桂木 2

 私は桂木と初めて会った時に、ラピスがまだ金津園にいて、黒騎士にいると聞いて、驚くと共に心に引っかかることがあった。
 四ヶ月前にたまたま黒騎士にフリーで入っており、その時の桜という相方がどこか見覚えのあるような気がしていた。その女がひょっとしてラピスだったのかもしれない、と思った。
 だから、ラピスの黒騎士での源氏名が何であるのか知りたかった。
 黒騎士に行ったあの日、私は桜の顔を見た時、初対面でないような気がした。
 桜も「私、物覚えには自信があるの。お客さんは絶対どこかの店で私に入っているわ。私、一度入ったお客さんは憶えているもの」と言った。
 それで、前にいた店の名を挙げさせると、私が行ったことのない店か、入ったことがあっても、そこでその女とは対面した記憶がなかった。
「でも、絶対にどこかで会っている」と二人で言い合いながら、あれこれ記憶を探った。しかし、どうしても接点が見つからないので、そんな筈はない、と私は気持ちが落ち着かなかった。
 マットプレイは、さすが年季が入っているだけあって、なかなかのテクニシャンだった。
 私は、どこかの店で会って、これほどのテクニックのマットをしてくれたなら、はっきり憶えている筈だから、やはり錯覚かな?と思っていた。
 その日私の欲望は全く調子が悪かった。
 恵里亜の閉店で絶望のどん底にあったのが分身にストレートに現れた。相方の痩せ形の体型と優しそうなところに気を惹かれても、またカリ首を弄う手つきがいかに熟練していても、私の欲望は全く静かだった。
 マットプレイの後語り合うと、その女とはどこか馬が合うような気持ちになり、何か懐かしいような感じがして、それは桜も同様だったので、そのことを二人で指摘し合っていた。
 ベッドで私はいつものようにねちっこくクンニリングスした。口に疲れを感じるほど愛撫を続けたけれど、女を到達させることはできなかった。濡れそぼっていても、喘ぎ声や肉体のそよぎが顕著ではなかった。
 桜に長々とフェラチオをさせてもペニスに芯が通らぬまま、無理やりサックをつけた。案の定、肉壺の中で充分に張ることなくエキスを漏らしていた。
 私は桜が気に入ったけれど、如意棒に勢いがなかったのを格好悪く思って、また、愛撫をしても桜の反応が鈍かったから、結局裏を返していなかった。しかし、何故か桜のことが気になっていた。
 その桜が、ラピスだった。
 あの日ラピスは自分が働いたことのある店の名を四つばかり挙げたが、宝石の名は出なかった。宝石はラピスにとってあまりに古過ぎたし、宝石での常連客が現れることを考えなかった。その名前を出せば、私はラピスの名前を口に出したに違いない。
 私は記憶力は良いつもりだった。当時、ラピスにかなり惚れ込んでいたから、たとえ五、六度の逢瀬でも顔を憶えているべきで、それから四年経っただけだから、本人に会えば気付かねばならなかった。
 結構夢中になっていたのにそんな程度の記憶だから、それに腹が立った。
 黒騎士の桜(ラピス)に再会した。前に会ってから五ヶ月以上経っていた。
 ラピスは既に私のことを桂木から聞いており、私の顔を見たとたんに叫んだ。
「貴方、宝石の時、私にお客さんで来ていたのね!」
 いろいろ昔話をした。ラピスは宝石が営業停止になった後も多くの店に出ていた。一つの店に長く勤めていないのは、ラピスの性格から見て意外に思った。
 ラピスのほうは、昔六、七回会っただけの私をはっきりとは憶えていなかった。でも、好印象が何となく残っていた様子だった。
 私は、過ぎ去った年月がラピスを美化していたのは否めない。
 当時、私はラピスが短大ぐらいを出てから、よんどころのない事情で金津園に来たのではないかと想像していたけれど、そのような学歴ではなかった。
 更に、記憶では小さな口元で伏し目がちの、清楚なムードが漂う物静かな乙女だったが、眼前のラピスは、もうこの仕事に馴れきって少々擦れた感じがする、口の大きな三十歳近い女だ。でも、猫科風のくっきりとした眼と華奢な躯と艶やかな黒髪、それと、イキやすい躯ではないことは記憶と合っている。
 そんな趣旨のことを私が思わず口に出してしたので、ラピスは寂しそうな顔をした。
 私は、横に座ったラピスの胸が、殆ど乳房にふくらみがなくて、平坦なところに干しぶどうを二つつけたようなものであることを確認して、何故この胸を見てあの時ラピスだと気がつかなかったのかと思った。
 あらためて自分が、女の顔と腰と尻と脚にいつも視点を当てていて、胸はそれほど意識して見ていないと得心していた。
 自分の記憶のいい加減なことが腹立たしく、何かほろ苦いような気分で、痩せた秘所に唇を這わせた。
 濃密ではなくても、長めの黒々とした陰毛が割れ目の左右にまで生え、卑猥感に満ちている。大陰唇も小陰唇もそれほど発達しておらず、クリトリスが奥まって、包皮も深いから、躯がスリムな割にはクンニリングスがやりにくい。
 そのことを認め、そんな記憶がうっすらと残っているような気がした。
 黒騎士で、お互いに相手を思い出さないままクンニリングスをしたときは、ラピスは到達しなかった。ラピスが私のことを、ソープに詳しい、話の面白い親父だと受け止め、話もはずんで充分うち解けていたのに、ラピスは気をやらず、私の如意棒も全く不充分な状態だった。
 私が昔の常連客だと判ったその日は、ラピスに、私が女をイカせたがる男だという心の準備があったからだろうか、長いクンニリングスにラピスはアクメまで登りつめた。
 そして、前回の対面で、コンドームをつけるとペニスがしぼんでいたから、「貴方、コンドームは使わないほうがいいんでしょ?」とラピスのほうから言い出した。ペニスの勃起が不十分と見ると、情のこもったフェラチオをした。
