18歳未満の方は入場をご遠慮下さい。
買春メモ4
このページで扱う初会入浴は、艶のエマ、すずめの宿のルミ、コットンクラブのミサト、コットンクラブの小春、ダイヤモンドクラブの桜、ViViのルカ、恵里亜のユアと数が多く、単発入浴の嬢でもなにやら記憶に残るのが大勢いた。
小春に没入したのとダイヤモンドクラブが気に入ったのが特筆事項だ。
女買いに奮闘した頃が懐かしい。金津園の店がサイトを確立する前はソープ情報誌が店のことを知る唯一の手立てで、これを買うのを愉しみにした。そして、雑誌で着目した女に目もくれず、馴染みの嬢に嵌めるべく、年間79回出撃した平成7年(1995年)はまさしく桃源郷だった。
1995年 |
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1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
合計 |
マスターズ |
桂木 |
1 |
3 |
2 |
2 |
2 |
4 |
3 |
2 |
2 |
2 |
2 |
2 |
27 |
恵里亜 |
由美 |
2 |
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2 |
1 |
1 |
1 |
1 |
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1 |
1 |
2 |
2 |
14 |
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ローザ |
2 |
2 |
2 |
2 |
2 |
1 |
1 |
2 |
1 |
2 |
2 |
2 |
21 |
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アキナ |
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1 |
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1 |
ルネッサンス |
麗子 |
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1 |
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1 |
重役室 |
みさき |
1 |
2 |
1 |
1 |
1 |
2 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
2 |
15 |
合計 |
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6 |
7 |
7 |
6 |
7 |
8 |
6 |
5 |
5 |
7 |
7 |
8 |
79 |
(注)ルネッサンス:麗子(マスターズのルイ)重役室:みさき(恵里亜の夏美)
その後ネット情報が出回るようになると、私は金津園ワールドや2chで、知っている嬢や店の情報を見つけるのを日課にした。実に金津園は私の没頭対象だった。
平成19年(2007年)から20年にかけては、経済的な凋落(退職)が間近に迫って最後の快楽だとばかりに貪った。私のソープ道楽期間(昭和58年〜平成29年:35年)のうち、平成10年以降で最も入浴回数が多いのが平成19年(2007年)の55回だ。
平成17年(2005年)から20年までは毎年50回前後金津園に出撃したが、平成21年(2009年)にはもう半減した。飽きたのではない。老後の生活資金を減らせないからだ。
2006/10/24(火) クラブロイヤル 彩香 18回目
明日はアンリ、アンナ、ヒナなど含めて食事会とのこと。
2度イカせた。タトゥーの仕事をしたいと言った。
マリがぐーんと痩せたとのこと。
アンリ、アンナ、ヒナの3人の超有名名花が一堂に会すると、マリや彩香のようなそれなりの名花のお姉ちゃんが彼女たちの華やかな美貌にうっとりするという話を既にこの2人から私は聞いた。
