18歳未満の方は入場をご遠慮下さい。

昔の日記 〜その6

 2010年01月30日(土)
 テレビを見ていると、瑛太、妻夫木、小栗、春馬の4人が並んでよく出てくる。この4人は、主たる関心事がヘアースタイルと服装であるとしか思えない。そんな奴はまともな男ではない。
 私はこれを見ると毎度情けなく感じる。こんな程度の男に若い女がキャー!となるのは、女の愚かさを示す事象としか思えない。こやつらに添い遂げた女は幸せになるだろうか。先ずなれないと思う。
 三浦春馬氏が2020年になって自殺するほどの、心に起伏のある男だとはこの頃は想像できなかった。
 自死を選ぶ人は気の毒だ。
 この4人とも後数年で、その累計所得が私の生涯所得を上回るだろうと思うと、全身が痒くなる。
 そもそも、私が評価している小栗君がここに加わっているのが我慢ならない。
 一つ思い出した。サラリーマンでスーツに櫛を入れている男に、しっかり出世するのはあんまりいない。
 ここのマムコ洗いに関する記事はスケベエッセイ17性器の洗浄に移した。
 2010年02月01日(月)
 冬に事務机に向かって作業すると足腰が冷えてたまらないので、書斎に家具調こたつを持ち込んだ。
 こたつの上に液晶モニターとキーボードを置きたいから、パソコン本体や終端装置や各種ケーブルの位置替えをしたけれど、これがなかなか大変な作業になった。
 今紙に真剣にボールペンを走らせるのは年1回、納税申告書を作る時だけだ。
 低所得をしみじみ感じるこの作業はこたつでないとやっていられない。
 2010年02月02日(火)
 厳重注意:PCにウィルス対策ソフトを入れてない場合XVIDEOSのサイトを開いてはならない。
 家具調こたつで長時間パソコンに向かっているのは腰がつらいから座椅子を買った。
 私は座椅子については旅館にあるようなものしか知らなかったから、カーマで見るといかにも立派そうなものばかりが並んでいて驚いた。存外に安いのだ。
 こたつを使うことにして床に腰を下ろすようになって、困ったことが一つある。これではエロ動画を見ながらオナニーするのがやりにくい。まあ、あぐら座でペニスを擦ることになれねばならない。
 貴乃花親方が10票を得て理事に当選した。意外だ。基礎票7に3票上積みできたのは賛同者がいたのだ。理事になっても重要な役職が与えられない観測もある。どうなるか見ものだ。
 新聞に省庁再編のことが載っていた。
 企業のトップが代わった時よくなされるのが、社名変更・事業所名変更・若干の組織担当事業の変更だ。改革をこういうところでやろうとする。
 東芝が釧路工場(仮の用例です)を医療システム工場と改名し、製造品目を少し変えるがごときだ。
 総務と経理を合体して管理とか企画と変えるのもあるし、製造管理とEDPシステム管理を統合して生産システムという部門にするのもある。
 事務合理化や管理職の削減の観点から妥当で納得できる組織見直しもあるけれど、トップが代わった時にするのは政権交代のPRとしか思えないものが多い。
 私が働いた会社でもバカみたいに社名を変えたところがあった。7回ぐらい変わったのではないか。商流の改革と併せて社名変更することが多かったけれど、その殆どはトップの趣味としか言えないものだった。
 四條畷市がJRに四条畷駅を四條畷駅に変えるように依頼しても、変更に数億円の費用がかかり、その分担を求められて困っているが、社名変更というのはとにかく信じられないぐらいの金と手数がかかるし、社員にも余計な仕事がその時に発生する。
 そもそも釧路工場を医療システム工場とするような、所在地冠称から何やら仮名文字が入ったわけのわからないものに変えるのが当節の流行だ。しかし、医療システム工場という名称ではどこにあるのかわかりにくいのが大変迷惑だ。
 本社とは別の拠点にある事業所は所在地名を事業所の名前に入れ込むのがその企業と直接関係のない人にもよくわかって結構だ。
 医療システム工場なんていうネーミングは社長のオナニーみたいなものだ。
 とにかくトップが代わると、改革と改善の知恵のない凡庸人ほど名前の変更やら組織分担の見直し、組織弄りをしたがる。そういうものを変えて、何やら立派な改革をしつつあるような気になるのだ。
 およそどんな改革も現行の組織で必ずできる。改革ができないのは人の意識の問題だ。事業がうまく進んでいないなら、それは組織の問題ではなく、組織の中の人が悪いのだ。
 しかし、人は簡単に変えられない。人の意識もなかなか変えられない。だから、組織を変えて旗を振る。無策としか言いようがない。
 ポッポちゃんは省庁再編が自分の一大使命と考えているらしいが、先ず現行の省庁の制度でもって、変えるべきを変えてみろと言いたい。うまく行かないのを組織のせいにするのは学者の思考だ。真に有能な実務家のセンスがあるトップなら実務をじわじわと改善していく。トップが如何に末端まで見ているかだ。
 もう古い話だが、厚生省と労働省を厚生労働省にして一体いかなる意味があるのか。
 2010年02月07日(日)
 最近読んだ本。
  天平の三姉妹   遠山美都男 著 中公新書 (ぼちぼち)
 亀井静香のような人でも10ヶの意見を言えば一つぐらいはよいことを言う。夫婦別姓法案に反対で、次のようにニュースに出ていた。
 亀井氏はまた、政府が提出を検討している永住外国人に地方参政権を付与する法案にも言及し「国民新党は二つとも反対だ。民主党がいくらのぼせても、国民新党が反対する限りは(政府は)絶対に提出しない」と述べ、法案を決定する閣議で署名を求められても拒否する可能性を示唆した。
 小沢一郎氏を起訴しないという検察の判断はテレビのニュースを見る限り間違っているとしか思えない。政府上層からの圧力があったと見るべきだろう。
 朝青龍・元横綱が引退して、即、ハワイに行ってしまった。テレビで見たハワイでの行動は身を律したものとはほど遠い。モンゴルにだって謹慎という概念はあるはずだ。
 身を慎むという判断を大人なら出すべきだろう。日本相撲協会は朝青龍に退職金を満額出さない方針を決めたようで、それは良いジャッジだけれど、涙を流して引退声明を出した後の行動を見れば、引退相撲の興行を認めるべきではない。
 自由奔放、天真爛漫、天衣無縫、自由闊達を愛でるレベルではない。プロボクサーの亀田という連中も全く同じだ。
 2010年02月08日(月)
 下肢の痒みで悩んでいる人は多いと思う。私は下肢だけでなく背中や腰も痒いが、書斎の暖房に家具調こたつを使うようになったら下肢の痒みが薄らいだ。無意識の引っ掻き傷と点々とした出血跡が消えたから大変嬉しい。
 家族皆がいる居間ならどこの家もそれなりに強力な暖房を入れていると思うが、自分の書斎程度だとそんなにしっかりとした暖房をせず安直な暖房機を使っているのではなかろうか。
 床暖房のようなものをやっておらず、石油ストーブやガスストーブが嫌いで、エアコン暖房+電気ストーブの貧弱な暖房で我慢している人は多かろう。それで冬場に下肢の痒みに悩んでいるのなら、書斎で椅子に座って何かするよりも、家具調こたつを使うほうが良い。
 私は書斎にいる時間が大変長いから、書斎を思い切って狭隘化した判断は実に結構だった。
 そのこたつに座って所得税申告書を作成した。見窄らしい所得なのにこんなものを作らねばならないのは大変鬱陶しい。