 その心がとても嬉しかったのに、私の横着な息子は純生でもまたもや充分漲るまでに到らなかった。
 半勃起のままだらしなく射精したセックスプレイが終わった後も、私は、昔ラピスに惚れ込んで通っていた時の記憶が存外と褪せている、自分のいい加減さにこだわっていた。再会の感動がすっかり色褪せてしまうほど、大勢の女とセックスしている、とあらためて思い知った。
 そんな気持ちになって表情をくもらせる私を、ラピスは、再会した自分にがっかりしていると受け取ったようだ。
 それから、私はラピスに会おうと何度も黒騎士に電話を入れたが、店に出ている様子がなかった。一体どうしたのか不審に思っていると、桂木が意外なことを言った。
「××さん、ラピスちゃんはうちの店に来ることになったわよ。黒騎士ではお客が来てくれないからこちらに移るのよ。うちの店長と昔同じ店で働いていたことがあって知り合いだから、店長に頼んだようなの」
 しかし、私は何度電話してもマスターズでラピスに逢うことができなかった。ラピスはマスターズに僅か二日間しか出なかった。
 桂木に訳を訊くと、次のように説明した。
「ラピスちゃん、うちの店に出て初日にいきなり六人のお客がフルについて、『さすが、マスターズなのねえ。やっぱり黒騎士とは違うわぁ!』とびっくりしていたの。それで、黒騎士ではそんなに客がつくことがなかったから、あの子、すっかり躯の調子を崩しちゃって、もうこんな流行る店は自分には向いていないと考えて、辞めたみたいよ。躯が慣れていないなら、お客の数を抑えるから店に残るように、と店長が説得したんだけれど、それでも嫌だったみたい。また黒騎士に戻るようだわ」
 客が入らないから黒騎士を飛び出したのに、マスターズは客が多過ぎて勤めることができないなんて、随分わがままな話だ。
 ラピスは細身の体型で、そんなに体力があるようには見えないから、躯の具合を悪くしたのはあり得る。しかし、控え目の性格からすれば、そんな独りよがりの態度をとらず、躯を治して、またマスターズで働く筈だと思っていた。
 ラピスの態度が腑に落ちず、私はしばらく会う気が起きなかった。
 それから四ヶ月ほど経ったとき、また黒騎士に予約を入れた。
 ラピスは私の顔を見て驚き、「私、貴方はもう来ないかと思っていた」と呟いた。
 ラピスがあっと言う間にマスターズをやめた訳を尋ねた。
「私、マスターズの女の子達になじめなかったの。知っている子は誰もいないでしょ。控え室で話し相手がいなくて、どうにもたまらなかったのよ。もうここにはいられないと思ったの。寂しかったぁ。本数が少なくても、慣れたこの店がいいわ」
「でも、あそこには桂木さんがいるじゃない?」
「彼女、予約が入ったときに店に出てくるだけじゃない。マスターズで顔を見たことがなかったわ。私、いつも独りぼっちだったのよ」
 いかにもラピスらしい話だった。綺麗なストレートパーマの顔を俯かせて寂しそうに話されると、私まで何か切ないような気持ちになった。
 黒騎士での三度目のその日の逢瀬では、ラピスを到達させることはできなかった。でも、ラピスは濡れそぼって充分快感を愉しんだようだった。
 私のペニスはフェラチオや手の技を受けなくても、猛り狂った姿で収まるべきところに進入した。
 上々の勢いで膣内射精をした後、私がラピスの殆どふくらんでいない乳房の乳首をさわっていたら、ラピスは両手で拍手の仕草をした。
「貴方、今日はいきなり堅くなってくれたから、嬉しい、今日は元気だわ、良かった!と思ったぁ」
 そう言って、愛らしい顔で微笑んだ。私は、しばらくラピスに通ってみようかと思った。
 しかし、その後は二度会えただけで、何故かラピスは店に出なくなり、やがて黒騎士をやめてしまった。
 最後に会ったときには、「私、ここに戻ってからは、マスターズに行く前よりも本数が増えたわ」と喜んでいたのに、再び黒騎士を去ったのが何とも不思議だった。
 考えて見れば、ラピスがマスターズで客がフルについていたなら、控え室にいる時間は殆どないから、店の仲間に知り合いがいなくても全く気にならない筈だ。店長に愚痴も言える間柄なのだから、マスターズにどんな女がいるかについて多少の聞き込みもしていただろう。桂木以外に顔見知りがいないことは、もともと判っていたに違いない。
 だから私は、「話し相手がいなくて寂しかった」とラピスのようなベテランがぼやくのは妙だと思った。
 またラピスは、マスターズで躯を壊したことや、忙し過ぎて戸惑ったという、桂木に愚痴ったことを私に訴えはしなかった。
 本当にラピスは、客がつき過ぎて引っ込み思案になったのか、控え室で身の置き所がなくて嫌になったのか、一体真相は何なのだろう、と怪訝だった。

 桂木がマスターズに来たときはもう二十七歳のかなりのベテランだった。
 私が通いつめたソープ嬢は一つの店に定着している女が多かったが、桂木だけは随分店を移っていた。性格からして、そのことは何となく怪訝だった。
 マスターズに来たのは、前の店があまりにもはやらなかったからなのだが、桂木はそのときのことを私に語った。
 一度この業界に入った女が店を替わると、講習をしないのが普通でも、マスターズはやり方が違っていた。
 桂木は、マスターズの男にマットプレイを実演するように求められて、「私、そんなこと、今まで聞いたことがないわ。お金を戴かなきゃ、嫌よ」と、不平を言った。
 すると、有料にしてもいいから仕事の仕方の確認を受けなければいけないという指示で、マットプレイを実演することになった。
 お金を貰う以上は、セックスまでしなきゃいけないかなぁ、と思いながらプレイを始めると、相手となった男は、たまたまどこかの店に頼まれて「お茶消し」に行って来た直後だった。
