18歳未満の方は入場をご遠慮下さい。

スケベエッセイ 6

 長谷川裕見子

  (2010年07月27日 記)
 東映の人気女優だった長谷川裕見子さんが亡くなられた。ヤフーニュースに船越英一郎氏の母ぎみと載っていたからびっくりした。
 船越英一郎で名前が間違いなかったかと不安になり、これでググった。すると、
『船越英一郎が松居一代との離婚決意 2月中にも決着つけたい』(2016.01.13)
『ヘルニアの船越英一郎に馬乗り&家政婦虐待報道も!? 松居…』(2016.01.21)
と出ていて驚いた。
 まあ、松居一代という女は全く好かんタイプだ。あの言動を見て、(これは素敵な女性だ!)と思う男がいるのかねえ。
(そういえば船越英二の嫁になった記憶があるぞ!)と思って故人の年齢を確かめると、私の母と1つ違いだ。私は小学生や中学生の頃長谷川裕見子さんが大好きで、異性を意識したのは彼女が3番目だろう。
3番目と確かめるにあたっていろいろ振り返ったし、Wikiなども確認した。
 1番:伊吹友木子(1930.2.1〜)
 2番:千原しのぶ(1931.1.16〜2009.11.22)
 3番:長谷川裕見子(1924.12.8〜2010.7.27)
 ※ 母 (1923〜2015年) 
 その彼女が母とほぼ同じ年齢だったとは驚いた。私は子供の頃から一貫して熟女が好きだった。まあ、中学生になって皆が吉永小百合で騒いでいる時、私は吉永小百合がコギャルに思えたのだからしょうがない。吉永小百合は私の1学年上だ。
 私はヤフーニュースに長谷川裕見子の出演作として掲げられていた『大菩薩峠』、『鳳城の花嫁』、『白扇 みだれ黒髪』、『新吾十番勝負』などは皆観ている。
 私は若すぎるソープ嬢には入浴を躊躇うことをよく書いている。年齢の上のほうについての考えはあんまり書いていない。むしろ「ベテラン嬢を活用せよ」と書いている。
 しかし、昔から、20歳近辺の女を遠慮する以上に、30歳超えは(熟女が好きでも)絶対に嫌だった。何故なら、そんな歳まで売春するという打開力のない性格が我慢ならないからだ。(ただ自分のサイトでは「年増に温かく!」と穏便に書いてはいるが…)
 勿論そうならざるを得ない女については30歳前後の時期でも贔屓した。病気の母親を養っているとか、子供がいて旦那がいないとか、不妊症で結婚しにくいとかの特殊な事情がある女だ。
 でも、このようなやむにやまれぬ事情のない女は、私から見ればもうだらしないとしか言いようがない。くさいチンボを咥えることを我慢しさえすれば、労せずして高収入が確保できるのだ。もう甘い暮らしに浸りっぱなしになる。堅気になって月収20万程度で頑張る気持にはならない。
 そんな女には感動できないから、小説で私が好感なり惚れ心なりを書き連ねた嬢でも、上の特殊な事情がない限り30歳が近づいたところで必ずサヨナラを決断した。
 やはり、30歳を超えても売春して、賢さとはほど遠い女を、または、30歳を超えてまで売春していることが明らかな女を、金を払ってまでして抱く奇妙感は昔も今も同じだ。私は自堕落が嫌いなのだ。大変堅い男なのだ。
 だから、ネットの金津園嬢に関する論議で30歳超えの女が意外に話題になるのが不思議でならない。チンボ刺激が上手で、器量がそこそこであれば、30歳超えでも眼中に入るという節操のなさが奇妙に思える。
 まあ、サイトではここまで過激なことは書いていないが、私の本心はこういうことだ。
 それにしても、今日現在金津園に30歳超えの有名嬢、人気嬢がものすごくたくさんいる。その中には「上の特殊な事情」なんていうものを抱えている嬢なんてほんの一握りだろう。
 いかに高収入が続いても26、7歳でスパッと上がる嬢は本当に立派だ。私はそういう女を応援したい。