 確定申告は前年と同様20万円の還付請求になった。ということは、企業年金の源泉徴収税額が私の場合は高すぎるのだ。まあ税の追徴よりは良いが。それにしても寂しい所得金額だ。この分では地方税が相当減りそうだ。
 こたつ仕事は腰が痛くなるのが難点だが、何しろあぐら座だからチンボによく手が行く。高校生に戻ったような気分だ。あの頃と違うのは、萎えたままで弄くることだ。
 女が子供を育てないと、本当の女になれない。男が家を建てて自分の書斎(部屋)を持たないと、本当の男にはなれない。いずれも何か一本線が抜けた人間になる。
 2010年02月09日(火)
 清の西太后を描いたNHKドラマ「蒼穹の昴」(そうきゅうのすばる)はこれまでの5作を全て見た。
 大衆娯楽作品と割り切って見ればこれはなかなか面白い。原作が浅田次郎で田中裕子が主役でも、事実上中国の作品だ。
 これを見ていると中国の役者の演技が画一的・単調で、人間を描く深みがない。性格描写・感情表現に陰影がない。演技にまだまだ深みがない。日本軍を悪の権化として画一的な姿で描くものが毎日のように放映されているそうだが、その背景がわかる。
 中国が遠からず世界に冠たる国家になることは間違いないが、民度の低さは国家政策が招いているような気がする。
 以前読んだ本をまた読んだ。
  西太后 大清帝国最後の光芒   加藤 徹 著  中公新書
 この本は実に名著だ。大学受験に世界史を選んだ人には激しく推薦する。再読をめったにしない私が再読する本はとっても素晴らしい著述だ。
 立松和平氏が死んだ。62歳。私よりも早く死ぬようでは何のための人生かわからん。
 私も昨日は自分の課税所得と所得税を計算してそのみすぼらしさに愕然とし、あまりの貧民ぶりに、何のための人生かわからんと思った。
 しかし、こんな年収でも、世の中には私よりも低所得の人がいっぱいいるようだから、その人たちは一体どういう努力を払ってきたのだろうと思う。(その努力とは40歳の今の努力ではない。10歳の時からの努力のΣだ)
 年収が数百万しかない人は、年収が5千万、1億というタレントたちがウジャウジャと出てくるテレビなんぞ見てはならんのだ。やっかみで腹を立てるべきだ。
 視聴率UPに協力するよりも、読書をして、知識の涵養に努め、子供との対話、子供の動機付け(親のように年収4百万円のしけた生活とならないように)に意を尽くすべきだ。
 とんでもない財産を持つ男が党首と幹事長をやっているような民主党に投票するのはおかしい。
 2010年02月13日(土)
 日本人の中で、結婚しない男女が多くなった。結婚した男女も、平均して子供二人を作っていない。ということは、日本の将来には絶望感しか湧いてこない。
 それで、民主党は、少子化対策ということで子供手当てを考えている。悪い政策ではない。
 しかし、少子化問題は子育てに金がかかるから起きたことではない。親が、自分の所得水準関係なしに贅沢したいがために、子供にあまり金をかけたくないから起きているのだ。
 誰もが、移動端末、自動車、ゲーム機、各種贅沢品を持ち、誰もが海外旅行をしたがる。
 ここのところに手を打たなければ全然問題解決にはならない。
 親の意識改革、要するに、(1) 親が自分に金を投じて贅沢したい (2) 親が自分の時間をたくさんほしい (3) 親が出産と乳幼児の育児という面倒なものは嫌だと思っている───ここのところを小学校や中学校で、子供が親になる前に意識改革しなければならない。
 作ってしまった子供に対しては、親は何とか頑張るだろう。ということは、子供手当ての対象は小学生までで良いと思う。
 むしろ、親が若いうちはお産の費用が大変なのだから、お産の費用を全部国が持つようにすべきだ。
 要するに、本当に優れた一握りの人間以外の大部分の人間は皆存外狭量で、すぐ要る金が心に一番引っかかるのだ。子供を作ったら大学に通わせるのに金がかかるから…という意識で、子作りに消極的になるのではない。
 10代後半の子供があって、それにお金がかかるから大変だ、と言いたくる親は、自分が贅沢できないから吠えているだけのことで、そこにまともに耳を貸すことはない。
 私は医師の妊娠証明をもとに受胎5ヶ月ぐらいからもう支援金を給付すればよいと思う。まあ、実際の給付は出産・戸籍への登録を経てからという停止条件付きで良いと思うが。
 出産費用がただというだけでなく、お産したら遡って支援金が給付されることになれば、皆一生懸命お産しようとするだろう。
 日本人が皆陶酔記を読んでセックスを上手にすることを勉強すれば、お産をするために絶対必要な、男だけが楽しいあの事前行為が、なんと女性も大好きになる。
 人が若い時に大変なのは出産費用の他には幼稚園などの費用が考えられる。これも無料化を図るべきではなかろうか。
 私は中学生以上、若しくは、中学3年以上の子供については学費や扶養費の補助なんて考えなくて良いと思う。丁度親の年収が増える(増えるべき)頃なのだ。もし、親の年収が寂しいものなら、中学3年以上は本人がアルバイトをすればよい。勿論育英資金の利用でも良い。
 私の考えは完璧な少子化対策だと思う。要は、若い夫婦を重点的に支えればよいと考える。
 雑誌や新聞・テレビなどでよく子育ての累積費用が出てくる。大きな金額を呈示して関心を集めようとしている。こういう取りあげ方は大変けしからんと私は思う。累積額と、その月、その年の数値とは意味が全然違う。累積値は単なるΣだ。
 私だって、金津園に投じたお金の累計値を考えれば卒倒したくなる金額だ。でも、そんな数値を、電卓を叩いて睨んでも全く意味がない。
 足の親指の爪を3週間ぶりに切って、最大の大きさになるように工夫して三日月形に切り落とし、爪切りから飛び出した断片の見事さを感歎して眺め、親指と人差し指で摘んでいじくりまわして大きさを賞味し、そのまま頬に当てて押し、三日月形の先端の尖りっぷりを痛覚で楽しむのと同じだ。
 金津園に投じた金が膨大なら、私の年収の累計値だってなかなかの金額だ。北島三郎や朝青龍には遠く及ばないが。
 要は、やっていければいい。子育てを金で測るのは冗談じゃない。子育ての累積費用の大きさでもって、親が贅沢な暮らしがやりにくいという警鐘を鳴らすなんて、とんでもないPRだ。
 室内飼育の愛犬は猛烈に可愛い。人間の幼児・児童はその百倍も可愛い。貧乏なら金がかからないように子育てするし、裕福なら金をかけて子育てし、子供を美容院にも連れて行くし、着せ替え人形のように服を用意するのが親だ。
 そして、家族のために頑張るのが父親だ。
 2010年02月14日(日)
 バンクーバー五輪スノーボード男子ハーフパイプ(HP)の国母和宏選手(東海大)がバンクーバー入りした際大変見苦しい態度をして、それがニュースで話題になった後も、謝罪会見での態度には大いに疑問を感じた。
 折しも朝青龍の横綱の品格が話題になった後なので世間の注目を浴びた。
 私は昔から『どチンピラ』が虫酸が走るほどに嫌いだ。だから、アマチュア選手も日本選手権で入賞以上した選手は“誰しもが違和感を感ずるほどのどチンピラ”でないかどうかを審査し、本人に必要な勧告もし、該当する選手はオリンピック代表選手に選抜しないという思考・施策が必要だと思う。
