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あるソープ嬢の想い出(前編)
1.風俗入り
平成1×年夏、風俗未経験、つまりド素人の私が、無謀にも金津園のソープランドなんぞで働きたいと思ったのは、単にお金を稼ぎたかったからだ。
ただ、たくさんの人が恐らくそうであるように、「ただエッチするだけで、すごく稼げるんでしょう?」という、ソープ嬢に聞かれたらぶん殴られそうな、大変甘い考えではあった。
とにかく私はソープ嬢になる決心をして、まず会社を辞めた。
ものすごく勇気があるというより、むしろおっちょこちょいだ。ソープランドとはどんなところなのか、どんな仕事なのか、大して深く考えもせず、「ちょっとだけ、お試しに」なんていう考えでもなかったから面白い。
遠くの本屋に自転車を走らせ、金津園の情報誌を買った。たまたま「初めて金津園で遊ぶ人の特集」という企画がされていた。
そこには、金津園に行くときは事前に体を清潔にすることとか、電話で総額をしっかり確認することとか、遊び方のノウハウのようなものが書いてあり、大変参考になった。
興味深いことが載っていた。
情報誌では、どの店にも入浴料が記載してある。ところが、別にサービス料が要って、お客は店の入浴料の3倍程度の金額を用意せねばならない。ということは、入浴料を見ていけば、その店で働いた時の私の手取りがわかるということのようだ。これは便利、とパラパラ眺めた。
困ってしまった。なぜ店によって、入浴料に大きな差があるんだろう。5千円のところから3万円のところまである。この差は、ルックスで判定されるのか。でも、失礼だけれど、料金を低く設定している店にも可愛い子が大勢載っている。
一体何が違うんだろう。だって、5千円の店より3万円の店の方が稼げるに決まっている。
でも、ここで勘が働いた。高いのには必ず訳がある。お金を多めにもらえるということは、要求される仕事もレベルが違ってくるんじゃなかろうか。ましてや私は初心者。無理はしない方が良さそうだ。
入浴料が一番平均的なのは1万円だったから、結局、入浴料1万円の店で、女の子がたくさん載っていた××という店に電話することにした。
このときは知らなかったけれど、私の判断、「高い店には何かがあるな」は正解だった。
そういう高級店は、しなければならないサービスというのがやっぱりすごいものだった。入店してからしばらくして、私はそういうことを先輩たちから教えられた。金額だけで判断しなくて良かったとつくづく思った。
私は、金津園というところはその筋の人ばかりが働く、非常にアングラな、とんでもない怖いところと認識していた。
だから、電話の話し方も、面接での応対も、嘘・偽りはないようにし、そして失礼のないように、充分な配慮が必要だと思っていた。今思えばおかしいけれど、私はそう考え、真剣勝負の気持ちだった。
××店に電話をかけ、口調はとにかく丁寧を心がけた。
「はい、××でございます」
優しい声の男性が出た。
あれっ?もっと柄が悪いと思っていたのに、意外だ。しかし、油断してはいけない。
「もしもし、ちょっとお伺いしたいことがあるんですが、今、お時間よろしいですか? 私、名古屋に住む××と申します。風俗で働くのは初めてなんですが、頑張って使い物になるよう努力しますので、今コンパニオンを募集していらっしゃるのでしたら、一度面接していただきたいのですが。時間は何時でも結構です。あと、申し上げにくいのですが、私、スタイルが悪いのです。ちょっと太めなもんですから」
名乗りはなんとフルネームでしてしまった。後で聞いた話だが、その日××店のボーイさんの間では、「また、えらい礼儀正しい子が電話をしてきた」と話題になっていた。
そりゃそうだろう。きちんとしすぎていることが場違いだという認識はない。そういう態度で臨まなければ、女の子なんてたくさんいることだし、全く経験のない子を採用するわけがないと思っていた。完全にリクルート活動と同じ気持ちで動いていた。
次の日、私は初めて岐阜駅の南口に降りた。こちらが頼んだ面接なのに、なんとお店の方から迎えに来てくれると言う。
ロータリーから電話し、名前と服装を聞かれ、「Tシャツにスカート、赤いバッグを持っていますから」と答えたものの、雑誌に載っていた女の子の服装を思い出して、「しまった。きちんとしたスーツで来なければいけなかったかな」などと考えていた。
やがて、到来した車から降りたスーツのおじさんが声をかけてきた。車に乗り込んで、いよいよ緊張してきた。
店に入ってから1時間ほど待たされた。後から思えば、まだ開店前で、店長も出てきていなかった。そんなことは知らないから、待つ間とにかく不安だった。
あの子、使えそうにないよ〜と言われているんじゃないだろうか? どう言って、帰ってもらおうか、なんて奥で相談していたりして。もうちょっと痩せてから来れば良かった。こんなラフな服装で来たのが間違いだったかな。
とにかくいろんなことを考えた。なぜか涙が出てきた。
やがてボーイさんが入ってきて、「店長が今来たよ、待ってね」とお茶のおかわりを置いていった。
店長というからにはどんなに柄の悪いオッサンが入ってくるのかと思ったら、意外にも30代前半の、細面で真面目そうな感じの人だった。
「ごめんね〜。待たせちゃって」
色黒の笑顔がさわやかすぎて驚いた。
パニック状態の私が最初に口にしたのは「ごめんなさい、太っていますが」だった。
店長は、そんなこと、気にしなくていいよ、と笑って、いろんなタイプの子がいるからウチは流行っているなどと言った。
そして、前日の電話で聞かれたことをもう一度微細に確認した。昨日答えたことなのに、この人には伝わっていないのかしら、と怪訝な気持ちで答えていると、最後に店長が言った。
「昨日の電話の内容は本当だったんだね」
安堵はしたけれど、最初の電話でいい加減なことを言っておいて、面接ではまた別のことを言う人もいるんかと驚いた。私はソープというのは女の子にとって大変怖いところだと思っていたから、そんないい加減な態度をしておれば、ひどい目に遭うはずだと考えていた。
「それじゃあ、部屋へ案内するよ」
ええっ! いきなり〜? びっくりした。
