18歳未満の方は入場をご遠慮下さい。

女遊び賛歌

 2018年9月の今、金津園にはもう9ヶ月行っていない。2017年12月のソープ遊びが私の最後の『命の洗濯』になるのは先ず確定だろう。残ったレビトラ三錠(6000円)が私をあざ笑っているように感じる。
 自分のソープ遊びを思い出すのがもう追憶の領域に入った。人生の活性化が終了したようで、何とも寂しい。
 モバイル ユーザビリティ対策、スタイルシートの別ページ設置、そして、SSL化、ここ数ヶ月サイトにいろいろ周辺の改訂をやって、その度に中味の推敲を心がけたが、あまり気合いが入らなかった。ため息交じりに昔を振り返るだけだ。
 私は世の中の青年壮年初老の男がありきたりのしょうもない娯楽で満足しているのが不思議でならない。どうして素人女漁りか買春に邁進して楽しまないのかと思うと、奇妙奇天烈感のみ湧き上がる。女と性交することほど愉しいことはないのにねえ。
 男は性交に意欲を燃やさないで、どうして良い仕事ができるのかと思う。性交するのを面倒と思う男が増えたようで残念だ。性交をしないのに、アスレチックジムに通ったり、ゲームで指の運動をしたりというのは馬鹿げている。

 36年間の異性との性的交遊で一番愉しかったことがよく脳裏を過ぎる。それは、
(1) レビトラを服用して効き目の凄さに仰天。
(2) ラブホテルで享楽の一時を過ごす楽しさ。
(3) ソープ店で浣腸/排便するシーンの強烈な淫猥さ。
(4) 二輪車遊びでの愉快な数々のシーン。
(5) 全裸をカメラに収めることに成功。
 こんなところだろう。記載順序に意味はない。
 やったことを当たり前の光景で想像して貰いたくない。例えば二輪車遊びでの愉快な数々のシーンは、若い嬢がベテラン嬢の膣に人差し指を、尻穴に中指を差し入れ、それが2人の絶叫、凄まじい嬌声と共に進行する光景などが入る。
 ラブホテルでの浣腸なら感興が一番すごいのではと思う人がいるだろうが、これは実はさほどではない。
(1) ラブホテルで浣腸するケースは
 その日がその嬢と初めてのラブホ突入ということは先ずないだろうし、その日その嬢に初めて浣腸するというのも先ずないだろう。
 よって、感激はさほどのものではない。
 排便披露を売りにしているデリヘル嬢ならこの初めてはあり得るが、そんなものには何の感動もない。
 あくまでそれまでウンコ出しを男に見せるなんて全く考えなかった嬢に一線を越えさせるのが面白い。
(2) ラブホテルで浣腸はその密室性から行為の障害がない。
 浴室と便器が隣接しているから、例えば浴室で大量に排泄しても、容易にトイレに流せる。
 一方、店での浣腸は何かと困却事項があって、嬢の困惑感への対応がとても大変だ。
 ∵ 浴室でする場合大便の処置←トイレが遠い
 ∵ トイレでする場合の安全性←他人に覚られる危険
 どちらでぶっこくにしても、協力要請の過程がなかなか愉快だ。
 要するに、排便鑑賞の感激は、相手の強い躊躇いとこちらの誘導術の発揮があってこそ、ウンコ出しが心に残る。
 他にも心躍ることはいっぱいあるが、レビトラの使用、ラブホテルでの享楽の一時、ソープ店内での浣腸はどれも36年間の後半15年間のことだから想い出がより鮮明だ。
 排便 観賞でググると、まあ実にくだらないものばかり載って、どれもエロのセンスや情感が全然ない。ウンコ出しの観賞を扱った私の作品驚嘆の濃厚プレイ驚嘆の助平協力驚嘆のエロプレイなど)の人物描写と比べて歴然と幼稚だ。
 あの程度の表現と思考なら、野生動物はしても現生人類が滅多にしない(性交相手の)排便鑑賞という激しく高度なものを望む資格がないと思う。
