治療すべきだ、喉が雑菌に弱いなら即尺などという不衛生なことはやめたほうがいい、と私は忠告した。
 私はクンニリングスをするのが好きだから、喉が雑菌に強くなるまでは、風俗の女にクンニリングスをする度に喉に異常が生じていた。その度に、クンニリングスはもうしないようにしよう、と言い聞かせ、次に遊びに行くと、もう忘れてクリトリスを吸っていた。
 この頃はそう思っていたが、過度のアレルギー体質からそうなっていたようだ。
 ソープ嬢は、ファッションヘルスやピンクキャバレーやSMクラブの女と違い、男と女の抱擁、交接を売り物にしているから、口内射精や素股や浣腸プレイはしたことがない女ばかりだ。
 男の体液を口で受けるのを売り物にしている女に、私はどういう訳か金津園で会ったことがなかった。
 それで、口内射精の後で女が泣き出したのが私はかなり印象に残ったから、女がもう他の店に行ってしまってから、同じ店の女に尋ねた。すると、たちの悪いヒモがいて、追い立てられていたようだった。
 これを書いた後では口内射精しても良いという嬢に3人ぐらい出会っている。

 平成四年のエイズ対策騒ぎはソープ嬢にも気の毒だった。とんでもない病気の感染を心配しなければならないし、売上は落ちるし、ゴムを使うのは女にとっても大変だ。
 純生でも、一日に何回もする性交に膣が耐えられず、三ヶ月も続かない女が結構いた。ましてコンドーム装着となると、粘膜の弱い女にはつらい仕事だ。
 インサートされる瞬間の、あのヌルッとした気持ち良い感触が得られないのもつまらないことだろう。防具を使うことによって、男の抽送が長持ちをするのもやはり困る。ベテラン嬢でも、ゴムをつけて抽送を長々とされると、もともと膣孔が濡れているわけではないから、擦過傷ができてしまう。
 私が女にサックを使わずにセックスするように頼んだ時に、断りの言葉は、最初の頃は「決まりですから我慢して下さい」の類が多かったけれど、対策の二、三年後では、「私、もうピルを飲んでいないの」というのが増えた。
 本当かどうかは判らないが、そう言われるとどうしょうもない。ピルを使うと躯に変調を来す女は、ゴムを使うことによってピルの服用を避けることができるからありがたい。
 売春防止法では、「売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものであることにかんがみ、売春を助長する行為等を処罰するとともに、性行又は環境に照らして売春を行うおそれのある女子に対する補導処分及び保護更正の措置を講ずることによって、売春の防止を図ること」を目的としている。そして、売春とは、「対償を受け、又は受ける約束で、不特定の相手方と性交をすることをいう」と定義している。
 ソープ嬢のすることは不特定の相手との性交という淫行なので、それは売春防止法の規制の対象になり、ソープ店はファッションヘルスの店よりも何十倍も官憲と法律を意識しなければならない。
 しかし、ファッションヘルスやピンクキャバレーの女は、口内射精を特技としており、これなどは見方によっては、通常の性交よりもよほど猥褻で破廉恥で、度胸のいる淫行だ。
 実際、一日に二十回も口に陰茎を含んで激しく顔を上下させ、吐精を口内に受け、ティッシュペーパーにベトッと吐き出すという、限りなく機械的な一方的快楽供与は、およそ人間のすることかという気がする。
 ソープ嬢は一週間で大体三日休む。ファッションヘルスやピンクキャバレーの女は一日ぐらいしか休みを貰えず、熱があろうが働き、医者の検診を受ける回数がまるで少ない。医者に定期的に診て貰い、検査を受ける回数の多いソープの女の方がよっぽど衛生観念がしっかりしている。
 性病は、ソープ店よりも、それ以外の風俗店で、女の口から客に感染することの方が圧倒的に多い。シャワー設備のないピンクキャバレーは、病気の巣窟と思って間違いない。
