私は昭和58年から金津園で遊んだが、平成4年までここでゴム着セックスをしていない。平成4年に金津園の店が防具を用いることと決めてからも、私は殆どゴム着セックスをしていない。
ただ、ゴム着で通った嬢が2人だけいた。2人とも実に個性的な女で、私は興味深く観察した。その後この2人を凌ぐ変わった個性の女には出会ったことがなかった。
私は昔から終始一貫して生のセックスでなければ金輪際いやだ。ただ、例外が2人だけある。この2人はどちらかと言えば平凡な器量だった。その頃通っていた嬢でNSでしていたのが何人もいた
私の知り合いですごい人がいた。その人は30歳を少し超えて、私より15歳ぐらい年上の美しい姐さんだった。その姐さんと亭主がセックスするのを見ているように言われて、側にいた。
旦那は姐さんの全身を丁寧に愛撫することから始めた。たっぷり時間をかけて愛撫した後、秘所を吸い始めると、姐さんは壮絶なよがり声を上げ続け、この攻めも長い時間が続いた。
次に、指3本の挿入から始まってフィストファックになった。男の手が手首まですっぽりと肉壷に入って蠢いていた。
何ていうことをするの!と驚いたが、姐さんの身悶えはとても激しかった。部屋に響きわたる声を上げ、汗だらけになって艶艶しい髪が額や頬に張りついていた。面長の切れ目の、鼻筋の通ったスリムな体型の美人だから、その姿が女の私から見てもぞくぞくするくらい妖艶だった。
姐さんがつん裂くような悲鳴を上げたとき、旦那は5本の指をそろりと抜いて、親指の腹でクリトリスを揉んだ。すると、蛇口が壊れたように割れ目から潮を吹き出した。それは一瞬アーチ型になった。
恐ろしいような呼吸をしていて、あんな深いイキ方は見たことがない。
旦那が離れてビールを飲んでいたので、姐さんに近寄って脚にちょっと触れたら、悲鳴を上げて大きく脚を振った。その反応が面白くて今度は胸の辺りをさわると、姐さんは背面飛びで躯が50cmはふっ飛んで、ものすごい形相で叫んだ。
「こそばゆいからさわっちゃ駄目!」
ふざけて、なおも躯に手を伸ばそうとしたら、全身をばたばたさせて蹴飛ばそうとする構えで、「さわるとぶっ殺すぞ!」と怒鳴られた。
しばらく放っておいたが、姐さんの汗だらけの裸が気になり、もういいだろうと思ってタオルを片手に近づくと、哀願する眼差しで首を振って制止された。姐さんは横向きに、胎内の赤ん坊のように膝を抱えて丸くなって、肌がシーツにさえ触れないようにしていた。
躯に布地が触れるだけでもつらい、どうにもこそばゆい状態が続き、肉体の亢奮が完全に治まるのはかなり後になった。
姐さんが、セックスの回数はそんなに多くないと言ったのを納得したけれど、それにしても壮絶な達し方だ。異次元の世界へ行ってしまうような深い深い絶頂だから、後がそんなにこそばゆいのね。……
ミユキが吉原のソープ店にいたときの話も聞いた。