18歳未満の方は入場をご遠慮下さい。
ルネッサンスの想い出
平成31年2月に閉店した金津園のルネッサンスとその前身のロイヤルヴィトンの想い出を綴る。
先ず、金津園で平成20年から31年4月までの期間に閉店した店(店名基準ではなく、建屋ベース)を私の遊興でもって分類しよう。入浴した嬢をその時の店名とともに附記する。
なお、建屋が無くなった店を赤字で、まだ建屋が残っている店を青字で示す。
その建屋に一度も入っていない店(5店) |
GOLDS model's、Adam&Eve、フレンド、益田、ニュージャパン |
その建屋に一度か二度入っただけの店(4店) |
エル(H28)、キャッツアイ(H10)、エデン(H3)、花手毬(壱番館時代/H2) |
その建屋で少し(多分4〜8回)入浴した店(3店) |
BLACK KNIGHT(黒騎士時代/H6:桜)、宝石(H2:ティファニー、ユウ、ラピス)、 オレンジハウス(S63:ローザ・ピアジェ)、 |
その建屋で入浴した数が10回以上の店(5店) |
すずめの宿(すずめの宿時代/H23:ハッピー・H22:レイナ・H21:エリカ・H18:綾・ユウ・ルミ、スティーション時代/H14:まこ・みらい、アネックス時代/H6:南条玲子) コットンクラブ(コットン時代/H19:小春他・H18:ミサト、すずめの宿時代/H3:ユキ) PREMIUM、ルネッサンス(多数入浴) DURAS CLASSIC(ボンボン時代/S59:ミカ) |
まともな数利用した5店(建屋ベース)は、遊興の記述を読み返し、対面の光景を思い出すと懐かしくてならない。(なお、17店も消えていることに唖然とする!)
店に関心を持った年数の長さ、入浴した嬢の数、遊興の印象深さからすると、5店の中ではルネッサンスへの感慨が群を抜く。例えば、恵里亜から行方不明になった由美や、マスターズから消えたルイにルネッサンスで再会できて、あの時の安堵感は大きかった。2つの再会の時私の目には店の白っぽい外壁が輝いて見えた。
一方、すずめの宿は入浴した嬢が多くても、深入りしたのが1人もいないから、更地になってもさほど感慨がない。DURAS CLASSIC、PREMIUM、コットンクラブの建屋では深入りした嬢がいても利用年数が短い。
だから、ルネッサンスは想い出を振り返る気になる。
雑記帳〜金津園ソープ徹底攻略〜という労作に金津園の店の配置が年度別に載っているので、ルネッサンスの部分をまとめる。
昭和59年以前 |
昭和61年 |
平成元年 |
平成2年 |
平成6年 |
平成10年 |
平成14年 |
平成18年 |
平成26年 |
ソープ店なし |
ロイヤルヴィトン |
→ |
→ |
ルネッサンス |
→ |
→ |
→ |
→ |
その労作では、平成6年では まだロイヤルヴィトンとしているが、平成6年3月に私はルネッサンスで由美に逢っているから(
由美1)、直した。
金津園全店リンクより
思い返せば、昔ロイヤルヴィトンやルーブルやクラブ美人に入った時何やら建物が(相対的に)綺麗に感じたのは、建てた時期が新しいからだ。(何れも昭和59年には建屋がまだ建っていない)
前述の労作が正しいと思ってこの時──何れも昭和59年には建屋がまだ建っていない──と注記を入れたが、ロイヤルヴィトンがいつ開店したかについては疑義がある。
私が初めてロイヤルヴィトンに入った時のことを金津園遊び初期の想い出に書いた。
それで2回射精に本気で挑戦したのは昭和59年のことだ。まだ37歳だけれど、精力の乏しい私は当然2戦目を射精に失敗した。この時の不成功が痛手過ぎて、その後レビトラの助けを借りるまでは2回戦に挑戦したことがなかった。
(すずめの宿のユキさんに無理矢理挑戦させられたことはあった)
なお、この時の入浴は