 料金の安いファッションヘルスやピンクキャバレーの方が、若い男を狂わせる危険度も高い。
 同じように激しい淫行をしているのに、ファッションヘルスで働く風俗嬢よりも、ソープ嬢が当局の影に怯えなければならないのは不公平だ。第一、売春防止法が施行された昭和三十二年には、ヘルスやピンクキャバレーなどはなかった。ピルもなくて、妊娠中絶によって女体が傷つくことも多かったに違いない。
 多分その法律ができた時に想定されたような、騙されたり強制されたりして、ソープ嬢になるケースは平成を迎える頃には殆どない。
 学校で性技を教えるわけにはいかないし、また親が子供にそれを教えることも難しいのだから、性の歓びを売る職業は認知されてもいいと私は思う。
金津園の嬢の性感
 私は好色文学が若い頃から大好きだった。ポルノの古典、名作と呼ばれるものは十代のうちに殆ど読んだ。
 エロ小説には、大陰茎を出入りさせ、女がよがる様を擬声語と擬態語を尽くして描写したり、女が浣腸やアナルセックスやラビアへの針刺しなどで悦び狂う様を描いたりするものが実に多い。
 私は十代の頃でも大人になってからでも、精を放っても萎えを見せないスーパーセックスや被虐的な情交を描いたエロ小説は読む気にはならなかった。
 凌辱、強姦、調教、肛虐、初体験でのエクスタシー到達、こういった女を見下したものや非現実的な官能が調子よく書いてあるものには違和感を覚えた。
 好んで読んだのは、もっと詩情豊かな、少年の性的好奇心とその達成のストーリーのものや、人情の機微を男女の交合を通して語りかけるポルノの名作だった。
 ソープランドに通うようになって、性のプロの世界を体験すると、通俗エロ小説が描いている情交は全く現実離れしているとつくづく思った。
 エラの張った極太の豪刀を見てニヤリと嬉しがるソープ嬢は先ずいないし、アダルトビデオの女のように、男にピストン運動されてヒィヒィ喚く女も殆どいない。
 ソープに通う男にしたって、大人の玩具を持参する男がたまにいるけれど、普通は、皆、あきれるほど平凡な情交をしている。ポルノ小説の男の主人公のように、女を手なずけ、思うように操り、狂わせる、というような発情導き人はなかなか現れない。
 ポルノ小説はいろんな愛撫や交合の体位を描いて、性行為の教科書になるものもある。しかし、女のよがり方については、どの作品も読者を喜ばせるべくでたらめの誇張が目につき、セックスの何たるかを誤解させるものばかりだ。
 私はソープ嬢には自分が汗をかくほど手厚い前戯をし、たっぷりとよがらせた後で合体した。
 交合はベッドの端に立ち、女をベッドと直角に仰向けに寝させ、Vの字に上げた足首を掴んで抽送するのが一番好みだった。ベッドが低い店だとこれができないからがっかりしたものだ。
 ベッドの端で交わったソープの女に、私と同じようなセックスの仕方をする客がいるかと尋ねると、それはかなり珍しいことで、大抵の男は大して前戯もせず、ベッドの中央で普通の格好で交わると言う。
 それも、女に腰を使わせて、自分はただ寝ているのが多い。女が上になって動くのが刺激的だと感じるのかもしれないが、ずぼらでそうする奴もいる。そういう手合いは不器用で、自分が上になったとき腰の使い方が全く様にならないものだと私は聞いた。
 現実は標準的で平凡なものが一〇〇%に近く、ポルノグラフィで描かれる超淫らな情交は希にあるだけだ。ソープランドという、通常よりもセクシュアルで開放的な状況下でもそうだった。
 私は女と共にエロチックな気分を愉しむことを求めた。女も性的快感を得ることを快楽にしていた。
 女の欲情と男の欲情は全く違う。男が欲情しているだけでは、女の欲情にはスイッチが入らない。どうやってスイッチを入れるか、男が六十歳の場合と三十歳の場合とでは、女が同じ二十歳の場合でも少しは違うだろう。生涯これを追及したいと思っていた。