 私は女性がウンコするのを随分見ている。勿論すべて全裸でするのを間近で眺めた。カメラに収めたのは全回数の半分以上あったと思う。
 ウンコの落下先は、やはり浴室の床が多く、便器の中は全体の2割ぐらいだったか。どちらも照明が不足で、肛門が陰になるのが不満だった。
 残念なのは、排便披露を7人の嬢で見ていても、それぞれの初めての行為を撮影したのが1人か2人しかないことだ。嬉しさ痛快さは初回が一番なのにねえ。

 出し始め
 出し終わり
 一番太く出てきた
 一番長く垂れた
 突きと共に出た
 ソープの変態プレイ考に書いた排便披露の記録はその時点で6人に達し、うち複数回やってもらったのが4人いた。すべて浣腸後で、いわゆる自然排便はなかった記憶だ。
 上の写真からはウンコの観賞を専らお尻の側からしていたように思えるかもしれないが、和式便所のしゃがみ姿勢で排泄するのを前から拝見したほうが、マムコも見えて卑猥さが格段に優れるから、[_]の助平椅子や便座に上がらせて排便してもらうことをよくやった。
 これは、 (1) 高い (2) 足場が狭い (3) しかるに、手の支えとなるものがない ──の3点により不安定さを危ぶむことと、(a) 露骨に秘所がさらけ出される (b) 排泄中の顔を観察される ──の2点により羞恥心が格段に増幅されることから誘導に難しい面があり、最初は結構拒まれた。少なくともウンコ出しの披露に初めて持ち込んだ時にこの体勢でのぶっ放しをお願いしたことはない。
 でも、複数回決行した4人の嬢には、私に体の前面を向けて息ませるのをやった。お顔を見られて、陰裂がパカッと割れて、息みとともに膣口が開き、膣液が垂れて(エロい気分で前向きの気持ちで卑猥な行為をするから、妖しい汁が出るのは当然だ)、肛門がせり上がると、淫靡なムードがもう底なしになる。
 しかし、かなり数多く挑戦したけれど、ウンコがぶら下がっているところにシャッターが全く合わせられなかった。このことがとても残念だ。
 男女関係の最高の到達点の1つにウンコ出し披露を挙げても良いと私は思う。

 逢瀬という単語は、よく活字を追う男の多くが10代の頃にこの文字を見ただけで心が反応したのではないだろうか。小学生の時から読書好きだった私も、逢瀬という大人っぽい言葉が大変心に焼き付いている。
 私は若い頃女と逢瀬を持ちたいとずーっと念願していても、全く願いが叶わなかった。体質的に対女性では極めて引っ込み思案で、逢瀬無しがずーっと続いたけれど、60歳を過ぎてから何度も逢瀬の機会を得るようになったから驚いた。ひとえに助平サイトを続けた恩恵だ。
 簡単に逢瀬というが、濡れ場が伴わないならば、逢瀬は対面とかデートとかの言葉で済ませるべきだと私は思う。
 例えば、ソープ嬢と店外デートして(店が承知の上で、嬢が業務として会うのは含めない)映画を観たり名古屋港を船で遊覧したりするだけなら、これは逢瀬ではない。お互いに心から相手の体を求め合って、逢瀬という美しい言葉を使える。
 そのように考えれば私が給与所得者の時分にしたソープ嬢との店外デートには逢瀬が一つもなかった。店の外で会っていたけれどファックしてなかった。
 ファックなしの店外デートは客の指名をつなぐためのお義理のにおいがとてもする。ファックのある店外デートでもお義理はあろうが、ソープ嬢はファックしたいなら店ですればいいじゃない!と思うから、こちらはお義理の程度が低い。金銭の提供があれば個人営業だ。
 でも、私は次のように主張している。
ファックなしの店外デート──嬢へのお小遣い渡しをなしでするべき
ファックありの店外デート──嬢へのお小遣い渡しがありでするべき