 男のどチンピラは、服装の乱れ、表情のだらしなさ、言葉の出し方に現れ、暴力系か軟派系か無気力系になる。18歳ぐらいまではどチンピラをやっていても心の彷徨いと大目に見られるが、それを超えてもどチンピラをやっていては、もう人間のできが悪いとしか言いようがない。
 女のどチンピラはどうだろうか。こちらには暴力系が先ずいないから、その点では良い。
 私が女のどチンピラに憧憬した原体験が一つある。
 昭和38年か39年、私が高校2年か3年の頃、週2回程度学校帰りにビリヤードをやる時は、車道(市電の停留所名)のずーっと北の東海高校から今池まで歩いた。
 ある時今池の歩道で女1人、男3人の一行とすれ違った。
 女はギリギリ20代の感じで、夏なのに浴衣地ではなさそうな和服だった。その和服が、縞模様で、薄緑と黄土色ぐらいだったように記憶している。普通見かけない色彩だ。黒の縁取りがくっきりしていたのも憶えている。
 20〜30代ぐらいの男が付き添い、女に対してみょうに腰が低く、「あねさん」と声をかけ、女も顎で男に何やら指示している感じだった。893の親分の女なのかしらと思った。
 面長で目元涼しげな、いい女だった。腰まで流れた黒髪。小股の切れ上がった女という表現を思い出した。
 こういう女としてみたいと思ったのが、私のどチンピラ女の原体験だ。映画で藤純子や岩下志麻が姐御を演ずるのを見るよりも、生で実物を見るほうがよっぽど衝撃だ。
 真面目で堅い人から見たら、ソープやヘルスで働く女は全てどチンピラだ。私もその考えにかなり近い。厳しく唾棄する人と私が違うのは、ソープやヘルスで働く女を頭から敬遠し、否定しないことだ。彼女たちも『人間』なのだ。私は彼女たちが精一杯生きていて、堅気になる熱意があるのかどうかを見つめている。
 ソープ嬢で、昔の10代の頃のどチンピラぶりをはっきりとは変えていないのが時々いる。
 その手の女は客からすると、先ずまともに会話が成立しない。女としての魅力の発揮については、それなりに考えている。しかし、会話が上手く流れない。(当然ネットで地雷と叩かれるケースが多い)
 私はこの手の女に対面すると戦闘意欲をかきたてられる。私に関心を持たせてまともに会話させようという闘争心だ。
 やはり墨を入れたり、パイパンにしたり、へそピアスをつけたりという嬢は、ものの考え方が普通のソープ嬢とは少し違っている。ちょっとしたことで妙にとんがる傾向がある。
 私はこの三種の嬢には大変数多く対面している。しかし、その嬢について入浴体験記を書く時、入れ墨があるとか、陰毛が完全に除去してあるとか、へそピアスがしてあるとかを書いたことは、既に金津園からいなくなった嬢でない限り、一度もない。
 これはやはり人物特定度が飛躍的に高くなるから避ける。しかし、嬢がその三種に該当しているからこそちょっと変わった所作・言動をすることはよくあり、該当している事実を書けないのはある意味残念だ。人物描写において肝心なことを抜かしたような気がする。
 私は昔から女のどチンピラには、暴力系以外はかなり興味を持つ。エロ心が発達しているのではないかという期待だ。
 彫り物を入れた女はその人生に大変興味が湧く。私は金津園の案内所に総彫りの嬢の名を聞きにいったことがあるぐらいだ。
 私の経験では、この三種の嬢、及び、これに該当しなくても、例えば、18歳でヘルスに出て22歳で金津園に移ったような嬢は実に日本語を知らないことが多い。語彙の極度に貧困なことには驚く。
 皆かなりのどチンピラ嬢だ。だから、30歳超えてもあの美味い汁が吸える職業から離れない。特に彫り物を入れた嬢と10代からセックス稼業をした嬢は堅気になることを考えない傾向にある。
 一番楽しいのはタトゥー嬢だ。彫り物が大きくて綺麗なほどわくわくする。しかし、総彫りはもう20年ほどお目にかかったことがない。
 2月2日に二十歳のタトゥー嬢に会った。ルーブルのミチルだ。
 ここの記事はルーブルの不満嬢と満足嬢に載せた。
 ミチルには2月9日に早々と裏を返したが、国母選手からミチルのことを思い出す私は本当に暇だ。
 しかし、世の中にはいろんなチンピラ女がいる。
 結婚前に独身最後の息抜きとばかりに海外旅行をして、解放気分ついでに現地で黒人の男とセックスを楽しんだ。それで、結婚して妊娠に気づいて、分娩に漕ぎついた。ところが、産まれた赤子は真っ黒。分娩室で、医師も看護婦も、本人もびっくり。
 即離婚になって、母子家庭のできあがり。凄まじいほど馬鹿げた話だ。子供は当然父親がわからない。こんな人生を子供に送らせるなんてひどい話だ。
 名古屋の街でも横浜の街でも、日本人らしき女がよく黒人と手をつないでいる。洋物のエロ動画でも、白人女と黒人男とのセックスが大変多いように感じる。どうしてなんだろう。
 もう一つ、スポーツを一生懸命する男にどチンピラはいないと思っていたのに、亀田兄弟、朝青龍、国母などを見るとそうでもないようだが、どうしてなんだろう。
 うーん。どチンピラがスポーツに熱意を出すと、やっぱりどチンピラということなのか。どれだけスポーツが優秀でも、全く人間的に疑問を覚える奴ばかりだ。
 私が高校生の時に衝撃を受けた文章というのは、「子供の真の父親を知っているのは、生んだ母だけだ」というものだ。女は恐ろしいと思った。
 日本全国、過去現在、自分の子供が実は他人の種からできたことを知らずにその子供を養育し、一家団欒を楽しんでいる父親が一体どれだけいることだろう。
 女のどチンピラで一番恐ろしいのは、こういう気の毒で超哀れな夫を働き蜂として眺めている妻だ。
 2010年02月18日(木)
 女性がその日の夜もきちんと入浴する。しかし、いつもと違ってマムコのこすり洗いをしなかった。それで翌日、午前11時に男性から陰裂をペッティングされたとする。
 もし、その女性が前日の夜の入浴以降シャワーやビデの類を一切使っていないと、最後の入浴以降排尿したのが2回程度でも、割れ目を弄った男性の指先は相当くさくなる。
 その臭みは、前夜の入浴でマムコをこすり洗いしなかったことによって前日の小便の残滓が残ったからなのか、それとも、前夜の入浴以後の2度の排尿でたまった残滓によるのか、私は成分の分析をしたことがないからわからない。
 保健学者や性学者はこのところを研究すべきであろう。
 その男性も前々日の夜の入浴ではペニスのカリ首の溝やら裏筋の両横などをしっかりとこすり洗いしたけれど、前日の夜の入浴ではチンボのこすり洗いを忘却したとする。
 それで、男性が女性といちゃいちゃするまでに一切シャワーなどを使っていないと、女性と同じ状況だ。
 この場合、女性がチンボをこすっても、その指には殆どにおいがつかない。
 こう考えると、マムコの汚れやすさはチンボの汚れやすさの数十倍である。マムコがいかに恐ろしい箇所であるかよくわかる。
 で、この状態で69をすると実に性愛の極致だ。チンボの汚れとマムコの汚れが対等ではないから、ここは、男性の洗っていないアナルを女性に舐めさせることで両者が対等になる。
 中高年のアナルは誠に汚いところで、排便後にしっかり拭いて、ウォシュレットで完璧に洗浄しても、その後、必ず穴の奥から何かが染み出てくる。
 このにおいを女性に嗅いでいただくことで、性愛のレベルは最高に至る。
 この最高の性愛レベルをいろんな女性で達成している私は本当に幸せだ。

 汗っかきタイプで豊満系の女が、マムコの洗い方が執念深くないと、そのマムコの臭さは、汗をあまりかかないタイプで、痩身系で、ずる剥けチンボの男のチンボの臭さの30倍になろう。
