18歳未満の方は入場をご遠慮下さい。

スケベエッセイ 17

 名古屋弁

 私の父の実家は知多、母の実家は稲沢だ。これらの地域の言葉は名古屋市内で使われる名古屋弁よりもどぎつく聞こえた(単に音量の違いだったかもしれないが…)。更に、私の耳には知多の言葉のほうが稲沢の言葉よりも「汚く」感じた。
 東海中学に進むと仲間に瀬戸から通うのが多くて、瀬戸の言葉は私が聞き慣れた知多や稲沢の言葉と微妙に抑揚が違うと感じた。室町後期に今川勢により三河から尾張を侵食して瀬戸まで抑えられたことがあるから、瀬戸は三河言葉が入っているのかもしれない。
 私がこの地方の方言を聞いた時、それが名古屋の街の言葉なのか、知多方面なのか、稲沢方面なのか、瀬戸方面なのか、それとも広く共通のものなのか、その手の話者と会話することがなくなった今ではなかなか判別できなくなった。
 どうでも良いことだが、父の実家は山ア武司や中野良子の実家について知っており、母の実家は舟木一夫の実家について知っていた。
 で、名古屋弁(尾張弁)だが、もう何年もまともに耳にしなくなった。それが寂しい。寂しく思うから、名古屋弁について振り返ることがこのところよくある。河村たかし市長のせいで名古屋弁を鬱陶しく感じた時期もあったのにねえ。
 私が就職して、最初仙台(芭蕉の辻近く)で働いた時、私の名古屋弁は職場の仲間にかなり奇妙に思われたようだ。
 Aという場所へ皆で行くことを決めて、私が「じゃあAにいこまい」と言うと「××さん、それは行くのか行かないのかどっちなんですか?」と怪訝がられたことがある。その後同僚には、私の「いこまい」と「いこみゃあ」、それに「そうだぎゃあ」や「どえりゃあ」や「あかんがや」はよく話題にされた。
 酒席でいつも話題にされたから───そうだなも、あのなも、などのように万葉の言葉が残る名古屋弁は日本語の鑑だ。まいは、まじくまじからまじきで、平安の言葉だぞ!───などと力説した覚えがある。
 昭和53年(私は31歳)に東京本社に転任するとさすがに名古屋弁を話さなくなった。
 先日「だちかん」(だめだ)でググった。「立ちゆかん」が語源と思って確かめるためだ。すると全く意外なことに新潟、金沢、岐阜などでも方言だとわかった。そして、「埒(らち)明(あ)かん」から来ているとのこと。
 Wikiで名古屋弁を調べたらすっごく懐かしいものが出てきた。
 気がずつにゃぁ(申し訳ない)、おいてちょうでぁ(やめなされ)、食べあぐむ、米をかしてちょう(米を研いでくだされ)、ようけ(たくさん/余慶)、ぎょうさん(仰山)、金みてゃぁあらすか(金なんかない!)、とろいことしとってあかすか(馬鹿げたことしていては駄目!)、あらけにゃぁ(乱暴な)、あんばよう(塩梅よう)、いざらかす(物を引きずって動かす)、おそぎゃぁ(恐ろしい)、だだくさ(雑)、ちょうすいとる(斎藤佑樹状態)、ちんちん、ときんときん、とろくせぁ(馬鹿馬鹿しい)、ぬくたい(バギナに挿入した時の感じ)、めっちゃんこ(とても)、もうやっこ(はんぶんこ)、やっとかめだなも(久しぶりだね)
 更に書き足せば───ちゃっちゃっと(直ぐに)、もうはい/もうひぁあ(もう、既に)、かんこうする(勘考)
 このようなものは先ず耳に入らなくなったから寂しい。
「藤井聡太八冠の着物はいつもでぁつうじゃのお」こんな言い方を昔の名古屋人はよくしたよ。これは大通のことだ。
 いこみゃあの語尾は「見よ」が転じたものだと知った。あのなもという呼びかけの語尾はやはり平安初期の京都言葉の「なう」から来ているそうだ。
 仙台では芋煮会に何度も出た。私は強力な猫舌だから、一口飲もうとして「わー、ちんちんだがや!」と言う。仲間は何じゃ〜?という顔をした。
 金津園の一室で私を受け入れている相方の嬢が名古屋や岐阜の出なら、私は名古屋弁丸出しでやった。
「ちょっと(キミの足の構えが)塩梅ようねえなぁ」
「塩梅ってな〜に」
「塩加減と酸っぱさ加減の調和だよ」
「?」
「マムコの味わい!」
 塩加減と酸っぱさ加減で連想するものは一つだ。
「ちんちんがちんちんになっとるで嵌めようか」
 私は相手によってEDを謳歌するが、お気に入りの場合は亀頭が充血しまくって熱くなる。ちんちんになるからこその発言で、これを聞けば嬢はにっこりして手のひらで亀頭の温度を確かめる。
「あっ、ほんと、あつ〜い!」
「ちんぼがときんときんになってしまった。しゃぶってー」
 尖った様はときんときんと言う。これを聞いた嬢にっこりして、鈴口の先走り液を亀頭に塗り広げる。
「ときんときんのをさわられると、効くなぁ」
 昭和の頃の馴染み嬢が私の前についた常連客について語った。
「ちゃっちゃっとイッてまう人だから楽なのよ〜」
 こういう光景がもう再現できないから、めっちゃんこ淋しい。