「あのー、採用していただけるということですか?」
「そうだよ。よろしくね」
こんなに簡単なものなのかと拍子抜けして、店長の後を追った。個室を見せてもらうことになっていた。
個室の扉は別世界への扉みたいに見えた。ここをくぐると人生が変わるような気がした。
その扉の向こうはデーンと置かれたベッドだけが目立ち、安ホテルの部屋のような空間だった。タオルが山積みになっている。オシャレではない。
その向こうは、間仕切りがあるわけでもなく、いきなり風呂場。変な間取りの空間だ。
浴槽、マット、ベッド、そしてたくさんのタオルとティッシュペーパー。この部屋が何のために存在しているかが思いっきり強調されているみたいで、息苦しくなる。胃も痛くなったような気がする。
店長が「こんな感じです」と一言。更に「どう?」と聞く。
何と答えれば、持ち主としては嬉しいのだろう。「変な間取りですね」はおかしいな。「いかにもヤリ部屋って感じですね」も、逆に当たり前じゃ!って突っ込まれそうだな……。
とりあえず「可愛い部屋ですね」と、わかりやすいうそをついた。
店長がとんでもないことを言った。
「君は、風俗は全く初めてなんだね。じゃ、マット教えるから、教える予定の女の子が来るまで、もう一度さっきの部屋でくつろいでいて」
ええーっ! 今日はもう帰れると思っていた。朝から緊張の連続で、今日のところは、早く家に帰ってジャージに着替えて、足を投げ出し、ボケーッとしたかった。あとは後日また、ということで。
なんて言い出せないから「ハイ」とだけ言って、最初の部屋に戻った。
マットか……、私には無理。覚えられるかな。頭の中はぐちゃぐちゃで、今自分が何をしているのかよくわからなかった。
言われるままに、行儀良く先輩の女の人を待った。
マットプレイを講習するために、社長が店のNo.1をわざわざ呼んでくれたらしい。今日は公休日なのに、今電話して、すぐ店に向かわせていると言う。
「本当は僕が直々に講習したいんだけれど、腰も痛めていてね。君は本当に風俗の経験がないようだから、最初は女の子同士の方が安心だろう?」
店のフロントは、テーブルの部分が高くて中は広い。私はその内側のスツールに座っていた。来店したお客に気づかれることもなく、そこでまた2時間ほど待った。
その日は平日だったから客足もまばらで、フロントのボーイさんも何かと私に話しかけてきた。
「今から来るユカって子はな、今じゃちょっと珍しいくらい稼いでいるベテランなんや。わからんことがあったら、何でも聞いたらええわ」
言葉の端々にある親切さを噛みしめている余裕はなかった。
大体、ソープランドにおいてマットプレイが不可欠だということさえ知らなかった。
マット? 何それ、言っとくけれど、私知りませんよ。多分上手くもならないと思います。心の中でそうぼやいていた。
私にとってソープランドとは、セックスしていっぱいお金をもらえるところだった。箱を借りた援助交際だ。体を許すこと、その罪悪感を麻痺させること、その不道徳さを気にしないこと、これがソープの仕事だと思っていた。
社長と紹介された小父さんが近づいてきて私に聞いた。
「君は今まで、月収はいくらだったの?」
私は、会社の固定給に、週末こっそりやっていた飲食店のアルバイトの給料も足して答えた。
「頑張って20万です」
社長はニヤッと笑った。小太りで、整髪料のつけ方が過剰の感じがした。
「ふーん。ここでは、給料の桁は違ってくるから。でも、君が頑張らないと、その3〜4倍くらいしか稼げないけれどね」
ピンと来ない話だ。
頑張らなくても60〜80万は稼げるの? 大体、頑張るって、具体的に何をどうすることなんだろう。
まあとにかく、「稼げる」という漠然とした感覚が、急に具体的な数字になり、しかしやっぱりピンと来なくって、私は相変わらず無表情なままだった。
フロントのボーイさんが私に言った。
「緊張しまくっとるなぁ。お客にはニコニコ、彼氏にするように甘えて甘えて、また来てね、気持ちよかったわって、言っとけばいいんや」
彼氏なんかいない。いないから、何とか耐えられるのだ。
その口調からすると、何、みんな彼氏がいながら、ニコニコと他の男に、次から次へと抱かれているとでも言うのだろうか。
金で私を買った男に、「よかった。また来てね」なんて言えるのだろうか。むしろ「お金さえもらったら用はないのよ、バーカ。二度と来ないでね」と思ってしまいそうだ。
でも、私はあえてそういう仕事をしようとしているのだから、今から始まる高収入ライフにワクワクしこそすれ、売る自分を憂えてはならないと思った。
実はイヤだと思っていることが店の人にばれたら、「じゃあ来なくていいや」と、すぐに帰されてしまいそうに思っていた。
ボーイさんのノー天気な表情は、一旦何かあれば、すぐさま厳しい表情になるような気がした。
やがてユカさんが現れた。
「おはようございまーす!」
なんて弾んだ声を出すのだろう。場違いだ。仮にも、自分が見も知らぬ男達に金で抱かれる場所にやって来たというのに。やっぱりNo.1ともなると、その辺の普通の女の子の感覚はとうに失っているものなのか。
とにかく私は精一杯の表情を作って言った。
「よろしくお願いします。初めてですけれど、頑張って覚えますから」
やる気に満ちあふれていたわけではない。女同士の職場で、いじめも派閥もあるだろうし、とにかく初めが肝心と、好感の持てる態度を装っただけだ。
それにしてもそのユカさんは、終始ニコニコしていて、大変感じがよかった。
「じゃあ、早速始めようか。最初は誰でも下手なのよ。うまくやろうと思わなくていいからね」
突然、女の子が一人フロントに飛び込んできた。控え室から全力で走ってきたらしい。後で聞くと、まだ入って二ヶ月たらずという、そのアヤちゃんがボーイさんに言った。
「その子、ユカさんに講習してもらえるんだって? いいなーぁ! 私を台にしてよ。私もユカさんに教えてほしい!」
私は思わずアヤちゃんとボーイさんとユカさんを代わる代わる見比べた。
ユカさんに講習してもらえるのって、そんなにステイタスなことなんだろうか。台って何だ? この子も参加するってことなのか? ちょっと、貴女、初対面の私の前で、頼まれもしないのに裸になっちゃうの?