(1) 雑誌で顔の写真を見た上で入浴した初体験(この頃顔出しする嬢は大変少なかった)
(2) 165cm以上の女と性交する初体験
(3) 初めにマットではなくベッドをする初体験
(4) 入浴時にブランデーのロックを飲む初体験
という初めて尽くしだった。
昭和59年の体験を平成5年に思い出して次の回想をまとめていた。
ロイヤルヴィトンという店は後年ルネッサンスという名前で営業するが、昭和59年の頃では金津園で最も料金の高い店だった。当時私はそんなに年収があったわけではなく、料金が45,000円のロイヤルヴィトンに入るのは憧れだった。
雑誌で、その店のセリーヌという名の、背丈が 168cmで、私より14cmも長身の女の、優しそうな笑顔が眼に止まった。
(中略)それまでは部屋の小さな店に入ることが多かったから、私はロイヤルヴィトンのセリーヌの持ち部屋の広さと、ベッドが円形でとても大きいことに感心した。
躯を流し終えるとセリーヌがベッドプレイに誘った。会うなりすぐ交わるという楽しみ方があることは週刊誌の記事で知ってはいたが、やはりどっきりした。
(中略)愛想のいい歓談の後の第2戦はやはり起立に大層苦労した。
特大の丸いベッドでセリーヌが私の愛撫に見事に乱れ、また、私の分身を誇らしい姿にさせるためにセリーヌがしていた微妙な技とその懸命さに心惹かれ、さすがに高級店は凄い女がいるぞ!と感心した。
セリーヌも、私の指使いのしつこさと、微妙な動きを続ける耐久力にあきれただろう。
セリーヌには数ヶ月後に裏を返したが、もう一つ心に飛び込める感じがしなくて、続けようか迷っているうちに福原の店に移ってしまった。
昭和59年のこととしたが、前述の労作の昭和59年の地図にはパールヒルトンが載って、ロイヤルヴィトンが載っていない。私の記憶(平成6年頃書いた備忘メモ)では 昭和59年の年末にパールヒルトンが閉店し、そのちょっと前にロイヤルヴィトンに入ったことになっている。
もしかしたらセリーヌに入浴したのは昭和60年だったかもしれない。ただ、労作が参照した地図にロイヤルヴィトンが忘却された可能性もある。参照した地図は他にも年度的に誤りがあるようだ。
私は長身の女と初めてファックしたことに感動し、ロイヤルヴィトンの大きな扇形のベッドが強く記憶に残った。
次にロイヤルヴィトンに行ったのは平成2年だ。旧良性記にマスターズを舞台にした小説があり、そこでロイヤルヴィトンでの入浴のことを書いた。しかし、現良性記で小説を再編した際にこのエピソードを割愛した。
マスターズは、私が金津園でよく入った店の一つだった。
その店はズべ公風の女がいなくて、どの女も応対の仕方が良いから、平成元年から贔屓にしていた。
何人かの女に入ると、皆、しっかりした会話をするだけでなく、マットプレイで私が俯せになっている時に、ペニスをしっかり愛撫し、アナル舐めもした。
他の店では、女が私の上に躯を重ねて、ローションを塗りつけた乳房や腰を揺すらせる全身マッサージに終始して、性感帯攻略に徹しないから、私は物足りなく思っていた。
マスターズの女がマットプレイが上手いのは、一つには、店長の要所を教えるマット指導、もう一つは、その頃マスターズでNo.1の吉乃(源氏名忘却)が楽屋裏で仲間を指導したからだった。
店の女にマットプレイが上手な訳を訊く度に、どの女も、店長にアナル攻めを勧められたことと、吉乃からペニスをきっちりと刺激するやり方を教わったことを明かした。
私は、吉乃がソープ情報誌に魅力的な大人っぽい顔を出しているのを以前から注目していた。だから、ペニスを丹念に愛撫すると聞いた以上は是非吉乃に会いたいと思った。でも、売れっ子過ぎて予約が取れなかった。
そのうちに吉乃はマスターズからロイヤルヴィトンに移り、源氏名がシルビアに変わった。