 AV女優のなれの果て

  (2016年03月07日 記)
 AV女優とソープ嬢の現役を退いた後の人生を比べれば、ソープ嬢のほうがまとも(普通の人っぽい)と思える。
 代表的な例が、金津園の入船に出ていたと思われる浅田真央のお母さんで、これはもう実に健全な人生を送られたと祝福したい。
 入船という店は大衆店で、ソープ情報誌に嬢の写真を載せて宣伝してはいなかった。それで、現役時の顔出しの画像も顔ぼかしの画像もネットに出ない。これはあの一家にとって本当に大きい。
 昔の日記14の2012年08月08日に源氏名情報あり。真実かどうかは不明。
 AV女優とソープ嬢を比較すると次のように分析できる。
AV女優 ソープ嬢
容貌の流布 100%顔ばれである。 顔出しはかなり少ない。
現役時の生活 AV女優のブログを眺めるとかなり“芸能人的”である。また、自由時間が多そうに見える。 勤労者的な生活習慣で、自由時間も少ない感じである。芸能人きどりはない。
 この結果それぞれ引退後の生活を比べると、AV女優のほうがソープ嬢よりも“浮かれ女”的に流れていく感じだ。やはり、世間に、怪しくて妖しいエロ仕事に就いていたとバレバレなのは、その後まっとうな仕事に縁が無くなりがちだろう。
 AV女優の『副業』と『その後』に興味を持ち、これを調べて陶酔記のAV女優のエロマンコの吟味に書いてやろうと思った。ここに登場するAV女優はWikiに掲載されているのが多く、そのページで『副業』と『その後』が窺えるものがあるので、これを利用して調べた。(AV女優をWikiに載せる必要があるかについては本当に疑問である)
 いろいろAV女優関連のサイトにアクセスしていると風俗店で会えるAV女優なるサイトを知った。これを眺めて驚いた。AV女優のエロマンコの吟味に掲げている嬢の多くがデリヘルやキャバクラに出ている。
 私はソープ専門で、デリヘルやキャバクラに興味を持ったことがないので、ここまで有名AV女優が出ているとは知らなかった。それで、その店サイトの嬢紹介をそれなりの件数確かめてなるほどと思った。
 出勤が確からしいと思えるのがほとんどない。要するに、広告塔なのだ。名義貸しでお金をもらっているのだろう。馬鹿馬鹿しい。
 ということで、AV女優の『副業』と『その後』を調べてサイトに載せる作業は結局止めにした。
 引退した女優にはまともにその手の性風俗で働いているのがいる。AV女優は賞味期間が短いので
  (A) AV女優の期間+(その後の)性風俗従事の期間 の平均
  (S) ソープでスタートした嬢がソープで働く期間 の平均
 この2つが大体同じ長さになるのだろう(ただ、AのほうがSよりもスタートが2年ぐらいは早いだろう)。で、この後の人生は顔ばれの有無、やったことのない男でも小陰唇の形を思い浮かべられるかどうか、によって大きく変わると想像できる。

 ソープに関する馬鹿な検索

  (2016年04月02日 記)
 次の検索で良性記にアクセスされることが多い。
( )内数値はGoogleとYahoo!の検索によるアクセス数──2016年3月の数値
金津園 ランキング(G 67:Y 89)
金津園 おすすめ (G393:Y178)
 腹が立ってくるぐらいに全く愚かな検索だ。
 私は毎月べらぼうな金額をソープ遊びに使い、それをかなりの年数続けていた。そんな私でも長年守っていたことは次の2つだ。
(1) 大衆店と中級店の下位クラスの店に入らない。
(2) 超高級店に入らない。
 だから、標準入浴時間が80分以下の店で遊んだことは多分8回もないだろうし、8万円超の店で遊んだことは全くない。
 金津園の愛好家の中には、遊びの基本が4万円以内の人も多かろうし、専ら5万円以上でNSの店で遊ぶ人もいるだろう。そもそもある月は8万円の艶に行き、別の月は3万円の店に入るような人は滅多にいないだろう。
 経済力の差は趣味嗜好を全く変える。人は宿泊旅行をすれば、2万円以下の宿を使う人と2万円以上の宿を使う人にはっきり分かれる。1泊10万円の宿に入る人と16,000円の宿に入る人は人生が違う。
 ということで、経済力の差を考えない上の検索は全くナンセンスだ。
 できるだけ上玉と遊びたいが、かといって、たかが買春で10万円とかの支払いはしたくない──という心からこのような判断になった。

