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昔読んだ本、そして我が青春時代 4
社会人4年目(S48)
社会人4年目(昭和48年)、私はとうとう嫁を貰いました。愛知県の出身です。
私は昭和48年10月に名古屋・熱田神宮で結婚式を挙げて、新婚旅行は次の通りです。宮城、岩手、青森の海岸線を北上する旅でした。(行程計画メモが出てきたのでこれが書けます)
10/22 浜松宿泊 挙式の日の夜は名古屋に泊まるべきだと親はブウブウ言っていましたが、私はとにかく出たくて、浜松で宿泊しました。
10/23 浜松 → 仙台 新居にて宿泊 愛知県人の妻には、これから住むことになる『東北』をわかってもらいたいという気持ちが私にはありました。だから、妻は外国へ行きたかったのですが、岩手・青森方面を新婚旅行の行き先にしました。
10/24 仙台 → 宮古 浄土ヶ浜にて宿泊 よく憶えていませんが、多分松島も観光したと思います。浄土ヶ浜はなかなか風光明媚でした。
10/25 浄土ヶ浜 → 船にて 真崎 小本経由竜泉洞 岩泉にて宿泊 新婚旅行と言ったってグリーン車が使えるようなところではありません。妻は「グリーン車にも飛行機にも乗れない新婚旅行なんて」と怒っていました。
私は大型の哺乳動物が大好きです。竜泉洞ではツキノワグマの成獣が檻に入っていて、私はその檻の前から全く去ろうとせずに、じーっといつまでも熊を見ているから、新妻はあきれていました。
だから、私は今でもNHKの動物番組が大好きだし、某巨大バカ掲示板を見て霊長類の愚行を観察しています。
10/26 岩泉 → 北山崎 → 久慈 → 八戸 さすがに新婚旅行でその季節にそのあたりに来るカップルなんて殆どいません。寒風の吹く中で、リアス式の海岸とアホウドリの飛びかう絶壁を眺めました。
どこへ行っても、私たちの新婚旅行は珍しがられました。どこの旅館でも、上げ膳据え膳のような感じがありました。
10/27 八戸 → 弘前 盛美園・猿賀神社・弘前城とまわりました。弘前城は大変結構です。弘前泊。10月の東北はとても寂しくて切ないほどに風情がありました。
10/28 弘前 → 青森 → 仙台 妻は観光よりも、私と一緒にいることだけで充分のようでした。私は一眼レフで女房と景色の写真を撮りまくっていました。
(読んだ順は、第1列↓、第2列↓、第3列↓ です)
知的好奇心〜中公新書 |
キリンビールの秘密《渡辺栄二》 |
日本の歴史2大王の世紀 |
ピグミーの世界《酒井傳六》 |
マージン《西澤脩》 |
世界の歴史9ヨーロッパ中世 |
数学の世界〜中公新書 |
伊達騒動《平重道》 |
世界の歴史 ルネッサンス |
ムツゴロウの動物王国《畑正憲》 |
ランチェスター戦略入門《田岡信夫》 |
世界の歴史13絶対君主の時代 |
かぐや姫の誕生《伊藤清司》 |
市場参入戦略《田岡信夫》 |
日本の歴史3飛鳥の朝廷 |
谷崎潤一郎《野村尚吾》 |
テリトリー戦略《田岡信夫》 |
世界の歴史3中国のあけぼの |
マンボウぼうえんきょう《北杜夫》 |
代理店特約店戦略《田岡信夫》 |
続ムツゴロウの動物王国《畑正憲》 |
南極大陸の歴史を探る《木崎甲子郎》 |
竜馬がゆく《司馬遼太郎》 |
世界の歴史7大唐帝国 |
獅子《池波正太郎》 |
青春の北京《西園寺一晃》 |
世界の歴史11アジアの征服王朝 |
ムツゴロウの獣医修行《畑正憲》 |
岩倉具視〜中公新書 |
日本の歴史4律令国家 |
ことばと文化〜岩波新書 |
応仁の乱〜中公新書 |
戦場の村《本多勝一》 |
アダムの裔《小松左京》 |
日本の歴史1倭国の誕生 |
世界の歴史14明と清 |
奈良〜岩波新書 |
続々ムツゴロウの博物誌《畑正憲》 |
古典落語(続々々)《興津要編》 |
信虎《武田八洲満》 |
ムツゴロウの博物誌《畑正憲》 |
西域物語《井上靖》 |
日本人たちの神話《リングワルド》 |
スキーの科学《木下是雄》 |
さびしい乞食《北杜夫》 |
エロス《広瀬正》 |
覇王の家《司馬遼太郎》 |
北爆の下《本多勝一》 |
マイナス・ゼロ《広瀬正》 |
結晶星団《小松左京》 |
北ベトナム《本多勝一》 |
タイムマシンのつくり方《広瀬正》 |
生きている日本《ドナルド・キーン》 |
中国像の検証《中嶋嶺雄》 |
SEX探求〜bluebacks |
水底の歌《梅原猛》 |
幼年期《勝田守一》 |
はたして空間は曲がっているか〜bluebacks |
古典落語(続々)《興津要編》 |
文化と人類 朝日新聞社編 |