 この文章を書いてから17年が経過し、私は65歳になった。
 それで、結論は───「少しは違うだろう」───は間違いだ。ちっとも違わない。
 私はもともと女遊びはしたことがなかったし、若い頃ガールフレンドも殆どいなかったので、三十代後半になって金津園のソープに通い始めた当初は、女と話をするだけで嬉しくて楽しくてしょうがなかった。一生懸命に冗談を飛ばして、相方に受ければ楽しかった。
 それでも愛撫だけは熱心に行った。相方の女が皆、それを意外だ、珍しい、と言うのが不思議だった。
 ソープへ行くと何故か必ず、初対面の女が去り際に私を嬉しがらせることを言った。
「貴方のように遊びなれた、テクニシャンで優しい男の人は好きよ」
「××さんって、常連さんの中でも本当に楽な人だわ。全然気を使わなくていい。本当に心が休まるわ。面白いところもあるし、そしてイカして貰えるしね。難しい客って、常連の人でもたくさんいるのよ」
 馴染みの女の何人かがそう言った。
「あんまり気持ちがいいから、私がお金を出したいくらいよ」と初対面の女に言われたことが何度かあった。
 金津園に通い始めた頃、私は名古屋のファッションヘルスの店にも入り、八人の女に会って、その内六人に指技とムード作りで気をやらせた。全てが初会の相手だった。
 初対面でも存外女に気をやらせることができて、その容易なことに驚いた。
 面白いぐらいに皆、躯を痙攣させたり、身をよじって顎を突き出して気をやった。揃って匂いがきつかったので、唇はあまり使わなかったのに。
 ところがソープ嬢の場合は、初めの頃はこのような高率で気をやらせることができなくて、さすがに手強いものだと思った。どうしたらソープ嬢に気をやらすことができるのだろうかと口惜しかった。
 後から考えれば、当時は指技中心で、舐め技はあまりしなかったからだろう。ソープとヘルスを比べれば、ソープの女のほうがやはり女芯が強靱だった。
 私は、女が足を少し開き気味にして立った場合に、股の付け根のシルエットが逆さVの字になる女よりは逆さUの字になる女の方が、何となくアクメに達しやすいように感じた。
 股ぐらが逆さUの字になっている方が愛撫しやすいし、刺激を感ずる神経系と刺激を受ける皮膚との間に肉が充満していなくて、刺激が伝播しやすいのではなかろうか。
 男と性交渉をして、イッたことのある女は一体何割いるのだろうか。
 一般の成人女性で出産未経験者の場合、どれだけ多く見ても三割以上はいないと思う。悲観的に低めに見積もれば一割程度だろう。
 中イキに限れば5%以下だと私は思っている。クリイキを含めて4〜6割か。フィニッシュ感を得たことのある女というのは存外に少ないのだ。
 ソープやビデオ出演のような仕事の性交でイッたふりをするのはともかくも、非仕事のメイク・ラブの性交渉で、不感症でないことを示すため、イクふりをする女がアメリカなどでは多いと聞くと、何と虚しいものよと思う。
 単にインサートするだけではなく、愛撫をきちんとする男とセックスすれば、イクことのできる女の前述の比率は三倍にはなる。それほどまでに、大多数の男性は女性に対して正しい愛撫を行っていない。
 そう私は考えた。
 裏ビデオを見るとそのことがよくわかる。女がする尺八はどれも見事でも、男がするハーモニカはまるで形になっていない。肝心のクリトリスをきっちりと刺激していない。それに、費やす時間に全く差がある。
 女が、オナニーで陰部を濡らしているものはたまに見ることがあっても、男の愛撫で女が愛液を流す、見事な交合のビデオが実に少ない。濡れてもいないのに、上手に或いは下手くそにイク演技をしているセックスシーンばかりだ。
 私がソープ嬢やヘルスの女を相手にすると、殆ど百パーセントの女を愛液でべとべとに濡らすことができた。
 エロビデオでもエロ小説でも「濡れる女」「濡れない女」という言い方をよく耳にするけれど、たとえ恋愛関係になくても、心を込めて愛撫しておれば殆どすべての女がグショグショに濡れる、というのが実感だ。