 お茶挽きになりそうな女がいる場合に、業界の男が入浴料をロハにして貰って客になることを「お茶消し」と言っていた。店に出て、客が零の、女の不満は何としても抑えなければならないし、また、お茶挽きの女が出たと噂されるのは大変不名誉だった。
 それで桂木は、講習をする男が肝心なことをしてきたばかりだから、結局挿入行為はしなくて済んだ。
「私、それまでの店ではちゃんと指名を取っていたのよ。なのに、講習なんかさせられて、ちょっとむかついたし、相手がお茶消しに行った後というのも癪だしぃ。だから、あれがちゃんとした形になるように協力してあげなかったわ。第一、店の人とするのは嫌だわよねえ。儲けたわ。約束通りお金だけ貰っちゃって、悪かったかしら。でも、後になって、私が講習にお金を貰って、それで、セックスさせなかったことを皆が知っているのよ。嫌になっちゃったわ」
 桂木の話は興味深いものばかりだった。
 客に結婚を迫られた経験のあるソープ嬢は存外と多い。私が通った女は、男が夢中になり、プロポーズされて困ったことが必ずあった。その男達の真剣な熱中ぶりを、女から困惑やら冷やかしの気持ちであれこれと聞かされると、ご苦労さんと声をかけたくなる。
 それは、女としての値打ちのバロメーターとも言えるが、桂木は、結婚を迫る男の数がとても多いから、私はあらためて、桂木の女の魅力を確認した。
 桂木は、集中的に入る客が多いのが目立った。一回で三本、四本の入浴をする客やシングルで月に四回、五回と入る客がついている売れっ子は多いけれど、桂木は月に十本分の入浴をする若い男がいた。十本は三本、三本、四本と入り、それだけ通っても、女に煙たがられているのがおかしい。
 私は、桂木が自分に求婚する男達をぼろっ糞にこき下ろすのがとても愉快だった。
 完璧にのぼせ上がっている男を、自分が後で男にとんでもないしっぺ返しを喰らわぬ程度に断念させるにはどうしたらよいかという類の相談を、桂木からよく受けた。帰宅を尾行しようとする男や、「店で君の躯を汚すことはできない」と言って交合をしない男は、確かに怖い。
 桂木とソープの世界の話をしながら酒を飲むのは、私にとって最もくつろげるひと時だった。
 ある日桂木が、風呂で潜望鏡の尺八をしようとして、たまたま私のそれが漲っていたので注文した。
「ねえ、ちょっとー、これ、もとの形にしない? 私、口の中に含んで、これが段々大きくなっていくのが楽しいんだからー」
「神武、綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安、孝霊、孝元、開化、崇神、垂仁、景行、成務、仲哀、応神、仁徳、履中、反正、允恭、安康、雄略、清寧、……」と私は早口で唱えだした。
「何よ、それー。お経なの?」
「初代からの天皇の名だよ」
「えへっ、変なこと知っているのねえ。あっ、ほんと、これがちゃんと縮んだわ」
 まだ小さいままのものを口の中で隆起させるのが楽しいと語った女は他に何人もいたが、勃起を止めろと言われたのは初めてだった。
 逢う度に桂木があんまり見事に到達するので、私は桂木に尋ねた。
「君は、僕の他に何人イカせてくれる客がいるの? 二、三人はいるのだろう?」
「貴方の他には誰もいないわよ」
「嘘を言うなよ。君の客は本指名の常連ばかりなんだから、君のように上手にマットやベッドをされれば、男のほうも君を丹念に愛撫してやろうと思う奴が何人かいるものだ。クリちゃんを上手に吸ってくれる男が、僕の他にも来るのだろう?」
「ううん、いない」
「へー、信じられないなぁ。ものすごく感度がいいのに勿体ないぜ」
「貴方、ソープだけでなく、ファッションヘルスの子でもイカしちゃうの?」
「うん、そっちのほうがイカせやすいぜ。クリちゃんを優しく攻めればちゃんと登りつめてくれるよ」
「皆、女のポイントが判っていないのね」
「僕は、本当に感じるのはカリの柔肌だけだもんねえ。玉々だって、お尻の穴だって、さわられれば気持ち良いけれど、あれの先っちょの快感とは、気持ち良さの種類が違うよ。自分の感じるところがそうだから、女の躯の中で、男のカリ首の穂先に相当する部分の、お豆さんが一番気持ち良い筈だと、ちゃんと理解しているんだ。週刊誌の風俗の紹介記事なんかで、ソープやヘルスの女の子が、自分の躯のどこで一番感じるのかを説明しているのを見ると、おっぱいとか腿のつけ根とか背中とかで、クリちゃんだと言う女が少ないけれど、そんなの、嘘だよ」
「そうそう、本当にそうよ。あれって面白いわねえ。皆、感じるところは、お尻とかお乳だとか脇腹とか首筋とかを上げて、要するに、男の人に何をされてもどうされてもいいところを出しているだけなのよ。皆、適当に言っているのね。ほんと、どうされてもいいところばかりよ。それを男の人も額面通り受け取っているのだから。私、首筋とか耳朶とかをぺろぺろと舐められると、感じの悪い奴なら本当に不愉快だわ。どうしてそういうことをしたがるのかしら。耳朶なんか、後で洗いにくいもんねえ。だからそういう奴が来ると、私、ピアスをつけちゃうの」
「ははっ。それは賢いよ。皮膚についた唾液の臭いは嫌だし、息がくさいと『やめてよ』と言いたくなるよな。体位の好みなんかも記事に載っていて、『バックが好き!』なんていうのが多いけれど、これも女から見れば、バックからインサートされるのが、惚れてもいない男とするには一番鬱陶しくない体位なんだよね。
 だけど、セックスの仕方を知らない男が実に多いから、貴女達が若い男に女の快感のポイントを教えてあげなければいけないよねえ。親も、学校も、それを教えてくれないから。おちんちんを突っ込んで腰を動かすだけのセックスでは、男も女も互いに面白くないことを教育しなきぁ。でも、来るお客、来るお客に、唇や指で攻められっ放しでは、これも困るしなぁ」