 想い出が乏しい男の想い出

 次は2020年7月27日の日記の記事からだ。
 73年生きてもどういうわけか10代の頃に見た光景がよく出てくる。強く残っているものの一つに、近所の靴直し屋の看板だ。多分小学三年生の頃の記憶だと思う。近所と言っても普段歩くことのあまりない通りなので、看板を目にするのは恐らく年10回以内の程度だったと思う。
 看板に『※牢』という言葉が載っていた。今考えれば、恐らく『堅牢』で靴を丈夫に修繕できる訴求だと思うが、子供にはわからない。店主のものすごく怖そうな風貌のせいで、牢屋を出て働いている人だと思って、その店の前を通るのがすごく怖かった。
 小学二、三年で牢の漢字が理解できたのは読書好きの賜物だ。
 それにしても、『※牢』は77歳の今日まで思い出したことが殆どないのに、何故記憶を蘇らせることができるのだろうか。子供の頃の記憶というのは本当に不思議だ。
 10代の頃の光景がよく出てくるといっても、小学校の中のシーンは皆無で、家族絡みのものだけだ。
 父が酒問屋で働いていてそのことに絡んだ光景がとても多い。酒問屋はアサヒビールの取引店で、これを尾張地区で卸す有力店だった。アサヒビール社では父は『販路の功労者』と遇されているようだ。
 父が亡くなったのが1985年で、その直後に「アサヒスーパードライ」の好調でアサヒビールが復活した。父はアサヒビールの売れ行きが落ちる一方の頃、何とか落ち込みを食い止めるべく働いていたから、1987年以降のアサヒビールの大活況を知ったら卒倒せんばかりに喜んだことと思う。
 父が売れ残りのアサヒビールを飲みながら、売上不調の愚痴をこぼす光景が思い出される。アサヒビールが売れないから父は安月給なんだと私は子供心に刻んでいた。
 両親の会話を聞いていて、私は次のように心を育てた。
 サッポロビールはどうでも良い。サントリービールは仲間。しかし、キリンビールは敵だ。アサヒビールは父の所得の源泉だから、大好意でもって臨まねばならない。
 だから、就職して仕事絡みでビールを飲む時に100%キリンビールが指定される環境になると些か違和感に襲われた。就職して定年に至るまでその違和感はなくならなかった。会社が無関係の飲食では私は必ずアサヒスーパードライにしていた。(個人で飲む時はほぼブランデーかワインのみ)
 日本酒も、白鶴、月桂冠、七笑、沢の鶴、菊正宗、松竹梅への親近感が消えていない。
 私の小学生の頃の思い出で今でも頭の中をよぎるのは
 1.隅田川の花火遊覧/ビール工場見学──アサヒビール社の招待会
 2.父が商談で瀬戸方面に行く車に同乗したことが何度もあり、瀬戸の光景がしっかり残っている。
 3.木曽方面への酒造の見学───多分七笑酒造だろう
 4.その他の酒造の招待会見学───灘(多分白鶴と菊正宗)、伏見(多分月桂冠と松竹梅)
 このように日頃目にしないものを見た想い出がとても強いから、私は孫娘を京都や奈良に連れ出すことに熱心になった。彼女たちの良き糧になることを私は願っている。
 父の葬儀は自宅で行った。
 日本の飲料アルコール関係の大手の会社がキリンビール社を除き殆ど弔問に来ていただいた。
 私が参列者の多さ、弔電のビッグネーム、香典の思いの外の多額さに驚いたから、私の勤務先から弔問に来たような酒類販売とは無関係の人は多分驚いたと思う。
 私の葬儀が家族葬で寂しいものになることを考えれば、何だろうなーと思わざるを得ない。
 次のニュースがあった。(2020/7/26 17:00 配信 JCASTニュース)
 新型コロナウイルスの影響でビール系飲料市場に異変が起きている。ビール大手4社の2020年1〜6月(上半期)の販売量は前年同期に比べて1割減少したが、推定シェアはキリンビールがアサヒビールを11年ぶりに抜いて首位になった。
 飲食店の休業や営業時間の短縮でビールの販売が減って全体に落ち込み、他方で家庭の「巣ごもり消費」では節約志向で第3のビールが伸びた結果、アサヒが沈み、キリンが浮上した。
■業務用に強いアサヒは苦戦(以下 略)
 この話題は私が1970(私が就職した年)〜2008年の期間で従事した職業とは全く無縁でも、ビールのシェアのことならそれこそ中学生の頃から関心があった。アサヒの業績が上がれば嬉しかった。不思議なものだ。
 私が働いた会社で会食があって私が手配を受け持つと、必ずビールはスーパードライにしたから意外に思われた。他の人が手配すれば先ずキリンビールにする職場だったから、「おっ、スーパードライか!」という声が必ず誰かから出た。