 私は相手をした女の七〜八割に気をやらせた。五十が近づいた頃のイカせ率は九割を超えた。これはかなりの高率だと思っていた。私の愛撫で、生まれて初めてオーガズムを得たという女も何人かいた。
 ベテランのソープ嬢をオーラルで愛撫して、最初は明らかに演技でよがるふりをしていても、途中から声の質が変わり、躯の芯からの蠢動が伝わってくると、本気になったなとわかり、その変わり目を察すると嬉しくなった。
 女が地声で「良いわ、素敵、感じる!」と変に作ったように明瞭に発声していたのが、いつしか止まり静かになって、手などが弛緩し、そのうち呼吸音が深まる。
 喘ぎが激しくなると、手はシーツを掴むか、私の躯のどこかに強く触れ、身悶えが始まって、肺腑の奥からのよがり声が、私が刺激を強めるのと呼応して出てくる。
 ソープ経験の浅い女は初めから素直に反応し、ベテラン嬢だと、わざとらしいよがり声が次第に本物の喘ぎに変わっていく、そういう経験が多いから、私は痛快だった。
 また、ソープでもヘルスでも、女に愛撫を始めようとする時に「絶対に指は入れないでね」といきなり釘を差して、私を白けさせた女が何人かいて、そんな女に舟形の窪みが湿潤した頃に「一本なら、指、入れていい?」と訊くと、女が必ず大きく頷くから面白がった。
 私は、濡れていない肉壷に指を突っ込むことは決してしなかった。
 とにかくどんなに美女が相手でも、相方が本気にならないと楽しくなれかった。私にとっていい女とは、セックスをともに愉しむことが必須条件だった。
 初対面の女がきっちりと到達してしまって恥ずかしそうにしていると、やったぜ!と嬉しくなる。店のベッドで気をやった経験のない女ほど、その最中に、「ねえ、私、先にイッちゃっていい?」と感にたえぬ声で呻いたりするから、そうなると私は満足感にひたった。
 そもそも女がそんな問いかけをするのは、男と女が同時に気をやることが望ましいと思っているからだ。それは男の願望であっても、女が同時に気をやるためには、69でない限り、ペニスの抽送でオーガズムに到達する必要がある。
 ポルノ小説やエロビデオではそれが当たり前になっていても、現実にはなかなか難しい。
 ペニスのピストン運動でアクメに達する女は存外少ない。そんな幸せな能力があっても、女が気をやるまで男が持続する必要がある。
 しかし、ソープ嬢の話を聞く限りでは、長い時間腰を動かす男はそんなに多くないのだ。
 何よりも確かなのは、女は膣の摩擦よりも陰核の刺激の方で気をやることだ。ペニスの出し入れは気持ちが良いけれど、イッてしまうほどのものではないというのが、二十代の女では一般的だ。そして、ソープやヘルスの客で相方の女に絶頂を迎えさせる男は極めて少ない、という現実が歴然とある。
 私はそんな風に観察していた。
 女が廊下にまで響くような声で、「いい、いい!……イクーぅ!」と声を出しても、控え室に戻って仲間に、「すごいわねえ、あの声は本当?」と尋ねられ、「あんた、あれは嘘に決まってるじゃなーい。ああいうふうに声を出していた方が、男の人は早くイッてくれるのよ」と答える会話がどこにでも転がっている。
 私は女に演技でオーガズムになったふりをされた心当たりは全くない。
 イクーぅ!と叫ぶのは演技できるが、声が転がって、躯がふるえ、眼に張りがなくなり、愛液を大量に流すのは、演技では絶対にできないと思った。
 エロ小説を読んでいつも思うことは、女が究極のアクメに至るときと、その前段階の昂揚期間のよがりとの違いを書き分けているものが少ないということだ。
 男がペニスを愛撫される快感と射精の快感とはまるで質が違い、男の出す声も違うように、女もクンニリングスをされている快感と頂点に昇りつめるときの快感は、似て異なものの筈だ。でも大概は、アクメに至るまでのよがっている様子とフィニッシュの様が、同じような調子で描かれている。