世界の歴史2古代オリエント |
古代東北の覇者〜中公新書 |
女の由来《E・モーガン》 |
同族の悲劇《三鬼陽之助》 |
歴史と人間 朝日新聞社編 |
切腹の話《千葉徳爾》 |
世界の歴史5ローマ帝国とキリスト教 |
日本の歴史6摂関時代 |
新しい重力理論《A・クライン》 |
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前回も書きましたが広瀬正のSF小説は本当に逸品です。若くしてなくなられたのがお気の毒です。
池波正太郎氏の『獅子』、これを読んで彼の小説を買いまくるようにならなかったのが不思議です。やはり私には、なるべくならば大衆娯楽ものに熱中したくない気持ちがありました。彼の作品を読みふけるようになるのはもっと先のことです。
本多勝一氏の作品や中公新書の『岩倉具視』、梅原猛氏の『水底の歌』、野村尚吾氏の『谷崎潤一郎』なんかが面白かった記憶です。もちろん、司馬遼太郎氏と北杜夫氏と畑正憲さんの作品は大好きでした。
このページが【写真3】です。
上の欄外に48.10.22結婚と書いてあります。
こちらはノートのサイズが大きくなっています。懐かしいです。
私は仙台で勤務、妻に迎える人は名古屋で勤めていたから、結婚前の交際は大変でした。
結婚後は社宅の適用が受けられなかったので、2年ぐらい自分で家を借りました。
当時、大会社といえども20代の大卒の社員の給料は、係長級の人よりもはるかに給料が低かったです。
今は大卒初任給は大卒10年経過の社員の給料に対してそんなに低くありません。10年間働いた者からみれば、腹が立つほど給料が接近しています。
生計手当がついた昭和49年分の給与所得の源泉徴収票の内訳が次です。
支払金額────────2,048千円
給与所得控除後の金額──1,386千円
源泉徴収額─────── 56千円
源泉税の少なさがいかに低所得であったかを物語っています。
総額2,048千円のうちボーナスは貯蓄と名古屋への帰省旅費と両親への給付に当て、更に、社会保険料などの給与引き去りがあるから、月給は手取りが8〜10万円です。
私は就職2年目から現在まで、お正月に必ず親にお年玉を出しています。
結婚初年度まで───────3万円
結婚2年目〜父が死ぬまで──7〜12万円
母ひとりになってから────7万円(私が年金生活者になってからは3万円)
なお、ワイフの親には2万円
住居は仙台市の助役をやっていた人の家の離れを借りたのですが、家賃が2万円でした。仙台は灯油代が嵩むし、もう、専業主婦をかかえて超貧乏生活をしていました。
私が親にお年玉を出すと言ったら、ワイフは(こんなに生活苦なのにふざけたことを言わないでよ)という雰囲気でした。
新婚当時は、残業が済んで、家に帰ることだけが楽しみでした。
次はかなり以前に書いた文章です。
さて、愛知県出身の女房に東北地方を紹介した新婚旅行が終わって、初めての出勤の日です。
妻に「いってらっしゃい」と声をかけられる愉しさ。
早く帰りたくても、仲間の手前、心を鬼にして8時半まで残業し、なおも残っている先輩たちに気が引けつつ家路につきました。
(上司は絵に描いたような猛烈サラリーマンで、「新婚さんの初日ぐらいは早く帰れ」とは絶対に言わない人だから恨めしい)
帰宅が遅くなっても、貧乏所帯で電話をひいていないから、遅くなることが連絡できません。女房は料理が冷えたのを眺めながらプンプンしているだろうな、と思いながら、バスを待ちました。会社から自宅の最寄りのバス停まで30分ぐらいですか。停留所からは歩いて10分ぐらいです。
人の姿が殆どない静かな路地、見上げれば寒空に満天の星。星のきれいな夜だから冷えがきついなあ、と思いながら家の近くまで来ると、暗闇の中に小柄なスカート姿が見えます。
こんな時間に、若い女が一人で突っ立っているなんて一体なんなんだ?と思って見ると、女房でした。
名古屋と仙台は全く気温が違います。特に夜の冷え方は違います。10月末です。風もありました。辺りは街灯もネオンも全くない暗闇です。そして、妻が佇んでいたところは、家からは少々離れたところです。
私は妻の声を聞き、大いに驚いて、何か凶事でもあったのかと心配しました。ところが、単に出迎えに出てきただけで、もう相当長い時間待っていたようです。
私は妻の行為を咎めました。でも、涙が出てくるのをこらえ切れませんでした。
……絶対この妻を不幸せにはしないぞ!……その時、そう心に誓いました。
妻の「さびしくてたまらなかったぁ」の声を聞き、結婚とはこういうことだったのか、とつくづく思いました。どんなに本を読んでも、こういうことはわかりません。
