私が金津園で即尺即ベッドに生嵌めという過激なプレイ(いわゆる即々)を初めて体験したのは昭和63年のヴィーナスで、そのことは
いろんな初めて前編に書いた。
その後平成4年にエイズ騒ぎの狂乱状態が起きて、即々どころか即尺も影を潜めた。そのうち艶グループの店が即々を売りにし、平成10年辺りでは7店まで店数を増やして抜群の集客を誇った。
平成13年から14年にかけてRグループ3店やシャトールーブルが開業し、即々を定番として艶グループに対抗する勢力になった。
平成24年の今金津園で即尺即ベッドは当たり前のように行われている。しかし、艶グループ揺籃期の平成7年から、Rグループ揺籃期の平成14年までの時期では、艶グループだけで楽しめるかなり希少価値があった魅惑の行為だ。
一方、当時私が通っていた洗浄を先にする店の嬢たちは艶グループの要請する行為をおぞましいものと見ていた。私も彼女たちの想いには共感していた。
私はたとえ共感していようと生来性行為の過激が大好きだから、平成10年に至ってとうとう
──ゴム着店で嬢をその気にさせてゴムなしでするのが最善で、NS店は避けよう──
という平成4年以来の行動規範を外してトキハに入り、それから14年まで艶グループをよく利用した。最初の嬢がトキハの千春
(仮名:驚嘆の即々生セックスを参照)だった。
その千春がいなくなってしょげ返ったが、私はトキハで是非代わりの女を得たいと思った。それで、以前から里佳
(仮名)に興味があったので平成11年の夏彼女に入浴した。
トキハの嬢はポッチャリ型が多くて、スリムな体型をして器量がまともな女が、写真を見る限り里佳ぐらいしか目につかなかった。私は里佳が大いに気に入った。