18歳未満の方は入場をご遠慮下さい。

ラカルチェの想い出

 ルネッサンスの突然の閉店の報に驚いて感慨に耽った。
 ルネッサンスの想い出を書き終え、更に、2ヶ月後の2019年5月にルネッサンスの後継店(クイーン)がわかって加筆した時、そこに2008年(平成20年)から2019年4月(平成31年)までの間で閉じた店(店名基準ではなく、建屋ベース)を掲げ、2019年3月に終了したエデンが最後であって──もうしばらく金津園で消える店はないだろう──と思った。
 ところが、6月になって更に増えた。時計台とロランジュの店サイトに入れなくなった。
 ロランジュは道路拡張の影響を受ける可能性があるとわかっていても驚いた。そこそこ有力店だったニューセントレアとオレンジハウスが合体した店で、ポラロイド撮影や聖水プレイやアナルセックスを売りにする卑猥路線で頑張っていたから残念だ。金津園は衰退する一方なのか。
昭和59年 平成元年 平成6年 平成14年 平成18年 平成28年〜
ワシントン ラ・カルチェ ニューセントレア ロランジュ →R元/6 閉店?
異人の館 リムジン 時計台 時計台 →R元/6 閉店?
 時計台の建屋には異人の館の時に2回入っただけだ。時計台は目立っていたから営業が止まったのが不審だが、7月4日になってその店がリニューアルオープンしたことを知った。
 ロランジュは消滅店の中ではルネッサンスと並んで想い出深い建屋になる。私はロランジュには入ってないが、前身のラ・カルチェとセントレアはよく利用した。
 私は金津園ワールドに次の投稿をしたことがある。(2003/09/09)
皆さん想い出と言うには生々しすぎるぐらいに近時の姫の名を挙げていらっしゃいますね。私はS58年からH2年までの想い出の姫を挙げます。
コンチネンタル男爵(秋)…初入浴から3回目までお世話になりました。剛毛を刈り込んだ秘毛が懐かしい。
女学院(慶子)…今でも生涯最上の女ではなかったかという印象あり。
パールヒルトン(マリヤ、キャサリン、ラム)…ソープ遊びの愉しさを教えてもらった。
パールヒルトン(キャンディ)…後年のオレンジハウス・ピアジェ、知る人ぞ知る。19歳の味見でした。
ロイヤルヴィトン(セリーヌ)…当時(S59)は顔出し姫が少なかったからとても人気がありました。
ボンボン(ミカ)…非顔出しで非美女だから人気はなかったが、淫乱さ抜群。おぼれました。
ダイヤモンドクラブ(マヤ)…御存じ、伝説の妖女、金津の歴史に残るソープ嬢。
ラカルチェ(ニーナ、ジュン)…前者は非顔出しで非美女・大柄、後者は顔出しのNo.1・短躯。
貴公子(桃)…憂いを秘めた気高いような美女。
貴公子(きぬ・衣)…性感の深さ抜群。
迎賓閣(キャロル)…非顔出し、ほんとに惚れた。後年恵里亜の梓。
マスターズ(山口香)…現役が長かった。入浴した人も多いのでは。
マスターズ(工藤舞、仁科良)…非顔出し、性感の深さがたまんなかった。
あまりに想い出が深いから、すべて小説に書いてしまいました。
 ラ・カルチェではニーナとジュンの名を挙げた。
 ジュンはとても印象が良くて旧良性記に一文を出したが、残念ながら紛失した。昭和61年頃のNo.1嬢で小柄な色白の美人だ。笑顔で活発なお喋り、性技の持続が抜群で、何があろうとトップの座は降りない気概を感じた。ニーナに没頭して通っていた時期に浮気で入浴したから2回入って終わりにした。
 ニーナはラ・カルチェで昭和60年から通いつめ、その後迎賓閣でも通った。彼女のことは作品にしてある。なお、上の投稿では非美女とあるが、非顔出しにつられた入力ミスだ。
初めて惚れて通った女より
 ある時、ベッドの端からニーナの尻が少し出るぐらいにし、膝を伸ばしたまま両脚を高く上げさせ、私は床に下りて立ち位で挿入した。ニーナの太股の裏側が私の脇腹についた。
 ベッドが高ければ腰を使いやすいその体位は、昔学生時代に見たイタリア映画で、マルチェロ・マストロヤンニが演じた金持ちの男が、脚の長い女中に着衣のまま行っていた。
 黒いハイヒールを履いた足が男の肩の横から突き出て、濃紺のベルベットのスカートが腰まで捲れ、白いむっちりとしたお尻が揺れるのが、残像として残っていた。