昭和48年秋の、一生忘れないシーンでした。もう30年経ちました。先月(03-12月)には長男に嫁を貰いました。
こういう思い出があるから、私は玄人の女としかファック遊びをしません。素人の女は、手を握ったことすらありません。
社会人5年目(S49)
社会人5年目(S49/4〜S50/3)、長男誕生の年です。
超貧乏生活をしていたことと、妊婦を抱えて何やらおろおろしていたこと、出産前2ヶ月及び出産後3ヶ月の合計5ヶ月間、夫婦の性生活のストップでよくセンズリをしたこと、それに、赤ちゃんが家族に加わったことによる育児騒動の思い出が記憶に残っていますねえ。
仕事としては、代金回収業務とリベートの管理を担当していました。東北全域の客先を相手にした仕事ですから、扱う金額は大きかったです。
販路の卸売り会社が東北6県にありました。監査で、青森、盛岡、秋田、鶴岡、山形、会津若松、郡山の各地の会社を廻ったのが楽しい思い出になりました。
リベートのEDP化を企画して、インテック(機械計算業務受託)と折衝し、営業部門の説得に努めたのがこの頃の一番の思い出です。
この仕事が、私がEDPSに強くなったきっかけでした。
暗い波濤《阿川弘之》 |
続地球の科学《竹内均》〜NHKブックス |
科学常識の盲点〜bluebacks |
春の城《阿川弘之》 |
生命の歴史《佐藤磐根》〜NHKブックス |
随筆黒い手帖《松本清張》 |
戦艦武蔵《吉村昭》 |
遠い接近《松本清張》 |
透明受胎《佐野洋》 |
1914年8月《ソルジェニーツィン》 |
皿倉学説他短編《松本清張》 |
中央流沙《松本清張》 |
日本の歴史5古代豪族 |
或る小倉日記伝他短編《松本清張》 |
山本元帥!阿川大尉が参りました《阿川弘之》 |
核融合への挑戦〜bluebacks |
人間航空史〜中公新書 |
大岡越前守忠相〜岩波新書 |
日本の歴史10蒙古襲来 |
黒い樹海《松本清張》 |
大日本帝国の興亡全5巻《ジョン・トーランド》 |
装飾評伝他短編《松本清張》 |
巨人の磯・礼遇の資格・内なる線影他《松本清張》 |
別冊黒い画集・ミステリーの系譜《松本清張》 |
中国の歴史9 |
死の枝《松本清張》 |
日本の歴史7院政と平氏 |
古代史疑・古代探求《松本清張》 |
歪んだ複写・不安な演奏《松本清張》 |
日本歴史を点検する《海音寺・司馬遼太郎》 |
北の詩人・象徴の設計・小説帝銀事件《松本清張》 |
無宿人別帳・彩色江戸切絵図・ |
紅刷り江戸噂《松本清張》 |
女性の論理《外山滋比古》 |
考える技術書く技術《板坂元》 |
かげろう絵図《松本清張》 |
カメラとレンズ〜アサヒカメラ教室5 |
日本の歴史11南北朝内乱 |
突風(短編集)《松本清張》 |
日本の歴史8王朝貴族 |
棋士その世界《中平邦彦》 |
表象詩人・山の骨《松本清張》 |
人間であること〜岩波新書 |
ムツゴロウのため息《畑正憲》 |
人物日本の歴史19維新の群像 |
数学入門上〜岩波新書 |
深層海流・現代官僚論《松本清張》 |
谷崎潤一郎全集第6巻 |
数学入門下〜岩波新書 |
喪失の儀礼・強き蟻・聞かなかった場所《松本清張》 |
人類生物学入門〜中公新書 |
古典落語(大尾)《興津要編》 |
日本の歴史14戦国の動乱 |
安土往還記《辻邦生》 |
血と血糊のあいだ《網綱謙錠》 |
人物日本の歴史9戦国の英雄 |
ゼロから無限へ〜bluebacks |
地の骨《松本清張》 |
天保図録 上中下《松本清張》 |
零の発見〜岩波新書 |
人物日本の歴史1飛鳥の悲歌 |
青春の門筑豊編・自立編・放浪編《五木寛之》 |
数学の思想《村田・茂木》 |
昭和史発掘《松本清張》 |
中原誠名人への棋譜《三浦昇》 |
日本語をさかのぼる〜岩波新書 |
夜のドンキホーテ《五木寛之》 |
日本の歴史9鎌倉幕府 |
日本の歴史12中世武士団 |
にっぽん退屈党《五木寛之》 |
相対論的宇宙論〜bluebacks |
さまよえる歌集《梅原猛》 |
日本の歴史15織田豊臣政権 |
高天原の謎《安本美典》〜講談社 |
最後の隠密《小松左京》 |
小説日本芸譚《松本清張》 |
水の科学《北野康》〜NHKブックス |
魔女の標的《平井和正》 |
指揮官《児島襄》 |
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日本の歴史13室町幕府 |
