良性記

写真で随想 P

 2018年4月23日 突然懐古の散策をしたくなった。東海高校を出てから学校の近くに寄ったのは大学生の頃に1度だけあった。それから50年経った今、私の通学路の景色がどうなったかを見たくなった。
 通学路の起点は市バスの停留所『車道』か『都通一丁目』で、私の家からはそれになりに遠かった。
 東海中学と高校の6年間の内4年は『車道』を使い、後の2年は『都通一丁目』を使った。こちらはバスの乗り換えをしなければならなかったが、繁華街のある『今池』で乗り換えることにより、ビリヤードをするのが楽しみだった。
 学校の近くの徳川美術館は観たことがあるけれど、隣の徳川園(名古屋市東区)は一度も入ったことがない。サイトを見ると牡丹園がPRされていたので、ついでに徳川園に寄ることにした。
 ルートは (地下鉄)大曽根駅→徳川園→東海中・高等学校→(地下鉄)車道駅 としたから、歩数計は 半日で10,000を超えた。
 私は平成5年に、勤務先の子会社A社に出向し、平成7年にはB社に出向先が変わった。その時の勤務場所がA社/大曽根駅の近くとB社/新出来町で、要するに、徳川園の周辺で年収を得ていた。多分平成10年に執務場所がテレビ塔の近くに変わって、その後はあの辺りに殆ど行っていない。
 今回久しぶりに(地)大曽根駅から南西側に出ると街の景色が全く様変わりしていた。20年もあれば都会では全く見違えるほどに変わることがよくわかった。

 徳川園
 徳川園の龍仙湖が大きくて驚いた。
 徳川園から東海中学へ歩くに当たって方角を南東に取ってしまった。なかなか目的地に着かず、道行く人に尋ねたら、徳川園から南西に向かうべきだとわかった。私は大松の南だと思っていたが、全くの記憶違いだ。学校の位置がわからなくなるなんて、50年の経過は恐ろしい。
 道幅のある道路がどんどんできているし、ストリップ劇場の銀映はとうの昔になくなっているし、全く変わっている。昔入ったことのある寿司屋が今も営業しているのを見てほっとした。

東海学園門前
 50年以上前の通学路は見覚えのあるものが殆ど残ってなかった。筒井小学校、筒井通、八百屋さん、こんな程度かな。
 たっぷり郷愁に浸ることができた。50数年前の生徒時代、そして、20年前の悪戦苦闘の勤務時代、蘇るべき想い出がもう忘却の彼方だ。歳を取るのは寂しい。
 テレビの『ナニコレ珍百景』(2019/6/30)を見ていたら、彦根城に隣接した中学校の台がずれた時計台が紹介された。投稿したのは彦根市立西中学校の同窓生で、私と同じような年齢の人たちだ。
 私が驚いたのは、その高齢の同窓生の皆さんが集まる頻度で、毎月のように同窓会をやっているようだ。都会では考えられない。しかし、よく考えれば、彦根も立派な都会だ。
 都会に住む大人で中学生の時の住居と同じところに住んでいる人を考えよう。そのような人で、二十歳を過ぎてから何十年もの間自分が通った中学校の近くに来て校舎を見たことがないという人は一体いかほどいるだろうか。先ず少ないと思う。
 70歳を超えて50年ぶりに10代の中学高校6年間の主要生活場所を見た感慨の激しさは、いつもそういうところを見ている人とは違うものがあると思っていただけるのではないか。


 東大寺塔頭の天得院の『桔梗を愛でる特別公開』が 6月25日(2019年)から始まったのでその初日に京都へ行った。移動には専らバスを使い、行程は次の通り。
 京都駅→三千院→実光院→宝泉院→金閣寺→天得院→東福寺→京都駅
 三千院について 写真で随想 Aに──三千院は樹木寄贈の立て看板がやたらと目立ち、せっかくの風情をぶち壊しにしているのが残念だった。植物の名前だけの小さい看板にしていたら良いのに──と平成15年秋の想いを書き、これはかなりの興醒めだった。
 いくら苔庭が好きでも三千院にはもう行かないぞと思ったけれど、あの時は寄贈者名の表示板と観光客の多さのせいで写真を1枚も撮ってないし、苔庭の代表格のところだから、やはり写真を撮っておきたい。それで、早い時間に行ってみた。
 バスが鯖街道に入ると、そこは平成27年11月に蓮華寺から曼殊院門跡に向かうためバスで通った道路だ。懐かしい。八瀬(やせと読むのを知らなかった)から三千院まではバス料金が急に上がっていくのが面白い。
 街道沿いの生活者がどんどん降りると、終点の大原まで乗車した客は存外少なくて、これは苔よりも人が目に入るという不快なことにならなさそうなのを喜んだ。参道の青もみじに秋の色を想像しながら景色を愉しんだ。
 三千院に着いたのが9時ちょっと過ぎだから人が少なかった。だから写真が撮りやすかった。
 人が映り込まない門の写真がすぐに撮れた。
 聚碧園
 寺のパンフレットには──客殿よりの池泉観賞式庭園──とあった。
 往生極楽院
 緑の中の佇まいが素晴らしい。苔の広がりが結構だった。
 パンフレットには──苔の大海原──とあった。
 意外にも寄贈者名の表示板を殆ど見かけなかった。あれさえなければ、三千院はコケが見事で、とっても素晴らしい庭だ。
 有清園
 パンフレットには──本堂の宸殿より極楽院を眺める有清園は(中略)池泉回遊式庭園──とあった。
 アジサイ祭りということだったが、アジサイの群落の中の観光客が90%中国人のような感じだった。
 参道では中国人らしき団体に会わなかったから意外だった。

