18歳未満の方は入場をご遠慮下さい。

スケベエッセイ 10

 特殊アルバム

 Windows10 はピクチャというフォルダがあるが、家族の前でここを操作することがあるから、遊んだソープ嬢の写真にはドキュメントに専用のフォルダを設けた。
 この専用フォルダの写真を眺めるのはサイトの飾りとして何か画像を選びたい時ぐらいで、嬢の写真はどちらかというと撮りっ放しだけれど、女遊びの終了とともに眺めることが少し増えた。
 眺めて想い出に耽ると、パソコン画面に出るのが写真だけでは物足りない。画像はそんなに大きく表示せずとも良いだろう。補足情報──年月日、やった行為、感想──そういうものが画像の横にほしい。性的交遊日記の記録と合体したい。(サイトに出すものではなく、自分の楽しみとして制作する)
 Excelなら 文章を入れやすいと思って、シートにサムネイルの画像を貼り付ける方法を調べたけれど、なかなか難しそうなので一旦諦めた。
 しかし、htmlで作れば良いではないか、これなら原寸の画像を好きなように小さく表示できて、縮小した画像を作る必要がない、嬢の画像を置いた専用フォルダにそのhtml文書を置けば作りやすい、と思った。
 更に、私は撮影した原画像を弄るのが嫌いで、全く改変しないから、縦に撮影した写真も横倒しのままだし、光源の弱いところばかりで撮るので、画像が暗いままだった。
 私は原画像を弄って、エクスプローラーで日時での並び順が変わるのを毛嫌いしていた。ところが、いろいろエクスプローラーで眺めているうちに、ここの並び順に『撮影日時』があると知った。(こんなことも知らないほどエクスプローラーから写真を眺めていなかった)
 ならば、加工しても並び順に影響しないから、縦に撮影した画像はエクスプローラーで縦に表示されるように画像を90度回転しても良いし、暗い絵は明るい絵にしても良い。
 安心して画像の補整に精を出した。2018年9月 藤井聡太七段が菅井竜也王位と山崎隆之八段に連敗して心の落ち込みが激しいから、この鬱屈を忘れるべく大量の画像補整作業とアルバム作りに熱中した。
 当然情交した女の裸像や笑顔がいやというほど目に入った。すると、適正な角度に是正して観る写真は、原画像とは全然印象が違うとわかった。15年、20年という昔に撮った写真が全く違うイメージで目に飛び込んできた。不思議な感覚だ。
 写真一覧のhtml文書の見本が次だ。
月日 連番 写真 写真
2008年 4/7
   連番は何度目の対面かを示す。
 画像を 640x480に縮小しても(上の画像で横幅が300だから、これの倍のサイズになる)アルバムとして充分立派だ。更に、性的交遊の日記の記事を添えたから素晴らしい。
 16人の女でこのアルバムを作った。載せる写真を絞っても、相当大部の作品になり(右端のスクロールバーのノブがかなり小さくなった)、ポートレイトのもの以外はエロい画像ばかりだ。
 最初に制作した嬢の1作は2日かけて制作したが、想い出が深く、チンコから先走り汁がたっぷり出た。写真と日記、この2つがあって、性的交情の愉しさが死ぬまで反芻できる幸せな人生だ。

