S36. 8(2)美ヶ原<長野県>
:中学3年
S37. 8(2)茅野→天狗岳<八ヶ岳>
S38. 2(2)御在所岳→鎌ヶ岳<鈴鹿山系>
S38. 8(4)燕山荘→大天井岳→槍ヶ岳→上高地→前穂高岳→上高地<北アルプス>
S39. 8(1)西穂高岳、御岳山、乗鞍岳
:高校3年
次は
【この頃の写真】
余談:
上高地で撮った。この翌日に一人で西穂高岳に登った。
カメラはドイツ製で、当時日本に数台しかないとその持ち主(撮影者)に聞いた。
写真屋にフィルムを持ち込むと写真屋が驚いたという代物だ。
横幅30cmぐらいにしてプリントしてあったものをデジカメで撮った。懐かしい青春の思い出だ。
S39.11(2)藤原岳→御池岳→白瀬峠<鈴鹿山系>
S40. 5(7)大冷沢→赤岩尾根・鎌尾根→鹿島槍ヶ岳<北アルプス>
山岳部初山行
初めて信濃大町駅に降り立った。
キスリングの重さと長いアプローチに参った。当時は現在よりもうーんとアプローチが長かった。
雪が多かったし、寒かった。雪上歩行の練習、ピッケルの使い方の指導を二日間たっぷり受けた。
後立山の稜線に上がると、荘厳にして壮麗、ものすごい景色が現れた。立山連峰、そして、剣岳だ。
S40. 7(4)木曽駒ヶ岳
S40. 7(多)剣岳(7/16〜7/27)<北アルプス:雪渓登攀と岩登り>
S40. 8(3)針の木雪渓→北葛岳→烏帽子岳→双六岳→笠ヶ岳<北アルプス>
S40. 9(5)釜沢→広河原→荒川小屋→大河原<南アルプス>
S41. 3(5)木曽駒ヶ岳
S41. 3(多)中崎尾根→西鎌尾根→槍平<北アルプス>
S41. 5(多)岳沢→西穂沢→西穂高岳→上高地<北アルプス>
S41. 6(1)愛知川→黒谷<鈴鹿山系:遡行>
S41. 7(多)剣岳(7/16〜7/31)<北アルプス:雪渓登攀と岩登り>
S41. 8(4)室堂→五色ヶ原→平の渡し→東沢出合→赤牛岳→槍ヶ岳→上高地<北アルプス>
☆☆
S41. 8(2)白馬岳<北アルプス>
S41.10(3)白馬岳→朝日岳→北又小屋<北アルプス>
☆☆
S41.11(多)田の原→御岳→黒沢
S42. 1(3)御池岳→藤原岳→静ヶ岳→宇賀渓<鈴鹿山系>
S42. 3(7)黒薙温泉→突坂山→猫又山→清水岳→白馬岳→白馬大池<北アルプス>
S42. 8(3)来海沢→海谷→732高地→雨飾山→梶山新湯<沢登り・長野県>
S42.10(2)雷鳥平→別山→剣沢小屋<北アルプス>
S43.10(2)燕岳→大天井岳→常念岳→蝶ヶ岳<北アルプス>
S44. 7(1)利尻岳、旭岳、羅臼岳、雌阿寒岳、十勝岳、富良野岳<北海道各地>
S44.10(1)日野春→横手→黒戸山→甲斐駒ヶ岳→仙水峠→仙丈岳→丹渓山荘<南アルプス>
☆☆
S45. 5(1)峨々温泉→かもしか温泉→熊野岳→刈田岳<宮城県→蔵王>
:社会人初年
S45. 7(2)岳温泉→安達太良山→鉄山→鬼面山<福島県>
☆☆
S45. 8(2)鉾立→鳥海山→湯の台温泉、乳頭温泉→乳頭山→湯森山→秋田駒ヶ岳→横岳<秋田県>
☆☆
S45. 9(1)蔵王・五色岳<宮城県>
S45.10(1)<吾妻縦走>浄土平→一切経山→家形山→天元台<福島県>
☆☆
S45.12(1)岳温泉→安達太良山<福島県>
これが私の青春だった。身長 154cm、体重49Kgのひ弱な体で、急峻な雪渓登攀とロッククライミング、そして、内省の心に終始する単独行、こういうものに励んでいた。
3月 3日 大勢の見送りに送られ、期待と不安を胸の内に抱きながら出発するのはいつものこと。
4日 曇後小雪
富山地鉄からの、朝日に映える剣岳北方稜線は美しい。宇奈月に入れば、我々がはじめての入山者とのこと。ここから黒部峡谷鉄道のトロッコ列車の軌道を歩く。長い長いトンネル歩きで、雪崩の心配はない。足元が悪いから、トンネルの暗闇の中の歩行にケッコウ疲れる。
11.10 黒薙温泉着 黒薙川を見下ろしながら昼食をとり、北又谷に想いを馳せる。1,100m地点に、私を含めて5人のメンバーでデポ、急な登りであった。
デポとは、あらかじめ食料だけ高い地点に運んでおくことをいう。
5日 雪 沈殿 東工大の山岳部のパーティのテントが小屋のそばに見られる。
沈殿とは、停止状態・足止めをいう。宇奈月で、我々がはじめての入山者と聞いたから、東工大のパーティは入山届を出していなかったのかな?