 良性記を出した効果

  (2013年11月23日 記)
 良性記を出したことによる効果を時系列で全部挙げよう。
*隠忍のサラリーマン生活の中で良性記の制作が心の救いになった。
*文章力が強化できた。
*ITやインターネットやパソコンに関する知識が増やせた。
*良性記の記述とともに、質・量ともにソープ遊びが深化した。
*ハメ撮りへの意欲が高まり、成果が増やせた。
*アナルセックスに意欲を燃やし、成果が増やせた。
*店外デートへの意欲が高まり、成果が増やせた。
*浣腸プレイに意欲を燃やし、成果が増やせた。
*良性記を制作しているからこそEDに諦めることなく対策する気になり、レビトラによる素晴らしい改善を楽しむことができた。
*良性記の制作がリタイア後の最大にして強力な慰めになった。
*読者の女性からお誘いというこの上もない幸せを得た。
*(副次的効果)ラブホテルというものがわかり、嬢とラブホテルに入るという快楽を味わえた。
 先日はラブホテルのmirageに入った。彼女とは珍しく即ベッドでおっぱじめ、中イキまで至らしめた。
 先日テレビで『隣の芝生不倫』という言葉を聞いたが、彼女の話では、知人のご婦人の多くが───人妻の場合〜不倫相手有り、独身女の場合〜セックスする相手が数人いる───ということで本当に驚く。もう不倫が当たり前なのだ。
 私との不倫関係は、彼女が旦那からの信頼を完璧に保つことで確保されるのだから、彼女には常々「旦那の信頼を絶対に損なうな」と言っている。
 こういう逢瀬があると、さすがの私も前日からきれい好きに変身する。デートとソープ遊びをしないと体から垢を落とせない。

 陰茎の大小

  (2009年04月27日 記)
 昨日NHK大河ドラマの天地人第17回を見た。
 172cm の妻夫木聡(兼続)が、183cm の山下真司(直江信綱)を婿としていたお船の再婚相手となる。
 兼続と信綱が同時に並んでいるのを見ると、身長差を感じさせないようにしているカメラワークで、どう考えても11cmの身長の差には見えない。
 2人の体格差・骨格差から見てペニスのサイズがかなり違っている感じで、これが現代の日本人男性なら──デカマラを堪能した女(お船)の相手にはなり得ない──と間違いなく引っ込み思案になるだろう。先夫のペニスの大きさを想像して、嫉妬と自虐の心に狂う男もいるかもしれない。
 二の足を踏まないのは、女に好感を覚えさせることと、性技かペニスの強さに自信のある男だけだ。それほどまでに男はペニスのサイズに神経を走らせる。
 兼続は業務多忙で新婚初夜をずーっとしていないから、お船のマンコも引き締まり、問題がなくなるのかもしれないが。
 冗談はさておき、本当にペニスのサイズは関係ないと思う。金津園で、私のペニスよりもはるかに大きいペニスを入れたことのある女ばかりとセックスしてきて、それで自信を持ってそう言い切れる。
 それと、172cm の女のバギナと148cm の女のバギナは、日本人ならばそんなに変わらない。両方とも4人以上の女とイカせまくりのセックスをした私が断言する。(2ちゃんねるには正反対の考えばかり出てくるけれど)
 172cm の女も148cm の女も、同じ日本人なら出産する赤子の大きさはそんなに変わらないから、陰裂の長さにそれほど違いがない。
 一度 160cmない女でバギナがガバガバのに出くわしたことがあったけれど、165cm〜174cmの女ではそういう経験が1人しかない。
 私は正上位で嵌めている女に「××さんの堅くて小さいチンボが気持ちいい──と言って」とよく囁く。
 頼まれた通りに言うのが2割ぐらいだけれど、言う言わないは関係なく、後で「そんなことを言う男の人って、貴方ぐらいしかいないよ。(ちんちんの小さめの男の人は)皆そのことにすっごくこだわっているんだから、私たちは絶対に禁句だと思っているのに……」の主旨のことを言い、微笑む女がとても多い。
 頼まれた通りに言った女は、笑ってしまうことが多い。
 決して小さくないことを真剣に言い出す女もいた。チンコサイズ論議をソープやヘルスの女とすると本当に面白い。
 チンコ使用法論議をするともっと面白い。金津園に来るような男でも、バギナの入り口の位置やバギナの角度がわかっていないと思える男がとっても多いのだ。
 チンボを嵌めさせる時に、穂先を押し当てる位置が違う、押しつける角度が違う──こう非難するのだ。特に、男にバックで嵌めさせると、わかっていないことがよく察知できる。
 女はこれで男のセックス力の程度がすぐわかる。BBSで偉そうなことを言っている連中はこの手合いが絶対に多いと思う。
 私は妻帯者だから、ソープで遊びはじめた時から、私が主体的にチンボを嵌めている。ところが、女に嵌めてもらうようにしている男は存外多いらしい。様になっていない男には、女が男主導では嵌めさせないということもあるが。
 だから、様になっていない男ほど新人嬢に入りたがるとも言える。というのは、新人嬢から、セックス作法のださい男のことを私は何故かよく聞くのだ。
 部屋が薄暗いと、もう穴の位置がわからないとか、穴の進行方向がわからないとかの男は、必ず愛撫の仕方がわからなくて、それで、愛撫をしたがるのだから、新人嬢に入るな!と言いたい。