「そんな人、なかなかいないからいいの。ねえねえ、おちんちん以外で感じて発射する人もいるのよ。本当に変な男で、部屋に入ってすぐに一緒にお風呂に入って、そうしたら、『僕は、乳首が感じるんだ』と言うの。それで、その人の言う通り、両手で二つの乳首を一緒に指先で揉んでいたの。そしたら、そのまま堅くなって出しちゃっているの。湯の中に何か白っぽい、もやもやとしたものがあるので、『何、これ?』と言ったら、『気持ち良くなって、出しちゃったよ』だって。私、びっくりしたわ」
「へー。そんな早撃ちは初耳だ。変わった奴だねえ」
「それで、その人、もう二度と発射しないの。若いのに、一度しかできないと言ってた」
「早撃ちは、普通は回復も早いんだから、ちゃんと立たせてあげればいいのに」
「ところが、さわろうとしても『いい』と言うのよ。お風呂に入っていきなり出しちゃって、まだ部屋に入って十五分ぐらいしか経っていないのよ。後の時間が余っちゃって困ったわ。お風呂の中に出すもんだから、私、湯を全部落として、洗って、また湯を入れたのよ。湯の中に浮いている白いものって気持ち悪かったわ。あの男、私の躯にさわりもしないし、不愉快だったー」
「でも、楽をしてお金を貰う分にはいいさ」
「お金を貰っても二度と会いたくない変な男も結構いるのよ。この店での客だけれど、ほんと変な親父だった。部屋に入るなりすぐに、『お前、いけない女だ。お仕置きしてやる!』と言って、私が何を言っても、勝手に変な御託を並べているの。もう、嫌だったわ。ここはSMクラブじゃないんだから、私、徹底的に相手にならなかったけれど、それでもまた指名してやって来るの。もう、うんざりよ。そんな趣味はないのだからと何度断っても、懲りずにまた指名して来るの。それで、店の人に、私にはこの男は入れないでと頼んでおいたら、そいつ、予約が通らなくなったものだから、電話でメンバーズナンバーも言わずに、名前を変えて予約を入れたの。そこまでするから本当に参ったわ」
「敵も考えたんだなぁ。気の毒に。儲けが大きいから嫌なこともあるさ。我慢だ。しかし、女の子はいくらでもいるのだから、普通は女の子に嫌われたと思ったら、別の女を捜すものなのにねえ」
「ねえ。私ね、この間マネージャーに真剣に説教されちゃった。マネージャーは一年前にこの店に来た人なんだけれどね、『桂木!、一年間黙ってお前の態度を眺めていたが、最近のお前はいくら何でも横着過ぎる。フリーの客を取りたくないというのはまだしも、P指名のお客を断るのはいい加減にしろ。もう、わがままは絶対に許さないぞ!』って」
「そりゃー当たり前だぜ。客のほうは、P指名をしようとした女の子がいなければ、他の店で、別の女をP指名しようとすることも多いだろうさ。そしたら、店も売上のマイナスだ。たとえP指名でも、君の容姿を気に入ってくれたんだから、ありがたいことだと思わなくっちゃ」
 桂木はソープ嬢を女として扱わない酷い男が来ても啖呵を切って叱りつけることができなかった。気弱で、何でも我慢をしてしまう性格だから、いろいろと嫌なことが鬱積して、それまで一つの店に長くとどまることがなかったのだろう。マスターズは、沢山の店に出た桂木にしては続いているほうだった。
 桂木が客に対して嫌なことを嫌だと言えず、高飛車に怒鳴ることもできずに、じっと耐えているから、初めての男を客にするのが大層心理的圧迫になり逃避しているのだと思うと、私は、気弱で優しくてすぐに相手のことを考えてしまう性格の桂木が泥池の中の蓮の大輪のように思われた。

 桂木に通いだしてから一年経った頃になると、桂木は心構えを少し変えて、フリーやP指名の客を受け入れるようになっていた。
 店の指示に横着を言わずに初対面の客にもついて頑張っていると、自分に言い聞かせるように私に説明した。でも、会うたびに、ついた初対面の客について必ず愚痴めいたことを言った。
 時々鬱になっているときには仕事を上がろうかと思っていることを、ぼそっと呟いた。
 桂木にソープをやめなければならない事情はない筈だから、単なる気鬱だろうと思って、私はたしなめていた。
「今更その歳で、時給七百円や八百円の仕事をしたってしょうがないだろう。馬鹿なことを考えるなよー」
 そうよねえ、と吹っ切れた顔つきで頷いて、そんな気持ちは忘れたかのように淫奔に乱れても、次に逢うと、また、「店をやめようかと思っているの」と、相談を持ちかけたりした。
 そんな頃、桂木が思いつめた表情で呟いた。
「私、貴方に隠していることがあるの」
「隠しているって、一体何を?」
「それを聞いたら、きっと私のこと、嫌になるー」
「大抵のことには、僕は驚かないよ。一体何だい?」
「でも、やっぱり言えないなぁ。貴方に来て貰えなくなったら困るー」
「そこまで聞いたら、聞かないわけにはいかないよ。言ってごらん」
「でもー」
「隠し事があると言った以上、僕に打ち明けるつもりだったのだろう? ソープ嬢の隠し事なら、実は、私、日本国籍ではないとか、ヒモがいるとか。……そういうことかい?」
「ううん、違う。そんなことじゃないぃ」
「じゃあ、何なんだよう?」
「何を聞いても、いやにならない?」
「うん、いやにならない」
 押し問答の後、桂木がようやく私に打ち明けたのは、小学四年の女の子がいて、何か、桂木が原因で娘に大怪我をさせて、看病もしっかりすることもできず、それでソープの仕事をやめようと、ずーっと想い悩んでいるということだった。
 娘が、母親の稼業を非難する可能性が出てくる年頃に近づきつつあるから、桂木は人に言えないような仕事を継続していいのか悩んだ。
 その児を十九で産んだけれども、亭主が酷い男でまともに働こうとせず、すぐに離婚して、それからは独りで育てていると言うから、私は驚いた。