 寺院の拝観料

 次は2023年3月30日の日記の記事からだ。
 3月30日は京都に行った。熊野若王子(にゃくおうじ)神社、霊鑑寺、真如堂、吉田山、百萬遍知恩寺、相国寺 と回って桜を楽しんだ。(画像:京都探訪5
 熊野若王子神社、吉田山、知恩寺は入場料が不要だが、それ以外は通常は必要となる。
拝観料 窓口での視覚による状況
正規 身障者
霊鑑寺 800円 400円 身障者割引は示されてなかったが、尋ねると半額との回答だった。
真如堂 1000円 無料 身障者割引は示されてなかったが、尋ねると無料との回答だった。
相国寺 800円 無料 身障者割引は示されてなかったが、尋ねると無料との回答だった。
 去年の11月は5寺院(青龍殿、青蓮院、知恩院、圓光寺、金福寺)で有料の拝観をして、全て正規の料金を払ってきた。もし割引があっても、適用を受けずに拝観しようという気持も少しはあった。
 しかし、今回の経験からすると、身障者割引(無料または半額が通例)を確認したら割引があったかもしれない。
 身障者割引が明示されるケースは少ないようだ。また、身障者割引は義務ではないから、割引なしをわざわざ掲げないのはしかたない。
 でも、現実に身障者割引があるのに、尋ねないとそれがわからないところが多いのは良くないだろう。こういうお寺はネットで調べても「身障者割引」の情報が出てこない。