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中学2年から読書記録をつけていて、このノートを元に各年度に私が読んだ本を紹介しています。
ただ、読んだ本でも、ノートに記録していないものがあります。それは次です。
(1) エロ小説
(2) 雑誌(中央公論、文藝春秋、オール讀物などを含む)
(3) 教科書・参考書
(4) 大学で専攻した学問に付随して読んだ本
(5) 仕事で直接必要が生じて学習した本
(6) 既に読んだことのある本
(7) 拾い読みした本
まっ、この中でエロ小説は多かったですねえ。国産、外国物、古典、随分買いました。
拾い読みした本には、マルクスとかエンゲルスとかマックス・ウェーバーとかありました。名著といわれるものでも、完読できなかったものはあります。和辻哲郎氏の『風土』とかが思い出されます。私は昔から『くそ真面目』が苦手です。
この年は松本清張さんの作品を読みまくっています。氏の江戸物を読んで、歴史の造詣の深いことに驚きました。
この年に読んだもので感動の作品は阿川弘之氏の『暗い波濤』『春の城』ですね。
私からの推奨本は、『大岡越前守忠相』『数学入門』『零の発見』(以上岩波新書)、『高天原の謎』(講談社現代新書)、『水の科学』『生命の歴史』(以上NHKブックス)です。
社会人6年目(S50)
前年の社会人5年目の年、私はようやく社宅への入居を許され、妻が出産のため入院している最中に、引っ越しました。
家財道具に本やスキー・登山の道具、とにかく物がいっぱいあって、仙台市内での引っ越しであろうと、私一人では箱詰め作業が大変でした。
でも、家賃の負担がぐーんと楽になったのが嬉しかったです。2万円が6千円になったから、現在の経済環境で言うと、月給24万円の妻帯者(専業主婦)の支払家賃が8万円から2万円になり、なおかつ居住面積が倍になったようなものです。
長男が誕生し、6年目の年(S50/4〜S51/3)は、家族三人が鉄筋コンクリートの建物で暮らしていました。
それまで住んでいた一軒家の貸家は、狭い上に、真冬には家の中で霜が降りるような、機密性の全くないあばら屋でした。それと比べれば断然に機密性があります。上の4階の部屋と下の2階の部屋と左右の部屋からも暖房が伝わるというのは、まるで極楽浄土に来たような気分でした。
しかし、冬が暖かく過ごせるようになった代わりに、鉄筋コンクリートの箱は湿気がひどく、押入にしまった物が痛みました。赤ん坊の泣き声が随分部屋の中で響いたという記憶です。
人は城人は石垣《F・ギブニー》 |
日本の歴史18大名 |
産霊山秘録《半村良》 |
特攻の思想大西瀧治郎伝《草柳大蔵》 |
吾輩はガイジンである《F・ギブニー》 |
ふところ手帖《子母沢寛》 |
日本の歴史16江戸幕府 |
平家伝説《半村良》 |
舷燈《阿川弘之》 |
地球は寒くなるか |
石の血脈《半村良》 |
閉ざされた言語 日本語の世界《鈴木孝夫》 |
棋士銘々伝《藤沢恒夫》 |
カーテン《A・クリスティ》 |
司馬遼太郎全集32評論随筆集 |
人面の猿《佐野洋》 |
利根川と淀川〜中公新書 |
白夜草子、野火子他《五木寛之》 |
英雄伝説《半村良》 |
日本古代史の謎 朝日新聞社編 |
けものみち《松本清張》 |
日本の歴史22天保改革 |
ムツゴロウ麻雀記《畑正憲》 |
日本の歴史19元禄時代 |
楽園伝説《半村良》 |
家族八景《筒井康隆》 |
国際交渉〜中公新書 |
黄金伝説《半村良》 |
天皇〜全巻《児島襄》 |
木精《北杜夫》 |
越前一乗谷《水上勉》 |
ムツゴロウの雑居家族《畑正憲》 |
播磨灘物語《司馬遼太郎》 |
五匹の子豚《A・クリスティ》 |
事件の社会学〜中公新書 |
日本の歴史20幕藩体制の転換 |
空海の風景《司馬遼太郎》 |
アムステルダム運河殺人事件他一編《松本清張》 |
わるいやつら《松本清張》 |
死神伝説《半村良》 |
法医学ノート〜中公新書 |
不可触領域《半村良》 |
ブラックホール宇宙の終焉〜bluebacks |
陰翳礼讃、懶惰の説他《谷崎潤一郎》 |
日本の歴史23開国 |
十番目の惑星〜bluebacks |
いたずらの天才《A・スミス》 |
不思議の国ニッポン《ポール・ボネ》 |
日本の地名《藤岡謙二郎》 |
回転扉《半村良》 |
データ通信システム《上野滋》 |
日本の歴史17鎖国 |
日本の歴史21町人 |
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この年に読んだ本で印象深いのは、児島襄氏の『天皇』と、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』、前者は大作です。