 エロの謳歌

 (2009年07月30日(木)の日記)
 今日の女は初会でアナルセックスに応じた。勿論アナル処女だ。大変美肌の女の大きな白いけつの真ん中に剛直物をぶっすり嵌めるのは本当に楽しい。(参考:小柄でグラマーのキミカ
 口内唾垂らしもした。勿論初体験だ。未洗浄の尻穴も舐めさせた。こちらのほうは経験者だった。
 極めつきは、ハメ撮りだ。
 私はハメ撮りの願望をこのところ極力消すようにしている。ハメ撮りする→長く応援する義務感が湧く→しかし、今はそんな経済力がない、ということだ。
 でも、何故かハメ撮りができてしまう。
 嬢は凡庸な客ばかりに対面してチンコしゃぶりを長々とさせられるから、エロで興味深い男、マムコを徹底的に舐める男には激しくノル。私の心の優しさと超非凡なエロさが嬢に伝わる。しかも、嬢が仲間同士で私のことを話題にするから、私に会ったことがない嬢にも私への関心が伝播する。
 ハメ撮りは本当に楽しい。こんな楽しい遊びは他にはない。
 マムコは写真に撮られるためにこの世で花開くのだ。女の全裸はデジカメ画像に納められるためにこの世に存在する。
 それにしても、初アナルに挑戦する女やハメ撮りを受け入れる女は本当に楽しい。菩薩さま、観音さま、女神さまとしか言いようがない。
 嬢には私の素晴らしいハメ撮りアルバムを見せることを約束した。
 これはどの嬢も大変興味深く眺める。とにかく超卑猥な写真が満載だし、被写体の嬢に私への親密感が溢れているのが見てとれるし、その嬢がソープ情報誌や友人との会話などで知っている女が多いからだ。
 しかし、どうしてハメ撮りのような恐ろしいことを認めてくれるのだろう。私が危険性を感じさせない男であるからだろうが、不思議といえば不思議だ。
 今日の嬢には勃起チンボを無理やり反対側に倒して先っちょをグリグリ刺激することを教えてやった。
 すずめのユキさんやその指導を受けた女は皆そうすることを言ってやると、「どうして反対側に無理に倒すと、気持ちがよいの?」と真顔で聞いた。
「100%勃起のチンボを無理な方向へ倒すと 105%勃起になるの!」
 そう説明するとなるほどという顔をした。
「勉強になる〜ぅ!」

 平成16年まではハメ撮り写真を頻繁にニタニタと眺めていた。
 しかし、平成17年からは、あるソープ嬢の想い出の冒頭に記載の打撃の激しさがあってちっとも眺めないようになった。それまでは惚れ込んだ女を写真に撮っていたが、事情が変わった。
 平成17年からは惚れ込んでなくても写真撮影を願うようになって、ハメ撮りする嬢が増えた。でも、惚れ込んでないからそんなに写真を眺めない。撮った写真はどちらかというと撮りっ放しだ。
 だから、たまに眺めると、(こんなエロな写真を撮っていたのか!)と驚く。
 今通い女でハメ撮りしたいと思っている女が1人いる。しかし、嫌がられるような気がして、口に出してはいない。多分今後も願望を口にすることはないと思う。
 2009年7月の日記にはこう書いたが、9月にその嬢に15回目の入浴をした時に「ウンコするところを写真に撮りたい」と半ば冗談で頼んだら両方をOKしたからびっくりした。
 デジカメが普及してない時から通った嬢なら、50回も入浴してから写真を撮りたいと頼んだのが2人いるけれど、ハメ撮りを一大趣味にしてから後では、入浴16回目に撮影したというのは大変な遅さだ。
 ただ心を曲げて撮影に協力した感じが残念で、カメラを持っていったのは1回だけにして、ウンコ出しは撮影しなかった。これが大変悔やまれる。(買春メモ9の9月16日の記事)
 私は浣腸とアナルセックスについてはじゃんじゃん希望を言うけれど、口内唾垂らしとハメ撮りだけは、相手が受けると読み切った時だけ願いを言うことにしている。
 だから、申し出てNoとなったのが、口内唾垂らしは2人、ハメ撮りは1人しかいない。そういうことをやり出してからの13年間での成功率は共に95%を超える。(口内唾垂らしは、この13年間で考えれば、会った女の殆ど──多分9割近く──にやっている)
 これを書いた2009年7月では、写真撮影を頼んで断られたソープ嬢は1人だけれど、この後は考えを変えてやや積極的に出た。その結果拒まれた嬢が2人いたと思う。
 今日の女にはしっかりスカトロ系の猥談をした。私の金津園での浣腸経験も面白がって聞いていた。
 ひょっとしたら浣腸→ウンコショーまで誘導できるかもしれない。(これは3回目の入浴で楽しんだ)
 調教という言葉を使う人がいる。調教という言葉はあまり使いたくない。誘導・開発だろう。
 人はエロに深い関心がある。若い女とて同じだ。やったことのない行為には興味がある。だから開発ができる。
 アナル遊びに上手に持ち込んでくる巧みな誘導の客が滅多にいないから、嬢は私に瞠目する。セックスの仕方が大人で、話がエロくて、絡みが気持ちよいから、自然と私の導くままになる。徹底的にエロに浸り、どエロを楽しんでくれる。エロはとっても無邪気な行為なのだ。
 このところそんな女にばかり巡り会っている。
 この積極性が40代の頃にあったなら(性的技巧は既に身につけていた)、私は金津園で過激な遊びをもっとたくさんこなしていたに違いないと思う。惜しむらくは私自身の開発(開き直り?)が上に書いた『打撃』の後だった。
 既に62歳の爺になってしまったから本当に残念だ。62歳の爺ではさすがに女のほうが恋愛気分になってくれない。