アンリ、アンナ、ヒナ、リコ、マリ、彩香は、皆の店がばらばらになったその頃でもよく会っていた。
2006/10/31(火) クラブロイヤル マリ 11回目
5回ぐらいイッたと思う。中出しの後指入れでイカせもした。
作品を印刷して渡した。ヒナの性格分析が面白かった。
彩香の誕生祝いでヒナが私の名前を出したらしい。
ということは、アンリ、アンナの2人は私のことを聞いたわけで、となると、アンリ、アンナの2人は私がもし入浴すれば相当なる関心を寄せることが期待できる。
当時かなり迷ったが、結局アンリとアンナには、マリと彩香がいかに入浴を勧めても、実行しなかった。躍起になって予約を勝ち取る見苦しいことを私は昔からさげすんでいたからだ。
なお、「ヒナが私の名前を出したらしい」とは、千戸拾倍ではなく、本名のほうだ。私は艶グループやRグループの店で千戸拾倍を出したことはない。
私は当時、ヒナ、マリ、彩香の3人から、アンリ、アンナ、ヒナの3人についてはかなりいろんなことを聞いていた。メモってもしょうがないし、どんなことであったかは殆ど覚えていない。ただ、この連中が店がいろいろばらけても大変仲が良いのを興味深く眺めていた。
私はヒナ、マリ、彩香、アンリ、アンナの5人の交友関係が本当に羨ましかった。その後も長く5人は時々会っているに違いない。
この連中が旅行すれば、スレンダーの美形がずらり。男たちが必ずへらへらと声をかけるが、この5人がバギナに収めたペニスの総数を聞けば仰天絶句するだろう。
2006/11/07(火) 艶 エマ 1回目
(艶の著名上玉に歓喜した話に登場)
2回目発射できた。(20)
ごくんはしたことがない。19歳でトキハに入った。
艶グループ下位店のトキハから艶、英國屋に廻ったことのある女に何人か入浴しているが、最初がトキハやクラブ美人だった嬢は美貌的にはピンと来ないのが多かった。
エマは容姿よりは指名獲得の腕(性技と会話力)で艶にいるのだ。
2006/11/14(火) セントレア ミサ
2006/11/21(火) 艶 ヒナ 4回目
1戦目はバックで射精。2戦目は抜けず。ベッドでアナル舐め。
ザーメン溜めたバギナの指ほじ経験は2名。
私がこれをした女が2名なのか、ヒナがこれをさせたのが客2名なのか。どちらなのか。恐らく後者。
なお、ベッドでアナル舐めとわざわざ書いたからには、恐らく未洗浄・即の行為だろう。
2006/11/28(火) クラブロイヤル 彩香 19回目
(退店を聞いて)さよならを言った。
仲間と会うと私の話がよく出るとのこと。
2006/12/05(火) すずめの宿 ルミ 1回目
(スレンダー美人2人に登場)
2回目発射できた。(21)
12/28が誕生日で24歳になる。スティーション、英國屋、すずめと渡った。
先月44本で、部屋持ちに僅かに足らず。
クラブロイヤルのマリに推奨されて指名した。さすがの容姿だった。
年齢と容姿からはすずめに格落ちする女ではない。愛嬌が足りないのだろうと思った。
マリには昔の仲間をよく紹介されたが、私から聞き回ったのではない。マリが自発的に唆すのだ。
2006/12/12(火) ハートムーン+ ミサ
レビトラを使わず。受付に堀江がいた。
(由美3に登場する『店長の渡辺(仮名)』だから驚いた)
セントレアでは本指名が愛の次だったと報告。
本指名数が2番手とは意外だった。そのような結構なことはセントレアの時に私に言えばよいのに、それを言わない性格だ。だから、2000年10月から長く続いた。
ミサはセントレアに不満を募らせ、ハートムーン+に移った。有力だったのに大切に扱ってくれなかったという思いからその発言になったのだろう。
ミサは何回目の入浴かを書いてない。もともとヘルスにいてその時メモを取っていないので、2003年(平成15年)から金津園のラ・カルチェ(2004年末ぐらいでセントレアに改称)で逢うようになっても対面記録をつけてないからだ。
あまりに付き合いが長いから、このメモでミサについてはコメントを書かずとも違和感がなかったけれど、2006年の年末にセントレアからハートムーン+に移ってからは些細なことでも何か書くことにした。