 性愛には遊び心が肝要

 NHK大河ドラマ『光る君へ』で段田安則氏が演ずる藤原兼家に衆目の関心が寄せられたと思うが、その父親の藤原師輔(909〜960)も注目したい人物だ。何しろ藤原北家九条流の祖であり、かつ、次が有名だ。
Wiki〜藤原師輔〜より
 延長8年(930年)頃、醍醐天皇の第四皇女で4歳年上の勤子内親王に密通、のち正式に婚姻が勅許され、臣下として史上初めて内親王を降嫁された。
 その後、勤子内親王が薨去すると雅子内親王を、雅子内親王が亡くなると康子内親王を次々に降嫁され、醍醐天皇の皇女を三人も室にして、皇室との繋がりを強めた。
 実はこの内親王を嫁さんにするというのはとんでもない行いで、当時は禁断のことだった。これを冒して天皇の皇女を先に犯した上で嫁さんにした最初の人物が藤原師輔だ。
 最初の勤子(いそこ 904〜938)内親王(源高明の姉)には930年頃、要するに、26歳頃に、師輔は21歳で密通を果たした。かぞえで27歳と23歳だ。
 勤子内親王を正式に妻とした後、妹の雅子内親王(910〜954)に通じ、勤子内親王の薨去後に雅子内親王を妻とした。後の太政大臣藤原為光は雅子内親王を母とする。
 雅子内親王の薨去後、藤原師輔は康子内親王(920〜957 朱雀天皇、村上天皇と母を同じくする)を妻とする。954年には関係を結んだようだ。後の太政大臣藤原公季は康子内親王を母とする。
 九条家には藤原師輔の陰茎が大きかったとの逸話が伝えられていた。
 藤原師輔はデカマラだけでなく長持ちできるお道具の持ち主だったのだろう。当時の貴族の性交は暗いところで着衣のまま励んだらしい。
 前戯なしで、かつ、相手の肉体全体や局部を鑑賞して淫欲を高めることもない。それで、10回のピストンで放銃する程度なら、女が性交を面白く感じるようなことはなかろう。だから、当時色好みで、ヤリチンと評判だった藤原師輔が挿入後あっけなく発射するタイプだったとは思えない。
 堅い板の間で、今のような柔らかい敷物がないところで男が長く腰を振ればスケベエッセイ1立派なファックだこができていたに違いない。
 性愛自体に遊び心を発揮できない平安時代の貴族のセックスは現代の我々からすると実につまらないものだと思う。あの人たちはセックス前にどれぐらい性器を清潔にしえたのだろうか。
 性愛には本当に遊び心が大切だと思う。私とセックスした女性は私の遊び心に賛同してくれた。遊び心に大いに着目した。
 遊び心の発揮の典型的なものは、陰毛剃りだ。日頃剃っている女性の恥毛がある日伸びていることに気づくと私は剃毛を提案した。存外面白がってやらせてくれるものだ。
 会陰とかアナル周りなどややこしいところほど剃るのが愉しい。
 女が淫らにラビアを引っ張ったり、開脚を続けたりして、私が剃刀を当てて割れ目が潤っていることに気がつくと、私も陰嚢の毛の剃りを提案する。面白がってやってくれる。
 遊び心で大いに想い出となるものは睾丸の動きの鑑賞だ。私の陰嚢は50代半ばまではとてもよく動いた。不随意にグルグルし続けている。
 女に睾丸の運動を意識しているのなんてかなり少ないだろう。だから、私が股を広げっぱなしにして「金玉を観察してごらん」と言うと、じっと眺めて驚いた女がかなりいた。「こんなに動くのー!」
 女が私の亀頭の割れ目に着目して、割れ目を指で開いて観察したのも懐かしいシーンだ。
 私の遊び心で、昔エロビデオで見て大いに唆されたのは、膣孔や尻穴、尿道などに異物の挿入だ。120分や240分のような長い時間で遊べば、こういう馬鹿なことがしやすくなる。バイブのような入れるのが目的で作られたものはあんまり入れたがらない。変な物の挿入を持ちかけて「イヤー」と返すソープ嬢(親しい女に限る)はそんなにいない。
 遊び心は他に、長時間のオナニー披露、超々時間の69、放尿披露、排便披露と口への放尿、立位の三脚撮りなどがある。
 考えてみれば、延々と腰を送り続けられる男は、例えば90分の入浴時間で、それこそ40分も合体を続けられる。これでは女は疲労困憊だ。また、そのような男には先ず遊び心がないことが多い。だから、ソープ嬢にしてみればとてもつまらない客だ。その手の愚痴をよく聞かされた。
「××さんは面白いから私も愉しい」
 着衣のままで面白いことを言った覚えはないから、要は、性行為での遊び心の違いだろう。
 藤原師輔はどのような遊び心があったのだろうか。彼らは和歌で遊び心を表していたのかもしれない。しかし、性行為自体を和歌にしたものは私は見たことがない。
 私は昔藤原師輔は内親王様3人をハメ殺した男との評を見た記憶だが、今回ググってもその類の文章が現れない。