 女の愛液

  (2009年09月25日 記)
 女が潤沢に愛液を流すと実にセックスが楽しくなる。
 女の愛液は次の4つからなる。
(1) 膣液──────膣壁から湧出する。白濁することあり。
(2) 子宮頸管粘液──膣液の一つとして捉えられているようだ。白濁することあり。
  (以上は膣口から外に出る)
(3) バルトリン腺液─膣口会陰側のバルトリン腺から出る。基本的に無色。
(4) スキーン腺液──尿道口近くのスキーン腺液から出る。基本的に無色。
 潮吹きは、膣、陰裂内の分泌腺(バルトリン腺、スキーン腺)、尿道口、の四つの部位から噴出する。尿道口やスキーン腺からはいわゆる噴出があり得るが、膣口とバルトリン腺は噴出と言えるほどの勢いはないと思われる。
 なお、尿道口から出る液は愛液ではない。女性の尿道口から出る液は性交の潤滑には殆ど関係ない。男性の尿道口からは愛液(潤滑液←先走り汁)が出る。
 私がクンニリングスしながら膣に入れた中指でGスポットを掻くと、膣分泌液、バルトリン腺液、スキーン腺液と思しき透明液が流出するのを大変よく経験する。
 しかし、なんやら急にヌラヌラになったとわかるだけで、これがバルトリン腺だ、スキーン腺だと湧出箇所の大変微細な開口部を認めたことは一度もない。
 とにかく愛撫に熱中していて、愛液が湧き出ている時には肝心な部位を学究的に観察したことがない。でも、指に愛液が伝わってくる感じから、膣の中以外のところより液が押し寄せてきたことはわかる。
 私は女性の尿道口からの噴出を達成したことはあるが、その最中を眼で確認したのは2人ぐらいしかいない。シーツが直線状に濡れ、女から「今、潮、吹いちゃったぁ」と言われて知ったのが2人いたか。全てペニスを抽送していた時のものだ。
 日本のエロ動画での潮吹きは殆どが尿道口からだ。陰裂内の分泌腺からチロチロ程度でなく文字通り噴出しているのは紅音ほたる他3人ぐらいで見た。スキーン腺液が見事に飛び出ていた。
 同時に噴出している尿道口からの飛び出しが太くて激しいから、そちらに気をとられると、スキーン腺液の潮吹きは見逃してしまう。こういうものは漫然と見ながらペニスを擦っているのではなく、常に学究的に観察することが大切だ。(何としても無修正物が見たいという執念も大切)
 そういう探求心があれば良性記のような素晴らしい作品を世に出す人が多くなる。日本人のノーベル賞受賞者も多くなるだろう。
 バギナへの指ピストンで潮吹きを果たさせていると、手が邪魔になって陰裂内の分泌腺からの流出があっても、それがわかりにくい。これがはっきりわかるのは、クリトリスの刺激で肝心の収縮が起きる場合だ。
  www.xvideos.com/video215260/_  オーガズム特集
 これを見ると、白濁した膣分泌液が膣口からドクドクと流れでるシーンが多い。日本のエロ動画でこの手のものを殆ど見ないので、これだけの量がどうやって分泌できるのか、仕込みだろう、と思う。
 ただ毛唐というのはそれこそ20ccぐらいの射精をする男もいるから、女も、ものすごい量の膣液を出すのがいても不思議ではない。
 squirt物は、日本製は指掻きによる強制排出を感じさせるのが多くて不愉快だ。潮吹きで有名な特定の女優を除き、尿道口からの出方が、膀胱内残留液の強制排出の感じのものばかりだ。
 その点、洋物の潮吹きはクリトリス愛撫とかペニスやペニス型dildo のピストンによって達成するものが多く、強制の感じがない。(dildoは細めのものが多く、膣壁を掻く感じの動かし方だ)
 日本の潮吹きはバギナ上部の(強引で急速な)指掻きによる膀胱の収縮→強制排尿がとにかく多く、これをソープやヘルスで真似しようとする馬鹿が多発するから問題だ。素人の女も素人の男にこれをされることが多くなっていると思う。膣の保護の観点からは大問題だ。
 学校の性教育ではこういうことも取り上げるべきだろう。
 実質尿の噴出である潮吹きよりも膣液ドバドバのほうが絶対に楽しい。女性が心の底から性交を求めている時、膣液がよく出る。抽送し始めた最初の頃に出が顕著だ。日々見事に膣内を洗っていても何故かとろみのある白汁が立派に出て、ペニスに絡みつき、膣口の回りに輪をつくる。
 見事に白濁液が出たと教えるとソープ嬢はびっくりする。その表情と発言は初の出来事だと示している。これが楽しい。デカマラであることは無関係で、あくまで女の気持ちに左右される。好意がペニスに後遺を作る。