 とにかくマムコというものは恐ろしいほど汚れやすい。閉じ型タイプで、陰裂が深い形のマムコが、手入れが下手くそな時の臭さは『地獄』クラスだ。
 すぐにくさくなるマムコがくさくならないようにするにはどうしたらよいか。
 どこかで書いたが、要は、女性は割れ目を思いっきり両手で開き、尿道口から一直線に小便を放つようにしておれば、陰裂がくさくなるのがぐーんと遅くなる。
 ビデを使えば同様の効果が期待できるが、湯をかける時ラビアが閉じているなら洗浄効果が半減する。割れ目を両手で開いて放尿し、洗浄は割れ目を完全に開くことが大切だ。
 こういうことを学校で教育すればよいと思う。割れ目開きは女性にとって基本動作なのだ。私は女子学生の性教育の特別教師になりたくてしょうがない。
 世の中の男には、仮性包茎が当たり前と思い、仮性包茎チンボが可愛いとすら思っているのがいる。
 仮性包茎チンボでも、毎度皮をめくって小便しておれば無問題だが、仮性包茎を愛おしむ男は往々にして、小用時に皮の中を小便が逆流する感触を楽しむバカがいる。
 1本筋マムコや閉じマンの女があまり股を拡げずに小便して、割れ目の中全体を小便が洗っている感触を、おしっこするたびに楽しむようなものだ。
 両方とも局部を自己の小便で洗うから、局部は見事に汚れる。
 ずる剥けチンボではないのに包皮をめくらずに小便するような男は、もう精嚢を削除してやったほうが良いと思う。
 藤田まことさん死去の報(1933〜2010)、残念。
 カーリングのチーム青森の4人は皆「エエ女」だ。金津園の嬢の美貌度のレベルを全く知らない人に説明すると、この4人の美貌度は金津園の高級店の普通程度の売れっ子嬢を完全に上回っている。
 従って、私はカーリングの中継を見ていると、彼女たちの真剣な眼差しに痺れ、もうチンボを嵌めたくなってしょうがない。真剣に生きているからこそ美しさが際立つ。
 本橋、近江谷、目黒、皆、官能性の豊かさが滲み出ているのだ。本当におまんφを舐めたいと思う。
 2010年02月21日(日)
 ここの記事はスケベエッセイ 9とうとう禁煙に載せた。
2021年1月追記:
 この禁煙はしばらく続いたけれど結局不成功になった。2016年2月の決意がようやく完遂となった。
 2010年02月27日(土)
 最近読んだ本。
日本海海戦の深層   別宮暖朗 著   ちくま文庫 (必読の書、素晴らしい)
鳥羽伏見の戦い 幕府の命運を決した四日間  野口武彦 著  中公新書 (ぼちぼち)

 ここの記事はスケベエッセイ 11品のない妄想に載せた。
 2010年03月03日(水)
 禁煙して17日が経過した。タバコを全く吸ってない。これは過去の禁煙ではないことだ。自分がタバコに手を伸ばしていないというのが本当に不思議だ。
 このところ大変苛々する事態が勃発している。
 森三中が宝くじのCMに起用されていて、デブのレオタード姿がよくテレビなどに出てくる。このデブ復権が本当に腹が立つ。
 デブは邪魔で、みっともない。人前に出られる存在ではない。謙虚に生きていくべきなのに、こうもテレビで露出されてはかなわない。
 デブ女が可愛くて愛すべき存在だとイメージを変えさせようとするCMを放映するとは、人の心を誘導するにもほどがある。
 断じてデブは復権させてはならない。デブには臭い人間が多い。息も腋の下も股間も。デブはナゴヤドーム球場でも新幹線の座席でもとにかく邪魔だ。飛行機のエコノミーともなれば、隣に座った人間は地獄だ。デブは無駄な医療費を社会に負担させる。下水道を通るウンコの量も多い。真夏にはアスファルトの路面を歪ませる。
 デブにはただ無視し、心の中で(社会保険料をたんと払って、受給権が発生する前に亡くなりな)と念じれば良い。
 最近クンニリングス 画像で検索して我がサイトにやってくるのが目につく。こんな検索をするとは、全くエロさが捻れていて、何という情けない人間なのだろうか。
──クンニリングスは画像を見るものではない。自分でするものだ。自分でやってみて、女性の官能に感激するものだ。このクソ馬鹿野郎!
 そもそもクンニシーンを画像で見て何の意味があるのか。クンニシーンほど端から見てつまらないものはない。男の顔が邪魔でおまんφが見られない。本当に不思議な思考だ。
 それにしても、私は馴染みの嬢によく言われる。
「××さんって、本当にすごいよねえ。女の子に何でも許させちゃう。人柄なのよねえ。女の子に唾を飲ませるとか、写真を撮らせて貰うとか、ちょっと他のお客さんでは考えられないもん」
 人柄と言った子もおれば人徳と言った子もいる。驚嘆した顔で、ただ「すごい」と発するのが、語彙の少ないソープ嬢では一番多い。
 まあクンニリングス 画像で検索するようなお馬鹿さんは年金受給権が発生する前にご逝去するのが望ましい。クンニリングス テクニックで検索する人は、口臭撲滅に意を注いで、中公新書や岩波新書をよく読んで、少しでも長く生きてほしい。
 2010年03月05日(金)
 HTML文書の文法をチェックするサイトがあって、陶酔記をチェックしたらひどい採点で、昨日は文法のミスを直すのに励んだ。
 プロ野球のオープン戦が始まり、3/2と3/3はナゴヤドームの試合のテレビ中継を楽しんだ。
 これを観るとしみじみ思い出すのは
 以下のラブホテルで奮戦の話は買春メモ10の『2010年03月05日』に載せた。
 2010年03月06日(土)
 ここの記事は買春メモ10の『2010年03月05日』に載せた。
 2010年03月07日(日)
 良性記を昔から眺めている人なら、私が──顔が醜いこととか、目がロンドンパリになっていることとか、髪の毛が見苦しく縮れていることとか、どチビであることとか、人が直しようのないことを咎めたり、からかったりするものではない──と思っていることはおわかりになると思う。
 デブは直そうと思えば直せるのだから、デブが心から嫌いな人が、「デブは醜い。くさい。いなくなってくれ」と書くのは差し支えないと思っている。
 では、どうして「宮沢りえとやりたいか。中山エミリとやりたいか」と失礼なことが書けるのか。
 それは公に堂々と出てくる人だからである。この手の登場者には「美しすぎる」と書くのも「醜すぎる」と書くのも自由だ。否応なしに目に飛び込んでくる人についてはこのような指摘はいっこうに構わない。「八戸市の藤川優里市議会議員とやりたくてやりたくて、チンボが苦しゅうてならん」と書くのもかまわない。
 まあ、テレビに出てくる人は総理大臣を含め、人は好きなように言いたくってかまわないと思う。誹謗中傷を目的とするものでなく、(その意見は正しいかも)と多くの人が思いそうなものならかまわない。
 で、宮沢りえに戻って、骸骨女、これが如何にセックスにおいてつまらないか、これは経験した人でないとわからない。
 超デブ女はエロ動画によく登場する。なぜ登場するか。それはデブ女愛好家という変質者がいるからだ。並のデブ女群の森三中の誰かに性欲を燃やす男は必ずいる。肉まるけというのが抱いて気持ちいいのだ。
 しかし、激やせ女というのは滅多にエロ動画で見ない。
 私は平成13年にクラブ美人で対戦したアリスという嬢がこれまでで最高のガリ女だった。まあ、あの時は恥骨が当たって痛かった。