一番印象に残っているのは、阿川弘之氏の『舷燈』ですね。この作品は、亭主のエゴと夫婦関係のドロドロした部分をえぐり出しています。内容にショックを受けたし、結婚して3年目の私には、胸の痛むことが多々ありました。
氏の他の小説とはずいぶん毛色の違うことにも驚きました。これは講談社から文庫本で出ているので、読んでいない方は是非読まれることをお勧めします。
表を眺めると、半村良さんの作品を随分読んでいます。氏の小説は大変読みやすい娯楽小説です。この年に読んだ本は軽く読めるものが多いし、読書量も少ないです。
夫婦で子育てしておればそうなりますよねえ。
社会人7年目(S51)
昭和49年秋に赤ん坊ができると、それから数年間は育児騒動であまり本が読めなくなりました。赤ん坊の泣き声、それも自分の子の泣き声というのは、完璧に読書を妨げます。
それにしても、初めての育児は本当に大変です。悪戦苦闘している女房の姿を見ておろおろするだけですがね。
社会人7年目の年とは、昭和511年です(S51.4〜52.3)。この年もそれほど本を読んでいません。
実は、この年私は経理部門からEDP部門へ転出しました。伝票いじりと集計だけの経理の仕事なんて男子一生の仕事ではないと考え、転出希望を出して認められました。
不況が来て間接部門削減の流れの中で異動したのですが、EDP部門に移ると、もう、IBMのパンチカードシステムの時期からは8年ぐらい経過していて、物流の上でもオンラインリアルタイム処理が脚光を浴びるようになっていました。
しかし、所詮地方の小拠点だから、SEの仕事も、コンピューターの運営の仕事も、ソフト制作の仕事も無関係で、入出力に関与するだけです。知的作業の感覚が全くなくて、ここもくだらない仕事であることには変わりないと思いました。
何をやっても仕事がくだらなく思えるのは、仙台という地方都市の、要するに出先の小事務所(とは言っても、そこいらの会社の本社よりはでかい)で働いていて、本社の指示を忠実に実行しているだけ、その上、何も事件が起きないからだ、と理解しました。
サラリーマンが腕を磨けるのは、事件とか重要なプロジェクトに関わるからです。そういうテーマにぶち当たった時に、専門知識と問題対応力、要するに判断力が身につきます。
地方都市の事務所で、貸倒とかビッグプロジェクトとか何も事件がない平穏無事な会社生活が続いては、全く専門知識が身につきません。度胸も判断力もつきません。自分が何を知らないのかということも、自分が何を学ぶべきであるかということもわかっていないのです。当然企画的思考とも無縁です。
昭和45年入社の私は、7年目ともなると、本社などの重要な拠点で仕事をしている同期生と、サラリーマンとしての力の差があることをひしひしと感じていました。
そもそも私は仙台に赴任しても、一流大学出身で、名古屋から来ているのだから、そこにいるのは5年ぐらいだろうと考えていました。
ところが社内の同期や2年3年先輩の人事を見ていると、5年で勤務地を移動するようなケースが殆どありません。それどころか、仙台の事務所で働く大学出の先輩を見ても、係長や課長になるまで、配属以来そこにいるという人ばかりなのです。
私は親にも、ワイフにも、「仙台にいても5年ぐらいで、次は東京、大阪、名古屋辺りだ」と言っていたので焦りはじめました。
それで、私は、経理部門に復帰したい、それも本社などの難易度の高い事業所で経理らしい経理の仕事をやりたい、と考えるようになりました。
如何にしたら、より重要な拠点に替われるか、その方策として頭に浮かんだのが、税理士試験に通っておくことです。
要するに、箔をつけ、同時に、意欲があることを周囲に知らしめ、より格の高い勤務部門への転勤・抜擢を狙うのです。知識欲とともに打算の心も充分にありました。
私は、乳飲み子がいても、家事の協力はあまりせずに入社7年目の春、猛然と勉強を始めました。そして、簿記・財務諸表論・法人税・相続税などを独学で勉強して、ようやく『経理』というものがわかった気になりました。
昭和51年夏ロッキード事件で田中元総理が逮捕されたというニュースは、税理士試験の会場の東北学院大学で聞きました。
証明、新開地の事件他《松本清張》 |
歴史と視点《司馬遼太郎》 |
瘋癲老人日記《谷崎潤一郎》 |
生きざま《柴田錬三郎》 |
新西洋事情《深田祐介》 |
新々訳源氏物語《谷崎潤一郎》 |
魔女街《半村良》 |
日曜日の物理学〜bluebacks |