 ラ・カルチェのベッドは床が高く、ニーナの脚が長いので、私はふとそれを思い出してやりたくなった。
 大柄なニーナの肉壷は、私にはゆとりがあり過ぎた。だから、その体位は(床上床下男上前位)、腰を多角的に、或いは激しく使うことにより、挿入感と摩擦感を高めるのに丁度良かった。
 しかも、二人の躯が離れて暑くならない。突き上げた脚の長さが痺れる魅力で、更に、結合部や、ニーナの姿態と顔が充分鑑賞できる利点がある。ニーナの幅広の尻たぶに下腹部や腿が当たるのが良かった。
 ニーナは、ベッドの端で脚をVの字に跳ね上げる体位が初めて経験する格好でも、すっかり気に入った。ピストン運動でオーガズムに達したことはなくても、そのやり方で突かれると、イク寸前のような、かなり気持ちの良い状態になると言って悦び、それから、私にこの体位を誘うようになった。
「××さん、今日もいつものあれでしてね。激しく、激しくね。絶対によ」
 面長の美人のニーナが小首を傾げてこんなことを囁くと、私はすっかりその気になって、私よりもかなりサイズの大きい足の裏や足の爪の真っ赤なマニキュアを横目で見ながら、懸命に腰を前後に振った。
 ラ・カルチェのベッドが高いのは 172cmもある嬢が右足をベッドにかけた次の写真でわかる。
 私は昭和61年にこの高さに感じ入って、マルチェロ・マストロヤンニのファックシーンを思い出し、ニーナに両脚を突き上げさせた。
 学生時代に見たイタリア映画と書いたが、これを書いた時、私はまだネットをしてなくて、Wikipediaもなかった。今Wikiでマルチェロ・マストロヤンニの項を調べると、私が観た映画は恐らく1974年日本公開の『最後の晩餐』だ。ということは意外にも結婚後に見ていた。新妻にこんな体位でかかるなんてことは考えることすらなかった。
 で、昭和49年に見た華麗な性交シーンを昭和61年に実践したことになる。
 その後床上床下男上前位でかかると多くの女に「これ、いいわ!」と悦ばれたから、私はラ・カルチェのベッドに感謝している。対戦したソープ嬢で床上床下男上前位をしたことのあるのが殆どいなかったのが私はとても不思議だ。
 ニーナは手をかけた髪型がとても印象に残っている。昭和60年にラ・カルチェで通い始め、62年に行方がわからなくなった。あの時は愕然としたが、懸命に探した末、63年に迎賓閣でニーナ改めシャネルに再会した。ソープ情報誌には載らないから、再会できたのが幸運だった。
 ラ・カルチェは照明が少し暗い。ニーナは照明を全開しないから、レースの垂れ下がりを背にして、ロングヘアーのパーマネントに意を尽くしたニーナが随分気品良さげに見えた。
 本気で惚れた嬢の最初がニーナだから、ラ・カルチェは実に想い出深い。

 金津園 ラカルチェでググってどんな嬢の名が出るか調べた。
 金津園ワールドと2chを主として26件ヒットし、ニーナとジュンの名はさすがに出なかった。現れた嬢で目につくのは3人。
   マイ(入浴0:2002年ぐらいのNo.1)
   西田ひかる(入浴2:1993年ぐらいのNo.1)
   ユウ(恵里亜で入浴2)
 西田ひかるは愉快な女だった。容姿的にはNo.1適格かな?と思うが、やはり顔出しは人気面で強い。ゴム着用だから2回会って終わりにした。ローザ 2に入浴の想い出を書いたが、私が勃ちっ放しになるほどの上玉ではなかった。顔が四角っぽいのは意欲が湧かない。
 ユウは気品のある面長の顔で、股に墨を入れていた。いろんな店に出たが、恵里亜、ギブ、ラ・カルチェが確実な在籍店だ。1997年には恵里亜、1999年頃はギブに出ただろう。ギブがNS店のクラブ美人になるとラ・カルチェに出た。
 ユウについては恵里亜の時のことだが、次が想い出だ。(以下昔の作品より)
 平成9年のソープ遊びで特徴的なことは次だ。
ユウとの二輪車(4月)が楽しかった2度目の二輪車に登場)
 (中略)
 ユウは気だて良し、器量抜群の売れっ子だった。しかし、私は8月に再度ユウに入浴し、勃起力のなさにしょんぼりすることになった。