ハートムーン+は昭和59年に利用した建屋で懐かしかった。その時は皇帝という名前だった。
なお、レビトラを使わずは、服用せずとも性行為が立派に果たせるか確かめたいからで、確かめるに一番相応しい女がミサだった。肉体がゴージャス(172cm!)で、親近関係が最上級に達し、「モアエレクトよ(麻世れいら)」の魅惑だった。
2006/12/16(土) コットンクラブ ミサト 1回目
艶グループのコットンクラブで遊んでみようかと思った。この建屋は1991年(平成3年)にユキ嬢に入浴した時に入って以来だ。当時はすずめの宿の名だ。相変わらず床がピカピカだった。
私はクラブロイヤルやルーブルよりも安いNS店で楽しめる女が見つかるのを期待した。
入浴後アルバムを見るとかなり格落ち感を覚え、安いNS店はやはり狙うべきではないと思った。しかし、どの写真の容姿もミサトよりは上だから、この店ではNSでやれることに一層着目すべきだと言い聞かせた。それにしても、ミサトの容姿で2回放銃ができたことがおかしかった。
2006/12/25(月) 艶 ヒナ 5回目
1983.3.3生まれ サンタの格好が凄く映えた。
このサンタの姿は一生忘れられないインパクトがあった。
あの時エレベーターの中で真っ赤な衣装を身につけた雛は超大迫力でチャーミングだった。
2007/01/05(金) コットンクラブ ミサト 2回目
2回戦は勃ちが悪かった。どうしてだろう。(不細工すぎた)
2007/01/10(水) ハートムーン+ ミサ
アナルの中で射精した。
ミサは2000年10月にヘルスで知り、普通のフェラ抜き→即尺→アナル指攻め→AF→撮影(2001年1月)→本番(2002年2月)→中出し(2002年5月)と進展した。
当時(2000年)の名古屋のヘルスはノーマル性交が絶対に駄目でも、肛門性交は本番にはならない雰囲気があり、20代でも許す嬢が多少はいた。
私はミサにはよくAFをした。ただ、勃起がひ弱で、射精までこぎ着けたことが殆どなかった。それに、172cmの巨体だから尻たぶの谷間が深くて、アナルに突入するのが厄介だし、外れやすかった。
ノーマル性交がOKになると、心がどうしてもそちらに向かった。だから、2005年にレビトラを服用するようになるまではAFはあんまりしていない。
私の勃起力が格段に強化されると、しばらくはAFをよくやったが、そのうちにミサは中イキがよくできるようになった。するとノーマル性交を望み、AFは私が頼み込まないとできなかった。
「アナルでしたいな」と言っても、「アナル? いやだわ」ではなくて、「前が良いの。今日は気持ち良くなりたいの」と返されると、「いや、後ろだ」とは言えない。
だから、レビトラによってAFが楽にやれるようになっても、肛門内射精までに至らせることは殆どなくて、私は彼女をよがらせ放しにするのを娯楽にした。イカせることの楽しさは撮影件数を減らすまでのもので、クリイキより中イキがメインだった。
2003年以降私は100分ダブル、130分、160分のいずれかで遊んでいたけれど、ミサだけは100分シングルと決めていた。だから、毎回かなり忙しかった。ペッティングはミサがイキそうになればストップした。
2007/01/23(火) 恵里亜 彩香 20回目
クラブロイヤルにいろいろ不満があって堀(豆系の総帥)の面接を受けたら、何とマリも同じことをしていた。互いに知らずにした。
ドルチェビィタのほうがクラブロイヤルよりも手取りが良くて稼ぎが倍になったそうだ。
2日から出ていて、(私とエッチして)恵里亜で初めてイッたと説明した。
11月28日に入浴した後は、互いにもう会えないと思っていた。
2chでドルチェビィタに出たと知り、それで対面した。彩香は喜んでいた。
恵里亜に入るのは2000年以来でやけに懐かしく感じた。
中級店を高級店にしたにもかかわらず、内装が全然変わってなくてあきれた。
彩香は上がると言ったのにすぐに恵里亜に駆け込んだから、そのいい加減さに鼻白んだ。出勤もマイペースになって、私は意欲が薄らぎ、22回の入浴で止めを決めた。