 フィニッシュの絶頂についても「気をやってしまった」程度の記述で済ませて、表情や姿態や性器の昂揚ぶりをまるで描写していない。女一人一人が性感に悦ぶ様もアクメの乱れも違っているのに、そんな映像が思い浮かぶような書き方をポルノ作家はしていない。
 官能情愛小説はSMや淫乱性や凌辱を強調するより先に、性の快感とか性への憧れに力を入れて描写して貰いたいものだ、どだい男のポルノ作家に女をイカせる技術のある奴が一体何割いるのだろうか、と思っていた。
 ソープの控え室では、「イク」ということについての談義がよく始まる。
 イクことができない女、気をやる感覚がよく判らない女が、ソープ嬢でもやはりいるし、人によって、アクメの感覚が随分違うことが、それについての談義を呼ぶのだ。
 ソープ嬢は堅気の女と比べれば裏ビデオを見ることが多い。それで、男に抽送されている女の狂乱のごときよがりようを見ると、自分の躯は普通とは違って鈍感なのではないかと心配になる。すると、性について物知りのベテラン嬢が、ビデオの女は演技でよがっていることを指摘する。
 私は長年の風俗体験から女のオーガズムについて次のように思っていた。
 ソープ嬢には、五人の客をとれば一度ぐらいの割合で気をやる驚異的な体質の女が希にいれば、一年働いて一二度程度だけアクメに達する女もいる。三年働いても、処女喪失からそれまでに、男とのセックスで一度も絶頂の経験のない女だっている。
 ソープ嬢で、アクメに達することができる女は、五十人の客をとって一度の割合で気をやるのがMAXの可能性ではないか。ソープの女でも男との性交渉でオーガズムを体験していない者が半分ぐらいはいる。
 一人エッチでイクことを知っていても、男を相手にしてエクスタシーの経験が乏しいというのは恥だと思う意識があるから、仲間同士の話でも気をやる数というのは誇張される傾向にある。仕事でもプライベートの性交でも、クライマックスに至ることは存外に少ない。殆どの男がセックスが下手だからだ。
 イク女の九割以上は陰核で気をやるのだと思っていた。
 数多くの風俗の女に質問して、膣でイケると言う女もいたが、膣でイク方が陰核でイクのよりも気のやり方が深いと表明した女は、陰核でイク方が膣でイクのよりも気のやり方が深いと説明した女より圧倒的に少ない。
 クリトリスを攻められたときだけイクことができると語った女が一番多い。クリトリスでイク方が膣でイクのよりも気のやり方が深い、と女が言っても、実際は膣でイッたことはないだろうと推量できた。
 更に、クンニリングスの最中に、同時に肉壺に指を入れられるのは嫌だと思う嬢のほうが、指も入れられたほう良いという嬢よりも多い。
 男性筆者が書く性のハウツー物では、女芯いじりは「前」技として貴び、インサートでいかに女性に気をやらせるかがメインテーマになる。女は陰核への刺激によっても気をやることができるけれど、男根の抽送で気をやることができないならば、あたかも不完全なセックスのように扱っている。
 ポルノ小説では、初対面であろうが処女であろうが、男がねっとりと抽送すれば、女は必ず悦びを味わうことになっている。
 でも、私が多くの女と手合わせをして性感について質問をすると、膣で気をやると自信のある顔つきで答えた女が極めて少ない。それは二十代の女には難しいことだ。
 裏ビデオでも、執拗な女芯攻めで女が到達するのをたまに見るが、抽送で到達しているのは殆ど見ない。ピストン運動を受けて女が「イクーぅ!」と叫ぶのはある。しかし、全くお湿りがないのばかりで、殆どが演技だろう。百メートル疾走のようにとにかくけたたましく喘ぎまくってわざとらしい。大体よがり声には吹き替えが多い。