後からわかったことだけれど、ユカさんはいつもNo.1かNo.2の座をキープして、部屋持ちになっているのは当然のこと、休む時間ができて控え室に戻ってくることなど先ずなくて、しかも、きれいで優しいから、女の子の間でもカリスマ的存在だった。
その憧れのユカさんが講習するのに、予約が入っていて、講習に志願参加できない新人の子たちは残念がったそうだ。これは後から聞いた。
アヤちゃんは、偶然朝のうち自分の予約が入っていないことを確認していたから、話を聞きつけて早速フロントにやってきたのだった。
ボーイさんはあっさりアヤちゃんの申し出を認めた。
「マットなんかは、やってもらいながら説明されたって、なかなか動きがわからないもんだから。アヤがマットしてもらっているところを横で見て、それから同じようにやってみるんや」
そうか、人様の前で裸になるなんてと言っているほうが恥ずかしいぞよ。何だかそういう気分になってきた。
三人はユカさんの部屋へ向かった。
2.講習
狭いベッドで、ユカさんを前にし、私は勿論のことアヤちゃんまで緊張していた。二人で正座して「よろしくお願いします」と頭を下げた。
すると、ユカさんはクスクス笑いながら言った。
「そんなに堅くなっちゃったら疲れちゃうわよ。大変さだけが頭にあるようだけれど、要は、彼氏といるときみたいに、優しく演じてあげればいいの。貴女達は、彼氏、いる?」
また、彼氏だ。彼氏がいてこの仕事をしていたら、まともな女の子なら神経をやられちゃうでしょうが……。
そうは思ったけれど、そこでアヤちゃんが納得したように頷き、「ハイ、います」と答えた。
私はそれにつられて、「ハイ、私も」と言ってしまった。我ながら哀しいウソだ。
ユカさんは笑顔を絶やさずに話を進めた。
「そうよね、いかにもお金を貰うために仕方ないから、ハイやってって、みたいな態度だと、お客さんにも伝わってしまうから。……それじゃあ、二人とも服を脱いで」
ユカさんはパッパと脱いだ。続けてアヤちゃんも。
最後に脱ぎ終わった私は、ユカさんの女らしいきれいな体を前にして、やっぱり恐縮の言葉しか出てこなかった。
「すみません。私、太っていて」
ユカさんはまた笑った。
「スタイルには好みがあるのよ。それに、こんな仕事していればイヤでも痩せていくわ。それより貴女、可愛い下着をつけているのね。お店でつける下着は、今のままのセンスで買い足していけばいいのよ」
フォローするより更に褒められて、多分嬉しいからなのだが、何となく泣きたくなった。
お客さんの服は私が脱がせてあげること、私は下着までさっさと取らずに、「脱がせてぇ〜」などと言いながらすり寄っていけば効果的なこと等を手短に教えられた。
三人でお風呂場に行き、私とアヤちゃんは先ず湯船に浸かった。
ユカさんが、シャワーでボディソープを泡立てながら声をかけた。
「先ず、体の洗い方からね。私がアヤちゃんをお客と思って洗っていくから、貴女はそれを見て、私がすることを真似してやるのよ」
ユカさんは、アヤちゃんをイスへと促した。凹型の変な形のイスだ。
「よく見ていてね。泡をこうやってお客さんの体につけて…、オッパイをこすりつけて、円を描くように洗ってあげるの。会話したり、キスしたりしてね。お客さんの手を、こう自分の胸に持って来て、さわらせてもあげるの。ハイ、ここまで。では、今まで私がやったこと、もう一回最初からやってみて」
ユカさんは、せっかく大量に作ったボディソープの泡を惜しげもなく流してしまい、アヤちゃんについた泡もすっかり落としてしまった。
私は湯船から出て、先ずシャワーのお湯を出した。温度を調整は、焦りと緊張で、ぬるくなったり熱くなったり、いっこうに適温にならない。
どうにか丁度の温度になると、ボディソープのポンプを4、5回押して洗面器に取り、お湯を勢いよくかけてブクブク泡を作る。アヤちゃんの体にもシャワーをかけた。
「ほらほら、シャワーの勢いは強くてもいいけれど、それを直接体にかけたら、顔にまで水滴が飛んじゃうでしょ。だから、シャワーヘッドは手のひらで包み込むように持ってね」
ユカさんのアドバイスは細かい。けれど、とってもお客さんの立場になって考えている。聞けば当たり前のことなのだが、ユカさんが細やかなのか、私の気配りが欠けるのか。でも、もう一々考える余裕がない。必死でついていく。
本番なら、なごやかにエロチックに進行するはずの工程を、私はものすごい形相で事務的に進めていった。
何とかできた。すぐにユカさんが次の指示を出す。
「はい、じゃあまた交代ね。泡はそのままでいいわよ。続きをやってみせるから、また湯船から見ていてね」
ユカさんは模範演技を見せた。アヤちゃんの太腿に片方ずつ跨って滑ったり、アヤちゃんの後ろに立って、腕を巻きつけながら胸で背中に円を描くように乳房を滑らせたり、いろいろと動いた。
一つの動作ごとに、私は湯から出て、ユカさんがやったことを不器用に反復し、硬い表情のままでなまめかしいはずの動きをした。
「はい、じゃあ最後に、泡を作るところから通しでやってみて」
ユカさんの指示でおさらいするときは、それはもう真剣な気持ちで臨んだ。
後で振り返って気がついたけれど、されるがままのアヤちゃんも実は大変だった。イスに座りっぱなしで体は冷えるし、上手な動きと下手くそな動きとを交互にされて、やっと解放されて湯船に入ったとき、アヤちゃんは肩まで浸かって、ふーっと一息ついた。
二人が湯船で温まっている間に、ユカさんはシャワーを浴びながら言った。
「メインはこれからなのよ。この、マットの上でのプレイをやるからね。要は、この上で、ローションを使って私たちが動いてあげるの。先ずマットを床に敷く。さわってみて? 冷たいでしょ? これでは寒いだけだから、夏でもクーラーは止めるの。さっきのシャワーを熱めにして、マットの上に置く。このまま2、3分すれば、マットは温まるから。その間、私たちはね…」
そして、ユカさんはアヤちゃんと交代して、湯船に入ってきた。
私と向き合って座ると、「楽にしてね」と声をかけ、私の膝の裏に腕を突っ込んで、水面まで持ち上げた。
私は大股開きをして、ユカさんの膝の上にお尻を乗せている。女の人にこんな間近で私のあそこを見られるのは初めてだけれど、ユカさんはニコニコしたまんまだし、アヤちゃんも何てことない表情なので、あまり気にならない。
「ほら、本来だと、ここにおちんちんがあるでしょ? これを舐めてあげるのよ。この段階ではまだフニャフニャの人もいるし、既にビンビンの人もいる。けど、どっちだったとしても丁寧に舐めてあげるのよ。はい、ごめんね」
ユカさんは私の足を下ろして、次はローションの溶き方だと言った。
店のローションは1回分ずつパックに小分けしてある。大きな入れ物から目分量で注ぐ必要はない。パックは、銭湯でよく売っているシャンプーやリンスの1回分のパック、それのちょっと大きめのものだ。