 ソープ嬢のマムコは汚いと思っているような馬鹿な男には私のようなことは金輪際できない。
 確かに、前の客に中出しされたマムコは、クンニリングスをする男には気にはなるし、ソープでSTDの危険はつきものだろう。
 でも、例外的事件を拡大して考えるのはよくない。例外的事件よりも『日常の健全性』を考えるべきだ。
 マムコは大変くさい代物なのにソープ嬢のマムコは先ず汚れていない。洗浄が完璧だ。全世界の女を考えた場合にマムコ洗浄の完璧な女の存在比率を考えてみろ。かなり少ない。
 洗浄が完璧なマムコは綺麗だ。金津園の店の高い圧力のシャワーで膣内を洗い流し、マムコ周辺の襞という襞を伸ばして洗う女、しゃがんで大股開きし、指をしっかり使ってややこしいところを擦り洗いする女のマムコは無臭・無味だ。亢奮して汁が出てきた時、においと味が発生する。
 この美しいマムコ・雑菌が洗い流された局部をねぶりからかすと、女は男の卑猥な願いを聞いてやる気になるのだ。マムコをねぶればすべてのエロへの道が開かれる。
 ただ、マムコをねぶるのではない。陰核茎部だけをねぶるのだ。紅みが増し、汁で潤った陰裂は本当に美しい。
 それにしても、今日ねぶったマムコはええマムコだった。買ったばかりの液晶画面でこれを見ると素晴らしくいやらしい。かなり小柄なのにクリトリスがでかいのが卑猥すぎる。

 どブスの唄

 (2010年11月22日(月)の日記)
 記憶って本当に不思議だ。やけくそ気分でウンコまみれになった母のおむつを替えていた時意外なことを思い出した。
 30代の頃唄っていたもので、自分で作詞した唄だ。
♪どどめっちゃ 耳だれ 目はどんぐり目♪
♪鼻ぺっちゃ おかめっちゃ どてかぼちゃ♪
 ひどい中耳炎の耳だれで悲しみに浸っていた頃にやけくそでよく唄っていた歌だ。約30年前、34歳で神田の神尾病院の若先生の手術によって耳だれが完全に治まるとこれを口ずさむことはなくなった。
 強いて題をつけるなら『どブスの唄』としたい。この10年間これを口ずさむことはなかったはずだ。記憶の復活って不思議だ。やけっぱち→どブスの唄の口ずさみ という道筋ができていたのだ。
 音符に書く能力がないのが残念だ。まあ曲は童謡だったかもしれない。
 で、この唄を歌うとワイフが怒り狂う。そこを宥めて元歌を2人で探した。気管支まで出かかっているけれどもどうしても思い出せない。
 結局ワイフが口ずさんだ『ドレミミソラソソ』で検索した。ネットって便利だ。 「《港》(空も港も夜ははれて)という唱歌」の一文が出てきた。唱歌『港』とわかった。
 空も港も夜は晴れて 月にかず増す船のかげ これが♪で囲まれた2行になる。これがわかっていっぺんに幸せな気分になった。なお、……ちゃ、というのは仙台に住んでいた時によく耳にした語尾だ。
 それにしても、中学以降でこの曲を耳にしたことはないはずだ。小学生の時愛唱歌であったこともない。なのにどうして20代や30代の頃、多分元歌の歌詞を思い浮かべることなく部分的替え歌を作った、と想像できるのが不思議だ。
 しかし、昔の人は「月にかず増す船のかげ」なんて良い表現を思いつくものだ。私なら、これから「舐めにかず増す汁の跡」としたいねえ。三筋まで記憶がある。
 クリちゃん舐めて、会陰に米のとぎ汁のような汁跡三本。これは痺れる。汁跡三条の女にはたとえおかめのどてかぼちゃでも愛を注ぐのが本当のオトコだ。