 人の考えというのは、その人の成り立ち・肉体の資質などと見事に呼応する。
 デブ男はガリ女に存外憧れるのかもしれない。3こすり半の男が宮沢りえとやっても恥骨のぶつかりに難渋しないから彼女の美貌にのみ着目するだろう。チンボの付け根のところに皮下脂肪がたっぷりある男も恥骨のぶつかりに難渋しないから同様だ。亀頭が洗濯板でこすられるような感覚を求める男には宮沢りえのバギナが最適になるのかもしれない。
 ということは、まともな男性は宮沢りえの据え膳は拒むものだ。
 ガリ女の恥骨というのは本当に痛い。まあ、男に腰をぶつけられる女のほうも痛いだろうとは思う。それにしても、デカマラの男には「腰をぶつける」感覚はわからない。気の毒なものだ。
 2010年03月08日(月)
 ここの記事は買春メモ10の『2010年03月08日』に載せた。
 2010年03月09日(火)
 昨日源泉所得税の還付金が早々と入った。嬉しい。
「特別支給の老齢厚生年金にかかる定額部分の支給開始年齢に達したため、年金額を変更しました」と通知が来た。更に、ワイフが還暦で、年金保険料の納付が不要になった。嬉しい。
 国税還付、年金、パチンコ、とにかく金が増えるのは嬉しい。後は、精力が戻ってほしい。どうして嵌めるのはああまで楽しく気持ちいいのだろう。嵌めの良さがわからずして、ちっとも嵌めをしない男ほど哀れなものはない。
 ゴルフや釣りや麻雀がいかに楽しかろうと、それだけやって、嵌めに勤しまない人生は惨めだ。それが惨めだとわかっていないだろうから、全くクソの人生だ。
 仕事に燃え、素晴らしい業績を上げ、生涯年収も社会的地位も立派になった人は日本全国で毎年1万人ぐらいはいるだろうが、嵌めの楽しみが味わえない男なら、実にクソの人生だと思う。
 嵌めこそ一番。女を抱くあの悦びに勝るものが他にあろうか。柔らかくて温かくて、あそこがあまりにもけったいな形をして、湿っぽくて、舐めるとイヤラシイ味がして、嗚呼、ため息が出る。本当に妄念が楽しめる。
 射精の快感が鈍くて、或いは、バギナとの擦れが脳にまで響く度合いが乏しくて、交合に面倒くささしか覚えない男は、年収2千万円あろうと、深田恭子クラスの女を嫁にしようと、哀れすぎる。
 2010年03月10日(水)
 朝方の立ちくらみ症状に驚き、24日前に一大決意でもって禁煙した。今日は泌尿器科に行ったので立ちくらみについて尋ねた。
 医師が言うには「首の大動脈が細くなり、脳への血の巡りが悪くなっている」という判断だ。血液検査によってコレステロールの状況などを調べれば何らかの対策が必要なのかがわかるというので採血した。
 帰宅してから立ちくらみ 血液検査で検索して調べた。私は高血圧とか低血圧の症状はない。ということは、血管の異常よりは、自律神経のトラブルのような気がする。
 根をつめすぎると自律神経がおかしくなることが書いてあった。私はとかく根をつめすぎるのだ。陶酔記の膨大な文字数を見れば「根をつめすぎる」ことになるはずだ。
 まあ一生懸命になりすぎる人間だ。おまんφを舐める時も本当に一生懸命で、セックスもエッセイ作成もパチンコも助平研究もセンズリも、どうしてこんなに一生懸命するのだろうと思ってしまう。私から一生懸命を除いたら何にも残らない。もう私は一生懸命がそのまま人間になったようなものだ。
 アフリカで『モッタイナイ精神』を説いて有名になったご婦人がいるが、私は『一生懸命精神』を説きたいぐらいの一生懸命の権化だ。惚れ惚れするほどの一生懸命だ。まあ、マムコを一生懸命舐めろ、とは説いているが。
 その医院ではED対策薬の処方もする。私はいつも名古屋駅前の医院でレビトラ10mgを1錠 1,300円で買うが、いろいろと手間がかかるので、今日レビトラの値段を聞いた。
 すると 1,500円と高いので残念がったら、20mg錠を割って使うことを勧められた。1錠 2,000円だから割安で、とりあえず4錠買った。
 この世の中でED対策薬を使うことほど楽しいものはない。効き目が凄いし、効き目を試す行為の楽しさときたら何よりも勝っている。女としっぽり楽しむことはどうしてああまで楽しいのだろうか。
 民主党は昔の社会党のように悪平等主義だ。大変良くない発想だと思っている。
 悪平等主義の最たるものが新しい年金制度の考え方だ。
 同一・単一の年金制度を立てる必要があるのか。ベースは最低保障部分が定額年金。これを保障するために、所得例部分の上限を低く抑え、かつ、自営業者の保険料を上げねばならないのが難点とされている。
 自営業の人はサラリーマンと違って『脱税』のし放題だ。私の親戚の多くは自営業。近所にも自営業の人が多い。私もかって自営業を兼業でやっていた。自営業の不法的『家計費つけ込み』と合法的『家計費つけ込み』、そして、収入ごまかしが当たり前だということはよくわかっているのだ。
 サラリーマンの完璧な税捕捉と比べたら大違い。しかも、革靴、ネクタイ、スーツ、腕時計、ワイシャツ、書籍代、パソコン習得費用、必要経費は馬鹿みたいに生ずる。
 で、自営業の人が今の数倍する保険料をきちんと払うことが期待できるか。できるはずがない。納付への強制力を持たずに年金支払だけ着実にするのが目に見えている。税の事実上の巨大な不公平が年金保険料の事実上の巨大な不公平へと拡大されるのだ。サラリーマンからすればこんなひどい話はない。
 サラリーマンは60歳(65歳)で終了だ。自営業はいつまででも仕事をしていられる。こんな羨ましいことはない。日野原重明氏を見ろ。いつまでも現役だ。
 自営業とサラリーマンと一緒の年金制度にする必要は全くない。自営業者は4大を出る必要がない。サラリーマン(総合職)は4大を出る必要がある。コストと素養が違う。
 5流大学を出て4大を出たという箔だけつけて、家業の酒造り・菓子作りなど受け継いだ人と、親に資産が何もなく、何とか世に顔が立つようにしたいと勉学に励み、一流難関大学に入り、売上高が数兆円の企業にて活躍した人間と、どうして同じ設計の年金制度にせにゃならんのか。
 極端な話、自営業者は自己年金制度だけにすればよいのだ。(国の年金は任意加入)
 民主党の考える新しい年金制度は、最低保障の年金を維持するために、現役の時の所得に比例して年金を支給する部分の『所得比例』の程度がかなり抑えられている。優秀で、社会貢献度の大きい人が年金で損をする仕組みだ。
 私は『一生懸命やらなかった人』『さして努力しなかった人』『資質的にもともと劣悪だった人』はあくまで社会の底辺におればよいと思っている。なぜこんな人間に温かい手以上のすばらしい厚遇を与えなければならないのか。
 私は年金掛金を払わなかった人に年金を払うべきではないと思う。無年金で、生活できない人には現行の生活保障制度で対応すればよいと思う。無条件に所得税と社会保険料を天引きされ、必要経費はちっとも認められない給与所得者をあまりにもこけにしすぎだ。
 長妻の馬鹿(参考:長妻 昭が「いくつもの年金制度があるのはおかしいでしょ」と言うと、愚かな人がすぐに同調する。
 いろんな組織、いろんな勤労形態があるのに、なぜ年金は単一制度でなければならないのだ。
 私は公務員の年金水準がいかなるものであるか知らない。しかし、民間よりは支給額が高いのだろうと理解している。
 現在の『国の年金』の給付レベルでは人間らしい生活はできない。それを補うため、国は企業に『企業年金』を設けるように指導してきた。