 その日の前、半月ばかりの間、桂木は相当落ち込んでいた。その苦悩の原因の、女の子が怪我をした事情を尋ねると、桂木は言いたくないようだった。
 私は、女手一つで子供を育てるなら、自由出勤ができて収入の多いソープをやめる必要は全くないし、男の子ならともかくも女の子ならば、並々ならぬ稼業をしている母親の気持ちを理解してくれる可能性が高く、更に、小学四年は丁度自我が確立する頃で一番難しい年齢だから、娘の気持ちまで対等なレベルへ自分を下ろして、娘に大人同様の心があるように認め、充分に語り合うように、と助言して桂木を慰めていた。
 桂木は、その日の翌日から五日間休みを取って旅行に行き、それで、落ち込んだ気持ちを立て直そうと考えていた。店長はしぶしぶ休暇を許して、「五日間、完全に休んで、それで気持ちを切り替えなさい」とアドバイスをした。
「五日間海辺でのんびりして、子供とスキンシップに努めながら、リフレッシュするのは良いことだよ。そんなに深刻に思いつめなさんな」
 私は桂木を励ましながら、それまでに、桂木の膣口の変形具合と呼び出し出勤の変則勤務の事実から、何故、桂木が子持ちであることを想像できなかったのかな?と、自分の感度の悪さに舌打ちした。
 その日は、いつもよりも淫らに、激しいベッドシーンを展開したようだった。

 桂木は、フリーでしぶしぶついた客や結婚願望の男について愚痴をこぼしたりしながら、私を歓待した。一人娘だけが生き甲斐で、二人だけの家族旅行を企画すると、子供のことだけは楽しそうに話した。
 私は桂木から度々勤労意欲喪失の愚痴を聞いていた。逢う度に桂木はいかに店をサボっていたかを力説したけれども、そのうちに何故だかあまり仕事の愚痴を言わなくなった。
 フリーやP指名の客もできるだけ受け入れるようになり、以前のように、獲得本数のことを口にするようになった。そして突然、自費でムーディな照明器具やら置き台やらカーペットを買い、持ち部屋の飾りつけを一新した。三十歳を超えてもソープで働こうと心に決めたのだ。
 常連客の何人かが桂木の出費を気の毒がってお金を寄付した。その話を聞いて私がどうしたもんだと思っていると、「貴方は月二回私のところに来てくれればそれでいいの」と微笑んだ。
 桂木は二十二のときに金津園に来た。桂木に通い始めた頃、金津園に来るまでに何人の男と寝たのかと尋ねたら、桂木は指を折って数え、十七人と答えた。根がおとなしい女だからそれは全く意外だった。
 ソープ嬢になる前は岐阜市の繁華街のパブのようなところで働いていた。十九で店に出たのだから丁度乳飲み子を抱えていた時期だった。店で乳が張るとトイレに行って自分で絞り出していた。
 その店はお喋りし合うかカラオケを歌ったりするだけで、おさわりをさせない、健全な飲み屋だった。
 桂木は指名獲得でNo.1の座を守り、しかも、客と絶対に寝ないことが誇りだった。客を店に引き寄せるようリップサービスと媚びを最大限にふりまき、男は面白いぐらいにまわりに群がった。
 店外デートにもよく応じ、男にさんざんその気にさせて、相当な金品を貢がせた男も大勢いた。でも、絶対に客にはセックスどころかキスも許さなかったから、自分は悪魔のような女だとあきれ、何れ天罰が下るに違いない、恨まれて誰かに殺されても不思議ではない、と思っていた。
 桂木は、亭主と別れようとしたとき、亭主に百万円を要求された。とにかくおさらばしたかったから、サラ金で借りて金を渡した。父親も借金、自分も借金、それで、飲み屋で働いていては、借金返済はできないぞと、思い切って金津園に飛び込んだ。
 金津園に来ると、桂木はどの店に行っても売れっ子だった。雑誌に写真を出したからパブのときの客も来て、十人ぐらい相手したが、ソープの店に来てもセックスをしたのは一人だけだった。
「それまでいい加減お預けを喰らっていて、私がソープランドに来たのだから堂々と抱けばいいのに、私があの店にいた時、客には絶対に躯も唇も許していなかったから、ソープでも皆遠慮しちゃってお話だけして、『君の裸を見られただけでも僕は嬉しい』と言って帰るのよぉ。面白いでしょう。変に純情なのよねえ。そんなに沢山の男が私に憧れて店まで来て、セックスをしないで帰るなんて信じられないでしょう? 私って悪魔よねえ」
 桂木を裸にさせては申し訳ないから服を脱がなくてもいいと言う男もいたと聞いて、私は桂木の女神さまぶりに驚いた。
 大勢の男が恋いこがれていた、その若かりし頃の写真を見たいと言ったら、次の逢瀬で桂木が写真を何枚か持ってきた。高校生の時のやら、パブの頃のや、金津園に来た頃の写真で、皆目鼻立ちのはっきりした若々しい佳い写真だった。
 肩をすり寄せて、一枚一枚の写真について桂木が想い出話を語るのをBGMにして飲む酒はとてもうまかった。
 私は、桂木が何度もオーガズムに至るので抱擁がとても愉しみだった。喘ぎまくって、汁を垂らして、表情が一変するから、春情をかきたてられることがはなはだしい。
 ディープキスを嫌っていたのが不満だったが、喘ぎ声が女っぽく、絶妙の快感が湧き起こったときにはしばしば腰から胸まで震わせて陶酔の表情をしているので、どうにも愛しくなった。
 いつも、ベッドの端で仰向けになった桂木に、腿が腹に密着するぐらいに脚をたたませてクンニリングスをした。クリトリスを吸おうとしても、腿がやけに太く、大陰唇にも脂肪がよくついているから、クリトリスが肉の中に埋まったようになり、なかなかそれが捉えにくい。
 陰核茎部のまわりを精一杯引き上げて、僅かに覗く肉芽の先端を唇で弄えば、桂木は、息を止めてから絞り出すような感じで、「ああっ」という喘ぎ声を上げた。
 そのよがり声が頻繁にリズミカルに続き、同時に胸を反らせたり太腿が震えたりするので、その度に私は唇を当てる位置を調整しなければならなかった。