 ユウほどの気立て良しの美女でも、ゴムありでは勃たないことに私は激しく気落ちした。(ユウがイッてくれないから勃たないとも言える)
 ユウがラ・カルチェにいた時、顔出しではなくても、他店の嬢にまで美貌が有名だった。ユウが金津園を去った後も、何人かの嬢からユウの顔の良さや人気ぶりを羨む声を聞いた。
 マイについては後述するが、その頃の猛烈な人気嬢のひまわりの名が出ないのが不思議だ。ネットで騒ぐのはくそだわけの連中だから、非顔出しのひまわりの名が出ないのは当然かもしれない。
 私はひまわりがゴム着だから入浴してないが、同僚でも付き合いがなかったはずのミサ(仮名:高身長女に嵌め通い1に初出)や他店の嬢にとても評判が良いのを奇特に感じた覚えがある。
 稼働期間が重なったマイは非顔出しの嬢に負けて不愉快だったと思う。ひまわりと張りあって何やかやと作戦しているのが他店の嬢まで噂になった。ひまわりは多分お嬢様ふうの上品さがあったのではないか。マイは吸引性抜群のコケットリーを放散したのだろう。
 入浴していない嬢のことまでメモっていないから断定しにくいが、想像すると猛烈な人気嬢3人のラ・カルチェでの活躍時期の中心点は次のようになる。
 ユウ──平成12年、ひまわり──平成13年、マイ──平成14年
 要するに、ラカルチェに3人が同時に出ていた時期があったと思う。
 私は平成6年に西田ひかるに入浴した以降はゴム着のこの店に完全に足が遠のいた。

 ヘルスで通い詰めたミサがラ・カルチェに移った。
 日記 2018年09月23日 より
 池下&今池のヘルスを語ろう ───2ch過去ログ
942: 02/10/10 09:03
 シャイのみきちゃんって入った人いる?。
 この書き込みを見て驚いた。高身長女に嵌め通い1の嬢がミキだ。
 ミキは2000年10月にリゾートで初対面して、2002年1月にシャイに替わった(共に池下の店)。2003年1月にはラ・カルチェに移った。
注:ミキはヘルス店での名で、良性記ではミサの仮名にした。金津園の店で別の源氏名を使っても、私の頭の中ではいつもミキだ。
 ヘルスの店でミサは私に純生・中出しを許した。しつこい本番希望に負けて私以外に2人の客に体を許していると聞いて、私はミサに金津園に移ったらどうかと言った。
 半年後ぐらいにミサが、金津園のゴム必須で、しっかり稼げそうな店がどこかを尋ねた。私以外の客に生はさせていないし、艶グループのような生店は避けたいと言う。私はラカルチェやエデンなどの中級店上位クラスの店を推奨した。
 ミサが選んだのはラカルチェで、私はまさか本当にソープに移るとは思ってなかったから報告を受けて驚いた。平成15年1月にここで入浴した。
 ミサは同僚のことを喋り散らかすタイプではないのに、何故かユウ、ひまわり、マイの3人のことをよく私に話した。よほど印象の強い女だったのだろう。
 マイはミサやひまわりと一緒だった時期があるが、ユウには重なった時期がないかもしれない。
 ミサから聞いた話で覚えているのは
 ユウ────女も惚れるようなものすごい美人、超人気、やめたときに貯金が7千万円。
 ひまわり──すっごく性格の良い人。上品で、魅力的で、スタッフが尊重していた。
マイ────甘え上手の男たらし/献金の集金上手で、ひまわりとは対極的なすれっからし、店長ともできていて、彼女のやる気満々のコケットリーを罵倒する客も多いが、腑抜けにされた客も多かった。その結果店の嬢が敵視する傾向があった。
 マイは顔出しで魅惑を放散していたから入浴を考えていたけれど、ミサにも他の店の女にも、入浴するのは適切にあらずと言われてやめたのが想い出だ。要するに、同業者の中でも不快感を基調に有名だった。
 ソープ板──懐かしのソープ嬢1
584 名無しさん@入浴中 2008/07/01(火) 14:24:01
昔ラ・カルチェという店のマイちゃんにはまったな…
小柄で中肉中背で、性格もよかったな…
今はもう風俗にはいないのかな
937 名無しさん@入浴中 2009/03/01(日) 00:40:35
ラカルチェのまいさんでしょ!