 お勉強

 次は2020年4月11日の日記の記事からだ。
 私が2月に読み終えた『日本語力で切り開く未来』(齋藤孝氏)をワイフが読んでいる。
 それでワイフが自分の日本語力のなさにガックリしている。その本の134ページに 次の問題がある。ワイフはこの10問の全部が答えられず、私にこれを答えろと言って、私が瞬時に慣用句をすべて答えると愕然としていた。
以下赤字の漢字にはふりがながついている。
1.慚愧に  (  )
2.歯牙にも (  )
3.灰燼に  (  )
4.快刀乱麻を(  )
5.言質を  (  )
6.胸襟を  (  )
7.後塵を  (  )
8.時宜を  (  )
9.鬼籍に  (  )
10.半畳を  (  )
 答は 1.たえぬ、2.かけぬ、3.帰す、4.たつ、5.とる、6.開く、7.拝す、8.える、9.入る、10.入れる だ。
 しかも、この10問で漢字が読めたのは快刀乱麻だけだ。ふりがなつきの熟語もふりがながなければ読めない。私が読みと意味を完璧に説明したから、もう悄然としていた。
 70歳でも向学心があるのが大変結構だ。
 で、今朝の会話。
「私、歯牙にもを覚えたわ。歯牙にもかけないこと、私もあったもん」
 誇るような顔だ。結婚前はそれだけ盛んにちょっかいをかけられていたらしい。私なんかは歯牙にもかけない対象になるだけだった。なんせ岡村隆史より背が2cm低い。
 上の10問の二字熟語と四字熟語が良性記で(この文と2020年4月11日の日記以外で)2023年12月現在使われているかどうか調べた。
 慚愧(1件 昔の日記19)、歯牙(6件 昔の日記19他)、言質(1件 ローザ3)
 快刀乱麻、灰燼、胸襟、後塵、時宜、鬼籍、半畳───使用していない

 とっても不愉快な御仁〜文本力雄

 次は2023年10月1日の日記の記事をベースに手直ししたものだ。
 中日新聞社記者の岡村淳司氏の『藤井聡太の指は震えない』を読んだが、私の知らないことがたくさん出ていて面白かった。
 まあ、同氏の文章力に驚いた。何故ああいう書き方ができるのだろう。記者という職業についても興味深いことが書いてあった。(下層記者の実態がよくわかった)
 将棋教室経営者の文本力雄氏のこともかなりの文量で出ていたが、『待った事件?』に関する彼の言動とこれについての岡村氏の偽善的な扱い方がとても不愉快だった。
 岡村氏は長所もあるが独善的過ぎる。文本氏と同じタイプかな。(下層の者が依怙地になって自分を大きく見せようとしている感じ)
 文本氏は 文本氏が聡太に関連して得たもの>>聡太君が文本氏から得たもの の明白な差から、あのでかい態度はあってはならないと思う。
 単なる長幼の差・指導する者であったことから大きな態度を取っているが、氏が50年?の人生で得られる評価と聡太君が20年の人生で得られた評価の段違いの差に想いをはせれば、あのふんぞり返りはあり得ない。非常に不愉快だ。
 文本氏は『待った事件?』の前からマスコミに出る度に指導者面(それも単に童の時期の指導だ)が鼻についていたがね。こんなもんテレビや新聞に出すなよと思っていた。
 私のような者をよく取り上げてくれましたという雰囲気が全くない。自分を遥かにしのぐ実績を上げようとする男に対する敬意が全くない。
 聡太君の小学生・中学生の頃の教師が聡太君について語るシーンが名古屋のテレビ番組ではよく出てくるが、聡太君への言及について、そういう人たちの語り方と文本氏の語り方はまるで違う。謙虚さゼロ。中学校高校の時期でなく、たかが童の時期の指導者なのに。
 あまりに腹立たしくて再度書く。タイトルを辞退して裸からやり直せという意味のことが訴えられていた。ものを言いやすい(いわば意識的に支配下の)若者に対して直言という形を取っている。
 タイトルにどういう関わりがあるというのか。
 2chで見て、事実かどうかは確認してない(調べる労力を投じるのが馬鹿馬鹿しくて)が、この増田戦は負けて、この棋戦でタイトルはとっていないから、タイトル返上要求は暴論だという指摘があった。
 あれは日本将棋連盟が問題なしとしている。増田氏も何も言っていない。どうして第三者が憤慨して世間に訴え出られることなのか。異論があれば日本将棋連盟に申し出るべきだろう。
 文本氏は相対的上位者の立場で(実質的には年齢以外は全く上位でないのに)言いたいことを世間にぶっつけて、それをマスコミまで利用し、岡村氏もそれを取り上げることによって論者感を出す。どうかと思うよ。(岡村氏の聡太君に対する数々の記者質問には失笑・疑問の声が多かった。心のあり方が特殊な御仁の感じはする)
 この問題に関してはこの偉そうな2人に鉄槌を与えられないものか。
 文本氏が相手してた時聡太君は学童だったが、今は立派な大人なんだよ───これを耳の穴の10cmの至近距離で190デジベルの大声量により言い聞かせたい。
 しかし、まあ両人ともコンプレックスの裏返しがいろいろ出ているようで、私と同じだ。人間はつらい。