ロイヤルヴィトンでようやくシルビアに会うことができた。
シルビアは雑誌の写真の通りの妖艶な美貌で、気さくに話しかけ、演技っぽいほどムーディに相手をした。接客が手慣れていた。マットプレイは、予想通りペニスへの愛撫がねちっこくて、確かにマスターズの女達のやり方の元祖だと納得した。
シルビアは初会のせいか、気をやらせることができなかった。ベッドで抱擁を始めたとたん、私の陰毛に毛じらみを見つけ、すっかり敬遠されて、ムードもなくなったことも影響したのだろう。
毛じらみを見つける前と後ではシルビアの態度が随分違い、ぶつけようのない腹立ちを感じたが、発見するまではなかなか愛想が良かったことと、ベッドに横たわったスリムな白い肉体が私を魅了した。
だが、毛じらみを退治して汚名挽回で再度会おうとしたら、既にシルビアはロイヤルヴィトンをやめていた。
シルビアの友達のマスターズのソープ嬢が、後日訳を語った。
シルビアがマスターズからロイヤルヴィトンに移って、もう翌月には抜群のNo.1になり、客を奪われただの生意気だの騒ぎになって、嫌気がさして福原へ行ってしまったということだ。
私はシルビアのマットプレイが勘所を刺激して上手いことに驚いて、その愛撫をどこで覚えたのか尋ねた。
シルビアは、雄琴にいた時にベテラン姐さんに教わったと答えた。とても親切に仕事を教えて貰って、自分は人気を得るようになったから、自分も皆にマットの本当のやり方を進んで教えている、ということだった。
それを私が褒めると、シルビアはますます感心なことを言った。
「良いやり方を他人に秘密にする子が多いけれど、それは了見が狭い考えだわ」
そんな女だから、争いが起きたのはロイヤルヴィトンの姐さん達がよほど性格が悪かったからだろう。
この時の入浴では6年前の2回射精の失敗を思い出して惨め感に浸った覚えがある。
更に私はケジラミの件で気が動転して、ロイヤルヴィトンの円形ベッドも壁の大きな鏡(ガラス製でなくてそんなにくっきり映らない)のことも全く目にとめていないようだ。
次はネットで拾った画像だ(ローザ嬢)。
最初の写真とこの写真は同じ部屋の感じがする。
この2人の嬢はその時点で店が大変力を入れていた。ここがロイヤルヴィトンで最上級の部屋で、2人ともここを持ち部屋にしていたのだろう。
ただ、セリーヌが使っていた部屋は、浴室でマットプレイを受けている時にベッドがもろに見えたから、この部屋ではないと思う。
次にロイヤルヴィトンに関心を持ったのは、ロイヤルヴィトンから恵里亜に移ったローザに平成5年から通うようになって、ロイヤルヴィトンの体験話をいろいろ聞いたことによる。
ローザの思い出話の一つを掲げる。
ローザ 3より
私はソープ業界のことには興味があったから、ローザに新人講習のことを尋ねた。
ロイヤルヴィトンでは、店長が堅気からこの稼業に回った男で、業界のことをあまり知っていず、オーナー社長が実務に結構口を出していて、店長にさほど権限がなかった。それで、講習も店長に任せず社長が自ら行い、初物食いを楽しんでいた。
ローザがその店でデビューすることになって、社長から講習を受けることになった。
で、もともとソープについての知識があったから、ベテラン姐さんや店長やマネージャーではなくて社長が自ら講習を行い、しかも、その社長が椅子洗いのときからマットプレイの指導までやたらと尺八を要求するので、変だなと思った。
社長が上にのっかって来て、とうとう入れられてしまったとき、クレームをつけた。
「あのー、講習でそこまでしていいんですか? そういうことになっているんでしょうか?」
そしたら、社長は嵌めていたものを外した。
その想い出話をローザが仲間にしたら、それを聞いていた入りたての女が話に割り込んだ。