 ということは、国家公務員の年金(A)は『国の(一般人向け)年金(B)』+『企業年金』と同じものだ。
 ならば、AとBと複数があるのはおかしいと考えて1本化する考えは、公務員にも企業年金のようなものを追加で考えるのかと聞きたい。
 80歳でも働ける畳屋さん、トンカツ屋さんと、知力という技術がありながらもう本来的職業では65歳以降はそれを使えなくなるサラリーマンと同じ年金で考えるのはおかしい。
 健康を損ねて65歳で働けなくなる自営業者は?と考える人もあろうが、不健康突入は別の問題だ。
 なお、私は弱者には冷たく対応すればよいと思っているのではない。弱者と、いい加減な人間・能力を発揮しようとしない人間とは区別すべきだと思っているだけだ。
 2010年03月13日(土)
 我が身のこのところの改善で、禁煙したのがその原因になる可能性があるものは次の通りだ。
  (1) 立ちくらみ症状が出なくなったこと。
  (2) 朝勃ちが増えたこと。
  (3) 体の痒みが減少したこと。
  (4) 歯槽の腫れが引いたこと。
 まあ、温かくなってきたのが原因とか単なる自然治癒なのかもしれないけれど、もし禁煙が原因なら、煙草は本当に毒だと思う。JTは爆破すべきだろう。
 ただ、過去の禁煙とちょっと違うのは、食欲がちっとも増加してないことだ。これが不思議だ。しかし、食欲が増加せず、食べる量も全く増えていないのに、腹の出っぱりが一気に目立つようになった。どうしてだろう。参った。
 2010年03月18日(木)
 私は肩が凝るという経験が一昨年まではなかったけれど、去年、ひょっとしたらこれが肩こりかと思えるものを経験した。陶酔記を立ち上げる時にした頻繁なコピペ作業で些か右肩がおかしくなった。その違和感が現在まで全然解消してない。人間の体は一旦狂うと狂いっぱなしになることがよくわかる。
 私のは凝りというよりは、使用過多による炎症なのかもしれない。でも、何らかの手当てを!と考えて電気マッサージ機を買った。 3,400円ぐらいだから安いものだ。
 実はこれを買ったのは別の狙いがあったからだ。エロ動画で電マが頻繁に使われる。2chを見ても女性の発言らしき書き込みで「電マは強力で良い」というものがある。
 私としてはこれを実地に試したくってしょうがない。これを女体に使ったことがないのはエロ研究家の名折れだ。世間の馬鹿な男がしたがることは私も一度はしておくべきだ。
 しかし、わざわざそんなものを買って金津園まで持っていく気にはならなかった。そもそもどこで売っているのかも知らない。
 ところが、ホームセンターならそれがあるだろうと気づくと、肩の変調の意識が肥大化した。変な物を買いたい意識の正当化だ。それで、1週間ぐらい前にとうとう購入した。
 昨日これをマムコに当てる機会を得た。場所はラブホテル。
 事前に『女性のオナニー』の談義をたっぷりして、その上で密会した。
 タイミングを見て鞄から電マを出し、陰核茎部に押し当てた。なるほど明確な効き目があることがわかった。エロ動画のような絶叫は出ないが、身のよじり方ときたら予想外というかエロ動画で見る通りだ。
 ガキッと体を押さえて電マを当て続けるのを楽しんだけれども、やっぱりオーラルプレイのほうがしていて楽しいと思った。刺激されまくったご婦人の感想も同じだった。
「何かが飛び出そうにはならなかったの?」
 そう聞くと、「おしっこが出そうになったけれど、こらえた」とのこと。まあ、電マの威力は相当なものであるとわかった。ピンクローターに数倍する効き目があることは間違いない。
 しかし、やっぱり指や舌の振動刺激のほうがされるほうも精神的な昂揚が得られやすいと思う。電マは独りエッチか、愛のない男女が使えばよい。
 この半年の私の悩みは、電マ実験女性から「金津園に行かないで」と言われることだ。金津に行くから陶酔記がある。陶酔記があるから私は楽しい。私から金津園道楽を取ったら何にも残らない。困ったものだ。
 2010年03月20日(土)
 ここの記事はスケベエッセイ 11品のない雑文に載せた。
 2010年03月22日(月)
 お笑い番組好きのワイフがソフトバンクモバイル株式会社に怒っていた。S−1グランドチャンピオンの優勝賞金1億円がきちがい沙汰だという。その考えには大賛同だ。
 テレビで子供店長・加藤精子漏がやたらと出てくるのが腹立つ。私は最近精子がちっとも出てこないからこのタレントの顔を見るとそれが引っかかる。どうしてテレビ制作の連中はああまで画一的なんだ。
 2010年03月24日(水)
 エロ動画を見ていて最近気づいたことがある。私は徹底的に早送りしながら鑑賞するし、いつもマムコしか見ていないから、そのことに気がつくのがこんなに遅くなった。
 それはキスシーンがあんまりないことだ。これは洋物のエロ動画でも同じだ。
 助平行為のスタート時にキスシーンは結構ある。しかし、ファックに入ってからキスがそんなになくて、それが不思議だ。考えられる理由は次だ。
(1) もっとエロい性愛行為を鑑賞者は見たがるから、キスシーンは邪魔だ、と制作者が思っている。
(2) 愛のないセックスを仕事でするから、出演者が愛の象徴たるキスを必要最小限にしたい。
 本当のキスはペニスがバキナにぶっ刺さっている時に交わすものだろう。
 私は「ディープキスは女からの吸いがなれけばならない」と書いているが、この女からの「吸い」にしても「(舌による)探り」にしても、より一層発揮されるのは2人の体が重なり合っている時だ。
 熱いクンニリングスをじっくりして官能の海に浸らせた後体を合わせ、唇を寄せると、濃厚なキスに必ず至る。性器の連結と口唇の重なり合わせ、この二重結合が気持ちを熱くする。
 これ以外のキスなんて殆ど挨拶のキス同様だ。
 ペニスがバギナに入っている時にそれほどキスを交わさないのは、ひょっとしたらエロ動画だけでなく、ソープのファックでも家庭のファックでも同じなのであろうか。
 テレビで芸能人がキスについて語るのを聞いていると、子供じみて、お笑いだ。本当のキスはファックに伴ってするもので、それ以外のキスは皆挨拶キスだ。「おはよう」「こんにちは」を唇の接触でしているだけだ。
 なのに、恋愛経験豊富らしき芸能人がこういうキスだけを念頭に置いて、キスを分析したり、キスの作法を述べたり、あれこれ評論している。クリームソーダとミルクセーキで育ったお子ちゃまかと言いたい。
 私はペニスがバギナに入っている時に常にキスを求めるのではない。チンボを受け入れている女から本気のキスが返されるはずだと判断する時だけキスを仕掛ける。大方の場合大変麗しいキスを繰り広げられる。
 二人が合体している時のキスだけが本当のキスで、その他のキスは握手などと変わらない。さほど大きな意味はない。そんなキスについて論じたってしょうがないのだ。

 で、今日の金津園の相方(シルクロードのカエデ)は見事なキス女だった。初対面でああもキスを求められると、キスのディープさで親密さを測る私としては些か困る。
 ここの長い遊興談は珍しく後背位でアナル射精に載せた。
 2010年03月28日(日)
 ネクタイをゴソッと捨てた。スーツも革靴も捨てた。こうまでもネクタイやスーツや革靴を使わないとは思っていなかった。ネクタイもスーツも一昨年ごっそり捨てたつもりなのにまだ余剰があったのだ。