これを切り口から切って、洗面器に入れる。このローションの4分の1ぐらいの目安で湯を注ぐ。のばすのが大変だ。
ユカさんは「なれないうちは、片手でシャパシャパとかすだけでもいい」と言った。でも、ユカさんが両手を小器用に動かすやり方を見ていると、片手でシャパシャパでは、初心者丸出しでみっともないように思える。
ユカさんがリズミカルな動きで器用にローションを溶いていくと、プルンとしたものが、飴細工のように次第にトローンとなっていった。
見応えがあるほど軽快にローションが踊り、これも一つの見せ場で、お座なりにはできないショーのように感じた。
だから、「いいえ、今覚えておきます」と言って、下手なりに一応やってみた。やっぱり思うようにはできなかった。
その後は、ローションを互いの体に塗りつけ合うことでもするのかと思っていたら、ここでも、なかなか見事な動作をせねばならないようだった。
ユカさんは、両手でこれを一すくいすると、マットに垂らした。そして、マットの上に腹這いになると、両手を大きく開いてマットの端をつかみ、自ら上下左右にダイナミックに動いて、体でローションをのばしていった。
素直に、わぁーエッチだなぁ、と思った。
私がこれをやったら、トドがバタバタしているように見えるんじゃないか。ローションなんて、手でサッサッとのばせばいいじゃん、これって絶対にやらなければいけないことなの?…と、また逃げ腰になる。
「ハイ、ちょっとここまでね」
ほら来た! あまりの下手さを嗤われませんように。
ちょっとひいているのを悟られないように、神妙な顔で湯船を出た。
「マットの上に寝てみて」
言われた通りにするが、マットの縁に膝を突いたため、つるっと滑って床に膝をぶっつけた。
「イテッ!」
思わず地声で叫んだ。
「ここでは気をつけないと危ないわよ。ほら、よく見て。マットの頭を乗せるところと足のほうのところに溝があるでしょ? ここに手を這わせて体を固定するのよ。どこにもつかまらずにこの上で動き回るなんて、私もできないからぁ」
ユカさんのフォローに安堵して、何故か息まで止めて、枕側の溝に手を置いた。
上下に動くことができた。胸もおなかも、体の前面を使って滑りながらローションをのばした。
風呂の中でのんびりしていたアヤちゃんの出番である。ユカさんはマットの上にアヤちゃんを横にならせた。最初はうつぶせなんだそうだ。アヤちゃんはもうマットのやり方を知っているから、なれた仕草でマットの枕のところに顔を持っていってうつぶせの体勢になった。
ユカさんはアヤちゃんの背中からお尻にかけてローションを垂らすと、さっきの要領で、ローションを全身にのばしていった。うつぶせのアヤちゃんに馬乗りになって、主に胸を使ってクルクル円を描くようにした。
案の定お呼びがかかったので、ユカさんと交代してアヤちゃんの上にのっかった。
「あなた、胸はあるし、ローションを使えばすんなりと動かせるでしょ。うん、そうよ。貴女は体が柔らかいから、深く動けるわ。ゆっくりよ。早く動く必要はないのよ。ゆっくり肌が擦れ合う感触を、お客さんは愉しんでいるのよ」
そうか、目の前にいるのは、当たり前だけれど男性なんだ。
ユカさんやアヤちゃんみたいな女の子ではないのだ。仕事をする前から、もっと言えば、仕事の手順を理解する前から、嫌悪感だけが大きくなってきた。
もう一つ、ユカさんが重要そうなことを言った。
「ねえ、吸い舐めってわかる? ただ舐めているだけでは刺激が弱いから、お肌を吸い込むようにして、同時に舐める動きをするのよ」
そんなもの、わっからな〜い! こんなドロドロしたものがついているところを舐めるなんて、冗談じゃない。舐めるんですかぁ?とストレートに口に出したかった。
でも、ユカさんの口調だとマットの上で相手を舐めるなんていうのは全く当たり前のことのようだから、ぐっとこらえて「よくわかりません」と言った。
ユカさんは私の腕を取り、肘から手首のあたりまでを口で吸い込みながらすーっと舐めた。
異様な感触だった。思わず「うわぁ〜」と情けない声を出してしまった。
「これが気持ちいいのよ。背中も、こうやって吸いながら舐めてあげるの」
私が何を思っているのか全部お見通しなのか。
「これ、舐めようが飲み込もうが、体に害はないのよ。吸い舐めしていると、口の中にたまってくるから、ペッなんて音を立てないようにして、マットの外に落とせば大丈夫」
やっぱりユカさんは、私が考えることくらいはお見通しのようだった。何もかも適切なアドバイスと説明だった。
私は更にマットプレイについて教わった。
お客役のアヤちゃんが仰向けになって、69の体勢になったときだ。
「自分のあそこを見られるというのはイヤだけれど、お客さんは素直に亢奮するから、気にしちゃダメよ」
ユカさんもイヤだと思ったことがある。このことだけで何だかすごく安心した。
「足の指をこう持ってね。イヤだけれど〜、こうやって、1本ずつ舐めてあげるの」
ユカさんがよく使う、付け足す言葉の「イヤだけれど〜…」にとても親近感を覚えて、自分がしなければいけないことへの嫌悪感が、少し薄れるような気がした。
そうか、この人だって、イヤだと思うことはあるんだ。でも、こんな笑顔でいられるんだ。私も頑張らなくっちゃ。そう思った。
講習する側からしてみれば、私の納得の仕方は好ましいのかどうかわからないけれど、とにかく私は幾分気持ちが落ち着いてきた。
とっても大切なことなのだが、全然気づいていなかったことがあった。
マットプレイでの合体だ。
一通り交代しながらのマットの説明が終わったところでユカさんが言った。
「順番を間違えたり、今日ここで教えたことのうち何かを飛ばしてしまったり、いろいろ出てくるだろうけれど、マットは自分でなれて、上手くなっていくものだから、100%今日の通りにしようと思わなくていいのよ。困ったら、フェラしてあげなさい。女同士の講習だから、おちんちんのさわり方はきちんと教えてあげられないけれど。最後は、貴女が上になって、ゴムつけて、入れるのよ。頑張って腕で体を支えて、腰を振るの」
最後の説明で、前半の説明から意識が吹っ飛んでしまった。
私はそれまでの流れで、マットプレイとはちょっとエッチなマッサージというような理解で見てきたので、まさかこの上まぐわうことになるとは全く思っていなかった。大体が、ベッドの上で、男の人の上に跨ってしたこともほとんどなかった。
「えっ、ここでこのまま、しちゃうんですか?」
「そうよ。終わったらゴムを外して、シャワーをお客さんにかけて洗ってあげてね。ほら、こんなふうに」
後かたづけの順序の話になってしまい、私は一番根本的で重要なことを聞き逃した気がした。