 亢奮してもクリトリスは小さめで包皮が深いから、クリトリスを埋めている肉を押さえつけて、ピンクの丸みを直撃して持続的に刺激するのは容易ではなかった。
 その包皮がクリトリスにくっついておらず、花弁のようにまわりで開いて突き出ているから、口で刺激しているうちにどこがクリトリスなのか判らなくなってしまうことがあった。
 充血して先端がはっきり固くなれば、唇や舌が包皮とクリトリスとを区別できるのだが、桂木の場合は明瞭なしこりを見せず、ふにゃふにゃしているから、目標物を外すと時々唇がクリトリスを見失った。
 土台のところまでひとまとめにして全体を口に含むと、平静時より根元の辺りが力強くなって、飛び出しようがはっきりわかる。でも、陰核茎部までの広範囲の肉塊をまとめて口に含んで刺激しても、そのうちよがり声が静まってしまう。やはり、クリトリスの先を集中して弄うのが一番効き目があった。
 私は、桂木が脚をたたみ続けているのもつらかろうと思い、頃合いをみて桂木に脚を伸ばさせた。
 ベッドの端に尻を置いて脚を伸ばすと、ベッドの外に投げ出した両脚の腿の辺りだけやけに太くなる。
 私はベッドの脇でその脚の間にうずくまり、匂い立つような股間の熱気に包まれて、正面から陰核茎部を刺激した。脚を伸ばすと、陰阜が浮き上がる。縮れの乏しい恥毛が立ち上がって一層存在を浮き立たせる。両肘を桂木の太腿の上に置き、指で陰毛を押さえて女芯をしゃぶり立てると、私の腕に桂木の腿の絶え間ない痙攣が伝わった。
 喘ぎ続ける桂木の、貪欲なまでの昂揚に、いつも私はかき立てられた。
 両手で両土手を押しひらいて、大陰唇を伸ばし、小陰唇も充分飛び出させる。私は顎を潜らせて舟形の肉片を貪り尽くす。
 桂木の淫液が溢れてシーツを汚している。私もペニスの先を透明な粘液で光らせていた。
 桂木が一段と深いオーガズムに身悶えすると、私は、桂木にベッドの端から尻を後ずさりさせ、躯の向きを九十度変えるように求めた。自分もベッドに上がり、横寝の体勢で69をして桂木の愛液を舐め、桂木にもペニスの先走りの淫汁を吸わせた。
 桂木のフェラチオのピッチが上がると、私は桂木が口を動かしやすいように少し上体を開いて腰を突き出し、ついでに桂木の濡れた秘所を指で開けてまじまじと観察した。桂木は言われなくても片足を上げて協力した。
 淫らにさらけた股ぐらは、陰唇からアナルにかけて紅い裂け目を囲むように全体が黒ずみ、その中を粘液が伝った幾筋もの跡が僅かな色合いの違いを見せている。縦には短くてもよく突き出た薄いラビアがパックリと開き、その中に股間の向こうの壁のライトで濁り水がにぶく光り、メスの発情の匂いが漂っているのが猥褻の三重奏だった。
 桂木の口の中で完璧に漲ると、どんな体位で嵌めようかと考える。ベッドの脇に立って抽送する床上床下男上前位と、ベッドで自分が上になってする正上位が殆どだった。どちらの体位でも、スラストの間の桂木の表情が何とも言い様のないほど悩ましかった。その顔を見ながら、ペニスを包む肉壁の迫り方を感覚すると、更に怒張が力を増し、抽送にも拍車がかかった。
 ペニスの根元と睾丸で桂木の割れ目を叩くようにすると、ネチャッと湿った肉壁に当たるのが、何とも素晴らしい感触だった。
 桂木の上げた脚を抱える手に力を込め、吠えるように射精の快感を告げて、いつも私は果てた。
 ある日そんな完璧な交合が済んで桂木がティッシュで股間を始末した後に呟いた。それは、自分の躯がいつの間にか性欲というものを感ずるようになった、二日店に出ないと時には躯がもやもやして店に出たいと思うことがある、という内容だった。
 そして私に殺し文句を浴びせた。
「私、貴方が入った日、家に帰ってシャワーで洗ったら、どろどろの愛液が中から沢山出てきて驚いたわ。女は男の前でそれほど股を開いて丁寧に洗うことができないでしょう。だから、私、家に帰ったらいつも徹底的に洗っているのよ。そしたら、すごいネバネバの液体が出てきたの。貴方の時のが残っていたのよ。あんなに私の躯が反応していたなんて!……」

 私は長年マスターズに入っているから、四代ぐらいの店長を見ていた。
 二代目の店長が一番在職期間が長かった。
 その男は九州北部の出の、痩せて顎の尖った、なかなか男前で、客にとても愛想が良かった。店を立派に繁盛させていたが、ある日突然いなくなり、故郷で農業をするために帰ったということだった。相当な月収を捨てて堅気の百姓になるのだから意外に思った。
 三代目は陰気な顔つきの男で、女に嫌われていた。その男は一年ぐらいしかもたなかった。
 四代目は陽気な顔をした禿頭の男で、どことなく愛嬌があった。店長はタキシードのようなものを着て店に出ることが多いが、その四代目は、ある時から普段着の着古したセーターばかり着るようになった。
 いつもノーネクタイの同じセーターで、ズック靴を履いているから、私は不思議に思って桂木に尋ねた。
 すると桂木がわけを説明した。
 店長は、愛人を作ったことが同棲していた女にばれた。女は、店長が家にいないときに、スーツから靴から預金通帳まで一切合切をポリ袋詰めでゴミ処理して、「あんたなんか、出ていけー、顔も見たくない!」と店長を裸同然で追い出した。
 まことに豪快に仕返しをされて気の毒だが、スーツを新調できる給料は貰っているのだから、店長たるもの、身なりはきちんとすべきだ、と私は桂木に言った。すると、桂木がそのことを店長に伝えた。
 店長は「そうだよなぁ、桂木ちゃん。誰だってそう言うよなぁ」と困った顔をした。
 それからは、「桂木ちゃん、××さんは今日夕方七時前には来るんだよねぇ」と桂木に確認して、私が店に着く頃になると店長が行方不明になる日が続いた。