 小倉千加子

  (2009年12月03日 記)
 最近読んだ本。
  女の人生すごろく    小倉千加子 著  ちくま文庫(おもしろい)
 読者からメールがあり、そこに陶酔記でとりあげてもらいたい本としてこれを紹介された。そこに次のように書いてあった。(この頃は陶酔記だった)
「普段女がしゃべらない秘密が書いてある陶酔記ですが、この本も女が口が裂けてもしゃべらない秘密が書かれています。(中略)なぜとりあげてもらいたいかと言えば、読者が男と女について考える大事なヒントが隠されている、と思うからなのですが・・」
 取りあげることを望まれても、私はごちゃごちゃ書評を書かない意識なので、期待に添えられるかと思うし、人から推薦されると“激しく”読みたくなくなるという天の邪鬼だし、女性の著作は学術的なものか源氏物語か塩野七生氏や永井路子氏の作品以外はあんまり読みたがらない性癖もあるし、迷った。
 しかし、読む本がなくて困っていたから、(ちくま文庫にくだらない作品は少ない、ここは素直に行こう、巡りあわせだ)と思い、すぐに書店に行って、その本を買った。
 で、感想としては、『すべての女性と、独身男性と、未婚の娘を持つ父親と、嫁がいる亭主に勧めたい』ということだ。
 小倉千加子さんが書いていることは、同じことを私が思っていたとか、言われてみればその通りだとか、同意できることばかりで、(アンタ、何書いているんよ!)と言いたくならない点において、私には読み甲斐がない面が多少あるけれど、面白いことは間違いない。
 主婦の浮気のことも深い洞察で書いている。感心するところがある。
 まともな男性であれば、小倉千加子さんの着想の素晴らしさに感嘆し唸る箇所が最低5ヶ所あると思う。
 なお、氏は「男性は女性の食べる姿、タバコを吸う姿は見たくないものだ」とか「男性は女性に初々しい深窓の令嬢を期待する」とかの趣旨のことを書いていて、確かにその通りだが、私はちょっとタイプが違うようだ。
 私は、女性に対して引っ込み思案の男には「ウンコをしている姿を想像しろ」と言うし、綺麗な女がウンコを出すシーンが見たくてたまらないし、ソープで飲み物を頼む時には嬢にも何かを取るように勧めるし、「お願いだからタバコを吸って」と言うし、昔は必ず寿司や天麩羅などを持っていったものだ。
(2009年12月06日 記)
 最近読んだ本。
  セックス神話解体新書   小倉千加子 著 ちくま文庫(おもしろい)
 先に読んだ『女の人生すごろく』と合わせての感想は次だ。
 小倉千加子氏は、女性が男性主体の文化のもとで男性の目を意識した社会的調教を受けていること、女性の男性に対する性の従属人になっていること、主婦が家政婦扱いの位置づけになっていること、自分で人生を開いていけない弱さ、強姦同様のセックス受入人となること、こういうことに大きく焦点を当てている。
 その見方は間違ってはいないけれど、果たしてそれだけだろうか。
 平日に名古屋市の目抜き通りと上級の飲食店、有名小売り店に入ってみれば、多分亭主がドブネズミの背広を着て働いているであろう主婦が、立派な洋服を着て、大勢闊歩しているのを目にすることができる。
 旦那が 650円の昼飯を食べていても、奥様は2千円の上にぎりを食べている。子育てから解放された主婦には思い思いに趣味らしい趣味を楽しんでいる人が多い。
 男は女の肥やしか!と思えるような夫婦は間違いなくいる。