 名刺入れも書類入れも不要。昔の辞令書や資格通知書も不要。何やらとっても寂しい。ズック靴で繁華街に出かけると、何やら浮浪者になった気分だ。
 ラブホテルに行った時よれよれのパンツは嫌だから、ワイフに購入を頼みたいところだが、やっぱり言いにくい。自分で買いに行けばいいのだろうが、どこへ行って何を基準にして買ったらいいのか、よくわからない。生まれてこの方下着という物を自分で買ったことが殆どないことに気がついた。
 2010年03月30日(火)
 煙草を止めて1ヶ月半が過ぎようとしている。ここまで見事に止められるとは思わなかった。
 これまで何度も禁煙したが、その時は金津園に行くたびにサービス品の煙草を貰い、その1箱を5日以上かけて吸った。無理な禁煙は心に良くないという考えだ。節煙から禁煙へと狙いを定めていた。そして、全て禁煙に失敗した。
 今回は店のスタッフが差し出した煙草を「禁煙したから」と言って断っている。嬢からも煙草をもらってない。ただでもらうのは大好きなくせに、立派だ。
 ソープ店で煙草を断れるとは思ってなかった。本当に凄い。チンボだけでなく意志も存外にカタかった。
 その結果窪んだ頬がふっくらして、腹がはっきり出て、全く滑稽な裸体になった。断じて食事の量は増えていない。それでも太るのは、喫煙は太るのを抑える何かがあるのだ。
 2010年04月08日(木)
 最近読んだ本。
ん  日本語最後の謎に挑む     山口謠司 著   新潮新書 (タイトルの迫力ほどではない)
水の科学[第三版]       北野 康 著 NHKブックス (ぼちぼち。でも、凄い学者さんだ)
天孫降臨の夢 藤原不比等のプロジェクト 大山誠一 著  NHKブックス (興味深い)
 3冊をまとめて買って一気に読んだ。ちゃふにちが好調だと、どういうわけか私の脳細胞も活気が出る。ついでに睾丸のグニュグニュ動きも若かりし頃のように活気が出ると楽しいんだが。
 こういう知的な本を読むと私の前頭葉は砂漠が霧を吸い込むように森羅万象の理を取り込み、エロ動画を見ると利尻島や屋久島の泉に清水が湧き出るように性的衝動に満ちる。私の性への好奇心はいかにたくさんのマムコを見てオーラルしてきてもまるで少年のように鮮烈だ。
 この「最近読んだ本」というのを書くのが、2月06日、2月27日、以来だ。読者好きな私がそこまで読書から離れた。
 2010年04月12日(月)
 ここの長い遊興談は業界歴の短い嬢で初アナルに載せた。
 2010年04月24日(土)
 最近読んだ本。
日本語は滅びない       金谷武洋司 著   ちくま新書 (必読の書だ。前半半分は面白い)
女と男はなぜ引き寄せあうのか?なぜ理解しあえないのか? 生田 哲 著 講談社+α新書 (ぼちぼち)
 2010年04月26日(月)
 ここのセックスに関する長い話はスケベエッセイ 7性行動の考察に載せた。
 2010年05月09日(日)
 ここの悪い夢見の話は気合いだ!は有効だ夢見の改善に関する気合いに載せた。
 2010年05月13日(木)
 最近読んだ本。
38億年生物進化の旅          池田清彦 著  新潮社 (面白い)
宇宙論の飽くなき野望 知りたいサイエンス 佐藤勝彦 著 技術評論社 (宇宙論の最新版的解説)
質量はどのように生まれるのか      橋本省二 著  BLUE BACKS (量子論の最新版的解説)
 宇宙論と量子論は本当に難しい。昔はこの手の本をよく読んだ。数学と物理が一番の得意科目で、これは高1で既に大学入試級の問題に当たっていた。学校の授業よりも先を独学で勉強していた。
 しかし、理学部では25歳辺りまで親に厄介をかけそうだと思った。父は超低給取りの営業マン、母は生活のためにトヨタの重役夫人などに高級反物を売る仕事。
 両親に25歳まで負担をかけることなんて到底できっこない。大学院は金持ちの子しか行けない。
 量子論や宇宙論の本を読むとそんな昔のことをしみじみ思い出す。
 私は外国語が大嫌いだった。毛唐のデカチンと言語には嫌悪感だらけ。理学部や経済学部は相当語学が必要らしいとわかっていた。相対性理論の本ならともかくも、ケインズやマックスウエーバーの本を原文で読むなんて考えただけでもイヤになる。
 文学部や教育学部ではそんなに生涯所得が多くなるとは思えない。工学部はただのエンジニアでつまらない。勉強ばかりして技術習得なんてイヤだ。
 となると進むところは法学部しか考えられなかった。

 最近想うこと。
 32歳の娘が私を爺扱いする。しかし、私は終わった男ではない。
 60代や70代の男が20代の女とファックできるなんて、買春の超特権だ。本当に小気味良い。たかが女子柔道で強かったぐらいで、小沢爬虫類親爺に着眼され、有力政党の候補として参議院選に出て、当選が確実視される人間の小気味よさと同じぐらいに小気味良い。
 子育てして柔道して、参議院議員の役目を果たすと言っているようだけれど、彼女は国会議員をどういうふうに考えているのだろうかねえ。
 たった一つの法律、商法でも労働基準法でもなんでも良い。それを理解するだけでものすごい勉強量が要るというのに、冗談じゃないよ。
 私が18歳の頃なら、こんな人間(谷だけじゃない。堀内に中畑だ。あきれるぞ)を簡単に当選させる我が国の民度の低さに絶望して、焼身自殺することを真剣に考えたよ。
 民度の低さなんて分かり切ったことでどうでも良い。言いたいのは20代の女だ。
 私の姪は全部30歳を超えている。30歳を超えた子持ちの女って、20歳前半の女と比べればはっきり歳の差を感じる。
 姪の顔を見るたびに(俺は20代の女のマムコを舐めてよがらせているんだぞ!)とほくそ笑む。何という素晴らしい人生かと思う。ロールスロイスやクルージングの豪華客船に乗る喜びのざっと30倍の歓喜を20代のスレンダーギャルの体に乗るたびに感じる。
 金持ちでも、有名人になるとこんなことができるか! 大量にして頻繁な買春なんて実行可能か? しかも、金持ちというのは65歳になっても金を稼ぎたがる。心理的にも買春なんてしづらい。
 俺は天下御免の無職。量子論や宇宙論や人類進化に思いを巡らせながらも、女の股ぐらのことを 365日考えることが可能だ。なんという素晴らしい人生だろう。
 しかし、禁煙って本当にやめたくなる。だって急に腹が出てきたのだ。どうしよう。
 摂食量は断じて増えていない。なのに腹が出るということは、タバコには肥満を抑える素晴らしい効果があるとしか思えない。
 禁煙→腹が出る→上から陰茎が見えない→洋式便器で小用を果たす時腰を前に突き出す→便座が汚れない
 禁煙には、家庭のトイレ掃除人を喜ばせる素晴らしい効果がある。
 2010年05月15日(土)
 最近読んだ本。
太陽系はここまでわかった   リチャード・コーフィールド 著  文藝春秋 (結構な著作だ)
 しかし、毛唐の文章って、粘着的で回りくどくて自己主張的で‘お前ら感動せい!’的で嫌いだ。どうしてあいつらはああいう書き方をするのだろう。
 こういうものに比べれば私の文章は非常にわかりやすいのではないかと思う。
 大変興味深いニュース
 奇妙な海の動物群、繁栄続く=約5億年前の化石発見−モロッコ
5月13日3時3分配信 時事通信