6日 小雪
東工大の人と共に軽い荷物でデポ地点に上がる。そこで、小屋に肉を忘れたことに気がつき、V氏が取りに下りる。バテバテと突坂山(1503m)を越えると、早くも健脚のV氏が追いつき、東工大の設営地点を見て雪洞を掘る。
私を含めて4名がテントで寝て、残りの3名が雪洞で寝た。1400m地点。
標高1000m台でも、黒部の谷あいはさすがに雪が深く、大変な登りであった。積雪量があっても高度が低いから、雪洞は中が湿ってかなり不快であった。
7日 曇後風雪
出発するやすぐにアイゼンを履いて、六ヶ所のフィックス地点を抜く。(フィックスとは、安全のためにザイルを渡したところをいう)
ぞーっとするほど右も左も谷に切り落ちているカミソリエッジ、急登急降下が続いた。カミソリエッジの様々なピークの登りはしょっぱい。(しょっぱいとは、冷や汗ものの意。ナイフエッジの稜線である上に、雪が柔らかかったから、足場の雪ごと崩落する危険もあって、ザイルを張ったのが六ヶ所もあったので、腋の下にたっぷり汗をかいた)
尾根筋がなだらかになり、降雪が激しくなった昼時に、タンネを一杯にして雪洞を造る。テントは一応張ったが、七人全員が雪洞で寝た。1500m地点。
タンネはもみの木。雪洞作りにはなかなか時間がかかる。この日は気温が下がり、前日のような融雪はなかったけれど、その代わり、むちゃくちゃ寒かった。
8日 曇後快晴
楽な稜線に変わり、猫又山(2308m)を一路めざす。振り返れば、剣岳北方稜線が素晴らしい。剣尾根、八つ峰のスカイライン。右手には槍ヶ岳も見える。
猫又山の登りにかかる頃からわかんじきのダンゴが強烈。天気が良すぎる。(わかんじきは、深い積雪地を歩くときに使うもの。雪温が高くなって、わかんじきに雪のダンゴができて往生した)
フルに動くが、猫又山は越えられず。2100m地点に設営。
出発の日から7日まで、強い冬型の気圧配置であったが、8日になってようやく崩れた。
9日 曇 ガス及び風強し
15mの風の中を、猫又をまき、2500m地点まで兎に角上がる。清水岳(2603m)は越えず。半日かけて快適な雪洞を掘る。3時半頃には天気も良くなり、明日に期待をかける。
10日 風雪 沈殿
この日エッセン当番なる故に、雪洞の端に寝ることになり、寒くてなかなか眠られず。ホットケーキを二箱開けて、実にうまかった。
10日は前線が通過し、悪天候だった。雪洞での寝る位置はじゃんけんで決めて、負けた者はがっかりする。内側で寝るのと端で寝るのとでは熟睡の程度がかなり違う。端で寝るとかなり寒い。
エッセン当番とは食事係のこと。ホットケーキを持っていったのは食料係だった私のアイデアだった。出発前には先輩たちに不評だったけれど、食べてもらったら大好評だった。
11日 風雪 沈殿
凍傷にかかって痛い。日程が遅れていて、白馬鑓ヶ岳attackは断念することになった。9時の天気図には、高気圧もちらほら見えるようになり、13時でも大変ガスが濃かったので、明日の天気の回復に期待する。
また冬型の気圧配置となり、兎に角悪天候が続いた。
12日 曇後晴 11時までは非常に風強し
前日の天気図より好天を期待して2名のエッセン当番は2時に起床した。しかし、曇天で強風であった。日数も迫っているので、兎に角5時前に出発した。
とても気象条件が悪く、視界はそれこそ1m、少し歩んだだけで、凍傷にかかりそうになる者多し。その時一年部員のY君が腹痛を訴え、急遽下山することに決定。