かわいくて、恋人プレーで間違いなく30回以上は通いました。
引退の日にダブルで入りソープで初めてのNNで5発しました。
最後まいさん中に発射後だきあったまま二人して泣きました。
風俗とわかっていても今でもその余韻が残っています。
それ以来金津を引退しました。
 この過去ログにマイの名が多数登場し、うち2つを掲げた。私が聞いたことからすると、この高評価が本当に不思議で、これがマイの腕なのだろう。しかし、書き込み者はマイにお金を注いでいる気配はないね。まあ、店で良い扱いを受けるために店の男にやらせる女はいやだな。

 ラ・カルチェで思い出深いのは広い待合室としっかりした長椅子群だ。案内を受けるとエレベーターまで歩む。何となく雰囲気があった。個室については、ベッドサイドのレースの垂れ下がりとベッドが高いのが記憶に染みついている。
 ラ・カルチェからニーナが去るとこの店には足が途絶えたが、平成15年からよく入った。
 ミサがラ・カルチェ(及びニューセントレア)で2003年1月から2006年末まで働いた。4年間私はほぼ毎月入浴したからこの期間で40回ぐらいはここに入った。ミサ以外には入浴していない。
 店の幹部からは私は上客だ。よって、応対する姿勢は申し分なかった。
 ただ、ソープ遊興人としてレベルが低そうとか、何やら態度のでかいのが来ると、スタッフの応対の仕方は様変わりの感があった。要するに、嬢のアルバムを見ながらちっとも遊び相手が決められない男、くだらない質問を飛ばし続ける男、物腰にまるで品のない男、よく店に来ているのに本指名で遊べない男、この手の客には、私に対する言動とはかなり趣の違う態度で接する。
 上等のスーツとピカピカの革靴で来る常連客には帝国ホテルのボーイのような物腰だ。
 だから、2chなどの掲示板では、ラ・カルチェのスタッフはかなり叩かれていた。私はそれを見て愉快に思った。叩く奴が未熟者だと。ネットで何かを叩く奴は下等人間であることをチコちゃんは知っています。
 昔のことでよく覚えていないけれど、この頃店長などの幹部スタッフはマイ嬢がいた時とは違うと思う。店の個室で性交に及んでいたと金津園の女の中で噂されていたスタッフはいなくなっていただろう。
 私が平成10年まで恵里亜にしっかり入っていたが、平成6年以降は、ルネッサンスの想い出に書いたB氏(後年恵里亜が豆系に入った頃はハートムーン+の店長をしている)が恵里亜の店長をやっていた。
 この恵里亜がどんどん流行らなくなって、営業権者はB氏を放り出して(B氏は一時期どこかの店のボーイにまで堕ちた記憶だ)他の男に店を任せたが、もっと悪化した。そこで、豆系が店をやることになり、ニューセントレアのスタッフを恵里亜に移した。ちゃんとした客にはきちんと応対し、チンピラ客にはそれに合わせた応対をする連中だ。見事に態度が様変わり。
 結果、恵里亜は低レベルの客にネットでボコボコ叩かれるようになった。そんなことは関係なしに、高レベルの客からは恵里亜のスタッフが問題視されなかったことは言うまでもない。

 ラ・カルチェは2005年にニューセントレアに店名を変更した。ミサは2006年末にハートムーン+に移籍した。2009年までは金津園にいたと思うが、その後は知らない。
 ミサがニューセントレアからハートムーン+に移ったわけはよく覚えていない。ただ、ミサを評価していたスタッフが恵里亜に行き(参考:『金津園嬢の濃厚な想い出』の記述、ニューセントレアの新しいスタッフ(なくなった宝石をやっていた連中だと思う)との関係の問題か、NS傾向増加への不満だったかと思う。
 店のやり方を変えたニューセントレアは、NSだけでなくバイブレータ、ポラロイド写真撮影、聖水プレイ、AFなどを売りにして活気があったようだったけれど、次第に集客力が萎んでいったようだ(何をやろうと良い女が集められなければ駄目だ)