 四代目は、店の女に何か注文を付けると、桂木のような古株に逆にやりこめられるような、憎めないところのある男だ。ボーイが辞めたときなかなか補充をせず、フロントの担当を店の女がするように頼んで、女達に拒絶されなかった。
 皆、受付や電話の応対をむしろ愉しんでいて、自分の常連客が他の女を指名して受付しようとしたら、馴染みの女が座っており、顔を合わせてばつが悪そうにしているのを面白がったり、遊び慣れていない男が、料金や女やサービスの内容についておどおどと質問をするのを後で嗤ったりしていた。
 ソープ嬢がフロントの仕事をするのを見たことがないから、すました顔をして桂木が応対をしていると、とても愉快になる。でも、桂木を予約しようとするときに本人が電話に出ると何とも妙な気分になった。
 マスターズはフリーの客がなかなか入らないけれど、ベテラン嬢が確実に指名を稼ぎ、店長が営業努力をしなくても来客数が近隣の店の中では一番だった。近くには一日の来客数が二名から零名の日があるような店もあった。それで、四代目の店長は女にフロント業務までさせても昼間から競輪などで遊んでいることが多かった。
 その店長は二年以上マスターズを取り仕切っていたが、そのうちにオーナーと折り合いが悪くなった。よほど金に困っていたようで、店の売上の相当な額をかすめ取り、そのうちに店を辞めてしまった。
 オーナーが異常にケチな爺さんで、店長はよく衝突していた。
 こんなこともあった。
 ある日、朝から夕方まで店に電話が全く入らないことがあって、そんなことは考えられないことだから、ボーイも女達も不思議がった。それで、誰かが試しに店に電話をしたら、電話局の録音の怪訝な案内が聞こえた。要するに、オーナーが電話料の払い込みをしていないので、切断されていたのだ。
 スタッフが急遽支払いに出向き復旧したが、客商売をしておきながらとんでもない認識だと皆が驚いた。
 客商売をする上で見苦しいような不具合があって、店長が店の内装を修復したいと申し出ても、オーナーは首を縦に振らないし、店長の報酬も相場をかなり下回る額だった。だから、女達は、店の金を持ち出した店長をあまり非難しなかった。
 五代目の店長が現れたが、その男が店の女達にとってはとんでもない男だった。
 店でもっとも勢力をふるっていたのは三十近い歳の神崎愛だった。雑誌の顔写真は色白の童顔で、贔屓目に見れば四つぐらい若く見えた。近くの流行らない店の男は、神崎愛が月に七十の本指名を稼ぐと聞くと信じられないという顔をした。
 私は昔一度だけ神崎愛に会ったことがある。神崎愛は、会話の魅力、心安いうち解け方で男を惹きつけるタイプで、愛撫はしたがらず、自分がねちっこく愛撫されるのも嫌がった。当時は言葉遣いも悪く、育ちの良くないのが丸出しで、全く私の好みではないから、裏を返さなかった。
 神崎愛は猛烈な指名数を稼ぎ、その割には固定客の数が少なかった。ただ、少ない固定客は皆ダブル、トリプル、貸し切りで頻繁に来た。恐ろしいほどの吸引力のある女で、裸にもならずセックスもさせない常連客が何人かいたから、神崎愛も正真正銘の女神様だ。
 常連の中には、毎週来ても神崎愛が「私は忙しいから、あんた、もう帰ってよ」と邪険にして、正規の時間より三十分以上早く毎度早上がりさせる客がいた。その男は「神崎愛ちゃん、ごめんね、疲れさせちゃって。じゃあ、僕、帰るからー。ごめんね」と詫びながら出ていくから、仲間の女が面白がった。中には来る度に十万円単位のチップを置いていく男もいて、稼ぎは並のものではなかったが、費消もブランド志向で、これまた超ド派手だ。
 店は神崎愛と桂木でもってるようなものなのに、五代目の店長は神崎愛に馬鹿なことを言った。
「俺は、お前のような年増は、本当は使いたくないんだよ」
 神崎愛は当然激怒するし、神崎愛の贅沢に何かと恩恵に与っていた若いソープ嬢も同感する。
 桂木も、神崎愛より二つ年上だから当然憤慨した。
 五代目の店長が、最初のミーティングで方針演説をした。
「俺は、俺のやり方というものがあり、今のやり方はおかしいと思うからすぐに変えたいが、あんたたちも、長年この店のやり方でやってきたのだから、しばらくは今までのやり方でやって貰っていいです」
 しばらくすると、店長は違うことを言った。
「俺は、やっぱりやり方を変えたいと思っている」
 ところが、どういうやり方なのか具体的なことは何も言わず、またしばらくすると、「君たち、今までのやり方でやって貰っていいから」と、全く何を言いたいのかさっぱり判らない。
 店の元からの在籍者十人のうち、稼ぎ頭の三人は指名が入れば店に出てくるという自由出勤だし、殆ど店に顔を出さない女が三人いるし、出勤日に初めから店に出ているのが二人しかいない状態だから、桂木は、五代目が自由出勤を認めない方針なのかと思った。それでは、子持ちの桂木は困る。
 店長が、神崎愛は首を切りたい年増だと思っているなら、桂木も同様だ。
 第一、五代目が陰気くさそうな顔で「俺のやり方」としきりに言うのが許せない。店長は仕事の責任が重く、大変だと思うけれど、客を呼ぶのはソープ嬢だし、女の新規採用はなかなか難しいから、稼げる女が大切なのに尊重する心がない。
 五代目は店に来るとき女を一人だけ連れてきた。売れっ子の実力があるように皆に吹聴し、仲良く付き合うように要請した。
 顔を見るとそれほどの器量でないし、言葉と態度を観察していると、どうにも男を惹きつける女のようには思えない。むしろズベ公で、そのうちに背一面に彫り物をしていることが皆に判った。
 桂木や神崎愛の常連客が入浴を終えて上がり部屋に入ると、五代目はその女のことを紹介し、「是非次のご指名を」と誘った。店に来ても桂木にしか入らない男、神崎愛にしか入らない男、しかも、しょっちゅうやって来る固定の客に、それまでどういう遊び方をしているか、何年来ているか、そんなこともろくに確かめずに強引な言い方で新人を紹介した。