「私は社長に最後までされてしまったわ。中で出されちゃった。あの助平親父に!」
「そりゃ貴女、講習でそんなことするなんてひどい! 私、社長に掛け合って、料金、貰って来てあげる」
古参の姐さんが声を荒げて叫んだ。
相手が社長だから、それ以上ことを荒立てたくないと本人が頼んだので、交渉には到らなかった。
注目することは──オーナー社長が実務に結構口を出していて──のところだ。オーナー社長が店長を差し置いて自ら講習するというのは重役室でも聞いて、羨ましく思ったものだ。
次に私がルネッサンス(ロイヤルヴィトンから店名変更)と関わったのは、平成6年3月由美がここに出たとわかって入浴したときだ。由美は恵里亜が検挙されてからルネッサンスに出た。(その後:雄琴→吉原→恵里亜)
この時由美はなかなか客にありつけなかったようだ。でなければ吉原に行くはずがない。私は由美やローザから聞いた話から、ルネッサンスは流行らない店という印象を得た。それを確認したのが、マスターズから行方不明になった夏木ルイに再会した(平成7年5月の)次の出来事だ。
ルイ 3より
その頃ロイヤルヴィトンという店に多少の関心を持っていた。それで、私は、ロイヤルヴィトンがそれほどの上玉を揃えることもできず、有名な割にはまるで流行らないという印象を得ていた。
そのうちにロイヤルヴィトンは経営者が替わり、内装を手直しして女も入れ替えた。名前もルネッサンスに変わった。
でも、目立つ女を集められなかった。従来の一〇〇分の入浴時間を九〇分に縮め、料金を四万円以下に下げて集客に努めても、新装のルネッサンスはあまり客がこなかった。
ある時ソープ情報誌を見ていて驚いた。
マスターズのルイが麗子の名前でルネッサンスに出ていた。
(中略)(マスターズは売れっ子のルイが戻ることをやはり期待していたのかもしれない。そうだとすると、何故ルイはマスターズに復帰しなかったのだろう?/ルイは金津園には詳しい筈なのに、何故ルネッサンスのような全く冴えない店に出ることにしたのだろうか?/ルイは以前と変わりがないだろうか?)
こんな懸念が私の脳裏を駆け巡った。
(中略)どうしてルイがルネッサンスのような冴えない店を選んだのかを尋ね、答を聞いて納得した。
ルイは、最初は人気店のZ店に入り、三日間店に出ると、Z店の責任者が、「姉妹店のルネッサンスがあんまり売上不振だから、君にルネッサンスへ行って貰って売上挽回を手伝って欲しい」と頼んだのだ。
ルイがZ店に出ても客は僅かだった。
雑誌にまだルイの写真は載ってないので、指名の客がいないのは当然として、自分につけられるフリーの客までが数えるほどだから、マスターズにいた頃と比べれば金津園は客足が遠のいたと実感した。
ルイが店をやめた頃金津園の多くの店が警察の手入れを受けた。その検挙騒動が落ち着いてから一年以上経っても金津園は昔の繁盛まで回復していなかった。
ルイは、ルネッサンス行きを要請されたとき、その店が平日には一日の客が店に二、三人という寂しいこともしばしばあるほど不入りだと聞いて驚いていた。
ルイがルネッサンスの女として初めて登場するM誌が発売されて、名古屋の書店に並べられた日が、ルネッサンスに出た初日だった。私がルネッサンスに来たその日が三日目だ。
その日まで二日間の客の数を訊くと、本指名の客はさすがにいないけれど、M誌を見てやってきたP指名の客で二日間がすべて埋まったということだ。
ルイは、M誌に写真が出るや客がどっと来る宣伝の威力に驚いたが、それにしても、ルネッサンスはルイの人気に目を瞠ったことだろう。二日間で十四本のP指名のフル稼働だった。
ルイは二十六歳で、売れっ子ソープ嬢としては少し歳を取っているれども、強烈な魅惑の笑みを男達に投げかける麗人だ。超売れっ子が店に一人いると波及効果が極めて大きい。沢山の男が引き寄せられて店にやってくる。そんな別嬪がいるのなら、まだ他にも好い女がいるのではないかと期待する。