 小倉千加子氏は、セックスについて、ペニスの叩き込みを意識して、男の女に対する誇示と支配をイメージするが、確かにそんな男が多いことは事実であるけれど、クンニリングスで女性を快楽の淵に泳がせるのが楽しくてならない男もいる。
 小倉千加子氏は、女の化粧は男のためと言うが、果たして本当だろうか。
 男がデカマラを誇るのは女に自分の男性的威力の凄いことを誇らんがためではない。そんなものに女性が感服・憧憬などするものではないということは、まともにセックス経験があり、組み伏せた女をきちんと観察している男なら誰でもわかることだ。
 セックスがわかっていない若い男が女性にデカマラを誇りたいのを除けば、男がデカマラを誇りたいのは同性に対してだ。
 同様に、女がしっかり化粧をする、美容を意識するのは多分に同性の目を意識している。女性を絶海の孤島に五百人住まわせ、鏡とシャワーと化粧品をふんだんに用意したらどう使われるであろうか。
 小倉千加子氏は、売春は女が稼ぎたい心を利用した強姦であるという見方をしているけれど、本当か。
 ソープ嬢の中には、月の稼ぎが30〜50万円程度しかない女がたくさんいる。
 生きていくために仕方なくだからこの程度の稼ぎがあればいいし、また、その稼ぎが得られるならそれでよろしいという心の下に、要するに、環境的な意味で強姦同様の性交を受け入れている。
 こういうソープ嬢は仕方なく客につき、厭々股を開いてペニスピストンを受けているから、出勤日数がかなり少ない。店には習い事があるからと言って、少ない日数を認めさせているけれど、いつの間にか店に出ない日はダラダラ過ごしているだけ。
 こういうのは確かにその女にとっては、ソープの個室で股を開くのが心理的に強姦同様の性交だろう。
 でも、月間の出勤日数が限度程度(18〜25日ぐらい)まで働き、凄まじい性技を繰り出して甚だしい集客を得て、毎月コンスタントに150〜250万円稼ぎ出す女もいる。
 四日前にはもう予約が取れないような彼女たちが、ついた客の精液を受け入れる絡みの最後のシーンは、男がこれでもかとばかりにペニスを叩き込む、いわば強姦シーン(金銭を得たい心を利用して、女に本来したくはないことをさせているの意)かもしれない。
 しかし、その前の絡みのシーンは、女が手練の手こきやフェラチオや前立腺攻めをして男を悶絶させている光景がある。
 こうなると、強姦とは言いにくい。何故なら、この売れっ子ソープ嬢は男の悶絶のさまを眺めて優越感にほくそ笑んでいる筈だからだ。ソープの一室で、知性も教養も社会的地位も失せて性の動物にしか過ぎない男を睥睨しているのだ。たかが亀頭の摩擦に酔い狂う男を卑しむ心が多少なりともある。
 しかも、男たちがエキスを放出するのも女の見事な上下動で吸い取られるとしたら、これはもう強姦ではなく“強チン”で、しかも、同時にお金を吸い取られている。それも、メルアドが欲しそうな男に足繁く通わせ、毎度立派な料金対価を払わせているのだ。
 ソープ嬢が、自分たちは虚しい底辺の職業をしていると思うか、それとも、男を思うように扱って大金を巻き上げさせていただいていると思うかは、人それぞれなのだ。
 小倉千加子氏の文章の中から二つのものをここで紹介しよう。
『女の人生すごろく』より。