 年収の差

 (2009年04月06日(月)の日記)
 去年テレビを見ていたら、ANAかJALだか覚えがないがそこの社長が年収1500万円程度で頑張っているというのが紹介されていた。金額は正確ではないがとにかく破格の我慢のようだった。
 会社が左前だから、すごく立派なことだ。
 今日中日スポーツ紙からプロ野球選手ガイドブック2009が届いた。それで、各チームの監督とコーチの中の最高年俸者の年俸を一覧表にまとめてみた。
中日 落合博満 15,000万 森 繁和 4,800万 埼玉 渡辺久信 10,000万 大石友好 3,000万
巨人 原 辰徳 20,000万 伊原春樹 4,000万 オリ 大石大二郎 6,000万 住友 平 3,000万
阪神 真弓明信 8,000万 木戸克彦 3,000万 北海道 梨田昌孝 10,000万 福良淳一 3,100万
広島 ブラウン 4,000万 リブジー 2,000万 千葉 バレンタイン 40,000万 西村徳文 2,300万
東京 高田 繁 8,000万 小川淳司 2,000万 東北 野村克也 15,000万 橋上秀樹 3,000万
横浜 大矢明彦 8,000万 杉本 正 2,000万 福岡 秋山幸二 10,000万 森脇浩司 2,400万
 オーナー会社ではない普通の会社では、社長の年収を100とした場合、日本では通常次のような年収になる。
  社長 100 副社長 85 専務 80 常務 70 平取締役 60
 これと比較すると、プロ野球の監督とヘッド(チーフ)コーチとは年収に随分差があることがわかる。
 社長というのは基本的には、部下に方針と大略を示して、下の者にすべてを吟味させ、最良策を判断させて、自分のところに上げられたものを裁可すればよい。
 社長は諸法律に通暁している必要はないし、社員全員の顔と名前を知らなくてもやっていける。
 プロ野球の監督は企業のトップと比べれば、部下よりもはるかに専門知識と専門技量に秀でていなければやっていけない職業だ。チームの成績の全責任がトップにある度合いが会社社長とは違うのだろう。
 それにしても、次が疑問点だ。
(1) 千葉ロッテ───監督の年棒を標準のものにして、高額選手を一人加入させるべきだ。
(2) 巨人の監督というだけで何故この金額となるのか。巨人は利益をプロ野球全体に分配すべきだ。
 私は年収2千万円の経験がない。しかし、そんな所得があっても、有名人になってしまえば金津園で頻繁に遊ぶことなんか到底できない。
 どっちが幸せだろうかと思う。私は自分の人生のほうが好きだ。