Y君の病気のことを考え、更に、食料の残りも少なくなった(先の行程箇所にデポした食料品の回収ができていない)ので、適当数を先に下山させようとリーダーが決めた。
先行下山メンバーに私を含め三名が選ばれ、早々に強風の中を出発。昨日あんなに近くに見えた白馬岳が馬鹿に遠くに見える。急なアイスバーンが続き、後輩のX君を気遣いながら清水岳を越えると、意外にも東工大のテントがあった。
兎に角猛烈に寒くて、顎が凍り、また、時には意外に深い雪に足を取られて苦労する。やっとのことで旭岳の手前まで辿りつく。視界が晴れると、イヤな感じの、どす黒い雲が遠くに列をなして浮かんでいる。
旭岳(2867m)のピークをまこうまこうと思っているうちに、結局ピーク近くまで達した。一年部員のX君がバテている。
後立山の稜線への(ホワイト現象で)おぼろげな尾根の急な側面を下りる。バテバテと小屋に這い上がれば、20分の休憩も充分長い。初めての休憩らしい休憩だった。(それまでは強い風に晒されていて休憩どころではなかった)
白馬岳の稜線からは、風が強いだけに石ころが出ているところが多く、夏道もはっきりしていて、アイゼンがすり減るかと胸を痛める。
見下ろせば、大糸線が走っているあたりも雪化粧。右や左に眼をやりながら、バテバテと小蓮華岳を下る。乗鞍岳の登りが実につらい。それを忘れんものと天狗原へシリセードを試みるもなかなか滑らず。(シリセードとは、斜面の雪面に尻をついて滑り降りること〜尻制動)
更にバテバテと落倉をめざす。夜になって冷えたのと、スキーで踏みかためられたのとで、道は歩きやすく、夕闇と星空を愉しむ。しかし、Z君は下りの強行軍で膝を痛め、僕は痔が痛くて、全くさんざんであった。
松沢でライトバンを呼ぶことができ、12日も終わる頃になって松本に出ることができた。
帰宅後書いたこのノートに、新聞から毎日の天気図を切り取って貼り付けた。どの天気図も、南北に幅狭く並んでいる等圧線の縦のラインか、それが崩れて低気圧が通過しているのが認められる。
総員:8名 計画:奥丸山→中崎尾根→槍ヶ岳→双六岳→烏帽子岳
3月16日(概ね雪)高山を出て、蒲田までトラック、新穂高温泉経由滝沢出合付近までデポ。
随分速く歩いた感じであった。柳谷小屋泊。(デポとは荷物だけ先に運ぶこと)
17日(雪)柳谷から槍平小屋へ
(さすがに積雪多くなる)
18日(晴→雨)奥丸山へ猛ラッセル行軍。山頂直下にフィックス。
(ラッセルは深い雪をかき分けて歩むこと。フィックスとは、急斜面等で安全のためにザイルを張ったということ)
雪庇<せっぴ>を切って奥丸山を越え、雪洞を掘る。二つ作ったが、積雪量が足りないから構造が悪く、雨も洩り、しっかり寝ることができなかった。(雪庇とは、稜線部に風雪でできた雪の庇。相当大きな張り出しになることがある)
19日(雪)風速10m以上。一斗缶
(食料)を4缶残して 9.15 出発 11.45 幕営地。
20日(雪)沈殿
(沈殿とは、幕営地から動かなかったということ)
21日(吹雪→晴)沈殿
22日(小雪)残してあった4缶を回収した後、ジャンクション手前まで進む。風強し。
23日(小雪)ガスが濃い。風も強い。ジャンクション直下を出て西鎌尾根へ。
12時頃西鎌尾根にて滑落500m、軽傷。
24日(晴)8時皆と別れ、新穂高へ降りる。しみじみと下る。滝谷の景色が奇怪。柳谷小屋に泊まる。
25日高山の病院へ。