18歳未満の方は入場をご遠慮下さい。

写真で随想 O

 名古屋市の2本の100m道路の1つ若宮大通は市の中央部を東西に走る道だ。本稿を書くに当たって若宮大通の名をど忘れし、100m道路でググるとWikiのページが目に入った。
当初は全国で24本の「100m道路」が計画されていたものの、日本占領軍であった連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による「敗戦国に立派な道路は必要ない」との反対や、1949年(昭和24年)のドッジ・ラインに基づく緊縮財政などにより、ほとんどの道路は幅員が縮小され、名古屋市の2本と、広島市の1本のみが100m幅として実現した。
 米軍の横やりも全国で3本だけというのも知らなかった(前者については知っていた時期が間違いなく数回あったけれど、すぐに忘れる!)
 私は長年名古屋に住んでいるが、住所や勤務地の関係で若宮大通の専ら北側を動き回って、南側は、上前津、堀田、金山、御器所などよく行った狭い地域のいくつかを除いて殆ど縁がない。
 スマホがないから名古屋の地図をスマホで確かめたことがない。印刷された地図は京都や奈良なら頻繁に眺めたけれど、名古屋については殆ど見ていない。自動車を運転しないから、カーナビも見ていない。だから、新堀川のことを知らなくて、タクシーでこの川を横切っても新堀川だと認識できなかった。
 あれっ、堀川ってこんな東にあったっけ??と度々混線していた。堀川と新堀川の2つがあること、よく聞く内田橋という地名で、どこにかかる橋かについて、理解している時もあったろうが、日頃目にしないから基本的には認識の外だ。
 そこである日思い立って新堀川の散策に出た。コースは、(上前津を東に進み)記念橋→(南下して)富士見橋→(川沿いの道がなくて諦め)西に進む→下茶屋公園→東別院→上前津
 1時間以上歩いて、久しぶりに結構な運動になった。(2019年3月14日)
 ブラタモリでも勉強した熱田台地がよくわかった。帰宅してWikiのページ『熱田台地』を読んで、千種駅でJRの線路が堀割になっている意味をよく理解した。私は、大学が自宅近く、そして、中学、高校、勤労は熱田台地の北半分を行動域とする人生だった。
記念橋から新堀川最奥部を眺める
 北側は行き止まりになっているのがわかる。行き止まりのすぐ北側を若宮大通が東西に走って、私はそこをよく通る。若宮大通から南を見ても木立と建物で遮られ、川があるようには全く見えないから、新堀川はいつも意識の外にあった。
 堀川も新堀川も浄化ができたら良いんだがねぇ。
富士見橋から南を眺める
 海から相当離れているけれど、潮のにおいがした。かなりくさい。『黒い津波』が来たらひとたまりもない感じだ。
 富士見橋まで南下して、橋から南を見渡しても相変わらず川沿いに道がないので、そこで川を離れ、西に歩むことにした。
下茶屋公園
 富士見橋から西は存外に上り坂だ。しばらく進むと下茶屋公園に出た。この公園のことは全く知らなかった。小さな庭園だが、雰囲気が結構だ。東別院の庭という説明があったので、ついでに東別院も拝んでみようと思った。
 そういえば東本願寺の庭の渉成園にはまだ行っていない。見ておかねば。
東別院
 祖父の代から名古屋に住む人で東別院(真宗大谷派)を知らない人はいないだろう。敬う人は多い。
 しかし、家が曹洞宗だから、私はここへ行ったことがなかった。お参りすることができて良かった。しかし、でかい。真宗と天理教の集金力は凄すぎる。
古渡城跡(東別院内)
 織田信秀の城である古渡城のことは知っていたから、具体的に場所がわかって良かった。
 桜の京都を 東福寺→伏見稲荷→醍醐寺 のコースで回ろうと考えた。(2019年3月)
東福寺:2016年秋に行ったが、人間ラッシュでうんざりだったから春にもう一度行きたい
(人間ラッシュも中国人と韓国人だらけでは傍若無人の行動が目につきいやになる)
伏見稲荷:子供の頃に酒業者の旅行で行っただけだから、是非行ってみたい
(私の父は月桂冠、黄桜、松竹梅あたりからは少しは意義のある取引先だった)
醍醐寺:2014年春に行ったが、是非もう一度あの桜を見たい
(人間ラッシュなるも中国人と韓国人がそれほど目につかなかったから良い)
 伏見稲荷→醍醐寺のタクシー代が二千円強で済むようだから、順路的にもこの経路が良いと考えた。
 しかし、伏見稲荷から東福寺までほぼ山伝いにつなぐを見て、稲荷山の四つ辻から東福寺六波羅門への道を歩きたくなった。伏見稲荷から東福寺へでググってこのサイトを見つけた)