2007/01/30(火) 恵里亜 マリ 12回目
クラブロイヤルから恵里亜に移ったと知り、すぐに逢いに行くと大層喜んでくれた。
眠れない日が続き、3時からの出勤にしたけれど、「貴方が1時半に予約してもOKになるように店に頼んでおく」と言った。
7月で27歳。
その後マリの出勤は大変不規則になった。平日の出がかなり減った。予約が難しくなり、これが最後の入浴になった。
しばらくしてマリは恵里亜からいなくなった。マリを大層気に入っていたから残念だった。
数年後セ・ラヴィに(別の源氏名で)出た。私は会いたかったけれど、出るのが日曜日だけなので諦めた。
2007/02/06(火) 艶 ヒナ 6回目
写真集を見せてやった。驚いていた。
雪江(高身長女に嵌め通い2に登場)の応対ぶりに感嘆していた。
被写体としての奮闘や魅惑の放散に感心したということだ。
口内唾垂らしは不可。
二回戦は30分ほど見事に私を刺激し続けた。
2007年2月6日からサイトに日記を掲げるようになった(昔の日記の通り)。ソープ遊びの事実についてもあんまり躊躇わずに書いた。
ところが、BIGLOBE利用のサイトが 2007年5月に、FC2利用のサイトが2008年12月に抹殺され、すぐさま移設したTOK2でも瞬殺されて、すっかり気落ちした。それで、作品の方針を改めてYAHOO! geocitiesで陶酔記として再構築し、日記についてはあまりに私事をあからさまにしすぎと考えて没にした。
しかし、日記をやめることもなかろうと思い直し、没にしたものを復活させずに新たに書くことにした。日記の再出発は2009年2月27日だ。
ここからは、没にした日記と新たに始めた日記から買春に関わるものを取り出して掲げる。対象は2007年2月6日〜2009年12月16日を扱っている。以下、これは 日 付 で掲げる。
ここまで掲げたもの( 日 付 の文)は遊興の都度手元のメモとして一太郎で簡略に書き、何のために書いたのかわからないくらいに読み返してなかった。
この遊興メモは2005年2月16日の入浴から始まって2018年2月(性行為の終了)まで長く書き続けたが、ここに掲げるのは2013年8月までとする。
日記もメモも店名や源氏名で仮名にしたのをできるだけ実名に改めて、関心を呼びそうな個所だけ抜き出し、具体的に補強したところもある。
日 付 は最初からHtml文書にして発表を意識したものだが、 日 付 の記録は手元のメモであり、本人の発言をそのまま書いたものが多い。「中イキはない」と書いてあればそれはご本人がそのように言ったということだ。
共に、源氏名で仮名のものは赤字にした。
仕事を休暇にして、映画『墨攻』を観た。その後予約してあった艶に向かう。
岐阜駅に着き、送迎車を頼む。
相方のヒナは私がかなり気に入って、
艶の著名上玉に歓喜した話に登場させ、この日は6回目の入浴になる。別嬪この上なしで、私が会った女の中では一番の美貌だ。プロポーションも素晴らしい。ソープ嬢として男を欲情させる技術も文句なしだ。
いつもの通りクンニリングスでイカせまくって、その即ベッドの後二人で並んで寝ていたら、ヒナが私の耳あか取りをやり出した。これが好きらしい。
耳あか取りが終わって、私が「医者と歯医者と床屋と風呂は大嫌いだ」とぼやき、「理由は男に接近されるのが嫌いだから。そして、子供の頃から汚いほうが好きで、チンボとキンタマと尻の孔はいつも綺麗にしているけれど、それ以外は、いつも汚くしている。へそから上は滅多に洗わない。髪を洗う時にシャンプーを使っても、それ以外石鹸は生涯殆ど使っていない。もう、垢だらけだ。風呂上がりに、タオルで顔と首をこするといつも真っ黒になる」と説明した。
「顔も耳の裏も耳朶の内側も汚いだろう?」と聞くと、私の顔の肌をしげしげと確かめ、人差し指を伸ばして耳朶の内側をガリガリとこすって、垢が出てくるのを面白がった。
「男に接近されるのが嫌い」という話題から、中学生の時に男の痴漢に出会った話になり、ヒナが「私も、お客さんから『男にモーションかけられた話』をよく聞いたわよ」と言い、いろんな話を報告するから驚いた。紅顔の美少年というのは黒人男性にまで声をかけられるのだ。