 ラ・カルチェで一番の想い出は、平成17年5月 大層不安がりながらも初めてレビトラを使い、案内を待つ間見た雑誌のヌード写真でバキンバキンのトッキントキンになって、案内のボーイからズボンのテント張りを鞄で隠してエレベータまで歩んだこと、そして、ミサに勃ちっ放しのペニスをさらけ出してはしゃぎ回っていた光景だ。
 撮影というそれまで毎度勃起に阻害になった行為、アナルセックスという、私の勃起力には全く試練で、その困難さに思考が及ぶとすぐさま萎えをもたらす行為、こんな行為に取りかかっても勃起不全対策薬のおかげでペニスが全く縮まないことに激しく驚嘆した。
 20代に戻ったペニスが 172cmの大女の2つの孔を縦横無尽に暴れて、人生がひっくり返るような歓喜に浸り、この日撮った写真が17枚になった。
 実に猥褻な構図の画像ばかりだ。ミサの両手の私より断然長い指が割れ目をパカッと拡げ、尻たぶに抜けた恥毛が1本貼りついて、アナルは蹂躙された様子がありありとして、無残にめくれ上がって精液を垂らしている。これが17枚の最後の写真。
 嵌められ中のミサが歓喜で顔を歪ますのと併せて全く痛快な想い出のシーンになった。
勃起不全からの脱出より
 私はミサを平成13年から嵌め撮りしていたが、ヌードや合体写真を撮るのは飽きてしまって、また、店の照明がかなり弱い白熱灯でもあり、もう9ヶ月ぐらいはカメラを持ち込んでいなかった。
 ミサは私が久し振りにカメラを持ってきたのを知って嬉しがった。私はパンツ1枚の姿になってミサの衣服姿やセミヌード姿を撮った。
 そして、嵌めの撮影にかかった。
「おい、マンコに唾を塗ってよ。すぐ嵌めて、写真に撮りたい」
「その必要はないわ。もう濡れているの」
「何、濡れているって。どうして濡れているんだよ?」
「だって、××さんがすごく亢奮していて、パンツの横から勃ったチンコが覗いていて、それを見ていたら、わたし濡れちゃったわよ。そんな元気なの見せつけられたから、濡れたの」
 確かに尋常でない勃ち方だった。ペニスの皮膚が裂けそうだった。


 それにしても床上床下男上前位で励むのは楽しい。女性もこれはバギナに響く。
 金津園でラ・カルチェと並んで見事なまでにベッドが高いのはハートムーン+だ。ベッドの角が使えて床上床下男上前位に具合が良いのはダイヤモンドクラブ(現 秘書コレクション)床上床下男上前位で前後運動をしているときに足の裏が気持ち良いのはルーブル、床上床下男上前位で前後運動をしているとき壮烈に潮を噴かせたのはルネッサンス(現 クイーン)床上床下男上前位で前後運動をしているとき足の裏が滑るのはコットンクラブのつるつるの床(○暴連携で消滅の店)

 私は金津園の真ん中の道路は西側(バースディ、フレンド、ロランジュ、青いリンゴ、気まぐれ天使がある)には影響軽微で、東側(昔オレンジハウス、宝石などがあった)が1軒分ぐらい用地買収されると思っていた。
 それで、岐阜 水野町線でググって岐阜市のサイトを確かめると、道路幅が28mを予定していた。
 これなら上記西側の店はやっていくのが無理だ。東側で最も西にある店も引っかかるのではないか。
 金津園 ラカルチェでググってどんな嬢の名が出るか調べた──と書いたがこれは2019年7月のことだ。本作のUPが近づいた2020年2月にまたこの検索をした。
 すると、懐かしのソープ嬢2(書き込み開始2013年3月8日〜)を見つけた。
 ここからオヤッ?と思ったものだけを拾った。ここでわいわいやっている連中が如何に顔出しの女にしか関心がないかをわかりやすくするため、顔出し嬢の名前は赤字にした。
 8 2013/03/09(土)
 (前略)俺はティファニーのまや、ラカルチェのまいの二人にハマりだした頃だわ…懐かしい。(後略)
 まいの名はこの後もよく出てくる。
 12 2013/03/09(土)
 艶の雛、杏奈
 この2人はこの後もよく登場する。