 この観点からすると、ファックなしの店外デートのほうが『純』だろう。ファックありの店外デートは、対価らしきものの支弁でもって遊びの領域にあるということをはっきりさせておく必要がある。
 ファックなしの店外デートは、相手の嬢が如何ににこやかに連れ添っても、その笑顔の裏に“これはやってあげなければならないこと”という気持を垣間見る洞察力が必要だ。洞察力のない男はただ浮かれているだけ。幸せと言えよう。
 よって、相手の好意が確信できないままで純愛的店外デートを願うのは大変良くないというのが私の経験からの結論だ。嬢は客の指名をつなぐために店外デートに応ずるのだから、その心に乗ってオファーするのは男ではないということだ。従って、私は嬢と店外デートを望むことに否定論を展開している。
 全くレアーケースで、嬢が客を心から好ましく思い、かつ、店の外のまともな寝室でじっくりファックを楽しもうとすることがあるが、この時にのみ店外デートは意義のあるものになる。逢瀬が成立する。金銭の提供があっても、それがお金で釣ったと言えるほど高額でなければ逢瀬だ。
 私は結婚してからも全く逢瀬に縁がなかったけれど、年金生活者になると何故かばたばたと逢瀬の機会が増えた。給与生活者の時は君子危うきに近寄らずの気持で見知らぬ人のお誘いに反応しなかっただろうが、年金生活者になれば少々の不祥事になったって平気だ。だから、積極的に出た。
 その最初は一般女性からの誘いで、同じ年(2009年)に何と3人と逢瀬を得た(3人とも良性記を観て、見も知らずの私に関心を寄せた!)。とうとう私はラブホテルというものを経験し、要するに、全部濡れ場を伴った。だから逢瀬で、金銭の提供がなしだから、真正の逢瀬と言える。
 私は部分的に石部金吉で、ラブホテルなんて異次元の世界の不道徳の罰当たり品・末法的産物と思っていたから、ここに私よりも随分若い女性と突入したのは全く異例・感動・望外・夢幻の卒倒的経験だ。
 1人目がラブホテルに行くのを前提にしたデートで、カラオケの店の後ラブホテルに導かれたから、私は過激な時代になったものだと思っていた。
 これでラブホテルを経験し、ラブホテルのシステムも利用の仕方も場所も値段もわかったから、2人目と3人目は度胸良くホテルに誘うことができた。
 この時のことを思い出すと、逢瀬に、先に惚れあっていることを前提にする必要がないようだ。初対面で逢瀬は成立する。要するに、相手がその男に関心を持ち、まぐわいに情熱を燃やしておれば良いのだ。だから、3人とも楽しい逢瀬になった。
 楽しいのは、店の外で逢瀬を得て濡れ場を繰り広げ、アブノーマルを楽しむことだ。
 久しくこれをしてないので、ある日馴染みのソープ嬢(琴音)に(撮影面から)光量のあるところで浣腸したいと申し入れた。どうせ休みの日に逢うのならたっぷり時間を取って、映画鑑賞も楽しむのが良い。
 トミー・リー・ジョーンズのMIB3が観たかったのでこれで提案した。
 私は親しいソープ嬢の稼ぎが上がるのが大好きでこれまで応援してきた嬢がたくさんいる。性技や接客の心構えなどを指導して応援する。琴音は嬢として一人前になれたことで私に感謝している。スケジュールを合わせるやりとりをしていた時、琴音は3ヶ月連続で店のNo.1を取り、その喜びをメールで伝えてきた。
 当日は朝5時半に目が覚めた。眠れないのでパソコンを立ち上げると琴音からメールが入っていた。店からローションの袋を一つ持ち帰ったとの報告を見てにんまりし、手荷物袋の中にデジカメと電マを入れた。
 私は冷酒とデザートとイチジク浣腸を買い、琴音と落ち合った。
 手をつないでラブホテルに向かいながら次の会話をした。