どうしよう、どうしよう。そればっかりだった。
それまでの、やってやろうじゃないか、という気持ちはどこへやら。心の中では、だからさぁ、無理だってばぁ、できないってばぁ、とブーイングの嵐が吹き荒れていた。
まあ、どんなにあらがっても、ここまできたら、結局は自分がそれを受け入れ、しかも、上手くこなしていかなければならないのは、よくわかっていた。だから、3人でお風呂を出て一息ついたときも、そのことにはふれなかった。
私達は結局4時間半ばかりを風呂場で過ごした。
それでもすべてを教わるには全く足りなくて、私はこの後もいろんな人に様々な質問をしている。
初めての講習は、緊張と驚きの連続で、私はくたくただった。
店長は、その日の夕方から1本だけでも客につかせようと思っていたようだけれど、ユカさんが止めたらしい。
今日は帰らせたらどうか。大丈夫、あの子は絶対に真面目に仕事をする子だから、とフロントに言ってくれたのだそうだ。
私はかばいたくなるほどつらい顔をしていたのか、それとも、よほど疲れているように見えたのか、今となっては恥ずかしい。「今日は帰ってゆっくり復習して、休みなさい」と言われて、心底ホッとした。
ユカさんとアヤちゃんは、講習の後すぐにお客さんについたので、私はお礼を言うこともできなかった。
帰り際、もう一つテーマが出た。
「おい、名前をどうする? まだ決めていなかった。自分で考えてきてくれ。明日の宿題な!」
想いにふける時間なんてなかった。私は何も考えられないまま、まっすぐ家に帰り、そのまま夜までぐっすり眠った。
3.初出勤
今日から仕事だ。
店で使う源氏名を決めておくように言われたけれど、仲間の人たちがどんな名前にしているかも知らないから、結局考えあぐねた。
例えば「ユカ」という名の子がいるのに「ユウカ」を希望したら、紛らわしいからだめと言われるだろう。既に使われている名を希望したってしょうがないのだ。
どうせなら、女の子らしい可愛い名前にしたいけれど、他の子に分不相応だと嗤われたりしないだろうか? そんな、どうでも良さそうなことが気になって、なかなか決めかねた。
大体、私は芸能人でも作家でもないから、生まれてこの方、本名以外を名乗ったことがない。
いきなり新しい名前で呼ばれて、私がきちんと応対できるだろうかと思うし、名字を明かさねば、いっそのこと本名でいいんじゃないか、なんて思い迷いながら、候補を考えた。
前日からこんな調子だったから、源氏名を考えることよりも、不安と緊張でなかなか寝つけなかった。これからの生活が全く不透明で、わからないことだらけだった。漠然とした重々しい不安感に包まれっぱなしだった。
殆ど眠れないまま、のろのろと店に向かった。
駅から店に電話をかけると、面接の日と同じ車でボーイさんが迎えにきた。
顔が引きつっていると笑い顔で指摘され、「緊張しているんです」と答えた声もまた震えていた。
「明日からは自分でタクシーを拾って、お店までおいで。帰りもそうだよ。君は、今日から天下のソープ嬢、タクシー代ぐらい屁でもなくなるから」
天下なんてとらんでいいから、帰らせて欲しい。そう思った。
店に着くと、フロントのボーイさんがやけにハイテンションで、私はますます萎縮した。
「おおっ、来たなぁ! 今日からたくさん稼げよ。さて、名前、どうする?」
何だか気恥ずかしかったが、「アイじゃダメですか?」と聞いてみた。
あっさりと承諾され、ゆうべの苦悩は何だった、もっと適当に考えていてもよかったじゃん、と肩すかしの気分だった。
これで、金津園の新人ソープ嬢アイちゃんが誕生した。
店が仕事に必要な物を用意してくれた。商売をするにあたって使う私物である。
「これからは、足りなくなったら自分で調達するんだよ。フロントに言ってくれれば、取り寄せるから。ここにあるのは、一式こちらで揃えておいたから、三日ぐらい働いてまとまったお金ができるまで、立て替えておくからね」
籐のかごに入った売れ筋のタバコが15種類ほど、ボディソープ、コンドーム、小物入れのプラスティック製のかご、これを今日使う予定の個室に運んだ。
そして、ボーイさんに手伝ってもらいながら部屋のセットをした。
タオルをたたんで積み上げる。この作業が面倒だ。ベッドのシーツも慣れぬ手つきで敷く。浴室のイスにもタオルを敷き、ボディソープをそばに置く。ローションなどの備品が足りているかチェックし、タオルに忍ばせたコンドームをベッドの枕元にセットする。
これだけのことだが、30分近くかかった。
最後に私物の入ったかごを部屋の隅に置き、これで準備完了だ。
この後フロントに電話して、部屋の時計とフロントの時計を時刻合わせする。ここまで終えたら、もう一度フロントまで下りていき、挨拶をする。
「今日も一日、よろしくお願いします」
「ハイ、よろしく。頑張ろうね」
ボーイさんはどこまでもテンションが高い。そのまま私を控え室へと連れていった。
控え室には女の子が10人近くいた。
一番奥には大画面のテレビがあり、大きなコタツが二つ並べてある。皆は座布団を敷いて自分の席を作っている。それぞれの鏡や化粧品、雑誌などの私物で机の上は雑然としている。
喋っている子、テレビを眺める子、ボーッとタバコを吹かす子、ホットカラーで髪をセットしている子など、みんなそれぞれ好きなことをしていた。
「みんな、今日から入ったアイちゃんです。よろしくね」
ボーイさんの紹介の声に続けて、「よろしくお願いします」と頭を下げた。
一斉に顔がこちらを向いたが、さほど興味もなさそうに、口々に「よろしく〜」と言い終えるや、またそれまでしていたことを続けた。
私が控え室に入ったのは、もう外が暗くなった頃だった。その日は暇だったのか、皆は早い時間から出前を取ったり居眠りしたり、ダラダラと過ごしていた。
私は手持ち無沙汰のせいか怖じ気が高じ、まるでくつろげる気分ではなかった。早くお客についてこの部屋から出ていきたい気もするし、一方では、このまま帰りたい気もするし、全くいたたまれない気持ちだった。
昨日講習を一緒に受けたアヤちゃんは、年下ながらも私に一生懸命気を遣ってくれた。
「アイさん、灰皿はあそこにありますから。あの冷蔵庫にある飲み物は勝手に飲んでいいですから〜」
「ご飯は、あそこに出前のメニューがあるんで、電話して好きなの頼んでくださいね。食っといたほうがいいですよ」
とてもありがたかった。でも、とてもじゃないけれど、言われた通りする気にはならなかった。
私はタバコを吸うし、皆も今ここで吸っている。でも、入店早々いきなり皆と一緒になってタバコなんか吸っていていいのだろうか、何もしないうちから食事だけはしっかり取って、そんなのいいのだろうか、新人のくせに冷蔵庫へスタスタ歩いていって、ドリンクを物色していては感じが悪いんじゃないか?