 19 2013/03/10(日)
 >>14
 ラカルチェの西田ひかるなんてのは知らない。
 壱番館の西田ひかるは、その後福原に移籍してプレイガールのレーヌとなった。(中略)
 君島の子供を産んだ南野陽子には、ついぞ入らなかったなあ。
 西田ひかるはラ・カルチェの壱番館に出たが、その後福原に行ったとは知らなかった。
 西田ひかるの名はこの後もよく出る。性格の愉快な子だったが、どうしてそこまで取り上げられるのかなとも思う。1993年ぐらいに出ていた古い嬢なのに、2020年の今でも私の頭の中に鮮明に写真の顔が現れる。まあ、顔出しというのはそれほど印象が強い。
 南野陽子はこの後実によく登場する。

 33 2013/03/17(日)
 JBGの光月麗奈
 サービスはフツーだったがとにかく美人だった。
 光月麗奈のことはソープ遊びを語る2に書いたから懐かしい。
 51 2013/04/02(火)
 永遠の28歳(注:すずめの宿のユキだ)
 ユキさんの名を好意を持って出す人は亀頭が強い人だ。
 68 2013/05/17(金)
 トライアングルのネネ
 『懐かしのソープ嬢』と銘を打つスレッドに非顔出し嬢でよく出てくるのは艶の雛、杏奈やこのネネだ。
152 2013/10/18(金)
 恵里亜のあきな どうしてるかな
 アキナのことは私の金津園遊興データ 前編に書いたから懐かしい。
272 2014/03/07(金)
 恵里亜のローザ。可愛くて締りもよかった。一度だけカンジダもらったことがある。
 確かにカンジダで悩んでいたことがあったような。懐かしい。
320 2014/07/26(土)
 ダイヤのラム。俺のデビュー。本当に夢のような90分だった。
 あの時の夢を見たくてまだ卒業できないでいる。
 誰か、あれ位の仕事の出来る娘を教えておくれ。
 あれ位から仕事をしている娘じゃないからね。
 やはりラムはよく出てくる。仕事の出来る娘とは思わないけれどね。
698 2016/03/01(火)
 古い話ついでにw
 ケイが恵里亜でぶっちぎってた頃、茶を引いてたヒトミ(歌手のaco似)に何回か入った。
 感度は良かったけど、今思うとゴムfェラの地雷だった。
 書いてあることはaco似以外は心当たりがあるが、画像検索しても、似ているようには思えないなぁ。
 この書き込みの入浴時期は平成4年かな。

752 016/05/17(火)
 ルーブルのリリーでしょう
 平成4年に入浴した。懐かしい。
779 2016/07/09(土)
 Masters  :仁科良、(中略)
 今ごろ、どうしているのかな?
 仁科良の名を2chで見たことはなかったと思う。へーぇだ。見事によがる女の初めて
443 2015/03/20(金)
 雛の尻万個が最高にして最強だった。
623 2015/10/26(金)
 艶の雛をうつ伏せ後背位でピストンし、ドサクサ紛れに尻万個した時の快感が一番えがった。
814 2016/10/12(水)
 真菜の極上名器
 ジーナのオッパイ
 杏樹のオッパイ
 水沢の腋臭
 雛のオッパイと尻万個
 潤のアヌスの色形香
 雛の尻万個という特徴ある言葉を2chの金津園関係のスレッドで使いまくる男?はすべて同一人物だと思う。ウソを書いていると思うが、理由が見当つかない。オッパイに深く関心を寄せる男がAFに執念を燃やすことはないだろう。挙げている名前も顔出しの有名嬢ばかり。こんなだらしない男が嬢の気持ちを掴んで楽しく付き合うという遊び方ができるとは思えない。
 懐かしい名前が出てくるものもう一つ、https://2ch.review/cache/view/soap/1190122449
 ここの202、203、235〜238は本人の自演ではないかな。
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(千戸拾倍 著)