「手をつないでいるけれどさぁ、ズボンのポケットに穴が空いているなら、君の手をポケットに入れてあれを握ってもらうほうが楽しいね。僕は高校生の時にズボンのポケットにわざわざ穴を開けていたんだぜ」
「……」
「どうしてポケットに穴を開けたかわかる?」
「どうして?」
「ヒントは、10代の男の切実な悩み」
「わかんない。なに?」
「街を歩いていてすぐ前を若い女がモンローウォークで歩いていたりすると、すぐにズボンがテントを張るの。それでは困るから、ちんちんの向きを変え、おなかにくっつける必要があるんだ。突然ピーンと勃つから困るんだよね」
「えーっ、そんなんなの。ふーん」
「もう一つあるんだよ。セックスの手引き書を読んだら、早漏解消のため、ちんちんの皮を剥いて亀頭が強くなるようにしなければならない、と書いてあって、皮を剥くためにポケットに穴が必要だった。剥いてもすぐに戻ったよ、若い頃は。大変だった」
「そんなことしていたの」
 ラブホテルに入って冷酒で乾杯し、景気づけをした。琴音の笑顔が心地良い。
 2人が裸になりソファーで戯れると琴音の割れ目がよく潤っていた。互いにペッティングしながら語り合い、ムードが高まったところで浣腸を提案した。
 琴音も先に済ませたほうが良いという考えで、私はイチジクを取り出した。念のため直近の排便を訊くとその日の朝だった。
 私は先にメールで便秘状態を希望していたから、琴音は申し訳ないという態度をしたけれども、大便というものは出したい時に出さねばダメだとも言った。
 イチジクを入れ終わってから、琴音が説明書の指示通りの待機時間を守ろうと時計をしつこく確認するのが面白かった。
 排出はトイレにした。やはり出てきた量は僅かだ。照明がやや足りないから動画でなく写真撮影にした。何度もシャッターを切ったけれど、便がぶら下がっている絵が撮れなかった。
 私は若い女のウンコ出しのシーンが大好きだ。何人もの女でこれを撮ろうとしたが、便が肛門からまさに落ちようとしているところがなかなかなかなか捉えられない。便の量が少なくて、小さな塊で落ちる時は無理だ。
 トイレでは11枚の写真を撮った。その後の浴室での局部洗浄中の生々しい?姿も1枚撮った。
 洗浄を終えて落ち着くと撮った写真を2人で確かめた。私が望んでいた絵が撮れなかったことを琴音も残念がった。
 琴音が持参したローションを小皿に用意してすぐにベッドで絡みあった。私は琴音のトイレでの頑張りに感謝して精魂込めてクンニした。琴音のよがり声が高かった。
 そこで電マを取り出し、陰核茎部にあてがった。しばらく琴音の悶えっぷりを楽しんだ。琴音に電マを当てられたことがあるかと聞くと、一度客が持参してきて使われたことがあったそうだ。
 69をして、途中からは肛門をほぐす作業を並行した。琴音のアナルはゆとりが出るのが早かった。浣腸したからなのだろうか。
 私のような老人の、月に1回しか通わない客に、私よりも殆ど40歳も若い琴音がここまで応じてくれるのは大感謝だ。バギナのほうに正上位で嵌め、抽送しながらキスしまくった。琴音の返しが嬉しい。
 その後ローションを局部に塗った。ノーマルセックスをしばらくした後でも指をアナルに挿入するのに抵抗がなかったので安心した。
 アナルに嵌めてしばらく抽送してからデジカメが手の届かないところにあることに気がついた。一旦抜いてカメラを取り、再び嵌めた。
 アナルセックスの間に撮った写真は5枚だ。琴音は両膝の裏を手で押さえ、終始お尻が上がるようにしていた。こうしてくれるとアナルに抽送するのが楽になる。
 抽送時に琴音が自然に出す喘ぎ声がとっても素晴らしい。だから私は琴音を気に入っている。アナルセックスの時は私にしがみつけないが、ノーマルセックスで重ね餅の体勢でする時のしがみつき方は悩ましいほどだ。