 人間の性格の成り立ち

 (2009年03月13日(金)の日記)
 昨日は娘が孫を連れてやってきた。
 私は、かっては、人間の性格は親の育て方と環境によって定まってくると思っていた。
 平成17年にUPした文章に次がある。  この後次々に孫ができて、4人の孫につき性格をオギャーの時から注目して見てきた。
 で、4人とも見事に性格と振る舞いが違う。「どうして? なぜ?」が多い子、無口な子、笑ってばかりいる子、他人を見る目が冷ややかそうな子、妙に大人しい子、始終動いている子。まあ、喃語の時期から何やらそれぞれ違うのだ。
 上の判断をあらためて確認した。面白いものだと思う。
 今朝の中日新聞のコラムに「WHY?」をよく言う子供の話が載っていた。大変同感できるエッセイだ。
 私は子供の頃に「これは何?、どうしてこうなるの?、なぜなの?」という質問が多くて親を悩ませていた。「もう、うるさい。あっちへいってなさい」と母に怒鳴られたことがよくあった。
 好奇心や探求心は大変大切だ。これがない子供は、小学校でクラスの5番目以内に入れないと思う。
 小学校で、クラスの5番目以内に入れない子供は、確率的に凡庸人の大人になるしかない。教科書に名前が出てくる人(明治以降の生まれ)の大部分は、小学校で、少なくともクラスの5番目以内に入っていることが多い。
 小学校の成績は大切だ。ただ、親に一生懸命勉強させられて、それでようやく5番目以内に入った人は凡庸人になるだろう。
 2018年10月に橘玲(たちばなあきら)氏の言ってはいけない(新潮新書)を読んだ。氏の説では犯罪者の子供は犯罪者になる確率が高いらしい。
 本の副題が『残酷すぎる真実』。まあ世の中、綺麗事で済まされすぎというのは私も全く同感だ。

 名古屋市の敬老パス

 (2017年06月10日(土)の日記)
 平成27年度の名古屋市の市バスの営業収支が17.3億円の赤字だと知って驚いた。
  京都市  バス 230円 地下鉄 210円〜
  名古屋市 バス 210円 地下鉄 200円〜
  大阪市  バス 210円 地下鉄 180円〜
 私の観察では、バスの営業効率は、京都が名古屋の2倍から3倍は絶対にある。それは、(1) 京都は観光客が多い (2) 京都は地下鉄が名古屋に比べて充実していない──の2点によるのだろう。
 だから、名古屋のバス料金は10〜20円上げるべきだと思う。敬老パスの値段も上げたほうが良いだろう。
 私は1月生まれだから、1月が何かと境目になる。今年の1月で10年の有期年金が終了し、すっかり貧乏になった。2月から医療費の一部負担金の割合が2割に下がった。名古屋市の敬老パスは来年の1月までのものを持っている。
 名古屋市の地下鉄とバスが無料で利用できるこの敬老パスに、今回から磁気カードの方式がICカードに切り替わり、manacaの機能がつくようになったが、全く利用してなかった。
 ところが、妹が「manacaならチャージさえすれば、JRも名鉄も京都のバスも、切符を買わなくても通れるよ。どうして使わないの」と言うから、それは結構だと思って、とりあえず 5,000円チャージした。やってみるとなかなか便利だ。(この5,000円は京都と岐阜関係で既に1,600円遣った)
 名古屋市の敬老パスは普通に所得がある人なら 5,000円支払えば交付される。私はこの金額が問題だと昔から思っている。
 私は無職・無趣味だからほぼ毎日家にいるけれど、それでも通院と買い物を主体に、月に1,500円〜2,500円は市バスと地下鉄に乗る。ということは、年間25,000円は利用している。仕事に就いている人や、趣味で外出することの多い人なら、年間60,000円以上市バスや地下鉄に乗る人などいくらでもいるだろう。
 敬老パスを得た者のうち年間20,000円以上市バスや地下鉄に乗る人はかなりいると思うが、費用はたったの 5,000円。援助しすぎだ。この料金については以前倍増から5割増し程度改訂の提案が出て否決されたようだ。これは、少なくとも5割増しの料金にすべきだ。敬老パスで毎日パチンコ屋に出勤する老人の交通費を支援するなんて冗談じゃない。
 河村市長と安倍総理の考えることは全ておかしい。  しかし、名古屋市の市バスの営業収支が大赤字というのは、要するに、税金で支えている、即ち専ら自家用車で移動する人や大金持ち・企業から得た税収で対応しているのだから、かなり左翼的思考で、私のような貧乏人は歓迎すべきなのかもしれない。