 それに、伏見稲荷での写真撮影のためには、ここの到着が早ければ早いほど良いはずだから、東福寺を後に回したほうが良い。
 問題は東福寺から醍醐寺がタクシーで三千円強となることだが、東福寺から醍醐寺へでググると京阪三条から地下鉄東西線を使うのが賢そうだ。伏見稲荷を最初にすることにした。
 その日(2019/3/25)京都でもう桜が少しは咲いているかと思っていたけれど、残念ながらまだだった。
 伏見稲荷→(徒歩)→稲荷山→(徒歩)→東福寺→(徒歩)→京阪東福寺駅→(電車)→醍醐駅→(徒歩)→醍醐寺→(徒歩)→随心院→(徒歩)→小野駅 のコースでたっぷり歩き回った。
 歩数計は32,000を超えて、昨年10月22日に計測するようになってから最高値をたたき出した。京阪東福寺駅についたのが11時半ぐらいで、それまで歩きづめだから一気に数を稼いだと思う。
伏見稲荷大社前
 JR稲荷駅着が8時18分。早いから人出が少ないのを期待したが、たくさん観光客がいた。外国人の割合が圧倒的に高い。
上社からの下り道(お山めぐり)
 稲荷山の中腹に四つ辻がある。稲荷大社から四つ辻に登る観光客に西洋人やイスラム教徒らしき人や中国人がとても多い。このことと圧倒的な鳥居の連続に驚く。私は稲荷山方面は鳥居がまばらになるものと思っていた。
 ずーっと人が多くて写真が撮りにくかったが、この時だけ人がいなかった。
稲荷山四つ辻からの展望
 稲荷山に登ったのは結構な判断だった。
 四つ辻から上社を回って四つ辻に戻る周回コースは30分と聞き、自分の体力から時間はもっとかかるはずと思っていたが、所要時間は丁度30分だった。
 四つ辻から田中社に出て、そこから東福寺のほうへどんどん下っていった。田中社から東福寺近くまで観光客に殆ど会うことがなくてとても素晴らしい。
光明院 東福寺塔頭
 稲荷山から東福寺を目指し、勅使門を確認してから光明院に向かった。
 人がいないから、とても気分が良かった。
光明院 方丈前の波心の庭
 苔がまだ春になっていなかった。スギゴケは遅い。
東福寺 三門
 東福寺は臨済宗東福寺派大本山で、三門はまさしく国宝の偉容だ。
東福寺 方丈 八相の庭 南庭
東福寺 八相の庭 西庭
 苔にまだ春が来ていない。スギゴケがメインだ。
東福寺 大方丈から
 カエデにまだ春が来ていない。通天橋が寂しい。秋の景色の豪華さが思い出される。
東福寺 八相の庭 東庭
 ここの苔は緑だ。どういう苔なのか確かめられなかった。
 塔頭の天得院の庭園が結構なようなので、6月中旬〜7月上旬という一般公開の時に行ってみようと思う。常楽庵の普門院庭園も良さそうだから、紅葉の季節ではない時に再度行こうと思う。
芬陀院(ふんだいん) 東福寺塔頭
 東福寺の光明院と芬陀院は、平成28年11月に東福寺に行った時には見てなかったので、今回参拝した。
 芬陀院の門に『雪舟庭園』と表示されている。
芬陀院の図南亭丸窓
芬陀院 雪舟庭園
 コケがまだ茶色で残念だ。
三条大橋から鴨川
 京阪電鉄で三条に出た。昼食は三条大橋の近くのEEで食べた。
醍醐寺 総門
 一目でがっかりした。人が少ない。要するに、桜は未だだ。
醍醐寺 西大門
醍醐寺 観音堂
醍醐寺  無量寿苑
 上醍醐を目指し、女人堂へ行った。ところが参拝時間外ということで果たせなかった。前日にお寺のサイトの上醍醐のページを見た時そんなことは出ていなかった。ひどいよ。
 帰宅後これを書くに当たってサイトの『拝観時間』を見たら、そこに入山禁止が載っていた。
 1,500円の拝観料を払ったのに それに三宝院の分が入っていると気がつかず、三宝院を見なかった。上醍醐を優先し、金堂も無量寿苑も見てないから本当に腹が立つ。女人堂への出口に上醍醐の参詣不可の貼り紙を出しておくべきでしょう。

 プリプリ怒りながら醍醐寺から随心院まで歩いたが、道を間違えて京都外環状線(下を地下鉄東西線が走る)まで出てしまったため、随分遠回りになってしまった。
随心院 真言宗善通寺派の大本山
 お寺のパンフレットに『随心院門跡』と出ていたから驚いた。門跡寺院なんだ。
 小野小町ゆかりのものが多いお寺だ。
随心院 小野梅園
 桜が見られなかったが、梅の花がまだ残っていた。

 東福寺八相の庭も光明院の庭も芬陀院の雪舟庭園も随心院の庭も、苔が茶色がかっていた。スギゴケなので緑がまだ濃くなっていない。尚早だった。
 今回はつくづくスマホを持っているべきだと思った。お寺のパンフレットでは何が国宝かわからない。お寺のサイトをきちんと見ておれば失敗も減る。
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(千戸拾倍 著)