亜空間要塞《半村良》 |
闇の中の黄金《半村良》 |
日本語と国語学 |
源氏物語〜岩波新書《秋山虔》 |
日本列島〜岩波新書 |
西洋交際始末《深田祐介》 |
王朝女流文学の世界《秋山虔》 |
記憶のメカニズム《高木貞敬》 |
炎の陰画《半村良》 |
源氏の女君〜塙新書《清水好子》 |
日本語をさかのぼる〜岩波新書 |
私は河原乞食考《小沢昭一》 |
紫式部〜岩波新書《清水好子》 |
軍艦長門の生涯《阿川弘之》 |
およね米吉時穴道行《半村良》 |
【昭和52年4月以降】 |
米内光政《実松譲》 |
わがふるさとは黄泉の国《半村良》 |
源氏物語私見《円地文子》 |
翔ぶが如く《司馬遼太郎》 |
妖星伝《半村良》 |
詭弁論理学《野崎昭弘》 |
吉原哀歓《今東光》 |
なぜコンピュータを使うのか《岩尾達男》 |
獣人伝説《半村良》 |
ホワイトハウス〜岩波新書《山田進一》 |
天文学入門《I・アシモフ》 |
決算書の読み方《辻敢》 |
高台の家《松本清張》 |
胎児の環境としての母体〜岩波新書 |
続不思議の国ニッポン《ポール・ボネ》 |
花実のない森《松本清張》 |
知的生活の方法《渡部昇一》 |
渡された場面《松本清張》 |
史談蚤の市《村雨退二郎》 |
新東方見聞録《ポール・ボネ》 |
遠くからの声、殺意の反射、尊厳、市長死す他《松本清張》 |
日本語の作文技術《本多勝一》 |
ドイツ参謀本部〜中公新書 |
長安から北京へ《司馬遼太郎》 |
保険に強くなる本《笠原長寿》 |
眼の気流、暗線、結婚式、たづたづし、影《松本清張》 |
歴史の中の地図《尾崎秀樹》 |
鍵《谷崎潤一郎》 |
塔《梅原猛》 |
超高圧の世界〜bluebacks |
甘えの構造《土居健郎》 |
猛然と勉強を始めた結果、やはり読書量が減りました。そして、中学2年生の新学期から書き込みを始めた読書記録は17年間続けていましたが、昭和52年4月の末日に土居健郎氏の名著『甘えの構造』を記録したところでとうとう停止しました。
何事も起こらなかったら、私は税理士の勉強がおちついたところで多分読書記録を復活させただろうと思います。
しかし、昭和52年は耳垂れと耳鳴りがひどくなって、12月に真珠種中耳炎の手術のために入院してしまいました。
更に、見事に私の目論見通り、東京の本社の経理部門で全社経理マンの人事を企画する要職の方に「仙台で何やら一生懸命勉強しているやつがいるようだ」と目にとまり、───耳が悪いそうだけれど、一度使ってみるか───ということになりました。
退院して会社に出るや、上司から経理中枢部門への転出の人事の内示を受け、びっくりしました。
というわけで、昭和51年から53年にかけていわば人生がすっかり変わってしまいました。
さすがに、読書記録が中断したままになりました。
今32年前のこの人事を振り返ってみる。
私は仙台のEDPS要員だから、EDPS部門から本社経理に私の勉強ぶりについてわざわざ知らしめることはない。
仙台の経理部門は、私が上司にあれこれ言う男だから私を疎んじてEDPS部門に転出させた。従って、仙台の経理部門から私の勉強ぶりや私の経理での再活用について本社経理に好意的にPRすることはない。
また、仙台の経理にとってEDPS部門はとても大切だから、仙台のEDPS部門を強化するために私をそこに置いておきたいと思っていたに違いない。
となると、本社経理が先に私に目をつけていて、私の動静について、私に好意的であった先輩などに照会したのだろう。
私は経理部門にいた時は全社の担当者レベルの会議などで積極的に発言し、気の利いたことを言うように努力していた。
全社経理マンの人事を企画する要職の方というのは、次長と課長がいて、次長は「耳の遠い者など本社で使うな」と言ったけれど、課長が「見込みのあるやつだから」と言って押し切った。
このことは転任して5年後に聞いた。私は、この課長であった方が人生最大の恩人だと思っている。仙台に15年も20年もいる必要がなくなったし、でかい仕事をやらせて貰えたからだ。
私は、自分の人事は、若いうちなら自分で企画・実現できると思っている。
ここに掲げた一年一ヶ月の期間で読んだ本の中で特に印象に残っているのは、阿川弘之氏の『軍艦長門の生涯』、渡部昇一氏の『ドイツ参謀本部』、講談社 bluebacksの『超高圧の世界』、秋山虔氏の『源氏物語』、土居健郎氏の『甘えの構造』ですね。
どれも大変面白いから、読んでいない方は是非読まれることをお勧めします。