 ポルノ用の演技ができない、素人の若い女を起用したときなどは、男優が腰を使いながら、「おい、イッてもいいぞ、我慢なんかしなくていいよ」とか、「もう、イケ」とか、「お前、気持ちいいだろ? イクかい?」などと声をかけ、結局は「俺、もうイクぞ!」と叫んで顔射していて、全くお笑いだ。
 ソープランドでもこのように声をかける男は多くて、少なからぬ女が私にその馬鹿馬鹿しさを訴えた。
 女性が書いた性のハウツー物は、女は基本的にはクリトリスで気をやることが多い、とはっきり示し、本戯は女芯攻めで、腰のスラストは後戯であるとまで言い切って、男性本位の性科学書を指弾しているのを男は理解すべきだ。
 クンニリングスで気をやらせた女にこういう話をすると、安心されたり、共感されたりすることが多かった。
 私が同じ女に繰り返し通うときは必ず恋愛気分になっていた。
 そういうふうに惚れた女に熱を上げてソープに通うのは、単なる放蕩であって恋愛じゃないと思う人もあるだろう。そう断定する論拠は、相手が商売だからだ。
 でも、逢瀬の時間の殆どを性交渉に費やし、素人の女があまりしないような淫らな愛撫をさせ、お金のやりとりがあるからといって、性愛に過ぎないと唾棄し、性愛どころか単なる淫乱、肉欲と罵られるのは、不服を感じる。
 職業として数多くの男と寝ている女に、「今までいろんな男に会ったけれど、貴方のような素敵なエッチをする人は他にはいない」とお世辞半分でも感激される楽しさは、男を殆ど知らない女に関心を抱かれることよりもはるかに勝っていると思っていた。
 男は交接をするとき本性をさらけ出す。ブランドもので身を固めた男でも、何とも浅ましいふるまいをする奴もいる。一見見事なまでに好紳士でも、裸になると緊張して震えているような輩もいる。
 ソープ嬢は大勢の男を相手にしているから、男の善し悪しを見る目は間違いなく備わっている。そんな女に好感を持たれ、他の誰にもしない心からのサービスを受けるのは男冥利に尽きる。
 どんな純愛にしても大人のそれならば、必ず異性の肉体を思い描くことだろう。性は大切なものであるのにタブーの如く扱って、重要さに見合った取り上げ方をしていない。
 性格の不一致を理由とする離婚のかなりの割合のものが同時に、性の不一致であることも事実で、セックスの仕方が女から見て何ら魅力の感じられない男がかなり多いのだ。
 恋愛が性愛よりも一段と精神的で高等な心の高まりであるとし、恋愛と性愛とを別のものとするような説には賛成できない。
 初めから、性行為がないことを前提とした恋ならばともかくも、心身ともに昂揚し尽くす、いい性交渉が成就するからこそ、慕情が愛に昇華し、恋愛も継続できる。
 恋愛は互いに独占的でなければならないと考えるのも間違っている。金銭の支払いがあるから恋愛ではあり得ないとするのも納得できない。
 女と会っている間その女にのみ心が集中できる、そして相手に同化し、共感して、語り合ってわくわくし、オーガズムへの到達で親密感が結実する、それで、お金の決済があれば性愛、なければ恋愛、何かおかしい。恋愛して結婚して、女が妻という名の永久就職をするのとどう違うのだろう。
 その人に対して切々たる情念が湧く、相手の喜怒哀楽を自分のことのように感じる、今、側にいなければ寂しい……そのような心のときめきがあれば、もうそれは恋であり愛である。
 こんなふうに私は考えていた。
 私は、女を相手にして自分が必ず気をやる以上、たとえ初会の女であろうと、必ず全身全霊を打ち込んで気をやらせようと努めた。単刀直入に性を楽しみ合う大人の関係が判り易くていい。バー、クラブ、ピンクキャバレー、ファッションヘルスではなかなか成就できないものが、ソープにはあった。

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(千戸拾倍 著)
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