(前略)新妻は性のオーガズムがまだよくわからないというのがありまして、「そのうちにだんだんわかってくるようになるよ」と言われたりするんです。女性のほうは男性より遅れて開花するなどといわれています。調べてみたら一生開花しない人もいっぱいいる。遅れて開花する──開花するまでは夫ひとりがいい思いをしている。妻は我慢している。これもマゾヒズムです。へーえ、男の人ってこんなことをして気持がいいのか、私はよくわからないな、できればこういうことはしたくないな、お話しするのは好きだけれどあれは好きじゃない、という人がいっぱいいる。でも夫から「これは男の本能だ」なんて言われると、やらせてあげないといけないのかしら? 言うことをきかないといけないのかしら? それはそうだ、私は食べさせてもらっているんだもん。自分の生活と引き換えに妻は体を引き渡す。そういう人が信じられないくらいいっぱいいます。夫が死んでせいせいしたという人がいっぱいいる。
 なのに、主婦はそれを外で絶対に言わない。これって私だけが異常な身体なんだわ、と思っているケースが多いんです。「あなたのおたくは週に何回?」とか言うと一緒にノッてしゃべっている。へーえ、みんなすごいな、負けてられない、と思ったりなんかする。ところが、ほんとのことをしゃべれるような主婦同士の関係になりますと──ある主婦が四十人の主婦に聞いた。「本当のところ、あなたは夫とのセックスをどう思っていますか」。あれがなかったら死んでしまうぐらいあってほしい、と思っているのが四十人のうち二人だけで、あとの三十八人はできればないほうがいいと。これは全部四十代の主婦です。
『セックス神話解体新書』より。
 ジョン・クレランドという作家が書いた『ファニー・ヒル』はイギリスで最初のポルノで、世界のポルノのなかの名作とも言われています。男性の感情が強く投影されていて、男性のエロスのコードを知る格好の材料になります。(中略)
 ロバート・スコールズという人が書いた『記号論の楽しみ』という本には、ファニー・ヒルにおけるエロスのコードを解体してみるという試みがなされています。そこでは、コードは次の六つに解体されています。
 まず第一は、「女のすきまに男のモノが挿入されていないかぎり、女が性的な満足を得る術はない」。つまり、自分一人でいる時にマスターベーションしようとしても、自分ではどうも満足できない。二番めに、「女の快楽は男のモノの大きさに比例する」。三番め、「オーガズムは、両性において常に同時に起きる」。四番め「女性が満足を得る回数は男と同じである。あるいは男より多くない」。五番め、「男の性器についてはくわしく描かれ、非常にユニークな特徴で説明される。自信に満ちた表現が用いられる」。それに対して六番め、「女の性器は、まるでエアーブラシかなにかをかけたようにぼやかして描かれる」。
 これがファニー・ヒルを支配するエロスのコードです。その他にもファニー・ヒルという小説にはおかしなこと、不思議なことがいっぱいある。ここに登場する売春婦は一人も性病には感染しないし、全員結婚して、貴族の妻になったりします。
 しかしこういうエロスのコードは、なにもファニー・ヒルやデンマークの『強姦』というポルノ小説にかぎりません。多くの日本におけるポルノ小説、電車のなかでたくさんの男性が堂々と読んでいるスポーツ新聞のポルノ小説に見られるエロスのコードと、ほとんど違いません。いずれも同じパターンのくり返しです。