今思うと、皆がそこまで私に関心があるべくもない。しかし、私は緊張のあまり、そつなく振る舞おうとするあまり、何もせず何もできず、ただじっとそこに座っていた。
やがて、お客さんが入り始めた。次々に女の子の名前が呼ばれ、スタンバイがかかった。
私は自分の名前が一向に呼ばれないから、そのたびにがっかりし、そして安心もしながら、名前を呼ばれた女の子たちを観察した。
しかし、どうして皆、あんなにサバサバしているのだろう。
呼び出しを受けたとたん、食事もタバコも居眠りも速やかに中断し、パッと化粧直しにかかる。その数分後に改めて名前が呼ばれると、皆無表情のまま、小さなバッグや財布を持って、「行ってきまーす」と控え室を出る。残った子は必ず「行ってらっしゃい」と声をかけている。
これから「売春」しに、「セックス」しに行くっていうのに!
もうちょっと、嫌そうな顔の一つもしててくれれば、「私だけじゃない、みんな頑張ってガマンしているんだ」と励みにできるのに。
完全に尻込みしてしまった。と同時に、絶対にそれを周りに悟られてはいけないと思ったから、私は何とも言えない妙な微笑を浮かべていた。
またしばらく経った。
今度は、変なことが気になってきた。あんなに女の子がいたのに、今はもう数人しか残っていない。写真で見る私は、最後まで余ってしまうレベルの容姿なんだろうか? もしかして、これからもずっと、皆が忙しくしている中で、ポツンと控え室に残っていなければならないのだろうか? どうしよう……。
突然「ねえねえ」と声をかけられた。
私から一番離れたところで寝そべっていたから、全く目に入っていなかったのだが、縦にも横にも大柄な子が一人ムックリと起き上がった。
「あんたさあ、初めてなの? 仕事するの」
口調がとにかくぶっきらぼうだ。でも、ニコニコしているし、悪意もなさそうだし、こういう喋り方の人なんだろう。
「ハイ、初めてなんです」
ついでに聞いた。
「あのォー、今日はちょっとヒマな方なんですかねぇ?」
「いつもヒマだよ、ソープなんて。一日、1本か2本くらいだと思ってた方がいいよ」
「そうなんですかぁ……」
後でわかったけれど、この子はキャリアやテクニックはあるものの、体つきとキツめの性格のせいで、フロントが写真を出すこともあまりしなかったらしい。
従って、この店は彼女にとって、より「暇な店」だったわけだ。
それから5分ほどで私が呼ばれた。先輩より先にお客につくなんて、失礼に当たらないのかな、とチラッと思った。
大柄な子は「頑張ってね」などと励ますこともしないかわりに不機嫌な顔もせず、当然のように「行ってらっしゃい」と声をかけただけだった。
よけいなことを気遣いしたせいで、何が何だかわからないままの初仕事となり、さっきまで怖かったことなどは一応引っ込んでいた。
この日、私のアルバム写真はまだできていない。
ポラロイドの間に合わせの写真を見せて、ボーイさんはこう勧めるはずだ。
「素人のニューフェースですよ。初めてのお仕事になります」と。
ここまでは容易に想像できたから、私の初仕事のイメージも、甘い甘い積極性のないものだった。
《私の予想する、初めての仕事の流れ》
ケース1:お客さんは、この世界に飛び込んできた何も知らない私に同情してくれ、「緊張しているんだろう? 初めてだもんなあ……いいよ、今日は何もしなくても」と言ってくれる。いいムードで、会話だけで終わる。
ケース2:お客さんは、初めて仕事をする私の緊張をわかってくれて、「これから大変だろう? 体力勝負だよ!…今日はマットは、いいや。お話しよっ」と言ってくれる。和やかに会話で終わる。
ケース3:お客さんは、慣れない手つきで、それでも一生懸命に仕事をしようとする私をいじらしく思ってくれて、「これからも頑張るんだよ。ほら、お釣りはいらないから」とチップをくれる。「また、来てあげるからね」とさわやかに終わる。
バァーーカッ!!というのが、この時より少しは成長した、現在の私の感想だ。
まあ、なんとやる気のない。なんと他力本願な。規定料金の分を働く気ゼロ。シンデレラストーリーの影響を受けすぎていた可能性あり。プロ意識皆無。一度に数万円という大金を遣って下さるお客様へのサービスの気持ちなし。
私の想像を一言で言えば、100分を使ったソープのお仕事、初めてだから、お客様は何かを省いてくれるに違いない、というものだった。
とにかくセックスをするということだけが頭の中を埋め尽くしてしまい、結果としてこんな甘すぎる期待をしてしまったと思う。
そして、この期待は、当然ではあるが、思いっきり裏切られることとなった。
しかし、裏切られたからこそ、そこから少しずつ成長することになったのだろう。
気持ち悪いくらいの作り笑顔で、私は初めてのお客を迎えた。