 部屋は窓がなくて外光が入らなかった。動画がうまく撮れるかと思ったけれど動画を撮ることにした。私はアナルセックスの最中に三脚ではなく手持ちで撮ったことが殆どない。
 しばらくカメラを持って動画を撮りながらアナルセックスをし、続いて女上位のノーマルセックスの場面も動画に入れようとして体を放し、私はベッドに寝た。するとすぐに琴音がフェラチオにかかった。その後は女上位の性交→69と進め、そこまでカメラを手持ちして動画で撮った。
 私はこれまで多くの女に浣腸しているが、何故か浣腸の後アナルセックスした記憶があんまりない。排便の後アナルがよく拡がるのかその日は確かめたいと思っていた。
 結論は、挿入しやすいし、動かしやすいと感じた。
 カメラを置いた後そのことを話していたら勃起が弱まった。琴音が気づいてフェラチオにかかった。
「僕はもうたくさんの女とアナルセックスしていて、まあアナル未経験の子ばかりだったけれど、意外にもお尻の穴に入っていたチンボをしゃぶるのを嫌がってしなかった子がいなかった。不思議と言えば不思議だね」
「ふふっ」
「よく勃っている!」
「つかないものなのね」
「嵌めよう!」
 ノーマルセックスから始めた。汗だくになるほど長く抽送したが、気をやれる気配が全くなかった。近頃の私は腰の運動でイクことが殆どなく、厳しい手こきでようやくイクことが多くなった。折角ラブホテルまで来てそれでは面白くない。
 趣向を変えてアナルセックスをすることにした。これは急ピッチの抽送ができないから腰の休憩になる。あらためてローションを塗ることなく唾だけで入るかと思ったけれど、すんなり挿入できただけでなく、ピストンの滑りも問題なかった。中にローションが残っていたし、アナルがよく緩んでいた。
 私は上体を立ててエッサエッサと腰を送った。しばらく前後するとカリに何やら良い感じが出てきた。あんまり苦労することなくバギナでイッていた頃でも、アナルセックスでイクことはかなり難しかった。だから、アナルで気をやることはあり得ないと思っていた。
 ところがその日は店外デートに浣腸という異質・飛躍的な行為で亢奮が大きかったせいなのか、私はとうとうアナルセックスで気をやった。
 もう射精はないけれど、顕著な収縮が腰の奥であった。嬉しかった。
 映画の開始が迫ったので2人は慌ただしく風呂に入った。湯に入りながら持参したデザートを食べた。
 ホテルから映画館に急ぎ、MIB3を観てからは喫茶店に入った。MIB3のパンフレットを眺めて、エージェントO役のエマ・トンプソンがハリー・ポッターの映画のトレローニー先生を演じていた役者とわかり、上映中には全く気づかなかったから驚いた。ハリポタファンの琴音もびっくりしていた。
 喫茶店で私は琴音にアブノーマルな性的行為について語った。すると琴音が「わたし、ガン射OKよ」と言った。何と顔射でなく眼射で、客に眼射を頼まれたことがあったのだ。琴音もアブノーマルだ。
 その後2人でそぞろ歩きしたが、手をつないだままで会話しながら歩くのが楽しかった。男女のカップルをたくさん見たが、どのカップルよりも素晴らしい情交を私たちはしたのだろうと思った。琴音の潤みっぷりは終始顕著だった。まさしく濡れ場だ。
 夕食をしてから別れた。その日2人で歩いた距離は結構あった。長時間の抽送運動を含め体を動かした時間が長かったから、日々の運動量がまるでない老人には素晴らしい1日になった。字幕映画を観た目の疲労も併せ、大変疲れた。
 (MIB3の公開が2012年5月だから、その頃の出来事だと思う。)
ソープ遊びを考える  トップページ
ソープ嬢を愛しむ  ソープ嬢の秘技を考える  金津園遊びの手引き
(千戸拾倍 著)