その後卑猥な会話を重ねて、ハメ撮り写真集を見せた。もう6回目の入浴だからお宝を披露したのだが、大変驚いていた。彼女がよく知っている嬢が何人も写っているから、並の驚きではなかったようだ。(特に
高身長女に嵌め通い2の嬢の応対ぶりに反応した)
最後のプレイは30分以上ヒナにペニスを攻められた。手と口と腰の動きで30分間フル活動だ。その頑張りにもかかわらず、結局その日二度目の射精はできなかったが、奔放に淫奔に攻められ、勃起し続けていたことに満足した。
「顔が汚くたっていいわよ。貴方は口がくさくないから良い」の発言に喜んだ。
「次はいつ?」と聞かれたから「4月」と答えておいた。
ヒナは汚いことには許容性があってアナル舐めなどもするのに、私が大好きな口内唾垂らしを許してくれないから残念だ。不可だというのは、その日の中間の雑談で確認した。
2007年02月14日(水) 恵里亜 彩香 21回目
燃えたようだ。10月で27歳。
マリは店外をしているとのこと。写真集を見せてやった。
一年前も同じ日に会ってチョコレートを渡したと言うが、調べてみたら2/15だった。
会社には出たけれど、10時になると休暇に切り替えて金津園に行った。勤務の終わりが近いから、自棄の気分でどうしても休暇を取りたくなる。私と同等の役職の人が休暇残日数を20日にまで消化したので、私もそれに合わせることにした。
相方の
彩香(
魅惑のスレンダー嬢に登場)には昨年11月末にクラブロイヤルで19回目の入浴をした時さよならを言い、それで上がったはずだ。ところが、今年の1月に2chを見て、
彩香が金津園に復帰したと知った。上がりを祝福したばかりだからあきれた。
すぐに
彩香に入浴したが、復帰に驚くあまり、平成12年から7年ぶりに入る恵里亜について感慨に耽る気分が起こらなかった。しかも、驚いたことには面接を受けるときにクラブロイヤルのマリも現れたそうで、結局2人とも恵里亜に移った。
2人がクラブロイヤルを飛び出るとは、クラブロイヤルは一体何をやったのだろう。貴公子ができて、そこに呼ばれずに面子が潰れたぐらいで離脱する筈がない。よほど金銭的にムカつくものがあったのだろう。それとも、Rグループ上層部からセクハラのようなものがあったのか。
まあ
彩香には横浜観光?の写真がネットに流出する事件があって(
私の金津園遊興データ 後編 参照)、これも離脱と関係するかもしれない。まあ私はいろいろ想像することがあっても、微妙な話題は相手から口に出さない限り、ズバッと事情を訊く性格ではない。
どうも上がる決断に至った新しい仕事(風俗系共同事業)があっけなく消滅して、
彩香は金津園に復帰したようだ。
この1/23の再会で
彩香は喜び、エクスタシーに舞った。恵里亜で初めてイッたと喜んだ。なお、手取りが良くて稼ぎが倍になったそうだ。(マリには1/30に再会した)
恵里亜で2回目の入浴の今日は累計で21回目だ。
2月の平日は店も自分も暇だとぼやき、「家にいると、外出してお金を使ってしまうから、暇でも店にいたほうがよいのだけれど、何しろすることがなくて……」と言った。
「ゴルフの教室に行くことにしたの」と、うって変わって快活そうに言うから、「ゴルフの勉強をしたって糞の役にもたたんよ。それよりも料理教室に行けよ」と言ってやったら、考え込んでいた。
彩香はもう若くはないのに上がることをちっとも考えていない。だから私は料理教室を口に出した。
クンニリングスで2回イカせてから、正上位でバンバン突き、チュウチュウ口も吸い、気が変わってめずらしくバックで腰を振った。途中尻の穴がはっきり浮き上がった。そのまま中出しに突入した。
店の女や他店の女の品評会をして、エロな会話を楽しんだ。
彩香もマリもいろいろ興味深い話をするから通いが続けられる。真面目な話もして、先週観た映画の『墨攻』の話をした。