(中略)つまり、「ポルノ」発、「男性の性的空想」経由で、最終的に現実の男女の間にエロスのコードは入ってきています。家庭のなかのエロスまでもが、商品化されたエロスのコードに浸透されていってるのです。ひょっとすると文化のなかで蓄積されてきた、そういうふうな性的空想なしに二人は愛しえないのかもしれないのです。もはやそういうエロスのコードが幻想だということに男性より先に目覚めた女性はどうすればいいのでしょう。この場合、自分が今愛している男性とのセクシュアルな関係のなかで性的融合を得られることはありません。
 性の荒野が、こうやって出現してくるのです。性の荒野を売春婦たちは、とっくの昔から知っていました。しかし性の荒野は、今日、主婦によって想像以上に多く、深く体験されているという報告があります。商品化された性によって、間接的に人格を破壊され、疎外されているのは一人売春婦だけでは、もうなくなっているのです。
 この二つの文章を読み、その背景まで深く洞察すれば、賢い男性なら、女性に対する巧妙なクンニリングスは女性の気持ちを掴むにおいて最強の動作だとわかるのではなかろうか。
 小倉千加子氏が言う『エロスのコードが幻想』であることに気づいている女性は熱意あるクンニリングスに出会うと完璧に心を開いて受け入れてくれるのだ。私がやっていることがその証明だ。
 それにしても小倉千加子氏が書いていることを読むと、私のエロ小説は世界で類例をあまり見ないものであるとよくわかる。それを説明しよう。
1.空想のエロ小説でなく、実体験のエロ小説だ。
2.女のすきまに男のモノが挿入されていない時に女が性的な満足を得るシーンがよく出てくる。
3.女の快楽は男のモノの大きさにちっとも比例しないというスタンスで書かれている。
4.男女のオーガズムが同時に起きたケースが殆どない。
5.女性がイク回数が主人公の男性がイク回数の数倍である。
6.男性器について詳しく描かれ、賛美的な表現がされているケースが乏しい。
7.女性器の描写はまるで見てきたようにリアル。とにかく表現がエロい。
8.売春婦は一人も性病には感染しないという前提に立たず、STDへの言及がある。
9.売春婦は結婚できるのもいて、中高年になっても上手く人生が進むという前提に立たず、将来を危惧する眼がある。
 このように考えれば、陶酔記は、セックスの啓蒙という観点からも、買春活動の再評価という観点からも、男女の恋愛関係のあり方という観点からも、世界最強・最良のサイトではなかろうか。

 きちんと見ればエロスのコードが幻想であることに気づけるもの、ボーッと眺めておれば『ペニスの突きこそ男の誉れ』との感を強くできるもの、それはネットで見られるエロ動画だ。
 ペニスは見事にデカマラで、ピストン力はまことに獰猛で、これぞ本当のセックスだ、と馬鹿な男が感嘆するのだ。
 私はこれまでこういう作品のURLをいくつか日記で紹介してきたけれど、実は疑似精液のものは紹介したくない。これは顔面ぶっかけと同様にとにかく不愉快だからだ。
 偽ザーメンはとにかく世界に冠たる日本の恥文化の代表だ。なお、次点はモザイクを入れた動画だ。
 しかし、いくら疑似精液の中出しであろうと、その中出しに見せかけた液体を排出する陰裂が見事なエロマンコで、垂れの光景が何とも鼻血ものであれば、これはもう鑑賞に値する──そう一大決心のもとに大譲歩することにした。ものには柔軟性も必要だ。
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(千戸拾倍 著)