 京都と名古屋の市バス

 2018/9/28に注目したニュース───京都市バス、混雑対策で「前乗り後ろ降り」
 市バスは現在、後方から乗って前方の降り口で運賃を払う「後ろ乗り前降り」方式だが、地理に不慣れな観光客が降車口に近い車内前方に流れ、後方の乗客が降りにくいなどの問題が起きていた。
 私は耳が遠くて、スピーカーから流れる案内が聞き取りにくい。その上土地不案内だから、京都市バスの前面上部に設置された液晶の案内板が頼りだ。
 しかるに、乗客が前方に集中し、案内板が見えにくい。下りる時も大変下りづらい。名古屋の市バスは前乗り後ろ降りだから、どうして後ろ乗り前降りなのかと憤慨していたので、この変更は結構だと思った。
 京都市バスに乗った時、運転席左上の液晶の案内板の表示がとても結構なことに驚いた。名古屋市バスの表示はド単純でよそ者や外国人にはとても不親切な表示だ。名古屋市に投書してやろうかと思っていたら、最新のバスでは京都市バスのようなしっかりした案内が出るようになった。

 備忘録

 過去の住所が紙に記された文字として全く残っていない。郵便物を残していないし、しっかり保存している文書なんて滅多にないからそうなる。
 ただ、小学校入学前の住所は母の思い出話をよく聞いたから記憶から復元できる。就職後の住所も何とか記憶している。
 今のうちに文字にして残しておけば何かの役に立つと思って、以下を記す。
S22〜25年 名古屋市中区葉場町、現在平和一丁目、金山駅の北東すぐ
S25〜27年 名古屋市中区御幸本町、現在錦二丁目、かっての東海銀行本店の敷地内
S27〜28年 名古屋市中区小市場町、現在錦三丁目、テレビ塔のすぐ西隣
S28〜44年 名古屋市内の現住所
S45〜48年 仙台市青葉区国見 (←独身寮)
S48〜49年 仙台市若林区西新丁(←新婚所帯)
S49〜53年 仙台市青葉区高松 (←社宅)
S53〜57年 松戸市松戸新田  (←社宅)
S57〜58年 名古屋市瑞穂区惣作町(←社宅)
S58〜現在 名古屋市内の現住所
 随分引っ越しをしたものだ。本が一杯あったから引っ越しが大変だった。地名で検索すると懐かしい想い出が蘇る。
 給与所得の源泉徴収票より(初年度の昭和45年分は省略)
支払金額 支払金額 支払金額 支払金額
昭和46年 988千円 昭和47年 1,125千円 昭和48年 1,497千円 昭和49年 2,048千円
昭和50年 2,302千円 昭和51年 2,706千円 昭和52年 3,207千円 昭和53年 3,437千円
昭和54年 4,040千円 昭和55年 4,529千円 昭和56年 4,926千円 昭和57年 5,931千円
昭和58年 6,520千円 昭和59年 6,912千円 昭和60年 7,193千円 昭和61年 8,132千円
昭和62年 8,326千円 昭和63年 8,994千円 平成元年 9,789千円 平成2年 10,560千円
 こうやって見ると、高度成長期は高度に成長するねえ。
 上の仙台市青葉区高松は源泉徴収票を見てわかった。別の地名で記憶して、正式な地名が高松だった。勿論当時『青葉区』はまだない。
 私は源泉徴収票を残していない人は問題だと思う。あの紙切れ1枚、30年分残しても体積はごく僅かだ。これを保存せずにアルバムをしっかり整理する馬鹿にはボーっと生きてんじゃねえよ!と叱りつけたい。
 源泉徴収票は1年間格闘した証だよ。