ルネッサンスのスタッフは生き返った気持ちになることだろう。
ルイがZ店に出ることになった訳は、マスターズの、店長よりも上の立場にいる男から、Z店に出るよう勧められたからだ。その男はルイが使えることをよく判っていたし、マスターズのスタッフ陣がルイの「さぼり病」をかなり気分悪く思っていることも理解して、そのように図った。
客の取れる女と取れない女とでは店への貢献度に雲泥の差があり、しかも、両者の女の数は一対十ほど開いていた。ソープ店への入店志願者はヘルスほどにはいない。だから、高い人気が期待できる気立てのいい超美人を採用できる確率は、かなり低い。ルネッサンスにとってはありがたいことだった。
この文章を書いたのは平成7年だが、19年後の平成26年に発表済みの小説を推敲していた時、マスターズに関して次のことに思い当たり、『2014年09月12日(金)』の日記に書いた。
ふと気がついた。クラブロイヤルの名花にアイとルイとユリがいた。
Cロイヤルの人気1番手2番手などに書いてある。マスターズにも
(別人ではあるが平成4年頃に)アイとルイとユリがいた。ということは、人気嬢の名前が継承されている。これは経営者の継続を意味するのではないか。
2005年に金津園のある有力者(H氏)がRグループから離れたと聞いたが、その人がマスターズの時もここの経営にタッチしていて、この3つのビッグネームをクラブロイヤルでも使いたがったのではないか。H氏が離れた後は、クラブロイヤルはマスターズの時に使った源氏名を用いていない。
面白いね。H氏には愛着があったんだな。愛着を覚えて当然の名花だったな。この3人は。但し、神崎愛は怪女だったが。
ルイ 3に書いたとおり、ルイはマスターズ→吉原→Z店→ルネッサンスと移ったが、Z店はルーブルだったような記憶だ。Z店をルイに紹介したのはH氏で、当時H氏はルーブルの面倒も見ていたようだ。相当な実力者だ。
恐らくリサとマリアはH氏からルーブルの経営をバトンタッチしたのだろう。
更に、今回この稿を書いて気づいたが、『姉妹店のルネッサンスがあんまり売上不振だから』という記述からすると、ルイがルーブルからすぐにルネッサンスに移ったのも、金津園でかなりの実力者だとルイから聞いたH氏の采配ではないか。(∵数年後もルーブルからルネッサンスに嬢が移籍する流れがある)
その後私はルネッサンスに興味を失ったが、平成14年にH氏も噛んでRグループが立ち上がると、ルネッサンスはNSが可能になって当然私は関心を寄せた。ただ価格の面からそういう心を追い払っていた。
更に、あるソープ嬢の想い出の嬢(春菜:仮名)が、平成13年末にティファニーのNS化に相容れず退店したが、私はその怒りの気持ちに同調し、自分が彼女とNSでしているのにも拘わらず、Rグループに非難の目を向ける矛盾した心を持っていた。
春菜が業界から足を洗うと、私は平成17年にNS高級店を激しく利用するようになった。当初はルーブルに行っていたが、次第にRグループのクラブロイヤルに傾倒していった。
ルネッサンスにはずーっと縁がなかったが、Rグループを構成する店だから店サイトはよく眺めた。クラブロイヤルの上がり部屋でルネッサンスの嬢のアルバムも眺めた記憶だ。
そんな時、平成19年6月だったが、ルネッサンスにカスミを目当てに久しぶりに入った。
裏を返せず残念でならない女より
ルネッサンスの建屋に入るのは平成7年に夏木ルイ(店での名は麗子)に入って以来だ。相方の名はカスミ。良性記の読者に感度が良いから会ってみたらと唆されて予約したから、顔立ちもどのようなタイプの嬢なのかも全く知らなかった。推奨した方からも感度良好以外は何も聞き出してはいない。
(中略)