 貴乃花のこと

 次は2010年1月26日の日記の記事からだ。
 日本相撲協会の理事というのはどうして(直接的に)選挙で選ぶものとしているのだろうか。
 確かに法律の上では
  社員総会の決議により財団法人の理事は選任される。
  株主総会の決議により株式会社の取締役は選任される。

 日本相撲協会の理事は、執行役員制度になる前の、以前の株式会社の取締役と似たようなものだと思う。
 商法にいろいろ規定はあるが、実質的に、株式会社の取締役を誰にするかは社長が決めている。立候補→選挙なんていうものはない。株主総会は承認手続だ。
 株式会社には大株主と零細株主がいる。大方の図式は、社長や会長の現役者と社長・会長などの経験者と大株主が話し合って次期社長を決めるのだろう。社長が決まれば、その社長が取締役を人選し、それでもって株主総会に諮るのだ。
 もし、大株主なる者がおらず、株主が配当や株の値上がりを待つだけの烏合の衆であれば、株式会社の代表取締役を誰にするかは容易に定まらず、若しくは、常に社長や会長の現役者の思うままになったりして、とんでもない弊害が出かねない。
 日本相撲協会の『社員』は年寄株を持つ人で110人ぐらいいるようだ。
 これは一人1票でここに大株主の概念はない。しかし、相撲界には一門というものがある。大きな一門が票をまとめ、理事長を誰にするかの点において他をリードする。小さな一門はその規模に応じた理事の選出で頑張るのだ。
 この一門の集合を旧態とか固陋とかの理解をするバカがいるけれど、全くの考え違いだ。
 相撲界の一門は立派な伝統だ。これがなかりせば、社員一人一人の1票しかなく、何事も容易に決まらなくなってしまう。衆愚の極みになってしまうかもしれない。
 貴乃花はこの一門制を否定した。法律の『理事選任』の規定を人気投票だと理解した。株式会社の株主総会は社長と取締役を選ぶ人気投票か。そうではないだろう。
 マスコミは「投票選挙が何年も行われていない」ことを指摘するが、それが正しい姿だと思わないのか。限定社会では、無投票は無用な争いをなくして良いことになる場合も多い。敗残者に×のレッテルを貼らずに済む。
 株式会社において取締役は最高に栄誉ある立場で、真に能力のある人間が選任される。意見と行動が立派だから40代で取締役に選任されるのは、オーナー会社のオーナーの親族しか考えられない。
 貴乃花が30代の若さで、選挙だから出るのだと考えるのなら、理事選任を市会議員や代議士の選挙と同一視しているということだ。八戸の美人市会議員と自分をラップさせているとしか思えない。
 貴乃花は親方。親方の責務は弟子を大勢指導し、優秀な力士を育てること。この点において貴乃花は何の実績もない。一門制を否定したことは大相撲の破壊行為だ。貴乃花は「大相撲の伝統を大切にしたい」ということを言っているようだが、大相撲の根幹部にくさびを打つようでは心得違いだ。
 街角インタビューでは8割が貴乃花の応援、2割が貴乃花の行動にたしなめ的、という感じだ。ここでも私は『衆愚』を覚える。馬鹿馬鹿しい。
 貴乃花の突出は否定されるべきだ。