「映画はたった1800円。これで値段が高いとか、時間が費やされてしまうとか、ぶーつか言う奴が多いけれど、非常にけしからん。今は昔と違って実に観衆の数が少ない。あの不入りと上映館の少なさでは映画関係者が気の毒になってしまう。億という金を使って、情熱を注いで大勢の人が関係して作りあげた映画を、僅か1800円で観られることに皆が感謝しなければ。だいたい、世の中考え方がおかしい。例えば電気炊飯器、あんなすごいものがたった5000円前後で買えるんだよ。中国製に比べたら高いとかの話じゃない。よーく考えてみれば、あれが5000円というのはむちゃくちゃ安い値段だ。鉛筆1本、消しゴム1個などと比べたら、機能を考えても、材料の種類を考えても、部品点数を考えても、製作に関与した人間の数を考えても、製品の使途の過酷さと製品寿命との関係を考えても、鉛筆や消しゴムの百倍千倍の値打ちのレベルだろう。それなのに、鉛筆や消しゴムの数十倍程度の値段であの電気炊飯器が買えるのだから、感謝しなければ。要するに、映画というのは、1800円で感謝して観なければ」
私がこう弁舌をふるうと、
彩香は同意した。
「私も、一人で映画を観に名古屋まで出ることがあるのよ。『どろろ』を観にいこうかしら」
先週貰ったバレンタインのチョコレートも、その日に貰ったチョコレートも、名古屋のデパートまでわざわざ買いに行ったもので、なかなか上等だった。一年前も同じ日に会ってチョコレートを渡したと言うが、帰宅して調べたら2/15だった。
チョコレートとブランデーを楽しみながら、ハメ撮り写真集を見せた。平然と眺めていたが、よく知っている先輩嬢の私への親密そうな応対ぶりが伝わる写真に驚いていた。
彩香が意外なことを打ち明けた。マリが店外デートに応じているそうだ。そういうことをしない堅い女だと思っていたからびっくりした。女は本当にわからない。
再びベッドプレイをすると、
彩香が派手にシーツを湿らせたから、抽送している時に私の左の膝小僧が冷やっこかった。
その後は三省堂書店で時間をつぶしてから名古屋駅前のピカデリーに向かった。
16時から『どろろ』を観た。充分に楽しめた。柴咲コウが良い。顔も個性も魅力的だし、なかなかの好演だ。ああいうきつめの顔がベッドで陶然とよがって、会陰にお汁を垂らしているのを想像すると楽しい。
それにしても、中井貴一と原田美枝子はいつも同じような役が回ってくる。ご本人は辟易しているのではなかろうか。劇団ひとりは結構やれるものだ。
やはり観客数は少なかった。実に残念だ。
ロケをしたニュージーランドの光景も良い。画面のカラーがくすんだ色合いで終始させているのが気に入らなかった。あれでは柴咲コウの肌の色がよくわからない。
彩香は26歳だったと思う。私はソープ嬢は26歳までに上がったほうがよいという持論だから、この復帰には本当にあきれた。再会を喜びながらも、性格のいい加減さ、四大を出ながら人生の取り組み姿勢のだらしなさに鼻白んだ。結局23回の入浴でやめにした。
彩香は長くやるつもりはないと言った通り、それほど長く恵里亜にいなかった。
逆に、長く続けるつもりと言ったマリは彩香と同時期に恵里亜から出た。数年後セ・ラヴィに出たから驚いた。出が日曜日主体の月に数回という働き方だから再会は諦めた。3年ぐらいはいたのかも。
思い返せば、平成17年にクラブロイヤルで彩香とマリを知ったときは喜んだ。買春活動はこの2人に交互に嵌めるのを中心にするつもりだった。この2人には対比の妙があった。艶の在籍経験と美肌とお喋りが楽しめたのが共通点だ。
|
美貌 |
体型 |
育ち |
性格 |
性感 |
性技 |
彩香 |
幅のある女らしい顔 |
極端にスレンダー |
育ちはまともで4大卒 |
地味な性格で大人しい |
クリイキが早くて、汁多し |
艶グループとしては普通か? |
マリ |
面長の細面で姉さんぽい顔 |
164cmぐらいあって曲線美の体型 |
いかにも育ちに疑問が湧く感じ |
奔放な性格で姉御肌/会話が愉快 |
多回数イキ |
こってりしたペニス刺激ができる |
2007年02月23日(金) ハートムーン+ ミサ
試しにゴムを被せてみた。射精量の少ないことがはっきりしてガッカリした。
ゴム着は1998年以来だ。
オナニーで射精量が少なくて気落ちした。亢奮しきってないからではと考え、親近の度が最上級のミサに最高に欲情してかかり、手こきでなく合体ならば、量がどうなるか確かめた。