そんな言葉を交わした後、カスミは僅かな時間のクンニリングスですぐに気をやった。早かった。
「もう一回な」
初めはこそぐったそうにしたけれど、ソフトにオーラルしているうちに調子に乗って、マンコを私の口に押しつけるようにしてきた。
そして、私が唇と舌で圧迫して揺する動きに変えると、間もなくアクメった。5回目だ。
私は立ち上がり、嵌めることにした。カスミの腰はベッドの端だ。そのお尻をもう少し引き寄せた。
「落ちる。こわい!」
「僕が腰で押すから落ちないよ。……ベッドが低すぎて、ちょっと嵌めにくいなあ」
カスミを誘導することに心が占拠されているし、ペニスが刺激されていないから、少し勃ちが甘くて、低い位置の膣口に入りにくかった。
「ちょっと待って」
私はカスミの開いたマンコを凝視しながらカリを手揉みし、勃起を確かなものにした。
横綱の土俵入りのように、膝を大きく開いて、腰を前に出した。ツルンとカリが没入した。
「ああん」
良い声だ。
そのままスコンスコンと前後させた。
「この体位、初めてだろう?」
「うん」
「チンボが穴の上のほうをガンガンこすって、気持ち良いだろう」
「硬くて、い〜ぃ。奥まで入る〜ぅ」
私のペニスは実に快調だ。すぐにイキそうな気配がない。カスミもたっぷりよがった。
裏を返せず残念でならない女に書かなかったことがある。
この店の大きな特徴──とても大きくて扇形のベッド──はセリーヌに入浴した時にしっかり印象づけられたのに、由美や夏木ルイにここで再会した時には全く意識の外にあった。それだけ再会への想いが強かったのだろう。
だから、カスミに入浴した時、ベッドの特徴ある形や部屋の佇まいが強く目に飛び込んだ。要するに、驚いた。何が意外だったかというと、あらためて見るベッドの形、そして、それが一握りの部屋ではなく、全部らしいことだ。更に、10数年前由美とルイの2人との再会で部屋の印象が全く残っていないことに深く感慨を覚えた。
さて、ベッドの端にカスミの腰を置いた時、カスミが「落ちる。こわい!」と叫んだ。
ベッドの垂直断面で見ると、上面の端の角が丸まっているからで、これはルーブルのベッドの角が角張っているのと対照的だ。更に、私が好む体位の床上床下男上前位が存外やりにくい。
床上床下男上前位はベッドの直角の角でやると、膝が前に出せて前後運動がしやすい。このようなベッドがある店の代表がダイヤモンドクラブ(現 秘書コレクション)だ。ベッドが高くて直角の角があり、収納棚などが接してない。私が利用した店のベッドの多くは三方向が壁や備品置きで囲まれている。幸いにもベッドに自由な直角の角があるルーブルは、そこに木枠の側面が当てられて段差がつき、嬢に腰を置かせにくい。
ベッドの端でクンニするのは、私が床側に降りれば大変やりやすい。視覚的にも、クリトリスの拡張や会陰から尻穴に垂れたマン汁を容易に確認できてとても愉快だ。クンニしながら尻穴や膣に指を入れるのも容易で結構。
更に、嬢がイッた(若しくは、とても具合良しの状態)ところでそのまま立ち上がればスコーンとペニスが嵌められるから、このやり方で絡みをすることが私はとても多い。とにかくペニスの先がバギナの上壁を
ぐいぐい擦れる。そりゃ、女は具合がいいって。
ルネッサンスの円形ベッドは一見床上床下男上前位でかかりやすそうに見える。しかし、円弧の曲率半径が大きくて、股関節がおかしくなるぐらいに股を開かなければならないし、ベッドが低い。
平成7年にルイに床上床下男上前位で交わって──これはかなわないな──と思ったのを、平成19年にまた確認することになった。
ベッドが充分高ければ、ベッドの直角の角でなくても床上床下男上前位がやりやすい。しかし、ベッドに高さが足りないと、腰を落とさなければならない。この膝の曲げ方では快適な抽送はできない。