コースは、店ではあんまりないというショートコース。もしかしたら、とにかくお茶を挽かせないために、ボーイさんが頼んだのかもしれない。
「いらっしゃいませ」
腕を組んで彼を部屋まで案内する。日頃しとやかに腕を組んで歩くなんてことはしないから、ぶきっちょな感じだと思う。腕をつかんで部屋まで連行といった方がいいかもしれない。
部屋を間違えたら大変なことになる。お客様への失礼だけではなく、先輩の女の子たちに「馬鹿!」と言われる。
客の前では開かないようにと言われたチケットを開いて、部屋のナンバーを確認し、指さし確認してその部屋に入った。
4.初接客
彼は中村さんといって、大阪から来た26歳の人だった。
ショートコースでは、マットとベッドのどちらか一つをすると教わった。お客様の希望を聞いて決めるのだ。
時間配分がわかっていない私は、時間がなくなっては大変とせかせかしていた。これくらいは話していても大丈夫とか、これくらいの時間が経過したらそろそろ○○をしなきぁとかの、目安が全くないから、頭はパニック。客の話なんて全く上の空である。
とにかくお湯をためるべく、蛇口をひねる。湯加減が全く定まらない。
早くお客さんの隣に落ち着かねばならないが、いざ入るときになって、熱すぎたり冷たすぎたりしては、その後適温にするまでの間、どうフォローすればいいのかわからない。だから、ゆっくりと慎重に湯加減を見た。
これで良しと思う頃には、既に浴槽には半分ほど湯がたまっていた。
さて、次は会話をしなければならない。しかし、会ったばかりの人と何を話せばいいのやら、次第に話は相手への質問、もっと言えば尋問みたいになってしまう。
「どこから来た?」「いくつですか?」「お仕事は何ですか?」
ソープ嬢に嫌がられる質問というのはたくさんある。しかし、私はその逆だった。お客が嫌がる質問ワースト10の項目はすべて聞いてしまったかもしれない。
いや、殴られそうだが、本当は私だってそんなことを聞きたくない。もっと言えば、目の前の客にそれほどの興味はないのだ。火星から来ようが、いくつだろうが、知ったこっちゃないという心境だった。
でも聞くのは、何を話したらいいかわからないから。聞いて、何か話がはずむ切っかけにでもなれば、と必死で彼の答に耳を傾けて会話の糸口をまさぐった。
お客は真面目な人だった。質問にはすべて答えてくれた。質問されたことにだけ答えてくれた。
とても意味のないQ&A合戦が終わり、私は唐突に「お風呂に入りますね。服を脱ぎましょうか」と声をかけた。
彼は私のシナリオにないことをやっちゃってくれた。
私は、お客様の服は必ず脱がせてあげなさいと教わっていた。一枚一枚たたんでかごの中に入れるのだ。そして、「ねえ、私も脱がせてぇ〜」と彼にすりよる。
ところが、彼は、私がかごに手をかけるや否やさっさと自分で服を脱ぎ始めた。
慌てて「あっ、脱がせます」と言うと、「いいよ、自分で脱ぐから」とアッサリ断られた。彼のTシャツや靴下、ジーンズが、たたまれないままポイポイとかごの中に放り込まれていく。
こういう場合があるなんて教わっていないし、融通も利かないから、どうしていいかわからない。どうして脱がせてあげなかったんだと、後で怒られないか不安になった。
一瞬棒立ちになった後、ハッと我に返り、「じゃあ今度は私も…」と声をかける前に、彼はスタスタと湯船まで歩いていき、「入ってるよ」とこっちを向いた。
どうしてそんなに淡々としてるの?と、何故か腹立たしくなってきた。
それを笑顔でごまかして、唇をかんだまま一人で黙々と服を脱いだ。石鹸で泡を作る作業をせねばならなかった。
とにかく初めて独りでする動作だから、今度は上手く手早く泡を作ることに集中して、一言も会話はなかった。
何とか泡を作り終え、「体を洗いますね、こちらへどうぞ」と、彼をイスに座らせる。少しテレが残っていて、自然に笑えない。さっき会ったばかりの人と、互いに真っ裸でいるのだ。まともに彼の体はおろか目を見ることもできない。
どうにか体を洗い終え、気を取り直して一緒に湯船に入った。
初めて意味のある質問をする。
「マットしますか、それともベッドで?」
彼は即座に返した。「マットで」
なにィ〜〜?と言いたかった。彼にこんこんと説明したかった。
「ちょっと、お客さん、待ってよ。私、今日が初仕事なんですよ。マットだって昨日やっと覚えたばかりだし、なんたって不安と緊張で、今が一番動転しちゃっている時なんです。同情して、優しくされこそすれ、なんで今マットとか言えるわけ〜っ。さあ、私の現在の状況をよく認識して、もう一度聞きますよ。マット、ベッド?」
と言ってやりたかった。
でも、そこまでは言えないから、聞こえないふりをして「ん、どっち?」と聞いた。せめてもの抵抗だった。
彼はまたもや即座に返した。「マット、おねがい!」
私は観念した。仕方ない。マットだ!