 訴訟最終告知通達センター

 (2018年07月27日(金) の日記)
 ワイフが「とうとう来たわよ。冗談じゃない」と怒り口調だ。
 何かと思ったら欺罔のハガキ(宛先はワイフ)だ。ワイフの知り合いにも同じようなものが来たという。その人がどうしたかと聞くと、すぐに警察へ持っていったと説明するので、同じようにしないかと言うと「イヤ!」との返事だった。
 なお、勿論このような取引に心当たりはない。重要事項が普通郵便での連絡で、ハガキの到着が26日で『最終期日』が7月27日なんてことを役所がするわけがない。それに、案件について具体的なことが一切書かれていない。まったく笑止だ。
「こういうものは、ジジイではなくババアに来るんだな」
「そうよね」
 それにしても、こういう件で駆け込まれたら警察は動くのだろうか。私はそんなことは想像できない。
 ここまで26日に書いてから 訴訟最終告知通達センター ハガキでググった。案の定いろいろ出てきた。
 ハガキを見てすぐに欺罔という言葉が思い浮かぶのが、私が刑法を勉強した証だ。
 この単語は、会社に勤めていた39年間で絶対に使ったことはない。本を読んでいて出会ったことはあると思う。

 こき下ろしが面白い

 (2010年07月15日(木) の日記)
 私は、2ちゃんねるに居ついて馬鹿な書き込みをしている馬鹿な人を小馬鹿にする文章をよく書く。馬鹿だと考える理由はたくさんあるが、最大の理由は、2ちゃんねるに現役の嬢の名を出してあーだこーだと書くことだ。
 とにかく2ちゃんねるのソープ板なんぞに常駐するのは正真正銘の馬鹿なので、私が小馬鹿にする文を書く度に2ちゃんねるに即座に反応が現れるから面白い。
 私が、馬鹿な低思考にして、愚かな買春行為しかできない未熟者、にもかかわらずヘボな意見を言いたくる態度だけでかい、こういうクソガキを徹底的にこき下ろすから、この馬鹿な連中は大変馬鹿なことには、猛烈に敬服すべき私をものすごく嫌う。
 心から毛嫌いしているならば私の論なんぞわざわざ見にこなくても良いのに、この馬鹿な奴らは大変馬鹿だから、わざわざ陶酔記を覗きに来て、私が奴らを小馬鹿にする文章を読んで、大変馬鹿なことには、いちいち発火して、2ちゃんねるにまた馬鹿なことを書き込んでいるのだ。
 あまりにも馬鹿が発現しすぎだ。この馬鹿が陶酔記を覗きにくるのは、粗チンを悩む男が毎日のように三面鏡の前にチンボ姿を出して、サイズを検討しているようなものだ。或いは、1日6回以上ウンコが出る下痢状態が1週間続いて、苦悩の中でまたウンコして、出たウンコを呆然と眺めているようなものだ。
 私の喩えの言い回しは若い嬢にはとっても受ける。
 嬢に銘菓を持っていったとする。銘菓だから、小型の卵ぐらいのサイズぐらいの菓子が、見事にデザインされたゆとりのある袋(防水性有り)に入っていて、それ開けるとぴっちりした袋に入っていて、そのグラデーション模様が見事な、少し湿り気を帯びた包みを破ると、果物を使った美味しそうな菓子がようやく現れる。
 それを見ての会話。
「銘菓というのは本当に一個一個の包装が凄いね。パンツに包まれていて、更に、キンタマ袋にくるまれていて、その中にある、大切な睾丸という感じだな」
「パンツがあって、袋があって、その中に……、わっかりやす〜い」
 この若い嬢との会話は ルーブルのミチルに4回目の入浴をした時のものだ。
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(千戸拾倍 著)