通うつもりでいたカスミは必要なお金を稼ぐとさっと店をやめてしまった。
その行方がわからないかと思って、同年8月に西洋系混血のモナ(長身クォーターに痺れる)に入浴した。
カスミやモナとの情交は情景がしっかり記憶に残っている。
例えば、あのだだっ広いベッドの端に赤いガーターベルトを置いたままファックしたこととか、嬢にフェラさせながらマンコくじりをして、その姿を鏡で見てニヤニヤしたとかのシーンだ。足を伸ばしたままいかなる方向に寝ても69が自由にできるし、性交体位の変更で位置を全く意識しなくても良いという広いベッドで、他の店ではこんなサイズを見たことがない。
性的絡みを自分で意識して勘考できない未熟なファックマンが利用するのが全く似合わない一級の性交場だった。(ところが、5chのルネッサンスの店スレを眺めると、未熟なファックマンばかりのように思えてくる)
更にルネッサンスの部屋の特徴としては、部屋が広くてもベッドがやたら大きいから、通常の床の面積が狭いことだ。そこに腰を下ろしてベッドの側面に背を凭れて嬢と談笑すると、浴室との仕切り壁が間近に迫り、密会感が強まる。嬢もベッドの側面に背を凭れて2人がくっついて並ぶと、何やら近しい感じがして、相互ペッティングがまるでお医者さんごっこをしている気分になる。
自分が尻を置いているところに続く床面の狭さが全く大衆店の印象だ。だから、独特の趣を感ずる。
平成20年は1月から7月までルネッサンスでモナに会ったが、モナがルネッサンスから追い出されて、8月は恵里亜で入浴した。退店の経緯はいろいろ疑問のことがあり、それは高身長女に嵌め通い4に書いた。
モナがいなくなったルネッサンスには全く興味がなくなったが、その頃ルーブルで通っていたリリカ(仮名:腰の括れが魅力のリリカ参照)が平成20年10月にルネッサンスに移った。この時は驚いた。
移籍について書いたものが良性記に出ているはずだと思って検索したが、なかった。リリカが誰であるかが確実に推定できるのを避けたのだろう。
サイト制作のネタ帳の遊興メモにこの移籍について書いてあった。
10/2 ルネッサンス ××(←源氏名) 18回目
ルーブルは9/15に退店した。専門学校に通うことにしたので、出の数が少なくなるのが理由だ。
アサガオに英國屋に誘われ面接に行った。OKだったけれど止めた。
(意外にもアサガオと知り合いだが、接点は何なんだろう!)
ルネにはマリア(ルーブルの経営者)が頼んだ。
メイとランが関係の悪い仲間だった。(マリアとリサの)依怙贔屓(とリリカが私に言った)と頑張っている女への対応の良くないこと(同じくリリカがそう言った)が不満だった。
2ちゃんねるに退店の話が出たのはメイと想像している。
(そう言ったのはリリカで、それをそのままメモった)
依怙贔屓の具体的な内容は、ママがリリカにはじゃんじゃん出勤日数拡大を要請するのに、メイなど他の子には出勤日数拡大をちっとも求めず、それどころか休みを簡単に認めるというのが激高の一例だ。
メイはルーブルで4番手ぐらいの上玉で、リリカと大変仲が悪かった。というか、私が当時ルーブルで入浴していた女の殆どがメイを毛嫌いしていたから、まあ、性格的に問題があった女なのだろう。
メイが店でいじめられているとかの話が2chに出たことがあるが、メイが入れたか、メイの上客が入れたものと、メイと対立している女たちは思っていた。
ルーブルが姉妹店のダイヤモンドクラブから多くの女を移籍させると、それまでルーブルのNo.1だったメイはすぐに5番手まで低落した。まあ内心穏やかではなかろうて。
リリカはルーブルでは3番手から5番手だったが、ルネッサンスに移ると、出勤日数を抑えても群を抜いた1番手になった。
このことからこの頃のルネッサンスが大した店ではないことが察せられる。