 三千院から実光院と宝泉院に足を伸ばした。
 勝林院は仏像が見所で、庭には特徴がなさそうなので省いた。
 実光院の庭
 客殿から見えるこぢんまりした庭(契心園──池泉観賞式庭園)は旅行案内によく見るものだが、これで全部だと思っていた。
 ところが、この奥になかなか広い庭がある。全体に植物の種類が豊かだ。
 実は、私がじっくり観賞している間他の観光客が1人もいなかった。どかっと三千院に来ていた中国人が一人も来ていない。
 実光院は穴場中の穴場だ。

 宝泉院
 宝泉院の庭
 ここの額縁庭園も旅行案内によく見るもので、これが全部だと思っていた。ところが、結構な回遊式庭園があった。
 こちらは日本人らしき観光客がそれなりの数でいた。実光院との違いは何なのだろう。私は実光院のほうを推したい。

 時間に余裕があったので金閣寺に回った。
 経路は、(バス利用)大原→高野車庫→金閣寺道 ですんなり行けた。
 金閣寺は外国人の多さに驚いた。ここも三千院と同じく2003年秋に訪れたが、当時とは外国人の数が全然違う。

 天得院
 お寺の特別公開で、普段は非公開のものがあり、秘仏には興味がないが、庭のほうは是非見ておきたい。
 天得院の特別公開を拝観するのが今回の目的の発端だ。
 天得院の特別公開はやはりそこそこ人が来ていた。苔庭の中に桔梗。良い取り合わせだ。

 その後東福寺に行った。
  2016年秋──あまりの人混みに、開山堂(常楽庵)を撮影できず。
  2019年春──普門院改修工事で、通天橋・開山堂の拝観料を払うのをやめた。
ということから、今回は開山堂を撮影したかった。
 それに、6月の楓の海と苔が撮りたかった。

 残念ながら普門院はまだ改修中だった。その足下の庭は是非いつか撮影したい。普門院の池泉観賞式庭園は人がまばらでしっかり撮影できた。
 開山堂は人が少なくて結構な雰囲気だった。

 開山堂から通天橋に降りる道からは青もみじがまさしく緑の雲海。素晴らしい。
 通天橋から眺める6月の楓の海
 紅葉の燃える海も、葉芽がまだ小さい寒々とした4月初めの楓の枝の海もよいし、ただひたすら緑を謳歌楓の海も結構だ。
 苔庭の映える6月
 通天橋を中心とした広い庭は紅葉時期のとんでもない混雑と比べれば雲泥の差で観光客が少なかった。人が少ないのは、目障りなく景色が観賞できて本当にありがたい。これまで目にしっかり映らなかった東福寺の庭のコケが堪能できた。葉緑体の透過光で地面が映えていた。

 今京都の観光地(神社仏閣)で『人が少ない』というのは、要するに、中国人団体旅行客がわんさかと来ていないところだ。それが私には間違いなく穴場になる。
 団体旅行の中国人の成金的な、要するに、日本人の目から見ればややだらしなく、或いは、品性なく見える服装と行動を見るにつけ、あれが儒教と仏教を本朝にもたらして人品の向上に資した国の民なのかと思わざるを得ない。
 ややだらしなく、或いは、品性なく───とは具体的にどういうことか。男には興味がないから、中国人の若い女の6月の服装でもって説明する。
 原色系の服地の多いことに違和感を覚える。短パンが目立つ。ボテッと腹回りが大きい女でも、露出部の多い服装だ。スケスケ系の布地をよく使う。カットが派手なことがある。日本人よりも豊満系が多い。
 行動面:じっくり景色を堪能している雰囲気が乏しい。自撮り棒を持つ。景色を楽しむというより、その景色の中の自分を楽しんでいる。仲間同士の会話が多い。歩きスマホが多いが、目の前の光景とは関係ないものを見ていることが多いようだ。歩きながら何やら食し、見る者をして、その包装紙がどうなるのかが気になるような佇まいだ。
 観光収入を増やそうという考えはよろしくない。どのような観光客を受け入れるかは、我が国が選ぶべきだ。中国と韓国からの団体客は、豪華客船か飛行機のファーストクラスで来る者か難関大学の卒業者以外にはビザを出すべきではない。(なお、短パン・自転車で動き回る毛唐の観光客もいやだ)
 6月の東福寺は実に穴場である。

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(千戸拾倍 著)