結局、昭和52年5月以降は何も記録を残していないし、平成13年に至って蔵書の殆どを処分したので、30代40代に自分がどんな本に感激していたかについてはあんまり憶えていません。記憶をたぐる手がかりが消えると、記憶なんていうものはきれいさっぱりなくなるものです。
昭和52年以前(=10代20代)には殆ど読んでおらず、それ以降によく読んだものを作者名で挙げれば次の通りです。
池波正太郎、津本陽、永井路子、宮城谷昌光、塩野七生。
勿論それまで読んでいた、梅原猛、司馬遼太郎、松本清張、谷崎潤一郎、児島襄、阿川弘之、半村良、山本周五郎、山岡荘八、北杜夫などの諸氏の作品も大変好んでおりました。
皆さんには、私のように読書記録をつけることをお勧めします。10年も前の自分の思考を、これをキイにして振り返ることができるのは、必ずや為になります。(副次的には、一度買った本をまた買ってしまうことが少なくなります)
以前に書いた文章を掲げます。
私は昭和45年5月から昭和53年6月まで仙台に住んでいました。昭和48年秋には所帯を持ちました。
共稼ぎをしていない夫婦にとっては、年数回の名古屋の実家への往復旅費がつらかったです。それに、妊婦或いは乳児を連れて長旅をすることがとても大変でした。
その頃まだ東北新幹線が開通してないから、時間的にも大変で、仙台の住居から名古屋の実家までは、8時間かかりました。国内の移動なのに殆ど日中がまるまるつぶれました。
もう何度も上野駅から東京駅まで山手線に乗りました。赤ん坊ができてからは、上野駅と東京駅の2回の乗り換えが一層鬱陶しかったけれど、里帰りをする愉しさというのは、何物にもまさります。
私がそうでしたから、愛知県から、知人が全くいない仙台まで嫁に来た妻にとっては、嬉しさがひとしおだったでしょう。
東北新幹線ができるのを首を長くして待っていました。
しかし、私が仙台にいる間にはとうとう新幹線が開通せず、東京への転任を申し渡されました。
仙台から引っ越す時は、夕刻に荷物を積んだトラックを見送ってから社宅を出て、家族三人で仙台駅前のビジネスホテルに泊まりました。同地での最後の夜は大いに感傷的な気分になりました。
その後仙台に出かける用事がなかったから、私は長く、社会人としての出発点となったその地を訪れることがありませんでした。
たまたま、平成15年3月に用件ができまして、久し振りに仙台を訪れました。
町並みは本当に立派になっていました。様変わりです。
街路樹は昔と変わらず立派で、地下鉄もできています。一番町、稲荷小路、国分町、定禅寺通あたりをぶらぶらと歩いて、20代の頃を懐かしみました。
昔の知り合いの人たちに会うと、どうにも感傷的な気分になりました。
その次の思い出は、仕事で東北六県をよく廻ったことです。名古屋生まれ名古屋育ちの私には東北はすべて物珍しいところです。
私は経理をやっていたので、販路に対して業務監査や業務指導によく出かけました。青森市、盛岡市、郡山市、会津若松市、山形市、秋田市、鶴岡市、こういうところにある販路の子会社によく出張しました。
青森、秋田、会津若松市、鶴岡市と、仙台から国鉄で4時間かかるところばかりで、本当に出張は大変でした。真面目な会社ですから、出張しても浮いたことは何もなかったのですが、いろんな景色が見えたのはよかったと思っています。
岩手山を背景にして北上川を抱えた盛岡の街並みの風情、街中に湧き水の清流が流れている米沢、古びた街並みの景色が良い会津若松、いずれも胸がときめくような素晴らしい街です。
遊びの思い出はやはり登山とスキーです。
山は、栗駒山、八幡平、秋田駒ヶ岳、鳥海山、月山、会津磐梯山、安達太良山、大東岳、蔵王山、吾妻山系に登りました。安達太良山と会津磐梯山が特に好きでした。
安達太良山と会津磐梯山は、冬や5月でも登りやすいのが結構です。標高が大してなくても、東北の山だから5月でも積雪が多くて、充分雪山登山の雰囲気が愉しめます。
東北の登山は温泉が必ず付随するから結構です。乳頭温泉や蔵王の蛾々温泉なんて良かったです。大手の温泉では、白布温泉、鬼首温泉などですね。
今でも残念に思っていることは、早池峰山と岩手山と岩木山に登っていないことです。
スキーは登山以上に夢中になりました。私はスキーというのは、学生の時に伊吹山に日帰りで2度行っただけです。殆ど滑れない、というか、止まり方がわからない状態で仙台に行きました。
いくら運動神経が零点でも、好きで一生懸命やっておれば、スキーもうまくなりました。
メモを見ると、結婚するまでにスキーに出かけたのは次の通りです。( )内はスキーを楽しんだ延べ日数です。結構お金を消費しています。
S46/1〜4月 |