 その女がぴかりと光る顔立ちならともかくも、頭が悪そうで会話がまともにできず、まず本指名が返りそうもないから、皆があきれた。女が、一旦客を部屋まで案内した後、客からチェンジを申し出されたことが一日に四回あるという、驚異的な記録を作ったから、女達は新スタッフを心の底から嗤った。
 私は、マスターズがスタッフを一新してから、桂木を予約する電話を二日前に入れたことがあった。たまたま新店長が受付をしたけれど、応対にまるで愛想がない。予約の申し込みを受けたら、会員番号を確認し、来店度合いを調べ、適切な対応を考えるべきなのにその気配がないし、横柄な言い方に驚いた。
 桂木にその話をすると、自由出勤をしている桂木には予約があれば早めに知らせるべきなのに、店が桂木に出動要請をしたのが案内の三十分前だから、桂木が店長のやり方を非難した。
 客の顔も憶えていない新参の店長が、予約の電話があった日に、店にいた桂木には何も連絡せず、私が予約通りに来る客か危うい客かを、データを見て判定しようとはしないで、当日の確認の電話が入るのを待ち、確認を得てから、予約時刻の直前に自宅へ電話して呼び出した。その無神経さに桂木も私もあきれた。
 神崎愛が、そんな現状をオーナー夫人に愚痴った。オーナー夫人はそれまで店の売上の内容について全く知らなかったが、店長を非難する女達の訴えの中で、ようやく店の本数の八割方を四人の女で稼いでいる実態、いい女がいるから客が来る、という当然のことを理解した。
 しかし、女達はもう我慢ができなかった。五代目が来てから一ヶ月後、もとからいた十人の女が一斉に辞めた。
 最初に引き払ったのは神崎愛で、彼女が自分の荷物を撤収するに当たって、店長は時刻を指定しなかった。それで、神崎愛はわざわざ店の営業時間に私物を取りに来た。部屋の殆どの物が私物だから量も多く、まるでどたばたして、入浴中の客も待合室の客も何事かと思った。
 荷物の引き取りの時刻を指定しなかった店長の配慮のなさを女達が小馬鹿にした。
 桂木も私物を引き払った。カーペット、壁飾り、小物入れ、スタンド式照明器具、置き台、イス、洗剤、たらい、時計、クッション、ゴミ箱、スリッパなど、全て取り払うと部屋が空っぽになった。桂木の部屋だけでなく、他の部屋もそうだったから、店はかなり金をかけないと部屋が使用できない状態になった。
 それだけでなく、上がり部屋の写真も皆が破り取り、わざと壁紙がめくれるように手荒く引き剥がしたから、壁はみるも無惨な姿になった。
 マスターズは、全く魅力のない二人のちんぴら女だけになった。
 私は、随分長くマスターズを贔屓にしていたから、とんでもない店長を雇ったオーナーを面罵したい気持ちになった。
 神崎愛を初めとする五人の女がコンパニオンクラブという店に移ることになり、桂木も神崎愛に誘われた。
 桂木はコンパニオンクラブの店長と顔見知りだし、手取りも問題ないと思うし、自由出勤も許されるし、四代目の店長がどこかの店を持つまで元マスターズの仲間が結束するのは結構なことだと思った。
 しかし、神崎愛がコンパニオンクラブの店長とどのように交渉したかを聞いて驚いた。
 マスターズの女は、四代目の店長が店を任されるまでの預かりということで、その五人が客を取るときは、料金を数千円高くして、それはマスターズと同額だった。女の手取りも、もとからコンパニオンクラブにいる女よりもはずんで、その額はマスターズの時と変わらないという約束なのだ。
 それではコンパニオンクラブの生え抜きの女は頭に血が上るし、事情を知らない客は料金の違いが納得しにくいだろうし、昔は大衆店で部屋も狭いのにマスターズと同料金というのは無理がある、いずれ必ずもめ事を引き起こすに違いないと思って敬遠した。
 それで、桂木はホワイトハウスに行くことにした。
 その店はマスターズの隣にあり、桂木がマスターズに来る前に一年ばかり出ていた。桂木はホワイトハウスに虫の好かない女がいたことと客の入りが物足りないことから、隣のマスターズに移ってしまった。隣の店に替わる女はあまりいないから、そのことが私は印象的だった。
 桂木はマスターズにきてからも、元の店の流行り具合を観察していて、異常なまでに客の入りの悪いことをからかっていた。ホワイトハウスは部屋が広くてゴージャスな感じがあり、昔は美女を揃えて人気があった。しかし、売れっ子が確保できなくて、エイズ問題が出てきた頃にはまるで冴えない店になった。そのホワイトハウスに桂木は復帰した。
 コンパニオンクラブもホワイトハウスも、一番本指名を稼ぐ女が二十五本から三十本程度の成績で、それほど稼ぐ女がいないから、固定客をしっかり掴み、しかも、神崎愛や桂木のような稼げる女が来るというのはとても有り難いことだった。
 ホワイトハウスには桂木を含めて女三人とボーイ二人がマスターズから移った。女達は店を辞める相談をするようになってからは、皆、来て欲しい常連客に携帯電話の番号を教えたので、マスターズの電話は静かだった。
 私が初めてマスターズに初めて入ってから八年目、桂木の初会から三年目の出来事だった。

 セックスは生殖行為である以上に人間同士の親睦行為であると何かの本で見たことがあった。
 マスターズでの享楽のシーンを振り返るとまさしくその通りで、奔放に閨房の愛撫をして異性と親しくなるのは、いくつになっても楽しい。だから、一つ一つの交合が芸術品に昇華するような素晴らしいセックスをしたいものだと思って、桂木が笑顔で開けたドアをくぐった。 (了)

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