 アフリカ北西部モロッコの古生代オルドビス紀(5億〜4億4000万年前)前期の地層から、それより古いカンブリア紀(5億4000万〜5億年前)に繁栄した奇妙な海の動物群とよく似た化石が約1500個見つかった。米エール大などの国際研究チームが13日付の英科学誌ネイチャーに発表した。これらの動物群は、これまで考えられていたより長く生息していた可能性が高いという。
 カンブリア紀の動物群は、カナダ西部の「バージェス頁岩(けつがん)」で見つかった三葉虫や、エビに似た「アノマロカリス」などの化石が知られる。動物の種類が急増した後で、現存種の祖先とみられる種もいたが、全身とげに覆われた奇妙な形の絶滅種が多かった。
 地球上の大陸が移動と集散を繰り返していた時代で、これらの動物群は、当時は温暖な低緯度地方に生息し、カンブリア紀の中期後半には大半が絶滅したと推測されてきた。しかし、オルドビス紀前期に、当時は南極に近かったモロッコでよく似た化石が多数見つかったことから、繁栄が長く、地球規模で続いたと考えられるという。
 私の初AFは、学年でトップ達成、大学合格、就職決定、結婚、第一子誕生、聴力の喪失後の回復、東京本社に栄転、職位の上昇、頸椎症と悪性痔瘻の同時の意外な治癒、孫の誕生、アナル中イキの達成、60歳を過ぎてラブホテルの利用、こういう歓喜中の歓喜と肩を並べるぐらいに超嬉しいことだった。
 とにかく勃起が冴えないから苦労に苦労を重ねてようやくきついアナルに突入できた。相方にはもう何度も入浴しているから当初ほどの感動はなく、それでなかなか勃起が維持できなかった。協力してくれた女に申し訳ないと思ってそのことは小説にはっきりとは書かなかったと思う。初めてのアナルセックス:この相方は去年か一昨年かにようやく現役を引退したようだ。長かった)
 アナルセックスは、30代以上の男の全員がこれをしたいと思ったとしても、相手の女性が普段全くアナルセックスをしていないならば、恐らく男性の6割程度は勃起力の脆弱さからこれが遂行できないと思う。(要するに、勃起が頼りないのが6割ぐらいはいる)
 アナルセックスは結構難しいのだ。
 にもかかわらず、私は例えば今年の場合2月から5月まで全部違う女とアナルセックスをしている。対面2回以内でアナルセックスに持ち込んだ嬢が3人もいる。
 これは
(1) レビトラのおかげでペニスの剛直力が満点であり、全く苦労なくアナルに突入できる。
(2) 私に女性のアナルをじっくり拡張する優しさがあり、女性が協力する気になる。
(3) 私の強烈なエロさに、女性がアナルを差し出すことを恥ずかしいと思わなくなる。
(4) アナルセックスに本当に拒絶的な嬢というのはかなり少ない。
 ※ 相手の好意と男の持ち込み方次第でアナルセックスは結構可能になるものだ。
の4つをはっきりと示している。
 アナルセックスは本当に面白い。バックでしておればチンボを飲み込んでいる尻に見とれる。対面でしておれば寂しげなマムコがパカッと開いている。悩ましい。そのマムコにローターをぶち込んでおくと、ペニスの背に得も言われぬ快感だ。
 抽送中のペニスの息苦しさも素晴らしいし、喘ぎ声がマムコにズコンズコンしている場合とは少し違った感じだ。何よりも突入の瞬間、カリの背に交響曲が響き渡る感じ。あれが良い。
 そのことが上手な人はそのことについて人よりも楽しく深く遂行できる。この当たり前の事実をつくづく感じる。
 2010年05月19日(水)
 最近読んだ本。
  源氏物語とその作者たち   西村 亨 著 文春新書 (ぼちぼち)
 光源氏に求愛された女の多くはスーパー資産家・光源氏の庇護を受けてその後の暮らしが成り立つ。結構なことだ。女は男に性交させて生きていくのだ。
 私はもう高校生の頃には───女性の結婚は打算である───という意識を育てていた。古今東西の素晴らしい恋愛小説の多くに目を通していてもそう思っていた。
 どうしてそうなったのか。それは母がまだ子供の私に次のようによくぼやいたからだと思う。
 私は女学校も出ていて、もっと素晴らしい縁談話がいっぱいあった。だけど、オトウサンが父に結婚を申し込んで、父はオトウサンのくそ真面目なところが気に入って、すぐに話を決めてしまった。おかげで私は苦労しっぱなし。オトウサンの稼ぎは本当に少ないから何も買えやしない。お米から何から何まで実家の世話になりっぱなし。私はオトウサンのところへ嫁に行くのが本当に嫌だった。軍人していたというだけで、高等小学校しか出ていなくて、仕事らしい仕事をしていなかったんだもん。
 私が結婚して、その10年後ぐらいに職位が課長級に上がった。月給袋を妻に見せて「おい、すっごく給料が上がったぞ。びっくりした」と叫んだ。
 その時妻がニッコリして言った。
 私、貴方との縁談話が出た時に占ってもらったの。その時の卦が「貴女はこの結婚でお金には困らないです。お金には苦労しません。結婚を進めてください」ということだったので大いに安心して心が決まったのよ。今初めて打ち明けるけれども。……ほんと、私、金の苦労はないもん。占いの通り。嬉しいわ。
 私は───女性の結婚は打算である───と強く思った。
 その直後に金津園に通うようになったから、この考えが影響していたのかもしれない。まあ、結婚も売春も女性の行為として断じて同じようなものだ。堅気の女はお金で体を売る女を絶対に笑えない、と私は昔から思っている。
 結婚とは壮大なる売春だ。
 ここの排便始末の話は排尿困難と排便問題ウエットティッシュで尻穴を拭くのがいかに結構なことかに載せた。
 2010年05月24日(月)
 私が上手なセックスを考えるに書いたことでひょっとしたら“多めに”見過ぎたかもしれないと思うことがある。それはアクメを経験している女性の割合だ。
 私はもともとクリイキを果たす女によく通った。そして、クリイキができる嬢によく遭遇した。クリイキが可能な女性の割合はひょっとしたら8割ぐらいはあるんじゃないか。少なくとも6割はいるだろう。そのように思っていた。
 ところが、平成17年以降クリイキが得られない嬢によく通い、かつ、よく出くわしている。
 私と対戦する時、嬢は初会ではイカなくても、本指名でイクのは結構多いのではないかと思っていた。
 しかし、私のきちんとしたクンニリングスでイカない場合に
(1) 裏を返すと、初会でイキに近いよがり方をしていたケースでは──本指名でイク。
(2) 裏を返すと、初会でイキにほど遠い感じだったケースでは────本指名でもイキはない。
(3) よがるシーンが全然ないか、よがり方がフェイク候で、他に魅力を感じなかった時──裏を返さない。
というのをよく経験すると──クリトリスやバギナを刺激されて、快感は得られるけれども、突出した『イキ』の感覚を経験なしという女性の比率が存外高いのではないか──と思うようになった。
 女性の『イキ』は楽しいから、この期待が存在割合を考える際に高めにしすぎになるのではないか。男のイキは生殖のために絶対必要だが、女のイキは子作りに必須ではない。
 女性のイキを望まないほうが良い。よがってくれれば楽しいと思ってエッチをしよう。
 そう私は主張したい。
 それにしても、バギナ本イキは実に楽しい。エロ動画でも滅多に出てこない。
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(千戸拾倍 著)