安達太良山(1) 泉岳(5) 山形蔵王(3) |
S46/12〜S47/5月 |
宮城蔵王(3) 銀山温泉(3) 山形蔵王(12)
面白山(2) 天元台(3) 月山(2) |
S47/12〜S48/3月 |
宮城蔵王(1) 山形蔵王(9) ← 結婚のための諸活動で回数減 |
仙台から山形蔵王というと、結構時間もお金もかかるんですよ。
なお、結婚後は、あまりの貧乏さにスキーも登山も殆どやらなくなりました。今は、初任給も、たとえば25歳程度の者の給料も随分高くなったけれど、当時は、見事に安月給だったし、借家代がつらかった。(その頃は、25歳の者と課長になっている者との給料差が大層ありました)
それに、仙台においては天涯孤独に等しい妻を独りで家に残して、自分だけレジャーを愉しむことはしにくいです。私はそんな身勝手な性格ではありません。
結婚というものは、ある意味ではとってもつまらないものです。私は、独身の時は、旅と登山とスキーを徹底的に楽しんでいました。ところが、結婚すると、そんな本来的な愛着ある趣味はパーです。
好きな読書も、その最中に妻に話しかけられ、邪険にするとむくれられ、この趣味もパーです。月に4回か5回の夜の営みの時に重要な存在になって、後は、ひょっとすると、邪魔に思う時もある同居人です。
重大な愛情の対象ではあっても、それと同時に、自分がそれまで熱意を注いでいたものがかなりパーになってしまったのは、やっぱり大いなる打撃です。
なお、結婚後は女房を連れて二人で行楽に行けばいいのではないかと思われるでしょうが、すぐに妊娠、そして育児で、当然パーです。
私は、本州でスキーに行くとしたら、5月は月山、その他の月は山形蔵王が一番いいと思います。
北海道のスキー場については藻岩山以外は全く知らないですが、登山で雪山にもよく入りましたから、中部のスキー場のことは大体見当がつくし、一応の比較ができます。
その上で、山形蔵王が最高、次が秋田駒ヶ岳、八幡平、磐梯山あたりだと思います。北海道のスキー場ではあまりにも寒すぎます。
なお、山形蔵王は宮城蔵王と比べても、景色・雪質等の点で段違いです。
私は独身の時には、登山・スキー・ちょっとした小旅行などの行楽で、会社の女子社員も加えて宿泊や日帰りの遠出をしたことがかなりの回数あります。
いつも発案者になって皆をつれていきました。男だけで行くことなんて登山以外はないです。スキーにしてもハイキングにしても、男は私一人か、もう一人加え、女は2名程度です。
女は私より二つから四つ若い子で、それこそ嬉々としてついてきました。でも、私が引っ込み思案だから、結局ファックはなかったです。手を握る勇気すらありませんでした。
でも、ソープやヘルスの店に入り浸っているよりははるかに結構でしょう。
昭和40年代、名古屋に住んでいてスキーを楽しむ若者というのは、お金持ちの御曹司だけでした。でも、仙台ですと、貧乏人でもスキーができます。雪さえ積もれば好きな時にスキーができるというのはとっても愉しかったです。
もっぱら行楽でよく遊んでいましたが、結婚前も結婚後も月給の範囲内で費消し、ボーナスは極力貯蓄に回していました。
その当時、一つ思っていたことがあります。
それは、宮城県人と愛知県人とが似ていることです。共に、東京人のようなスマートさに乏しくて、大阪人のようなユーモアがなくて、まじめで実直、時に狡猾、そして、引っ込み思案、冠婚葬祭に見栄を張る、世間体を気にする、共に、尾張名古屋だ、伊達仙台だ、と意識している、こんなことです。
ただ、人口比で考えると、本屋は名古屋より仙台の方が立派でした。
私が勤務していた事務所では、宮城一女、宮城二女、宮城三女の出身の女の子がたくさんいました。当時は、女子が大学へ行くのは邪道のような雰囲気がありましたからね。これらの高校は、名古屋で言えば、旭丘、明和、菊里のようなものです。(歴史では、明和が愛知県立第一女子高、菊里が名古屋市立第一女子高です)
男性社員は、東北大とか福島大とかの出身もいたけれど、仙台商、郡山商、青森商、福島商、秋田商、盛岡商などの高卒社員もたくさんいました。いずれも学年順位が立派な人たちばかりで、家庭が裕福、もしくは親が教育に熱い心を持っていたなら、普通課程の高校へ行って、旧帝大といわれるようなところや早稲田・慶応クラスに入っていたと思われるような連中ばかりやと思います。
高度経済成長の時代で、皆やる気満々の若武者たちの中で会社生活を送っていたのでした。
私は仕事が嫌で嫌でたまらず、独身時代は登山とスキーとおまんφのことばかり考えながら、読書にいそしんでいました。
(千戸拾倍 著)