 私が奇異に感じるのは、皆で理事長を選ぶ→理事長が自分の政策を実行しやすいように自分を支える理事を選ぶ→社員総会でそれを承認する──この株式会社で普通に行われている流れにはなっていないことだ。
 日本相撲協会は、(小選挙区制と違って)少数派も必ず自分たちの代表となる理事を出せるから、『みんな仲良しこよし』の体制とは少し違う。理事長は自分のやりたい改革をどんどん推進するなんていうことはしにくいだろう。
 理事長は、場所担当の理事や審判部の理事のもとで働いて、良い仕事をした者の中から次に理事に上げる者を考察するという流れが正しい。それが株式会社の取締役だ。
 だから、理事長にもっと人事権を持たせなければならない。
 武蔵川理事長が貴乃花の理事選立候補に苦言を呈したのをマスコミはもっと好意的に紹介すべきだろう。テレビニュースは悪役を紹介しているみたいに思えた。
 貴乃花がやっていることは、喩えて言えば、世間に名のある上場企業で働く30代の男が、その会社の大株主の会社の社長の娘と結婚し、その婚姻関係をもとに、自分が働いている会社の取締役に強引になるようなものだ。ご本人以外の全ての人間が大変気分悪い。社長の娘からの人気も世間全般からの人気も、それを活用されたら、無関係の人間には納得できない。
 貴乃花は理事当選に必要な10票を集められるかもしれない。私としては、破門になった7票止まりで、向こう10年地獄に堕ちることを望む。
 とにかく私は、自分を知らず、生意気なだけの人間が大嫌いだ。
 更に附記。
 貴乃花は「改革」と言うが、株式会社で一人の取締役に何もできないのと同様、十分の一の存在では何もできない。同調する者がたくさんいるか、自分が理事長になるかしないと、ただ吠えるだけの存在になる。
 そもそも役員というのは、自分がなりたくてなるものではない。「引き上げ」「引き立て」があってなるものだ。貴乃花は全然わかっていない。
 貴乃花が親方として実績がないのは既に書いた。では、協会の「理事待遇」(審判部にいたという記憶だが…)としていかなる立派なことをやったのか。これまでテレビなどを見ている範囲では何も出てこない。
 貴乃花の考えとして伝えられていることは
(1) 相撲協会で下積みの仕事の人の給料が大学での初任給よりもはるかに低くて、これを改善したい。
(2) 他のプロスポーツと比べて、力士の最高所得者の所得が低い。
(3) 年6場所制は力士の怪我のもとで、これを減らしたい。
 相撲ははっきり言って下火の業界だ。こんなコストアップ、収入ダウンにつながることをどうやって実現するのか、としか思えない。本場所興行以外でこれまでにない抜群の稼ぎを得られる目算があるのか。
 総花主義のことを言うだけ言って、後で困っている民主党と同じになりかねない。
 日本相撲協会の昔の理事長には、最高位が前頭筆頭どまりだけれど、引退してから簿記の勉強をして、それで名理事長と言われた人がいた(現役時〜出羽ノ花)。北の湖親方も横綱を引退してから相当努力した人らしい。
 そういう親方と比べて、貴乃花は自分の人気に驕ったただの甘ちゃんだ。こんな愚物を応援する人が多いことが衆愚の表れだ。