コンドームは触感が悪いとつくづく思った。
2007年02月27日(火) コットンクラブ 小春 1回目
(ようやく新しい通い嬢に登場)
神戸出身26歳(本人談) 前は福原でNSで仕事。金津はまだ3年経ってないそうだ。
延々とゴールドチェアを受けた。小春の頑張りと巧妙さに驚いた。
このゴールドチェアには実にノックアウトされた。
なお、年齢は信じてなかった。
2007年03月07日(水) ダイヤモンドC 桜 1回目
(前半と後半で態度が様変わりの女に登場)
岐阜県人。ルーブルで業界入りと言ったが、本当だろうか。
歩は演技的接客に長けていると説明した。
麗花は中学生の子供がいるそうだ。
蘭はママと意見が合わなかった。
桜はママと合っていたが、家庭の事情でルーブルをやめて、その後ダイヤに復帰した。
館、セ・ラビィとも店長とは意見が合わなくてやめた。
ラムの部屋だった。ルーブルではよくAFをしていたとのこと。
このルーブルのママがリサ、マリアのいずれなのか、今となってはわからない。多分若いほうだろう。
平成4年にダイヤモンドクラブの有名なラムに入浴した。
その時に星空の部屋に入った。それ以来の入室だ。随分古びた感じに見えた。
それにしても桜のスピーカーぶりには驚いた。後年桜がマリアより年上という書き込みを見た。
2007年03月16日(金) ViVi ルカ 1回目
(エロマンコのデブ嬢に登場)
レイの名ですずめの宿で主として働いていた。コットンからViViへ来たのが昨年の9月。
小春と飲み友だち。ユウ
(すずめの宿に再訪に登場)とパチンコ友だち。
ユウと同年の28歳。
オナニーはよくしている。潮吹きができる。中イキはない。
驚異的なデブでびっくりした。この日潮噴きは見ていない。
マットプレイはエルのみなみと似たところがあった。
2007年03月21日(水) 艶 ヒナ 7回目
動画(私と嬢の絡み)を見せたら驚いていた。2キロ肥えたらしい。
「顔が良い」と言われて喜んだ。
(2週間前入浴したダイヤモンドクラブの桜を話題にすると)桜と美容院で一緒になったと言った。
4月の耳鼻科行きを覚えていて、耳あか取りをしたいと言った。
桜と接点はないはずだから不思議だったが、桜は雑誌に派手に顔を出しているから知っていたのだろう。
岐阜市内の嬢の大方は東海道線の南側に住む。北側は長良川を越えないとなかなか借家が難しい。
岐阜は小さな町だ。そして、嬢は皆同じような店で飲む。
だから、岐阜市内から通う顔出し嬢はいろんなところで仲間に観察される。
なお、私の耳穴は手術の結果びっくりするぐらいに大きくなっており、耳あか取りのやり甲斐が大変ある。
2007年03月27日(火) ハートムーン+ ミサ
3回イカせてから交わると、中イキした。大層こそばゆがっていた。
2007年04月10日(火) コットンクラブ 小春 2回目
昨日ルカ
(3月16日に入浴)と飲んだと言う。
クンニリングスでイッた。2度イキは難しいと言う。
10代の頃にAFをしていたけれど、業界入り後はやっていない。くせになりそうだったと言った。
前回毛をからかったから、毛をカットしていた。
ソープ嬢は皆恥毛を穏やかな形にするものだが、小春はベテランなのに自然のままにしていて、私は初会でしっかり冷やかした。だから、2007年2月以降の恥毛の穏やかな佇まいは私の発言が原因だろう。
2007年04月17日(火) 恵里亜 彩香 22回目
2回イカせた。ヒナとゴルフでよく会うとのこと。
2007年04月03日(火) 恵里亜 ユア 1回目
(不良少女っぽくてもに登場)
マリがドタキャンでしょうがなく選んだ。
22歳と若い。マリに見せようと用意した写真集を見せてやった。
ルネッサンスでの扱いが不満でここに来た。
私はマリをとても気に入っていた。しかし、なかなか予約が取れず、この日のドタキャンで、出の日数が少ないマリをやめることにした。12回の入浴で終わったのが実に残念だった。
なお、ユアについては (1) キャリアの浅い女はつまらない (2) 出た店をすぐにやめるような女はつまらない の二点を確認しただけだった。
(千戸拾倍 著)