私はルネッサンスでもリリカに通うつもりだったが、予約を取るのが実に至難になった。私はRグループのひよっこ客と予約合戦をすることが我慢ならなかった。それに、リリカが何やら強いストレスで容色がかなり落ちた。美肌に陰りが目立ち、出勤の日数が激減した。遊びの縮小を考えていたから、ルネッサンスで2回会ってから、やめることを決断した。
リリカはルネッサンスのくすんだ照明よりも、ルーブルの内装も照明も明るい部屋がやはり似合った。
ルネッサンスに入った最後は、平成22年から23年にかけてメイ(ルーブルのメイとは別人)に4回入浴したものだ。もっと続けたかったけれど、ソープ遊びを大幅に縮小せねばならないから断念した。
大洪水とか特色のある嬢3人にメイのことを書いたが、ルネッサンスのあの広いベッドの一部や床を潮まみれにしたのが私のソープ遊び最終盤での愉快な想い出だ。あの洪水は凄まじかった。当然絡みはあの巨大なベッドの真ん中ではできない。いつもベッドの端で絡んだから、でかいベッドは無用の長物だなと思いながら行為に励んでいた。
私が知りたいのは、本稿が扱った期間で営業権者が同一人だったのか、それと、平成31年の閉店が
1.Rグループがこの建屋での営業をやめた。
2.営業権者がこの仕事をやめた。
のいずれなのか、のふたつの疑問だ。
私はローザの話に出たロイヤルヴィトンのオーナー社長というのが営業権者として継続したような気がする。となると、その人が亡くなられるかしてソープ事業をやめた可能性だってある。
ただ、ルネッサンスはRグループの中でそんなに営業成績が良くなかったようだ。建屋と内装が立派なのに何故かそれほど流行らないのが昔からの明確な傾向だ。
Rグループが撤退したとすると、金津園の真ん中にあるあの土地と建屋は他に転用するのが難しいから、艶グループあたりが活用する可能性が高い。
そのように3月の段階では考えていたが、令和になって結果が出た。ここにハートムーン+が店を出すとの噂が5chに出て、まもなく新店が登場した。新店はクイーンという名だ。
2019年05月08日の日記を再掲する。
恵里亜の全盛期を築いた店長A氏が、平成6年の検挙の後はシーレイやセ・ラヴィの経営にタッチした。A氏の後恵里亜の店長をやったB氏は、恵里亜が豆系になるとハートムーン+の店長をやった。A氏もB氏も金津園遊びの実録の作品でいろいろ書いたから申し訳ないと思っている。
B氏が恵里亜で私を見た最後が平成11年ぐらいだと思う。次にB氏がハートムーン+で私を見たのは平成18年の年末だ。
私もB氏も互いに相手を認めて僅かに声が出た。B氏の表情には、よく知った顔を久しぶりに見た驚きがはっきり表れた。
B氏は客にお愛想の話しかけをそんなにしないようだった。私も渉外担当のスタッフと話せば必要十分だから、(店長が接客応対もするルーブルや艶グループでなければ)店長に積極的には話しかけない。だから、殆ど言葉を交わしてない。
でも、B氏は由美やローザから私のことをしっかり聞いていただろう。嬢とよく喋るタイプだから、ハートムーン+の通い嬢には「店長に私のことを喋るな」と頼み、その後B氏が彼女に私について何も聞こうとしないのを確かめていたことを思い出した。
B氏は組合の長を務めたことがあり、ハートムーン+もそれなりに営業できたし、そこそこ腕が立って、積極性もあるようだ。私がハートムーン+に入った最後が平成20年だから、B氏が現在までハートムーン+の店長を続けたかどうか知らないが、B氏がルネッサンスの営業権を生かした可能性はある。
まあ、金津園には滅んで欲しくない。
Rグループがどうしてルネッサンスをやめたのか不思議だったが、廃業しないからにはここの営業権者とRグループとで何らかの対立が生じたとしか思えない。
(千戸拾倍 著)