ただ、往生際わるく念は押した。
「私、人生で初めてのマットなんです。頑張りますから、よろしくお願いしますね…」
マットは、覚えたての人間にとっては、拷問に等しいくらい大変な作業だ。
マットは温まっているか、ローションは手早く溶けるか、自然に滑って相手を気持ちよくさせられるか、時間配分はどうするのか、ヌルヌルの不安定な土台の上で、相手がイクまで腰を振っていられるか。
すべてにおいて、経験がものを言いそうな感じだ。こうすれば100点のマットなんていうものが想像もできない。
既に笑顔の私はいない。すっかり気後れして、縮こまってしまった。
自分のことは棚に上げて、彼への抗議の気持ちがわき上がる。まだドべたなのに、もう私にマットなんか要求して!と。
更に、気に入らないことに、彼は頃合いを見はからって、こちらが何も言っていないうちに勝手に湯船から出てきた。
私は慣れない手つきでローションをマットにのばしていたが、あわててマットから下りて、「うつぶせで寝て下さい」と言った。
彼の背中やお尻をしげしげと眺め、ハァーっと心でため息をついた。
上手く滑れますように。
彼の上にローションをのばし、覆いかぶさるように四つん這いになると、二の腕が両方ともズキンとした。昨日の講習で筋肉痛になっていたのだ。
教わったことを懸命に思い出し、きちんと再現しようとするあまり、私の目は何も見えていない。とにかくどこか一箇所に視線を浴びせながら、集中して体を動かした。話しかけられても、「ちょっと、黙ってて下さい」と言っただろう。
先ず背中を滑る。3往復くらいと教わったから、きっちり3往復する。次は円を描くように、胸を押しつけながら滑る。これも事務的に行う。頭の中ではきちんと数を数える。
次は、添い寝のような形で側面を滑る。これを左右3回くらいずつ、と教わった。こういう一つ一つのの動作を自然につなげることが大切なのだけれど、私はそういったスマートさを全く考慮に入れていなかった。
背中からおもむろに体を離し、彼の横に寝そべる体勢になる。マットの枕の溝に手を置き、側面を滑ろうとしたとたん、バランスが崩れた。
ベチャッ!と小さく音を立て、私は背中から床に落ちてしまった。肘を打ちつけた。お尻も痛い。
「ご、ごめんなさい」
とっさに謝った。
彼は「いいよ〜、大丈夫?」と顔も上げずに寝そべったままだ。
思わぬへまで、頭の中が真っ白になった。早く終わらせてしまいたいという気持ちから、自然に動きが早くなっていく。後になって思えば、教わった動作の幾つかをとばしていた。
相手が気持ちよくなっているのか、顔色をうかがうこともしてなかった。相変わらず頭の中で数を数えながら、お粗末な事務的マットはクライマックスに近づいた。
彼のものは、私の申し訳のないマットでも、硬くなっていた。
69の形になったとたん、彼はすぐさま私の膣の中に指を突っ込んできた。
よけいなことをするな。バランスが保てないじゃん!と心の中で叫びつつも、身をよじったら本当に転び落ちそうで、無言で耐えた。
口でコンドームをつけてあげるように教わったけれど、どうも上手くいかない。
講習ではしてないからわからなかったけれど、既にローションでヌルヌルになっている彼のものを咥えるのは、とっても気持ちが悪かった。口のまわりもベタベタだ。彼には私のお尻しか見えないだろうと、手も添えて強引にコンドームを填めていく。
思えば、彼氏にコンドームをつけてあげたことさえないのだ。多少ずるをしてでも、早く終わらせるように持っていきたい。
コンドームの装着が完了して、私は転ばないように用心し、一旦マットから下りて、それから彼の上に跨った。顔と顔をつきあわせて、「もう入れるね」と宣言し、そおっと入れた。
ここからは、講習では全く教えてもらっていない領域だ。で、それからが物理的に一番大変だった。
騎乗位すら初体験だったのだ。挿入後のことについては口頭で説明されただけなのでこれが大変なことに気づいていなかった。
全く動きがつかめない。ただでさえ不安定なマットの上で、どこにどう体重をかけて、どこにつかまっていいのかもわからない。左右均等にバランスよく跨ることも難しい。
フニャフニャ、グダグダと私は上下動する。リズムをつけて、それなりに早くピストンさせてやらないと、相手が放出できないことは知っていた。
踏ん張った腕をピンと張り、腕と腰の激痛に耐えながら、ほとんど膝立ちで飛び跳ねているような格好だ。息が荒い。もう、どこも気持ちよくない。見れば彼は、涼しげな顔で目を閉じている。
お願い、イッて!早くイッてー!と心の中で叫ぶ。
顔は汗まみれで、額からの汗が目に入って痛い。けれどローションまみれの手ではぬぐえないから、ギュッと目をつむってまたピョコピョコと動く。
「ハッ、ハッ」と声が洩れ始める。体中のいろんな痛みと疲れに耐えられなくなってきている。
どれくらい時間が経ったのかわからない。彼が下から声をかけてきた。
「あの〜、今、イッたよ…」
彼のローションを落としながら、私はハァハァ喘いでいた。
その後何を話したのか覚えていない。
ただ最初のシナリオが甘すぎたことはとうにわかっていたから、完全に落胆しているにもかかわらず、それを隠すべくひらすら明るく振る舞っていた記憶だ。
言わなきゃいいのに、「初めてのお客さんが貴方でよかったです」と、心にないことを言った。今日は素人新人ということで何かいい思いをさせてもらえるだろうから、そのお客に、最後に言ってあげようと思っていた言葉だ。
彼は帰り際にサービス料を置いていった。丁度ピッタリの額だった。
あらためてお札を眺めても何の感慨もわき上がらなかった。このお札が欲しいがために、今日はここに来たのだ。
けれど、仕事はあまりにもつらかった。このお金は私の今日の仕事に見合うものなのか、安いのか、高いのか、それもどうでもよかった。同時に、何だか空振りで終わってしまったような気もしていた。
大満足させていないことは明白だ。不満だった。少し白けてもいた。ただ、あまりに体力を使ったため、文字通り肉体労働をしたという印象ばかりが強く、売春をしたという罪悪感はきれいに消えていた。
その日は、その一人を相手にしただけで帰ることになった。
フロントのボーイさんがニコニコと話しかけてきた。
「今日はご苦労さん。どうだった、初仕事は?」
私は正直に答えた。
「なんか、ダメでした。緊張して、マットも下手でした。疲れました……」
手渡されたアンケート用紙を見た。さっきのお客が書いたものだ。
結果は70点、微妙な数字だ。喜んでいいのか、落ち込むべきなのかもわからない。
「最初から70点なんて上出来だぞ。そのうち、焦らなくても上達していくから。稼げるようになるぞぉ〜」
本当だろうか。何だかもうどうでもよくなってきた。とにかく早く帰りたかった。みんなに見送られ、呼んでもらったタクシーに乗る。少し落ち着いた。
何だか私はとんでもないことをおっ始めてしまったんじゃないのだろうか? 今頃になってそう思う。泣きたくなる。
そしてまた、手にしたお金を見ると、やはり嬉しくもあるのだ。
こんな最高と最低の気分を毎日味わって、私、そのうち気が狂うんじゃないだろうか。心配になった。
もう何も考えたくなかった。明日も出勤日なのに、何となく行きたくなかった。ただ、「明日な!」と笑顔で見送ってくれたボーイさんや店長に怒られたくなかった。いい子にしていなければ、味方になってくれる人が一人もいなくなるような気がした。
家に帰って、入浴する気分にもなれず、すぐ布団に入った。化粧も落とさなかった。財布も見なかった。服も着替えなかった。
何故だかわからないけれど、ただ布団の中で泣いた。(続く)
(千戸拾倍 著)