 性器の洗浄

 次は2010年1月30日の日記の記事からだ。
 読者からメールがあり、相方のマムコ臭のせいで完全勃起が果たせなかったことが書かれていた。
 私はこのプロの女のマムコ臭というのが本当に許せない。
 私はあらかじめ示し合わせておいて互いに性器に恥垢を溜めこんで会うのが趣味だけれど、そうでない限り、マムコがくさいのは女がだらしないとしか思えない。新人の女なら気にかけないけれど、6年もソープやヘルスで働いている女なら、些か腹が立つ。
 口臭は昨日今日消そうとしたって何ともならない。しかし、マムコのにおいはその殆どが今日の洗い方の問題だ。洗っても洗ってもバギナの奥からくさいものが出てきてマムコが臭うという困る状態は、生理の時しかなかろう。(ただ、生理の時にいかにマムコがくさくなるのかは私は嗅いだことがないからわからない)
 私はもう8年ぐらい金津園遊びの多くは朝一か朝二の遊びだ。朝二の時間の入浴でも客を取るのがその日初めてなら朝一と同じだ。
 すると、嬢が即のプレイで私にクンニリングスされることを予期しておらず、膣口の周りに潤滑液を塗りつけたのが見てとれるマムコが存外におったり、口をつけた瞬間に小便の味がすることが時々ある。
 この瞬間私は、だらしない女だ、と思ってしまう。全然プロでない。
 私は結構昔からソープ嬢やヘルス嬢にマムコの洗い方を指導している。
 マムコがにおったり、濃厚な味がする女の殆どは突っ立ったままで股間を洗っている。勢いよく手のひらを動かしておれば綺麗になると思っている。そして、膣の中に湯を注ぎ入れていない。接客後だけしっかりこれをして、普段はここまでしないというのが良くない。
 マムコは、必ずしゃがんで両足を120°開き、両かかとで上に乗った尻たぶを開くようにし、手をしっかり陰部に当てて、全てのヒダを完全に開き、ヒダの底まで湯と指先を当て、膣口を完全に開き、指をしっかり差し込み、湯を中にたっぷり注ぎ、陰核包皮はグイッと引いて、ラビアもしっかり開き、アナルにも入念に指を這わせ、陰核茎部の左右の溝には特に注意を払い、男がその洗浄シーンを間近で見たら一発で完全勃起するか、あまりの生々しさに『女性幻滅』となるぐらいの卑猥な動作が必要だ。
 ところが多くの女は突っ立ったままパシャパシャと片手を縦方向に動かしているだけ。こんな杜撰なやり方では、陰毛と小陰唇の稜線と大陰唇と陰裂底の一部しか洗えない。これではざっと30%は洗い残す。しかも、一番肝心なところを洗い損なう。
 ベテランの嬢は一定方向の指先急速往復の洗い方をしない。しゃがんで大股開きして、手首を回すような動きを入れながら洗っている。恐らく指先が微妙な箇所を這い回っていると思われる。洗浄が完璧だ。
 素人の女性には、バギナの中にシャワーで湯を入れたら病気のもとだ、と考え違いをしているのがいる。こういう女は先ずマムコがくさくなる。
 要するに、女でも男でも、誰かと一緒に風呂に入る時と、自分一人で風呂に入る時では、股間の洗い方が全く違うということが肝要なのだ。当然後者の洗浄シーンは恥ずかしくて人に見せられないというものだ。
 温泉旅館の大浴場に入った時の事前の洗浄動作(バシャッとかけ湯して僅かな時間指を縦方向に這わす──殆ど陰毛洗い)と同じやり方で、自宅の風呂場で性器を洗っていたら、男だって女だって性器に余計なものが、ミリやミクロのレベルでいっぱいついたままになる。
 そういう意味では、男は女と一緒にホテルにしけ込んだ時、浴室に入るのが同時であってはならない。
 秘めたる美的でない清掃作業が、女は男以上に必要なのだから。
 なお、男の秘めたる清掃作業は、当然女の前で堂々としても良かろう。それか、相手にしてもらうのだ。
男の秘めたる清掃作業
 亀頭を摘まんで前方へ引っ張り、亀頭冠を露出してカリ溝をこすり洗いし、次に、裏筋の左右の窪みを、更に、包皮を反転して包皮の裏側を清掃する。
 ヘルス嬢やソープ嬢(非即々嬢)が裏筋の左右の窪みや包皮の裏側を掃除しない時は、レベルの低きことを私は認定した。
 昭和40年代以前は一般家庭の風呂にシャワーの設備があまりなかった。この頃までは、洗い方が下手でマムコがくさい女が多かっただろうと思う。
 溝が多く、小便するたびに性器のどこかが小便まるけになる女性器は、実に容易にくさくなる人体部位であると理解しなければならない。
 母やワイフのショーツが洗濯して干してあるのを見ると、股ぐらのところの生地が随分と分厚そうなのがあって、これを見るといつも女の股ぐらは何やら怪しいものが出まくり、とても汚れがたまりやすいところだとよくわかる。
 なお、ペニスの裏筋の左右の窪みと、カリ溝と、反転した包皮の小皺の部分は、いい加減に洗っていれば恥垢がたまりやすい箇所である。
 性交動画鑑賞をしたしばらく後に風呂に入って、この箇所がぬちゃぬちゃになっていることに気づくと、そのとろみ具合を確かめるのが愉しかった。
  えろえろ考察  日記  秘密の愉しみ  トップページ
(千戸拾倍 著)